澄、吐露する
氏治さまへの恩返しの第一歩に、小田城を奪回したい。
そう決めたのはいいけど、政貞さまにも天羽さまにも相談できないまま数日が経っちゃった。
理由は色々あるけれど、一番は家臣とはいえ新参のあたしが城の奪還という大それたことを口にしていいかってこと。
武も知もあるなんて言われてるけど、全っ然自信がない。
比較対象もないし、戦場に出たこともない。
それに奪回時期を決めるのは、政貞さまに天羽さま、他の家臣の皆さんたちの方が得意なはず。
だって、この弱小小田家でこの後8度の奪還を果たせたのは、氏治様の力っていうより家臣団の力が大きかったと言われるくらいなんだから。
――みんなに、任せよう。あたしなんかの思い付きみたいな理由じゃ、ダメに決まってる。
そう思って諦めようとしたけど、なぜか諦められない日々が続いていた。
「さて、今日はこれまでとしたいのですが……澄殿」
「はい」
軍略の教えを受ける時間の終わり、天羽さまが珍しくあたしを引き留めた。
いつもなら、この後はゆっくり休んでくださいねって和やかな感じで終わりなのだけれど今日はどうも雰囲気が違う。
「今日は、どうも頭の切れが悪かったですぞ」
「えっ、そうでした?」
今日は、久しぶりに相手に合わせた兵の動かし方を教えてもらっていた。
あたしはいつも通り悩みながら、天羽さまの問いに答えていただけのはずなんだけど。
「政貞も申しておりました、ここ数日どうも頭の切れが鈍いと」
ええっ!?政貞さままで?
そんな別に変わった様子は、してなかったはずなのに。
「天羽さまの、考えすぎですよ。あと、あたしにはやっぱり武の才も軍略の才も――」
「澄殿の時代では習わない事を習っているのですから、その度に戸惑い、深く考えるのは当然の事。それは、才の有無とは無関係です」
あたしの自虐的な声は、天羽さまの重い声でかき消された。
「ですが、今日も、いえ、昨日もですが、どうも教えを受けながら同時に別なことを考えていたかのように思いました」
「どうして、そう思ったんです?」
「兵の動かし方を答える時、以前の澄殿でしたらまずじっくり考えて動かし、その理由を一つに絞っておられました」
天羽さまの言うことは、間違いじゃない。
あたしは頭で無数のパターンを時間の許す限り考えて、この時代に一番合ったと思う答え導き出す。
そして相手と自分が納得できる理由を、紐づける。
もちろん、間違ったら理由を納得するまで聞く。
こんな風にはずっとやっていて、今日もしていたはずなんだけど。
「だが、ここ数日はその理由があやふやになったり、私が提示したのとは別の状況のことを熱心に質問したりすることも多くなりました」
天羽さまは表情を変えず、状況証拠を一つ一つ並べてくる。
理由があやふやになったことは、覚えてない。
だけど確かにここ数日は、天羽さまに言われるように提示されたのと別の状況ではどうかって事を聞いていた。
例えば状況が沼地であればどうしたらとか、兵の数が逆の場合はとか。
「何かに焦って、一足飛びをしているようでした」
「別に焦ってなんて。ただ、別の場合ならどうなるのかな?って気になっただけで」
「まぁ澄殿が言わずとも何に焦っているかは、この天羽は分かっておりますぞ」
一気に詰みですよ?の合図と言わんばかりに、天羽さまはぱたんと本を閉じた。
戦国を駆け抜けた知将の圧力に、あたしは何も言えずごくりと喉を鳴らすのが精一杯だった。
「考えているのは、小田城の奪還でしょう」
「な、なっ。ち、違います!恩返ししたいとは言えなんであたしが、小田城の奪還に焦らないといけないんですか!」
さすが小田家を支えた軍師、図星だった。
だけど、それを認めるわけにいかなくってあたしは思わず天羽さまに言い返していた。
「澄殿は何も知らないと申されながら、様々なことを知っておられる。ですから、この時期が戦をする家々にとって重要な時期であることも、ご存じのはずでしょうな」
あたしは何も言えず、黙ってしまった。
別に何も知らないって言いきることはできたけど、そんなの天羽さま相手には通用しない。
それにこれから先のことを考えると、誤魔化す事なんてできなかった。
「今は、田植えを控えた時期。そろそろ地侍が、田植えのためそれぞれの農地に帰り始めるますな」
「その通りです」
「だから、どの家も兵士の数が大きく下がり始める。このことを澄殿が知らないはずがない」
「は、はい……」
「だが、それは小田家も同様。今の機を逃してしまえば、数か月小田城に手出しができなくなる。さらに言えば、まだ城が落ちて1月ほど。修復や大きな改修も行われていないから、ということもありますでしょうな」
天羽さまの読みは、完璧だった。
あたしの浅はかな仕掛けのタイミングはここしかないっていうのは、あっさりと分かってしまったらしい。
その通りで、今の機を逃してしまえば数か月どころじゃなく、半年以上小田城に手は出せないとあたしは思っていた。
あと今なら城の修復も進んではいないし、こちらは地の利に明るい。
時間が経ったら修復だけじゃなくて、下手したら改修されちゃう。
だから、手の入っていない今こそ攻め時だとあたしは思ったのだ。
「……先ほどまでの数々の非礼、申し訳、御座いません」
叱責される覚悟で深々と頭を下げると、代わりに聞こえてきたのは大きなため息。
