氏治と澄、旧小田領に潜入す
「あ、あの、氏治さま?」
「何じゃ、不服か?」
あたしは隣を歩く氏治さまにすっごく申し訳なさそうに声を掛けたんだけど、返ってきたのは少しすねたような声。
――はい、不服です、すっごい言いたいことがあるくらい不服です。
その言葉が喉を飛び出しそうになるけど、あたしだって17歳。
言っていい事と悪い事の、分別くらいはつけられる。
不服ですなんて言ったら、氏治さまは拗ねてへそを曲げてじたばたして、すっごい無駄な時間が過ぎることぐらい十分承知。
うん、我慢出来で偉いぞ!雫澄。
「いえ、すっごい幸せですよ? あの小田領に一番詳しい氏治さまに、こうして案内して貰るんですから。逆に恐縮で、本当にいいのかなって思っちゃうくらい!」
「であろう、であろう!感謝せいよ、澄」
懸命に苦虫をかみつぶすような思いで吐いた皮肉だったのに、帰ってきたのは満面の笑み。
うっわぁ、字面そのまま信じてるよ氏治さま。
これ、京都に行ったら厭味ったらしい皮肉をそのまま誉め言葉って思ってバカにされちゃうタイプだよ。
素直なのは確かにいいだけど、このくらいの皮肉は分かって欲しい。
なんか、あたしの知る歴史の小田家が外交上手くいかなかったのって、この皮肉が全然理解できない当主様のせいなんじゃ?
どんどん考える程、頭の中がどんよりと真っ暗な雲に包まれていく。
だ、大丈夫かな?もし何か誰かに襲われた時、氏治さま守ってくれるかな?
だって、あたしに剣術で負けちゃう氏治さまだよ?すっごく守ってくれるか、不安しかないんだけど。
ちなみに、その氏治さまに剣術で現在25連勝中のあたしは丸腰。
理由は流石にこの時代とはいえ、平時に女子が刀を差すのは目立ちすぎるって理由だった。
「なに、わしの小田領に小田城じゃ。わしが様子を見に行くのに、何も危険もあるまいて」
頭を抱えてとぼとぼ歩くあたしを置いていくように、氏治さまはずんずんと前に迷いなく進んでいく。
――だ、だめだ、このバカ当主さま全然状況分かってない。
小田領はあなたのものかもしれないけど、今いるところは“旧”小田領ですからね!?
あと、小田城は占領されてあなたの物じゃないですからね!
「ほら、何を止まっておる!時間は限られておるのだぞ」
「はぁ、わかってますって」
柔らかな風がそよそよと流れる田舎道で、あたしは氏治さまを追いかける。
今日のあたしの外出目的が偵察じゃなくて、さらにその護衛が氏治さまじゃなければ、気持ちいいただの散歩なんだろうなぁ。
あたしは、小田城攻めのために今まず必要なのは情報収集。
それと、現地の方との交渉が重要っていうのを提案した。
ただ情報収集は、今は敵の領地になっている小田城下に向かうってことで危険。
現地の方との交渉は、あたし一人じゃ小田家の人間って信じてもらえないから無理。
だから、交渉上手で護衛ができる人は誰かいないですかって貞政さまに聞いたんだけど、来たのはなぜか氏治様。
どうやら、立ち聞きしてわしが行くと言い張ったらしくて、貞政さまも困り顔だった。
「まったく。あたしはなんだか不老不死だから襲われてもいいけど、氏治さまは大丈夫かな」
こんなの所でかけられた呪いで助かりたくは無いけど、今はそうやって気分を紛らわせないと今後に差し支えそうだった。
あたりを見ると、特に人影もない。
今は戦国時代だけど、そこらじゅうを足軽たちが警備で歩いているって訳じゃない。
戦いがなければ、本当にのんびりとした空気が流れているのかもしれない。
「まだ、代掻きの準備は行ってない様じゃな。ふむ、通年であればそろそろのはずじゃが」
「代かきですか?」
代掻きって聞いたこともない言葉だったから、あたりを見渡していた氏治さまに聞いてみる。
「田植え前に水を張り、土を細かく耕し、表面を平らにならす作業じゃ」
「へぇ」
「しっかり耕せば水持ちが良いし、雑草が生えにくい、田植するときも土が柔らかくなり植えやすい。代掻きを行わねば、わしでも植えるのに苦労しそうじゃ」
さすが田植武将、さくっとあたしの呟いた疑問に答えてくれる。
そうか、つまりお水を張って耕す土の準備を小田領の田はしてないってことか。
「二回か三回やると、本当に田が落ち着くでな。米作りには重要な作業じゃ」
「でも、どこの田にもまだ水はないみたいですね」
あたりを見てみると、本当にどこの田にも水が入っていない。
草抜きとかはしてるだけに、確かにちょっと変。
米作は季節も重要のはずだから、タイミングを逃すなんてことしないとは思う。
何か理由が、あるはず。
「田植え時期を考えると、もうやっておかなければおかしい。これでは、予定通り田植が出来ないぞ」
――田植え時期、田植え……まさか!?
もしかしての可能性が、不意に頭の中に浮かんだ。
いや、でも、これってありうるのかな?
