澄、小田家に恩返しすること覚悟す

「氏治さま、氏治様が亡くなった200年後、越前の永平寺から改葬されたこの土浦の地で、二百年忌法要が開かれているんですよ?」


 それは、嘘でも何でもない事実だ。


 氏治様は、はっとした表情をあたしに向けてくれた。


「そのお寺には、氏治様と父君である政治様の肖像画があたしの時代まで残っているんです」


「ほ、ほんとうか?」


「はい!世界中を巻き込んだ戦火や、様々な災害から大切に守ってきたんです。氏治さまが去って、数百年経っても」


 それは小田の人たちが、小田家の支配を懐かしみ悪くない時代だった。


 そんなことを、確かに示していた。


「忘れなかったんですよ、小田領の方々は小田家のことを」


 小田家の領民はあたしの時代では、戦国七不思議のひとつと言っていいくらい不思議だった。


 あれだけ敗戦しても小田家を見捨てず、新しい統治者には年貢を納めないで敗走先の地に年貢を納めるなんてこともあったらしい。


 氏治さまが小田城を取り戻せたのも、強力な家臣だけではなく当然、領民たちの協力あっての事のはずだ。


「確かにあたしは、散々なことを言いました。でも、あたしはどこかで思っているんです。これだけの後世まで慕われる将が、ただの最弱の将ではないと」


「澄殿……」


「だから、未来を変えてください」


「わしが、未来を変えるだと?小田家を滅ぼす力を持つわしが?」


「違います!そんなこと、あたしがさせません!恩返しさせてください!」


 弱気な氏治さまを、あたしは強い口調で否定した。


「あたしには、何か優れた内政の力があるわけでもなく、刀も槍も持ったことありませんから戦場で氏治さまを助ける力もありません」


 自分でも何を言ってるのかと思うけど、先ほどからたまっていた感情が濁流となって理性を押し流す。


「でも、あたしにはこれから先、小田家がどうなるかの未来を知っています! それに、この時代にはないあたしの知識が、知見が小田家を助けるかもしれません」


 ううん、違う。


 あたしが言いたいのは、そんな不確定な言葉じゃない。


「あたしが、あたしの力で小田家の滅亡を回避させます! 氏治さま、一緒に小田家の滅亡を回避しましょう!」


「す、澄殿……?」


「この先、あたしは元の時代に帰れるかもわかりません。それに、小田家は、氏治さまは命の恩人です。恩返しには、滅亡を回避するのが一番だと思いました」


「い、いや、そんな簡単なことではないぞ? 今の小田家の状況を知っておるだろう?」


「知ってます。小田城は落とされてますし、結城や多賀谷、佐竹など強敵の脅威にさらされて風前の灯火なんですよね」


「そうじゃ……わしのせいで婚姻の外政もうまくいかず、周りは敵だらけじゃ」


「だったら、なおさらです! このまま座して死を待つなんて、まっぴらごめんです!」


 滅亡の未来が見えているのなら、何かして、何か手を尽くして、それでもっていうなら話は別。


 でも、何もしないで、のほほんとして、戦に巻き込まれて逃げ惑う。


 そんなの、あたしは嫌だ。


 それに、いくら氏治さまが乗り気ではなくても、さっき自分からあたしが勝つ切り札渡しちゃってるんだから。


「氏治さま、あたしは見ていませんが氏治さまは領民に慕われていますよね。それに、先ほどご自分でおっしゃったじゃないですか」


「何をじゃ?」


「領土がいくら狭くなってもいい、天下に、関東に覇を唱えようという大きな志などいらぬ。ただ、わしを、小田家を慕ってくれる領民と家臣、そして先祖伝来の小田の地を必ず次の代まで守り抜くと」


「あ……」


 氏治さまの望みは、天下統一なんかじゃない。


 この混乱乱世の関東をなんとか生き抜き、この小田領を守り抜きたい。


 たった、それだけのこと。


「それなのに、あたしから滅亡の未来を聞いただけで簡単に諦めるなんて……それでも15代続く常陸の名族小田家の当主ですか!これくらいで揺らぐ決意だったんですか!」


 ぴしゃりとあたしは言い放った。


 もちろん、本気で否定するわけじゃなくて次への布石。


 なんだろう、前の時代では回らなかった頭がタガを外れたように回るのが楽しい。


「あたしの時代の氏治さまは、どんなに負けても負けてもあきらめない不死鳥と呼ばれた武将なんです」


「わしが、不死鳥?」


「はい。どんなに戦で敗戦を重ねても、小田城を失っても小田領に対する思いを捨てず死ななかった不死鳥です」


 氏治さまは信じられないかもしれないけど、氏治さまの別名は不死鳥。


 これだけ戦で敗戦を重ねても、最期まで小田領に帰ることをあきらめず、関ヶ原を超えてまで生き残り戦い抜いた将にはぴったりの呼称だ。


「確かに氏治さまは誰より負けた最弱の将かもしれません。でも、氏治さまは後世まで慕われ、親しみを持たれる将になる人物なんです。そんな人が、あたしの恩人なんです、何が何でも滅亡なんて簡単にはさせません」