「何故、取り戻そうと思ったのですか? 機のことはありましょうが、それだけではないでしょう」
「氏治さまに、寂しい顔をしてほしくなかったんです」
「殿が?」
「はい、先日共にこの辺りを歩き回った時に氏治さまは、あたしに田植えの話をしてくださいました」
「確かに殿は、小田領の田植えを手伝っておりました。自ら苗を植え、田楽踊る当主はこの天羽も日ノ本では聞いたことがございませんでしたが」
「その話をしたとき、すごく寂しそうだったんです。あの、周りを困らせるほどにぎやかで明るい氏治さまがです」
史実では分からないけど、あたしの前での氏治様はいつも明るかった。
小田家の未来を知るあたしにかなりけなされても、すぐに立ち直ってあたしを呆れさせえるくらい笑わせてくれた。
そんな氏治さまが、あの日は違った。
すっごく寂しそうな、顔をした。
そんな顔をしている氏治さまなんて、あたしは嫌だった。
「あんなしょぼくれてる氏治さまなんて、あたしは見てられなかったんです。あたしは……あたしは………」
ぎゅっと、あたしは床についた手を握って震えていた。
悔しさ、やるせなさ、無力さ、不安。
小田城に来てから抱えていた想いが、一気にあふれ出した。
「もうあんな氏治さまを見たくない! あたし、恩返しするって決めたのに何もできない自分にも、もう!もう!我慢できません!」
口調も、もう抑えられなくなっていた。
駄々っ子のような17歳の女子高生に戻っていた。
この時代で言えばあたしは、大人かもしれない。
だから、精一杯大人びて振舞っていた。
でも、無理だった。
あたしはこの時代の生れじゃない、500年先の生まれ。
あたしから見れば17歳なんて、まだまだ子供。
誰かに頼ったり、自分の感情に振り回されたりするのが当たり前の年頃。
それは、あたしも同じだった。
「他にもあたし、才や知があるって言っても恩返し、何もできてないです!」
小田家に使えるみんなへの紹介の時も、天羽さまや貞政さまからいろいろ教わってる時も。
何処かで、あたしは不安だった。
あたしはこの時代に来て、別に何も小田家に恩返しできてない。
何も結果を残していないのに、勝手な雫澄像がつくられていくのが怖かった。
でも、一番怖かったのはみんなが裏で何言ってるか分からなかったこと。
それは、500年前の時代に生きていたころの名残。
あたしは、いつも疑われていた。
歴史だけは好きで、色々知ってた。
でも、学校のでの授業じゃほとんど役立たずだし、他の授業はさっぱり。
だから学校でのあたしは、裏でいろいろ言われていた。
頭はいいはずなのに、好きなことしかやらない不真面目なやつ。
実はカンニングしてる、卑怯者。
そんな話を聞いてからあたしの心は、いつも不安だった。
「恩返しして、こんなことできて澄はすごいねって、役に立つねって言ってほしい。そのために氏治さまやみんなに形として示したくなった!」
その不安を振り払うために必要なのは、結果を出すことだってあたしは思っていた。
でも、あたしが居た時代では何も残せなかった。
そして、この時代に来て小田家の役に立つって決めてからずっと何か残せないかって考えてた。
そんな時、氏治さまが小田城の奪回をしたいって思ってることを知った。
「恩返しで小田城を取り戻すっていう結果を出せたら……そうしたら、あたしは小田家でちゃんと後ろめたさもなくいられるって思っちゃったんです!氏治さまの隣にいてもいいって、思っちゃったんです!」
あんなだけど、いつも頼りないけど、あたしと氏治様の身分は違いすぎる。
だからいつも、あたしが側にいていいか不安だった。
それに、隣にいてくれてあたしを和ませてくれて、頑張らせてくれた氏治様に褒めてほしかった。
「そうじゃなきゃ、あたし、あたし、もう、おかしくなりそうだった!!」
最初は今なら小田城を奪還できるかもしれない、氏治様に元気になってもらいたいなって思い。
でもそれはどんどんあたしに中の不安と想いとリンクして、気が付けばもうどうしようもできない不安になっちゃっていた。
「ごめんなさい……」
ぽたぽたと感情が涙となって、床を濡らしていた。
悔しさと恥ずかしさと、自分の子供としか思えない情けなさと弱さ。
泣いたからって許されるものではないと思うけど、あふれ出した涙はもう止まらなかった。
「澄殿の想い、分かりました。顔をお上げください」
ゆっくりと顔を上げると、そこにいたのは優しい顔をした天羽様だった。
「500年も先からいきなりこちらに来たのですから、澄殿には父も母も、血族もおりませぬ」
「天羽さま……」
「そんな中、ご自分の才だけで立つのはそう簡単ではないでしょうな」
天羽さまの言葉は、じわりとあたしの中に染みていく。
「家もなく、血族も何もない。支えも何もない。血や家が当たり前のこの世を生きるこの天羽には、その不安が分かりかねました。申し訳ありません」
「い、いえ、当然です。あたしにもわからない事、たくさんありますから……」
「それに……ふむ、澄殿ここでは場所が悪い。少し場所を変えましょう」
あたしの理由をあえて無視したように、天羽様はゆっくりと立ち上がった。
「私たちは澄殿の力を必要としていました。それは、これからの小田家に大きく関わる事です」
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