澄、総大将に戸惑う

 小田城奪還戦当日までの日々は、あっという間に過ぎていった。


 正式に下知げちされてからは、お城の中もあわただしい。


 槍や弓矢、具足の準備などいろいろ行われて、あたしもちょくちょく手伝っていた。


 と言ってもやることなんて、数の管理くらいだったけど。


 その中で足軽の方たちとも、少し話すことができた。


 みんな優しくて、慣れなくておろおろするあたしを手伝ってくれた。


「初めてだから、わからんこともあっぺねぇ」


「ほら、かしてみー。こーやんだー」


 体力も筋力のないあたしだから、物資をどこかに持っていく時はどうしても力を借りなきゃいけなかった。


 最初は恐縮していたんだけど、足軽の方もあたしのことを噂で知ってたみたい。


「あれだろ?お前さん、知恵働きで都のほうから小田家にきたんだろ?」


「だったら、こーいう力仕事は、俺らに任せればよかんべよ」


「今度のいくさでも、きっとわしらのためにやってくらんだろ。期待してっからなー」


「しっかし、あれだなぁ。俺らみたいな中に居ると、ぱぁっと花が咲いたみたいに明るいなぁ」


「んだ!んだ!」


 そんな感じで構ってくれたおかけで、すぐに足軽隊のみんなとも仲良くなれた。


 休憩中に話すと、これから田んぼを耕すんだとか、そろそろ家族に久しぶりに会えるとかの話を屈託なくしてくれた。


 みんな、戦が終わった後たくさん楽しみがあるみたいだった。


「でも、小田城をまずは取り戻さんとな!」


「んだ!あそこの近くにいないと、どうも落ち着かん」


「あそこは殿にとっても、大切な場所だからなぁ」


 そして、小田城奪還のモチベーションも高まっているみたいだった。


 兵のやる気も十分!これは勝ち目としては重要な要素だった。


 それに、藤右衛門さんからもらったお城の情報も貞政さまたちと読み解いてみたんだけど、勝利への可能性はより高まってきた。


 防御兵は少なめで、恐らく管理する将クラスは一次本国へ帰還している。


 修復は進んでいるけど、急ピッチというわけでもない。


 つまり、完全に小田家に対して油断しているって事が見て取れた。


 小田城の出立は明日の夕方、日が落ちてから。


 土浦城から小田城までは、約三時間くらいという近距離。


 相手に悟られないためにも、夜中の行軍となったのだった。


「雫殿ぉ、いよいよですなぁ!」


 いてもたってもいられず、ふらふらと場内を歩いていると一人の足軽さんが声をかけてくれた。


 この人は足軽の中でもまとめ役の、足軽大将。


 気合と緊張の入り混じった声に、本当に戦なんだなっていうのが伝わってくる。


「はい、いよいよですね」


「ああ、俺も落ち着かないんだ。いよいよだって、思うとなぁ」


 初めてのあたしも落ち着かないけど、侍大将という立場でもやっぱり落ち着かないみたいだ。


 もしかしたら土浦城内も全体的に、落ち着かない空気だから仕方ないかもしれない。


 でも、氏治さまがびしっと一声かけたら、締まるんだろうな。


「そう言えば、雫殿。大将が菅谷様なんですな。殿だと思ってたんだけど、なんかあったんか?」


「え!?」


「んだ?知らなかったのか?」


 あたしは、こくこくと激しく頷いた。


 てっきり、氏治さまだとあたしも思ってた。


 どういうこと?小田家の本城を取り戻すのに、当主である氏治さまが総大将じゃないって。


 だって、氏治さまが取り戻すからこそ、小田家健在を内外に示すことができる。


 その為の戦いでもあるのに、どうしてその氏治さまが出ないの?


 政貞さまは一家臣だから、氏治さまが居れば総大将になるはずがない。


 だから氏治さまが総大将じゃないっていうのは、この小田城奪回戦に参加しないって事。


「え、あ、そ、そうなんですね……土浦城の守りもあるから、たぶんそっちかもしれないですね」


 混乱を誤魔化すように、思いついた言葉を吐きだすのが精一杯だった。


「あ、あたし、ちょっとお部屋で落ち着いてきます。なんか歩いてるのが疲れちゃって!」


 あたしは逃げ出すように、あたしの部屋がある氏治様の屋敷に向かって駆けだした。


 どうして?なんで?


 いくら戦下手だからって、どうしてこの戦いに参加しないの?


