氏治、田植えを語る

 ちょうど空き地があったので、氏治さまがそちらに先に行き手招きした。


 あたしはそれに続き、先に腰を下ろして氏治さまが隣に座った。


 氏治さまから優しい笑顔で竹筒が渡され、あたしはこくりと中に入っていた水で少しのどを潤した。


「わしは確かに澄の言うように名族小田家の中の宗家の出じゃ。じゃが、幼少のころからどうも何も才がなく、父や母に怒られてばかりでな」


 それを見守ると、氏治様は懐かしさと少しの寂しさ吐きだすようにゆっくりと口を開いた。


「一つうまくいっても、それを積み重ねてももっとできる、もっとできるはずだとな。そして失敗されれば叱責される」


 懐かしさだけじゃない、諦めにも似た自虐的な笑みを浮かべている氏治さま。


 嫡男としての期待は大きかっただけに、両親も周囲もいろいろ押し付けちゃったのかもしれない。


 あたしも長女だったから、しっかりしろとか勉強しろとかいろいろ言われたっけ。


「だから、怒られるのが怖く、毎日つまらんかった。一向に認められぬのだからな」


 氏治様に、あたしは小さく頷いた。


 少し違うけど、何となくわかる。


 積み重ねていても認められない辛さは、あたしも感じてきたから。


「それにわしの興味の持ったことは、どれも武家らしくないと拒否されることもあった。その一つが田植えや農民の事じゃ」


「田植えや、農民の事に興味を?」


「そうじゃ、澄は気にはならんか?」


 プチンと野草を切り取り、ぴょんぴょんと手の前で振りながら氏治様は言葉を続ける。


「わしらは米があるから、戦ができる。兵糧もそうだが、米を売り買いして銭を得て武器や日々のものを買っておる。その米がいかにつくられておるか、そして兵糧やわしたちの口に入る野菜などはどうつくられておるかと」


 その口調は、あたしが初めて聞く真剣な口調。


 その真剣さの中に、あたしは氏治様が米作りに『面白さ』を感じていることに気が付いた。


 それは、この口調に聞き覚えがあったから。


 あたしが自分の好きを誰かに知ってほしい時の口調は、こんな感じだったから。


「皆は当たり前に米は大事、領地は大事という。だが、その大切なはずの領民にただ年貢を納めよだけでは、民は素直に出すまいし、領主を信用もしないじゃろう」


それに、と氏治さまは付け足して言葉をつづけた。


「わしらが彼らに米や野菜を作りやすい場を提供するには、ただ戦を行うだけでは不足だとわしは思った」


 氏治さまから語られるのは、ただの弱小戦国武将では到底たどり着かないような考えのように思えた。


 うんん、現代だって難しい事をやっていた。


 当たり前のことに疑問を持ち、新しい答えを見つけようとする。


 それは並大抵の頭では思いつかない事、一部の天才って言われる人の考え方。


「だからわしは米などをどうやって作られてるか知ること、つまり現場を知らねばならんと思ったのじゃ」


「それで、まさか自ら田植えを?」


「そうじゃ、小田領の民にこっそり頼み込んでな。あれは10かそこらであったなぁ、懐かしい」


「え!?」


 ――氏治さま、10歳でその考えに至ったってこと?


 いやいや、まってそれってすごい事なんじゃない?


 与えられることを当たり前としないで、自分の好奇心を持ち続けて行動したのはすごい。


 だけど、領民領地を守るためには自国の民を大切にするにはどうしたらいいか。


 その疑問の答えを、自分で得ようとした事が何よりすごかった。


 あたしなんて10のころなんて、ただただ歴史の本を読んでわくわくし始めた年頃なのに。


「田植えははじめは大変じゃった。見よう見まねでやってみるものの、泥に脚はとられ何度も田に転ぶ、大切な苗も何本も落として踏んでしまってな。全然うまくいかぬ。はは、あの時の民にはほんと酷い事をしてしまった」


 失敗を嬉しそうに氏治様は、語っている。


 だけど、周りだって大変だったはず。


 何せ相手は領主様の息子で、いきなり田植えをしたいなんて言ってきたんだろうから。


 身分差もあるから戸惑いも教え方も工夫しなきゃいけなくて、相当大変だったのは目に浮かぶ。


「一日の間、何とか手伝うことはできたが、もう疲れ果ててへとへとじゃ。どろどろになり、わしは武家だか農民だか分からない姿になっておって田の隅に大の字。その時、彼らが我慢できず笑っておったのじゃ。そして、わしも笑った」


「笑った?」


「わしらのあたりまえに使っておる米は、こんな大変なことをして植えられておったと体で分かった。それがただ、嬉しかったのじゃ。それに、なんじゃろうな、民と一緒に何かを成したのも嬉しかった」


