『田植武将』小田氏治

 鳶が空で気持ちよさそうに舞い、そよそよと風が流れる以外にほとんど音がしない。


 あたしの時代だったら考えられないくらい、自然の音しかしない。


 どこを見渡しても電柱も家屋もビルもない風景を見るのは、生まれて初めて。


 当然アスファルト舗装されてない土の道を、あたしは氏治さまの半歩後ろを最近ようやく履き慣れた草履でついていく。


「あとひと月か少し過ぎれば、そろそろ田植えじゃなぁ」


 あたりを見た氏治様が、どこか嬉しそう。


 今が何月かを聞いていないけれど、田植えが近いということは4月か5月なのかな。


 5月になったら、明け方寒くて起きるなんてこともなくなるかも。


 少し困ってたから、ちょっと嬉しい。


 あ、でも暑すぎたりジメジメになるのは不安だな。


 エアコンもない梅雨とか夏、それはそれでげんなりしそうだし。


「そうじゃ、澄。田植えを迎えたら、わしが教えてやろう」


「何をですか?」


 自信満々の氏治さまに、あたしは首をかしげた。


 ――なんだろう、あたしに教える事って。


 田植えに関わることって言っても、氏治さまは戦国武将。


 まさか苗の植え方とは思えないし、氏治さまがあたしに教える事があると言われてもピンとこない。


 最近も、剣術も学問もあたしに叩きのめされたばっかりだし。


 だから、さっぱり想像がつかない。


「なにを言っておる。当然、田植えじゃよ」


「え!?」


 予想をしてなかった返答に、思わず声が出た。


 氏治さまがあたしに教える事があるってだけで驚きなのに、田植え!?


 いやいや、まってまって。


 氏治さまは確かに領土の小さな、最弱戦国武将。


 でも、小田家は昔から続く名族の武家。


 その当主が田植えを知っていて、あたしに教えようってしてきてる。


 確かにこの時代の武士は、半農半士が当たり前だった。


 でもそれはあくまでも、身分の少し低めの兵たち。


 名族小田家の当主が、田植えなんてやることじゃないんだよ?


「何を疑っておる、上手いのじゃぞ?」


 氏治様はそうやってすごんで見せるけど、違います。


 あたしは、疑ってるんじゃないんです。


 驚いてるのはあなたのような仮にも名族の当主である氏治さまともあろうお方が、そこまで自信満々に田植えをあたしに教えられるって思ってることです。


「田植えの時期となれば、毎年毎年領民から請われてな。氏治様は本当にうまいですなぁ!と毎年褒められるほどの腕前なのじゃぞ!」


「ま、毎年……?」


 名門武家の当主が田植えをしているなんて、あたしの知識の中に誰一人いない。


 いや、まだ郷士だった時にしてた!ってのはあるとは思うけど、当主になってまでなんてのは知らない。


 でも、何でだろう?


 話を聞けば聞くほど、菅笠かぶって腰に苗の入った篭をつけて田植えをしている姿がめちゃくちゃ似合うように思えてきた。


「氏治さま?まさか刀より、農具を持っている方が似合うって事、ないですよね?」


「おお、領民によく言われるぞ!様になっておるとな。田に関して言えば石拾いから刈り取りまで、何でもござれじゃ!」


 今度はあたしが、ずるん!って大阪新喜劇の芸人みたくつんのめりそうになった。


 それって、うん、本来は喜んでいいのか分かんない事なんですよ。


 いつものように突っ込みの一つも入れたいんだけど、目の前の氏治さまは胸を張ってるのであたしは大きくため息を吐く事しかできなかった。


 田植武将、小田氏治。


 うわ、すっごく弱そうな二つ名!後世に名が残らなくてよかったよ。


「そんなに溜息をつくほど、今、見れぬのが残念か!あっはは!」


「ソ、ソウデスネ」


 見渡す限り気持ちのいい青空なのに、あたしの頭上だけはどんより曇っていく。


 気晴らしのようにあたりを見ると、ところどころ水は入っている。


 あたしの時代に用にきっりちとした四角形じゃないけど、氏治様の言うようにもうすぐ田植えみたい。


 確かにそろそろ育ててるところから苗を移動してきて、田に植えるのかもしれない。


 ――田植えってなると、農兵たちが自分の土地に帰るころか。


 この時代の兵士の多くは、農業従事者が多く稲作や農作業の手が空くころは徴兵も楽。


 だが、田植えや刈り取りの時期となると、それぞれに地域に返さないと兵の不満がたまる事が多かったみたい。


 恐らく田植えを迎えるとあたしの居る小田家も、敵対している周囲の家も兵士数が減るってことだ。


 この時期に、戦いが起きないということはない。


 けれど、田植えをおろそかにしないで米を作るという国力増強に趣が置かれる時期かも知れない。


「今年も、少し体動かさねばなぁ。田植えのための身体が、なまっておる」


「では、あたしと一緒に剣術で身体を動かします?」


「嫌じゃ。また負けたら、今度こそ立ち直れそうもない」


 からかうように言うと、拗ねてプイッとあたしから視線を外す氏治さま。


 なんだか、本当にあたしには困ったお兄ちゃんにしか見えなくなってくる。


「あの、気になったことがあるんですが、よいでしょうか?」


「よいぞ。何でも聞くがよい」


「何で、氏治さまは田植えしてるんですか? 氏治さまって仮にも武家の名門の出身、それもご当主ですよね」


 これは、純粋な疑問。


 普通の武家の出なら田植えなんてことに興味も持たないし、自ら田植えをしようなんて思わないはず。


 だから、何で氏治さまが自ら田植えをするようになったのか聞きたかった。


「ふむ、そうだな……おお、ではそこで少し座って話そうか」


「はい、わかりました」

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