 あれだけ小田城と小田領を取り戻したいって、あたしに言っていたのに。


 この戦いに氏治さまが出なければ、取り戻したとしても他国には氏治さまは床にふけっているなんて情報が流れてもおかしくない。


 そうすれば、遠方の小田家に協力的な豪族だって不審がる。


 支城を攻めたり何か救援で大将が当主でないことはあるけど、今回の戦いは訳が違うんだよ。


 小田家の大事なシンボルでもある本城、小田城を取り戻す戦。


 なのにどうして、そんな戦いの総大将に氏治さまが居ないんだろう。


 まさか、怖くて逃げた……?


「どうして……っ!」


 もやもやを抱えたまま屋敷に飛び込んだあたしは、縁側に腰を下ろすとぎゅっと膝の上でこぶしを握った。


 氏治さまは側にいるとめんどくさいし、自分で言うように才はないかもしれない人。


 でも、誰より小田領のことを、領民を愛してる人。


 あたしは短い間だけど、それを肌で感じてきたつもり。


 だから、今回の総大将じゃないって事実にこんなにもイライラした。


 だって、氏治さまが本心を隠しているような気がしちゃったから。


 あたしの知ってる氏治さまなら、かっこよく取り戻して『これが名族小田家当主氏治であるぞ!』ってふんぞり返るくらいしてもいい。


 なのに、どうして?


 領民のみんなだって、氏治さま自らが取り戻してくれた方が絶対嬉しいはずなのに。


「澄殿、ここにいましたか」


「政貞さま!!」


 聞きなれた声に振り向くと、そこには困り顔の貞政さまが立っていた。


「戦の前に兵を動揺させるのは、将としてはあまりよくありませんな。兵たちが、心配しておりましたぞ」


「申し訳ございませんでした」


 やっぱりさっき逃げ出すように駆けだしたのは、かなり印象悪かったんだ。


 そうだよね、あたしも小田家の家臣としてみんなからは見られてる。


 あんまり変な行動で、みんなを不安にさせないようにしないとダメだ。


 こういうほころびから、勝てる戦に負けちゃうことだってあるかもしれないし。


「あの、一つお聞きしたいことが」


「総大将の、事でしょうな」


 あたしの隣の腰を下ろした政貞さまに、あたしははっきりと頷いた。


「知ってたんですね」


「この戦前という大事な時期に澄殿を動揺させるような出来事は、これくらいしかありませんでしたから」


「政貞さまの総大将が、不安というわけではないんです。すごく心強く思っています、でも……」


「なぜ小田城を取り戻すこの戦いの、総大将が氏治さまがないのかということですな」


「はい」


「澄殿はこちらに来て、氏治さまの近くで過ごされましたからな。そこでおそらく、私たちの知らない氏治さまの顔も見てきたからでしょう」


 たぶん、そう。


 きっとみんなの前では、もっと戦国武将として、名族小田家の当主としての氏治さまを頑張って見せようとしていたはず。


 もちろん失敗が多かったはずだけれど、それこそが菅谷さまたちの知る氏治さま。


 でも、あたしの前では違っていた。


 弱気なときもあって、自分の才や知位に悩んで、領民のことを大切に思うそんな人間臭い近所のお兄ちゃんみたいな武将だった。


 だから、だからこそ今回の戦は絶対、総大将として出てくれると思っていたのに。


「氏治さまは、あたしがこっちに来る前は知も武もないどうしようもない最弱武将だって思ってました」


 これは、あたしのこの時代に来るまでの氏治さまの印象だった。


 戦がとにかく下手で、外交も知略もダメ。


 戦にも負けまくり、本城を9回も落とされて、それなのになぜか生き残ってしまった最弱戦国武将。


 だから小田家に来た時は、このままもう死ぬしかないなって思っていた。


「でも、そんな事なかった。あたしの前にいた氏治さまは、あんなに領民のことを愛して、自分の力にも悩んでる方でした。現実に立ち向かう、強い人でした」


 自分には、武もない知もない。


 周りの家々の当主にも、力で劣ることは分かっている。


 それでも、何とかして小田領を守り抜きたい。


 なのに、その力すらないかもしれない。


 そんな思いと現実の差に、悩んでいる人だった。


 いつも笑っている声も、バカにされても怒らないことも。


 きっと不安をあたしに見せないようにするためだって、気が付いていた。


 当主である自分が少しでも多くの人に不安を見せたら、小田家は傾く。


 だから、堂々としていなければいけない。


 それが、きっと体に染みついちゃっている。


 例え、うつけだ、無能だと罵られても氏治さまは、悲しい顔を見せなかった。


 笑ったり、冗談のように誤魔化していた。


 そんなすごく、すごく強い人だった。


「そんな人が、今回の戦に出ないなんてわかりません。どうして、ですか?」


 短い沈黙の後、政貞さまは一つ息をついて切り出した。


「澄殿に、お話しましょう。氏治さまが、どうしてこのようになってしまったかを」

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