「う、氏治さま、当然代掻きの準備の後と言うのは田には水が入りますね」
「そうであるな」
「となると、城攻めには不利ですよね?兵の脚がとられますから」
「それは……まさか。いや、ありうるな! 澄、少し急ぐぞ!ついて参れ!」
「ど、どこへです!?」
「乙名の藤右衛門のもとじゃ!」
あたしのうろたえながらの言葉は、あの氏治さまにも十分呼び水になるヒントだったらしい。
慌てた様子で、いきなり走り出した。
田植武将なら、通じると思ったけどやってよかった。
現地の方の話を聞くなら、あたしじゃなくてこの土地に通じる人が適してる。
護衛としては不十分だけど、交渉役としては最適解。
あれ、もしかして氏治さまはこれを見越して?
「ないとは、言えないよね」
いつものように笑って否定しようとしたけど、出来なかった。
だってあたしに何度も、小田城の周りの話をしてくれていた。
大事な小田城が、城下の領地がどうなってるか心配で心配でたまらなかったんだ。
「氏治さま……大丈夫ですよ、きっと」
あたしも何かを感じながら、駆け出して行った。
* * *
「藤右衛門!!!おるかああっ!」
「と、殿!?」
さすが、戦国武将。
現役女子高生(帰宅部)歴オタ兼ゲーマーのあたしが息も絶え絶えでフラフラなのに、息一つ切らさず大声で大きな家の中に飛び込んでいった。
いや、でもこの静かな田舎。
さすがにその大声、敵側にばれないよね?
「無事であったか! 良かった、良かったぞ……」
「殿が土浦へ落ち延びられていたとは聞き及んでおり申したが、この藤右衛門お顔を見られてうれしゅうございます」
あたしが何とかフラフラでで家の中に入ると、氏治さまと藤右衛門って呼ばれた方が手を握り合って涙を流していた。
ああ、そうか氏治様が土浦城へ逃げ落ちたてことは噂になっていたけど、本当かは分かんないもんね。
偽情報なんて山ほど流れるだろうし、やっぱり顔を見ると安心するんだろうな。
「あ、う、うじ、はる、さまぁ、よ、よかった、です、ねぇ・・・・」
何とかおめでとうの意味を込めての声をかけたんだけど、若干の恨み節が入る。
一応、あたしの護衛の役割があるんだから、置いていって全力ダッシュはしないでほしかったな。
今も息が上がっちゃって、まともに声が出せないんだけど。
「澄、どうした?そんなに息を切らして」
「あなたが、全力で……走るから、ですよ……」
きょとんとした氏治さまの顔を見たら、澄ちゃん怒りメーターが0から30%上昇。
こっちは膝に手をついてるのに、暢気な顔してるんだから仕方ない。
本当は7割上昇なんだけど、隣で藤右衛門さんが今も涙ぐんでるからそれを差し引いた。
まだ息が上がっていて、たぶん小袖も乱れちゃってるから恥ずかしい。
けど、直す余裕なんて息の上がってるあたしにあるはずもない。
「あ、あの、殿?」
「なんじゃ?」
「こちらの方が、今にも倒れそうなほどなのですが水などお持ちしましょうか? ああ、あのこちらにどうぞお休みになってください」
ああ、優しい、優しいよ藤右衛門さん。
隣にいる
まさか、あたしの事500年前から来たから心肺機能も進化してるって思ってるんじゃない?
そんな事ないから、下手したら退化してるから。
さっきみたいに走るなんて、中学校の体育以来だから数年ぶりなんだよ。
それに、慣れない草履だと走りにくくって仕方なかったんだから。
「す、すいません。た、た、助かります……」
フラフラになって、板敷にぺたんと座り込む。
まだ息が苦しくて、はぁはぁと激しく肩が動いてるから申し訳ないんだけどお礼も乱れちゃう。
「ああ、どうぞお飲みください」
「す、すいません」
ごくっと出された水を飲むと、少し気分が落ち着いてきた。
出された素焼きのお椀に入っていた水は、ただの水のはず。
なのに、夏の同人イベントでヘロヘロになった時に飲んだスポーツドリンク並みにおいしかった。
「はぁ、助かりました」
「なんじゃ、澄。大げさだのぉ」
かちん。
澄ちゃんの怒りメーター、一気に100%突破。
うん、普通に言えばいいんだよ普通に。
『疲れたんだね』ってひと言さ。
でもね、何ですっごいバッカにした目で見るかなぁ!?
もう、身分なんて今は関係ない! 一度きっちり言わないと、この人、絶対わからないタイプだ!
「氏治さま……ちょっと、そこ座ってくれますか?」
なんだか驚く身体が軽くなったあたしは、立ち上がると真っすぐに氏治様を見つめた。
怒ってるはずなのに、すっごく冷静で声は震え一つない。
「す、澄?わし、何か――」
「聞こえなかったんですか、氏治さま。そこに、座ってください」
「あ、いや、そんな怒らないでも……よくない?」
「座ってください。犬といえども、三度聞けば座りますよ?名族小田家の血を引く氏治さま、まさかご自分が犬畜生以下とは、申しませんよね」
しゅん!
そんな効果音が尽きそうなほど、見事な勢いで氏治様はあたしの前にひざまずいた。
「はい、よくできました。では――」
目の前で震える氏治さまを見て、うん、と頷いた
そして、身分の差を無視した氷のような公開説教は、しばらくの間続いたのだった。
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