澄、戦国武将と交流す

「ふぅ……一安心かな」


 会合はそのまま解散となり、あたしには氏治さまと一緒の屋敷の中にある個室が与えられた。


 狭いながらも、城内の個室。


 板もきれいだし、隙間風も吹き込むこともない十分なお部屋だった。


 あたしのことを信頼しているとも言えるけど、逆に言えば貞政さまの主君である氏治さまの側にいるから、疑われることはできないということ。


 監視役をわざわざつけられないというのは、逆にあたしにとっての監視になっているとも言える。


 ただの女子高生だったあたしには毒の製法も、暗殺術の心得もない。


 だけれど、500年先の未来から来たということで得体の知れない力を持っていると思われてもおかしくはない。


『氏治様の身に何かあれば、首を飛ばす』


 監視を付けないということでそんな無言の宣告がなされたようなもの。


 だけど、あたしはそんな宣告どこ吹く風だった。


 そもそも、氏治さまを切って小田家を乗っ取って現代知識で天下人になってやる!


 そんな気持ち、さらさらなかったからだ。

  

「氏治さまに、小田家は恩人なんだよ。そんなこと、する気なんてないのにな」


 とはいえ、服装も服装だししばらくはこの小さな部屋で過ごすのも仕方なさそうだ。


「この時代の服が来るまでは外を歩けないけど、仕方ないよね」


 先ほども全員が袴のような服を着ている中で、あたしだけブレザーとスカート姿というのは異質で居心地が悪かった。


 第一、こんな服で城や屋敷の外歩いたら悪目立ちして周囲が混乱しちゃう。


「でも、常陸小田家か。これから、大変だな」


 これは、今いるのが常陸小田家という家だと分かってからのあたしの悩み。


 貞政さまと天羽さまは、あたしの語った小田家滅亡の未来を回避するために団結しているみたい。


 だけれど、未来はそう簡単に変わるなんてあたしには思えない。


 氏治様がこれから戦う相手は、あまりにも強大。


 常陸をほぼ統一することになる常陸佐竹氏、結城氏や後北条に近隣諸家だけじゃない。


「あの、戦国最強の上杉謙信だって相手にしなきゃいけないんだ」


 あの軍神と言われる上杉謙信の率いる上杉家と氏治様が当主の小田家が戦うことは、これから先、三度あったはずだ。


 小田家はそのどれもに、当然のように敗戦。


 それでも氏治様が討ち死にすることも自害することもなく、小田家が滅亡しなかったのは本当にすごいんだけれどね。


 その他、数えるのも嫌になるくらいの戦に巻き込まれて、あたしが死ぬ可能性はかなりある。


 何か不思議な力でもあればいいんだけれど、今のところそんなものはない。


 枕元であたしをこの時代に導いてくれた神様が教えてくれればいいんだけど、そんなことは今のところないし。


「小田家と氏治さまへの恩返し、一番は滅亡の回避だよね」


 こんな得体のしれないあたしを救ってくれた小田家に、何とかして恩返しをしたい。 


 そして、一番恩返しになることは滅亡の回避だ。


「だけど、あたしなにもないんだよね」


 わかっていても、あたしに誇るべき力も知識もない。


 農業高校に通っていれば、何かこの時代にはない進んだ農地改革で国力を高めて未来を変えられるかもしれない。


 商業高校なら、進んだ経済の流れを勉強していたかもしれないからで特産品やこの時代では貴重な塩の交易を作って役に立てたかもしれない。


 工業高校なら、土木や建築、他にもモノづくりに何か役に立つ技術でこの窮地を救えたかもしれない。


 でも、普通高校に通っていたあたしには何も技術がない。


 成績も中の下で、運動もそこまで出来るわけじゃない。


 ただ、歴史とゲームがちょっと好きな女の子だ。


 そんな女の子が、滅亡の危機を回避する恩返しなんてどうやっていいか分からない。


「だけど、このままじゃあたしは穀潰しで氏治さまとともに負け戦を一緒に逃げることになる。そんなの絶対に――」


「おお、澄殿。ここにおったか」


「あっ!氏治さま! 先ほどは、大変失礼を!」


 突然聞こえたのんびりとした声の先には、先ほどあたしが精神的介錯をしてしまった氏治様が笑顔で立っていた。


 無礼を思い返しあたしは、軒下に飛び降りて深く頭を下げた。


 いくら真実を告げると決めたとはいえ、相手は名族小田家の当主。


 怒っていて、当然のはず。


「な、何をそんなに頭を下げる! ど、どうしたのだ?」


「先ほどの非礼無礼の数々、大変申し訳ありませんでした!」


 それに、あたしは身寄りも何もない。


 この小田家を追い出されたら、どうやって生きていいか分からないんだ。


 それなのに、今思ってみれば命の恩人相手にあんな非礼をしたなんてどうやったって許されるものじゃない。


 でも、必死に頭を下げて許しを請うことしかあたしにはできなかった。


「ああ、何だ。先のことか、よい。顔を上げてくれ」


 だけれど、聞こえてきたのはのんびりとした優しい声。


 恐る恐る顔を上げると、どこか安心させるような顔があった。