 氏治様は、笑顔をあたしに向ける。


 それは戦いの中に身を置く武将ではなく、ただの20歳の若者の屈託のない笑顔。


『ほんとにその時は、楽しかったんだぞ?』


 そんな言葉が、言わなくてもあたしにも伝わってくるみたいだった。


「当然、父や母は早に知ることとなり大目玉をくらった。だが、不思議と後悔はなかった。自分でやりたいことをやったのだからな」


 やりたいこと知りたいことを自分で突き詰め、自らの手で答えを一つ知った。


 それは、小さな氏治様の一つの成長だったんだろう。


「だから当主になった時、小田の領民には安心して米作りや作物づくりをしてほしかったのじゃ。年貢のことや、徴兵、他にもどうしたら安心して生活できるかを細かく相談しておったのじゃよ。肥料などの工夫も、重ねておった」


「田植えを続けていたのも、それで?」


「そうじゃ。作物を植えてるときは、わしはただの一人の男。領民と対等じゃ。様々な話を聞くのにはちょうど良いし、何よりわしもそんな時間が好きでな。菅谷たちは呆れておるが、わしはやめる気などせん」


 氏治様の話を聞いていて、あたしは持っていた疑問の一つの謎を解くカギを見つけた気がした。


 小田領の領民は、あたしの居た時代でも強固なほど小田家を支持して居いたことが伝わっている。


 年貢を逃亡中の氏治様に横流ししたり、呼びかけにすぐ応じたり。


 何より9度も城を落とされても、氏治さまが生き延びているのが証拠。


 領主と言えど逃走中に領民が牙をむき、落ち武者狩りで命を落とすことは十分に考えられる。


 だけれど小田領の方はその度に逃走を助け、時には命を懸けて匿ったとしか思えない。


 領民と小田家の結びつきは、あたしの時代では一つの謎として扱われることもあった。


 でもこの時代の氏治様と同じように、民と同じ目線で苦労を知り、共にしてくれる領主さまって顔があったのかもしれない。


「じゃが、今年はわしが小田城周りの田植えを手伝うのは無理そうじゃな」


 楽しそうだった氏治様が、寂しそうな苦笑いを漏らした。


 そっか、小田城はまだ敵の手に落ちたまま。


 それに、貴重な戦力である兵たちもそれぞれの農地に帰るころ。


 もう、戦を仕掛けられるタイミングじゃなくなりつつあるんだ。


「残念じゃが、来年かのぉ。澄に民の楽しそうな顔や、わしの勇士を見せられるのは」


 田植えはこのころ、お祭り的なイベントも混ざってるところも多い。


 豊作を願い、舞い踊りにぎやかに騒ぐこともあったろう。


 氏治さまはそれにやっぱり混ざりたいのだろうし、その楽しい光景をたまにふさぎ込むあたしに見せたかったのかもしれない。


 ――何とか、ならないかな。


 ふつふつとあたしの中でそんな思いが湧いてくる。


 こんな寂しそうな顔をしている氏治様なんて、あたしは見たくない。


 小田城が取り戻せて、田植えが出来たらあたしが小田家にいる目的である恩返しが果たせるのに。


 だけど、あたしにはどうしようもでき――あれ?あたしは本当に何もできないの?


 あたしは以前の時代のように、誰にも相談できない一人ぼっちじゃない。


 今のあたしは小田家の客将で、小田家には氏治さまを盛り立てようって家臣団がいるはず。


 みんなだって、この氏治様のキモチが分かれば協力してくれるはず。


「せめて、小田城の様子が分かれば……」


「どうした澄?急に真剣な顔になってしまって」


「あ、いえ。なんでも」


 まさかここで氏治様に城を取り戻しましょう!なんて言えない。


 だって相手は、戦下手の氏治様。


 気分に乗ってなんか無茶苦茶なことになりそうなのは、火を見るに明らかなんだからね。


 こういうことを相談できるのは、うん、二人しかいない。


 ――政貞さま、天羽さまに、相談だ!


 あの二人なら、きっといい策を持っているはず。


 待っててくださいね、氏治さま。


 もしかしたら、みんなと田植えを一緒にできるかもしれません。


 この時代に来て、恩返しに対する初めて具体的な目標をもったあたしはこの後の散歩のことを全く覚えていないくらいに頭を回すことになったのだった。


 そのせいで、後日、氏治さまが


「な、なぁ、今日澄と散歩しておったのだが急にこちらの問いかけに応えなくなってしまたったのじゃ!わし、悪い事をしただろうか!?」


 って、家臣の人たちに半泣きで聞きまくって迷惑をかける事件が発生したんだけど、それをあたしが知るのは数週間後になるのだった。

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