澄、小田家に受け入れられる
「はぁ……」
神様から元の時代には戻れない現実を突きつけられ、この時代で生きていくことを決めて三日。
あたしはまだ、重いため息をついていた。
いくらこの時代で恩返しのために頑張ろうって力強く思っても、不意に襲ってくる不安に飲まれそうになる。
「どうして、こうなっちゃったんだろう」
小さく呟いて、あたしは空を見上げた。
抜けるように青い空、鳶の鳴く声以外、はさらさらという風の音だけ。
目の前には木張りの塀が並んでいて、外の様子は覗くことはできない。
だけれど、外にはあたしの生まれた時代では霞ヶ浦と呼ばれていた大きな湖が広がっているはずだ。
「おーい、澄殿―。ちょっと散歩でも行かぬかー?」
遠くから、のんびりとした男性の声が聞こえた。
氏治さまだ。
ああ、もう、この人は何でこんなにも暢気なんだろう。
本来のお城を奪われて、今は家臣の城に居候だっていうのにさ。
でも、あたしは氏治さまの側を離れることができなかった。
他に行く当てもないっていうのもあるけど、なんだか側にいると落ち着いちゃう。
政貞さまも天羽さまも確かに落ち着くのだけれど、それは師匠という安心感。
でも、氏治さまは違う。
名族小田家の当主なのに、なんだかすごく気さくに話せるお兄さんや先輩って感じがする。
政貞さまや天羽さまとも色々話せるけれど、やはりあたしが教わる側という事で気を張ってしまう。
でも、氏治さまはそんなことはなくって、すごく気を張らず話しやすい。
お茶友達と言っては失礼かもしれないのだけれど、授業の合間や終わりに訪れてくれる氏治さまとの他愛のない話が最近の楽しみ。
今もちょうど気晴らししたいから、ちょっと来てくれたらなって思ってた。
「お待ちくださいね、氏治様」
口から出た声は仕方ないなって感じだけれど、あたしの脚はどこか軽く声のする方向に向かっていった。
そこには嬉しそうに手を振っている、氏治さまの姿があった。
それを見てあたしも、小走りで駆け寄っていく。
「なんじゃ、なんじゃ? そんなに急がずとも、わしは怒らんぞ?」
「すいません。なんか勝手に」
照れ隠しのように謝ると、氏治様はやれやれって顔をしている。
「昨日も大分いろいろと歩き回って、疲れはないか?大丈夫であったか?」
「はい、皆さん良くしてくれて」
氏治様の心配にあたしは明るく答えて、昨日のことを思い出した。
* * *
授業が休みだった昨日、氏治さまと貞政さまに声をかけらえた。
『今日の朝食後、身を整えて城の大広間に来るよう』
どういう事かは告げられなかったけど、あたしはただ頷いた。
ご飯を食べ終え、櫛で梳いて服を整えて待っていると貞政さまが来たので、その後についてあたしは初めて屋敷から出た。
土浦城、いや他のお城もだけれど、本館に人はほとんどいない。
本館は
平時は家臣や城主は本館とは別の、場内にある住居専門の館に住んでいる。
あたしが氏治さまと住んでいたのも、その館の一つ。
前までは館から出てはいけなかったのだけれど、その日はいきなり出ることになった。
あたしは何か
評定の間に近づいてこっそり覗くと、正装した氏治さまが上段上座にいらっしゃった。
正装してると、いつもよりすこーしだけ名族小田家オーラが出ている気がする。
馬子にも衣装って訳じゃないんだろうけど、ほんと別人みたい。
「では、行きましょう。中に入ったら私の隣のお座りください」
政貞さまに促されて、中に入り正面を向くと驚きで声が上がりそうになった。
そこには何十名もの男性たちがずらっと座っており、全員が当時の正装。
恐らくだけれど、これは小田家の有力家臣たちが集まったってことだよね。
その前にあたしが?どういうこと?