「あの、氏治さま?」


「ほれ、隣に座れ。そのままでいたら、せっかくの立派な未来の衣が汚れてしまうだろうに」


 申し訳ないと思いながらも、あたしは土を払って隣に座る。


 ――やっぱり大きいな。


 このころの氏治さまは、20を少し回った頃のはず。


 当時の武家というのは、あまり背も高くない人が多かった。

 氏治さまも例にもれず、そこまで高くはない。


 でも、後世では散々最弱だなんだ言われたけど、これからのたくさんの戦を生き抜く体。

 やはり戦国武将なのか身体はどこががっちりしていた。


「先ほどは取り乱して、すまんかったな」


「い、いえ!あたしこそ非礼無礼の数々、申し訳ありませんでした」


「いや、逆に取り繕うこと無く言ってくれたおかげで、わしや貞政らは澄殿を信頼できたのだ」


 ふぅと、氏治さまは一息ついた。


「わしとて、才のある将とは思っておらん。それは、家臣の皆も分かっていたことだ。貞政たちも、あれだけはっきりと言ってくれたからな」


 ポツリと漏らしたのは、小田家当主ではない一人の男である小田氏治としての言葉のように思えた。


「父のように領土を広げるような軍略や知略もない、それに何より運がない。いや、運を引き寄せるための才も力も無いのじゃ」


 氏治さまの父、小田政治おだまさうじは小田家を戦国大名まで発展させた小田家中興の祖と呼ばれる人物。


 古河公方とも血縁があるとも言われ、戦と政に才を発揮し小田家の力を拡大させた。


 そんな偉大な父の背中を見て、氏治様は苦しんでいたのかもしれなかった。


「運がないというのは、例えば初陣が河越だった事ですか?」


「知っておったか。さすが、500年も先の時代から来ただけあったな」


 小さく氏治さまは、苦笑いをあたしに向けた。


 その偉大な父に連れられて氏治さまが迎えた初陣は、河越城の戦い。


 あたしの時代では、その中で行われた河越夜戦が日本三大奇襲として有名な戦だ。


 初陣というのは、勝ち戦が濃厚な戦が選ばれることが多い。


 それもそのはず。

 初陣で負け戦となって当主や嫡男が敗走しその先で倒れてしまっては待っているのは御家断絶。

 それに、いきなり負け戦なんて縁起が悪すぎる。


 だから氏治様の初陣となる河越城の戦いも、父である政治様は勝てる確証はあったはずだ。


 なにせ、味方の山内やまのうち扇谷おうぎがやつ上杉家と足利古河公方家こがくぼうけ連合は後世の脚色誇張があるとしても8万という大群。

 対する河越城を防衛する北条軍はたった8千だったから。


 兵の数だけ見れば、小田家の属する連合軍側の明らかな勝ち戦だった。


「運がなかったと言えば、それまでだがな」


 敗戦の真相は、あたしの時代では分からない。


 一般的に言われているのは、河越城の取り囲んでいた連合軍が包囲に疲れたところに後北条軍ごほうじょうぐんが夜襲をかけたって物。


 連合軍は10倍の戦力がありながら奇襲に対応できず、大混乱に陥って敗戦。


 あげく指揮官の一人である扇谷上杉家当主、上杉朝定うえすぎ ともさだが討ち死してしまう。


 攻め手が後北条氏の名君ともうたわれる北条氏康ほうじょう うじやすと、地黄八幡を掲げ武勇を誇った北条綱成ほうじょう つなしげだったのもありいろいろな所で取り上げられている。


 もちろん、当時の資料では上杉朝定を打ち取ったという明確な記述もなく、攻城戦の記述もなく死者の数は3千と言われている。


 なので、何かの理由で上杉朝定が突然死して混乱気味だった連合軍に、北条軍が戦を仕掛けただけの戦いという説もある。


 と、まぁ事実は分からないけど、数では優勢のはずの連合軍が敗北したということは変わらないのだった。


 初陣で戦場もよくわからないはずの氏治様が目の当たりにしたのは、勝てるはずの戦で敗走する偉大な父。


 その背中を見てどう思ったか、あたしには想像もできなかった。


「あの父が負けたのだ。わしでは到底かなわない父が、な」


「氏治さま……」


「あの時わしは決めたのだ。領土がいくら狭くなってもいい、天下に、関東に覇を唱えようという大きな志などいらぬ。ただ、わしを、小田家を慕ってくれる領民と家臣、そして先祖伝来の小田の地を必ず次の代まで守り抜くとな」


 ああ、とあたしは思った。


 だからこの人は、あんなにも小田城にこだわり続けたんだ。


 小田城は、守りに向いている城じゃない。


 他の名城と比べれば吹いて飛ぶような、ちいさな平城。


 そこを9度奪われ、8度も取り返した執念は初めての戦で決意したそんな思いからだったんだ。


「だが、それも澄殿の言うのちの世ではかなわなかった。何とも、仕方のない事とは言え己の無力さを恨んでしまう物よ。領民もそんな弱き将であったわしのことなど、きっと――」


「違います!」


 氏治さまの言おうとした言葉を、あたしは我慢できず遮った。

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