 まくしたてるように言って、あたしはまっすぐ氏治を見つめた。


「これが、あたしの恩返しです。小田家にお世話になる、意味と思っていただいてもかまいません」


「な、なんとも情けないことだ!ははは!」


 ぽかんとした後、氏治さまは大きく笑いだした。


「え、え?氏治様?」


「わしに先ほど言い過ぎたと思って落ち込んでいる澄殿を、何か励まそうとしていたのに、逆にわしが励まされ、未来を変えようなどといわれてしまうとは!いやいや、ははは、情けないなぁ!」


「あ、あは、あはは、そんなこと思ってくれていたんですか?」


「当然じゃ!わしは名族常陸小田家当主、氏治であるぞ!民の悲しんでいる姿などほおっておいては、名族の名折れだ!」


 びしっと先ほどまでの弱気など全くなく、あたしに向かって強気な態度をとる氏治様。


 ああ、もう、こういうところなんだろうな。


 こういう自然な人たらし的な所があるから、きっと人望が厚いんだろう。


「あの、先ほどまでのことを思い出してたし引きしても、全然名族に見えないんですけど?な、なんていうか、あは、ははは!」


「そ、そうであったな!ははは!」


 こちらの時代に来て、いや、前の時代も含めて、あたしは久しぶりに誰かとここまで笑った。


 なんだろう、すごく嬉しい。


 相手は戦国武将で、あたしはただの女子高生。


 身分も出自も全然違うはずなのに、どうしてここまで同じように笑っちゃうんだろう。


「澄殿の恩返しは、滅亡の未来を変えることか。これは、大変な拾い物をしてしまったかもしれんな」


「もちろん確実にとはお約束できませんが、全力を出して見せます」


「確かに、わし一人では無理かもしれぬ。だが、澄殿や菅家たち家臣が一丸となってくれれば、もしかしたらこの危機も乗り越えられるかもしれぬな」


「はい。小田家の家臣団は、後世でも優秀と聞いておりますから」


「そうか!なら、わしは――」


「ちゃんと、当主としてあたしたちを使ってくださいね? いくらあたしたちが優秀でも、最終決定は当主である氏治さまなんですから」


「だめか」


 絶対さぼろうとしてたのが見え見えだったので先手を打つと、案の定苦笑いを浮かべていた。


 ダメだこの人、某ゲームでいえば知略一桁。


 大将に据えたら、偽報祭りで一向に目標につかない系。


 本当に、戦国武将には向かなそうだよね。


「澄、ここで暮らすとなればしばらくは不便をかける。だが何かあったら言ってくれい。突然訳も分からず、500年も先の世から来たのだ。いろいろ不便もあると思うが、出来うる限り何とかしよう」


 ひとしきり笑った後、あたしには前の時代では誰もあたしに向けたことのない優しい顔を氏治様はむけてくれた。


「氏治さま……」


 思わず、胸がぎゅっとつままれ、同時に温かくなる。


 いきなり右も左もわからない時代に飛ばされたあたしには、何よりもその笑顔は心強かった。


 でもこの人は、これから幾多の負け戦を経験してボロボロになる未来が待っている。


 いくら領民に愛されていても故郷である小田領も城も失い、常陸国中を放浪し、最後は小田の地から遠く離れた越前の地で客死してしまう。


 氏治さまは、確かに後世ではダメ武将。


 戦も下手で、大名としての名族常陸小田家も潰しちゃったフォローのしようもないダメ武将だ。


 でも、あたしの前にいるのは「ほんとダメ武将ですね。知っていた通りでした」なんて切り捨てられるような、暗愚な人には見えない。


 第一印象では、確かにちょっと武将としてはどうかなって印象もある。


 けれど、話してみると優しくて何処か人を惹きつける感じと、ほおって置けないって思える人。


 それに今隣でこうしてあたしに初めて優しく笑ってくれた人が、寂しく客死する未来なんて想像したくなかった。


 確かに小田家の状況は、最悪なのは十分わかってる。


 そんな中で必死にやったとしても、未来は何も変えられないかもしれない。


 前の時代のあたしは「何をしたって、言ったって、何も変えられるはずもない」って、諦めて毎日死んだように生きていた。


 でももう、そんな何もしないで後悔ばっかりして生きていく事なんてしたくない。


 前の時代のように諦めて何もしなかったら、自分と目の前で優しく笑ってくれる人の命はこの戦乱の世の中であっさりと消えてしまうんだから。


 ――絶対に、恩返ししますからね。氏治さま。


 隣で笑ってくれている氏治さまの顔を見て、あたしは改めて恩返しの思いを強くしたのだった。

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