混乱したあたしが慌てて座っていると、全員が深々と頭を下げた。
「面を上げい」
いつもよりゆっくりはっきりとした、氏治さまの声が間に響く。
だいぶ当主らしいって思うのは失礼なのだけれど、しゃべり方ひとつで威厳が変わってくるんだなって思うくらいの変わりようだから仕方ない。
「この度は突然の招集に応じてくれ、この氏治感謝申し上げる。此度は合戦のことではなく、小田家に一人の重要な将が加わったことを話そうと思った次第である。では、菅谷頼むぞ」
「は!」
政貞さまの声は、あたしの授業の時とは違い低く威厳のある声に聞こえた。
年端は氏治さまより16上なこともあって、なんだか貞政さまの方が威厳があるように思えちゃう。
「こちらにおわすのは、雫澄。子細はまだ言えぬが、ある
――えっ!あたしの紹介なの!?つまりお披露目あいさつ!?
いきなりのことにドキリとしながらも、初めてのみんなの前で冷静さを失ったところを見せられちゃだめ!
信頼も何もなくなっちゃうから、感情スイッチオフ!
あたしは、お人形のようにカチンとしていることを心がけた。
どうやらあたしは高家、つまり当時の名家・
確かに他のどこかの家ってするには難しいし、だからと言って真実を告げるのは無理。
その落としどころが、高家出身で家を追われた女の子を小田家が保護したってものらしい。
「澄殿は女子とはいえ、知も武も眼を見張る物がある。この貞政、そして天羽も驚くほどである」
どよどよっと、集まった家臣団がざわめく。
「あの天羽さまと菅谷の政貞さまが認めたとは、なかなかではないか?」
「本当かどうかはともかく、殿よりは上ということになろうな」
「ああはっきりと我々の前で宣言するとなると、それだけの才があるということであろう」
「しかし、細身の女子。そうは見えぬが柳のような強き女子なのだろうな。棒きれのような殿ではかなわぬか」
「あいや、先日土浦に用事があって某参ったのであるが、殿が屋敷内を泣きながら『澄殿に、女子に剣でまた負けた!これで何度目じゃ!違う!わしは!そんなはずはあああああ!』と叫びながら隣を走っていったのを思い出しました」
「その件、守護の兵たちの間で話題になっておったぞ。そうか、殿より上というのは確かなのだな」
「女子とはいえ、殿と違い戦場で慌てることもなさそうですな」
聞こえてくる内容、大抵ひどい。
あたしに負けて当然とか、あたしより氏治様が下なのも分かるとか。
あと、木刀で負けた一件、家臣に見られてたんですね。
しかも、その後に続けて負けたのも。
かっこ悪すぎますよ、氏治さま。
小田家って氏治さまの人望が厚くてまとまったんじゃなくて、自分たちがなんとかしないと氏治さまが頼りないっていう危機意識で一致団結してたんじゃ?
そりゃ主家は主家、ご恩と奉公の関係ならありえなくはないんだけど……。
これはいくら滅亡回避の恩返しのためとはいえ、小田家の未来を変えるのは相当大変かもしれない。
「この度、まだまだ才は伸びることを確信し、客分として迎えることと相成った」
「菅谷殿が認めておるのなら、我々も歓迎いたすところ」
「特に先の戦いの敗戦もありますし、一人でも臣が増えるのは歓迎いたすところ」
明らかにあたしの歓迎ムードが間に広がっていくけど、ちょっと待てほしい。
あたしはただの、歴史とゲーム好きの17歳の女子高生だよ?
知略軍略、武の才も政貞さまは伸びしろがあるみたいに言ってたけど、それだって怪しい。
それなのに、家臣の皆さんの反応を見ると明らかに即戦力として見てませんか!?
やばい、なんか変な期待が上がった気がする!
「しかし澄殿はこの周囲のこと、民の暮らし、小田家のしきたりなどはあまり分からぬ様子。なので、皆で支えてくれ。同じ殿を盛り立てる同士として、この菅谷政貞からもよろしく頼む」
政貞さまが頭を下げたので、あたしの慌てて頭を下げた。
今回のお披露目あいさつがあたしのことをすごく気遣ってのことだっていうのは、十分伝わってきた。
まず高家の血があるということで、家臣たちに
さらに高家ということにしておけば、500年先から来たことでこの時代の常識を知らないというのも同時にカバーしてくれる。
そこに、分からない時は同じ小田家の家臣として支えてほしいという要請付き。
これが重なることで、あたしがちょっと常識はずれな事をしても周囲が支えてくれる環境を作ろうとしてくれた。
――あたしのこと、大事にしてくれてるんだ。
あたしはもう、元の家族の元には戻れない。
けど、それと同じくらい、いや、それ以上にあたしをこの小田家は大切にしようとしてくれている。
――この小田家を、恩返しのために支えたい。その為に現状で満足しないで、もっと頑張らなきゃ。
* * *
その後、自由にようやく歩き回れるようなったあたしは、家臣の方と挨拶を交わしたり、初めて歩く現役のお城の中に目をキラキラとさせたりしていた。
明日襲われるかもしれないのに!不謹慎だ!っていう人も、あたしの時代なら居るかもしれない。
でも、そんな人、この時代には居なかった。
今は襲われてないんだから聞けることは聞こうと思って疑問を聞くと、皆揃っていろいろ教えてくれた。
設備の役割や構造上のことを聞いて存在する意味の答えを出すと、驚かれると同時に信頼ポイントが上がっている気もした。
「さすが菅谷さまの認めた才女じゃ! すぐに見抜くとは」
「分からぬことがあれば、どんどん聞いてくだされ!共に小田家を支えましょうぞ!」
自分から分からないから積極的に聞くというのは、この時代も結構有効らしかった。
土浦城の外も少しだけ出てみたんだけれど、本当だだっ広い平野が広がっていた。
あたしの時代はビルとかが立ち並んで、関東平野が日本最大の平野っていうのもよくわかんなかった。
だから関東平野って、こういうことなんだなってちょっと感動しちゃったくらい。
* * *
「ちょっと走り回りまわって少し疲れましたけど、楽しかったので大丈夫です」
「ならばよかった。我が優秀な家臣たちに、時間はかかっても少しでも馴染んでくれたらうれしいぞ」
「は、はい」
申し訳ないですが氏治さま。
実は挨拶ついでに、氏治様の逆武勇伝を肴にみんな盛り上がってしまったんです。
雫澄と家臣さんたちの絆はもういきなり強固です、ごめんなさい。
言うなら、何度も上杉謙信を退けた
「皆わしのことを優れた将と言っておったろう!武に優れ、強力な家臣たちをまとめる知将だと!」
「氏治さま、あの……本気で言ってるんですか?」
がははは!と力強く笑って一歩踏み出した氏治様に、あたしの
あたしの目の前で氏治さまは、大阪新喜劇の芸人かって思うくらい完璧にずっこけた。
え!じゃあさっきの言葉、本気だったんですか!?
誰も、あいさつした全員、武に優れるも、知将も言ってないから!
あ、チショウは言ってたよ。
でもチショウはチショウでも、痴将だったから!!!
我々で支えないと、小田家、いや氏治様はダメでもうどうしようもないって感じの人も結構いたから!
それまさか知らなかったの!?小田家当主なのに!?
っていうか、自分がダメでどうしようもない当主って自覚なかったの?
頼むから、部下の把握と、自分の才の把握はしっかりしてよね。
小田家の未来を知る家臣として不安になっちゃうよ、氏治さま。
「さ、散歩行こうな……澄」
「はい。って、いつまで地面にいるんですか?」
「のぉ、手を貸してくれんか? わしを地面に転がした罰じゃ」
「はいはい」
仕方ないなぁって地面にいる氏治さまに手を貸して、立ち上がらせると春の日がやわらかな土浦城下へと二人で歩きだしたのだった。
家族以外の男の人と二人でどこかを歩くの、そう言えば今日が初めて。
でも、これデートじゃないよね?
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