部屋でゲームをしていると、匠君から電話がかかってきてるわよ、と母さんに呼びつけられた。時計を見ると22時を過ぎている。


「見…ほし…ものがあ……だ、今…ら出て……るか」


 不自然なザリザリとしたノイズの奥に聞こえる声は、泣いているようだった。僕は自分の顔が青ざめていくのがわかった。匠の身に明らかに良くないことが起きている。

 僕は電話を切った後、部屋の机の引き出しや押入れを開けて、そこにあるありったけの“道具”をリュックに詰めて飛び出した。


 匠は近くの公衆電話の前でしゃがみ込んでいた。


「匠! 大丈夫!?」


 見たところ周囲に妖怪の気配は無い。たとえこれから出てきたところで、僕の方に引き寄せられるんだから匠は大丈夫だ。


「太一、これ、見てくれよ……」


 Tシャツの袖をまくると、匠の腕は墨を塗ったように真っ黒になっていた。


「コレどうしたの!?」


「風呂に入る時に気づいたんだ、どんどん広がっていってて……最初は手形だったんだ! あいつ、秋本の野郎……!」


 匠は悔しそうな声を出した。ラーメン屋での出来事を思い出す。黒くなっているのは、秋本が掴んでいた部分だ。


「名刺の番号にかけてみたけど誰も出なくて……俺より見える太一なら、何かわかるんじゃないかって……」


「……」


 僕は目を凝らして匠の腕を見つめた。触ってみると確かに、妖怪に似た嫌な気配が微かにあった。そうしている間にも、黒い部分はインクが染み出すように匠の皮膚を侵食している。


「ちょっと、待って!」


 僕はリュックの中を漁る。これまで親や親戚からもらった御守りや魔除けのグッズを、ありったけ持ってきていた。市販されているこれらの物は、ほとんどがインチキばかりだ。けど、中にはほんの少しだけ霊力を感じるものが紛れていて、いつか何かの役に立つかもと思って溜め込んでいた。子供のオモチャみたいな効き目かもしれないけど、無いよりはきっとマシだ。

 手当たり次第に匠の黒い腕に押し当てる。魔除けの御守り、十字架、水晶でできた数珠、何かの御札。


「あっつ!」


 御札が一瞬青く光って、一気に燃え上がった。匠は大きく腕を振って火の粉を払い落とす。御札をあてた部分だけ、黒ずみが明らかに薄くなった。


「ごめん! でもこれ効果あるかも、ちょっと我慢して!」


 僕は似たような御札を探すためにリュックの奥に手を突っ込んだ。おばあちゃんが送ってくれた魔除けの御札だ。おばあちゃんありがとう!


 ガサガサと探していると、不意にバサッ、と音がして僕らの目の前に四本脚のケモノのようなモノが降り立った。暗い中にうっすらと見えるシルエット。顔は犬にも見えるけど耳がなく頭は丸みを帯びていて、毛が無くてつるりとしている。体は馬に似ているけど、それよりもずっと大きくて、長い尻尾が揺れている。こんな生き物を僕は知らない。いや、生き物じゃない。今まで遭遇したどんな妖怪よりも強い力と悪意を感じる。


「嘘だろ……」


 僕はトロい頭を振り絞って考える。普段なら、妖怪は匠より僕の方に向かってくる。それは学校中、いや世界中の人間が僕より匠に惹きつけられるのと同じくらい、確かなことだ。でも、今は状況が違う。匠の腕に広がっている黒いモノと同じ気配が、アイツから漂ってきてる。きっとアイツの狙いは匠だ。どうする。


「来るな! 来るな!」


 答えが出ないまま、僕は匠を背中にかばい手当たり次第に魔除けの道具を掴んで投げつけた。破魔矢、手鏡、聖水入りの小瓶、清めの塩。

 いっぺんにほうったから何がヒットしたのかはわからないけど、化け物がグゥッと怯んで後退りした。


「今だ! 匠!」


 腰を抜かしている匠の手を引いて駆け出した。


 いつの間にか第三公園にまで来てしまった。後ろからおぞましい気配がするけど、力が大きすぎて追いつかれているのか引き離しているのかわからない。

 と、公園の広場に入ったところで、空気がズシリと重くなるのを感じて足を止めた。まるで地震でも起きたみたいに空間が激しく揺れる。なのに、地面はちっとも動いていない。


「うわ……っ!」


 僕は膝をついた。匠は近くの木に捕まって、やっと立てている。


「お、来たね。結界で人払いしといて良かった」


 秋本の声が響いた。不気味な振動が止む。ヤツは広場の真ん中で、後ろで手を組んで立っていた。


「秋本!」


 僕は思わず叫んだ。


「あー、二人共来ちゃったかあ。一人ずつつもりだったんだけどな。車に入りきるかな」


 秋本は困ったような口ぶりで額に手をやった。だがすぐに思い直したように後ろを振り返る。その視線の先、広場の向こう側に、黒いワンボックスカーが見えた。


「しょうがないね。山田君の方はちょっと車に乗せよっか」


 秋本はウンウンと頷きながら僕等の方に向き直った。その隣に、さっきの化け物が降り立つ。


「この子ね、狗狸くりって言うの。オジサンが勝手につけた名前。妖怪のなりそこないみたいな動物の霊を、寄せ集めてくっつけて、強い化け物にしたんだ。ガシャドクロの動物版みたいなの作ってみたくってさあ、大変だったんだよ。でもめちゃくちゃイカツくて良いのができたと思わない?」


 秋本はニコニコして狗狸の腹を撫でた。狗狸はじっと僕達を見据えていて、その目は真っ黒で、何の表情も読み取れない。


「今までは狗狸をもっと強くするために妖怪を呼び出して餌にしてたんだけどね。君達を見て、オジサン閃いちゃった。津久野君の完璧な美しさに山田君の強いチカラを宿した、綺麗な化け物を作ってみたいなあって」


「アンタ……俺が今まで出会った変態の中で、一番狂ってるよ。」


 木にもたれかかりながら秋本を睨みつける匠は、震えている。匠にそんなことを言われても秋本は何とも思わないんだろうな、悔しいことに。


「だ、黙って聞いてれば勝手なことばっか言いやがって! 絶対そんなことさせないからな!」


 凄んでみるも、全く策はない。

 秋本は僕に視線を向けて鼻で笑うと、狗狸に「行け」と合図した。

 狗狸の動きは全く見えなかった。気がつくと、匠の襟を咥えて秋本の前に戻ってきていた。匠は悲鳴を上げることもできなかった。狗狸は逃れようとする匠を脚で押さえつける。


「止めろよ! 匠を離せ!」


 僕は咄嗟に匠の方に駆け寄ろうとしたけど、狗狸の尻尾で簡単に跳ね除けられてしまった。


「ハイハイ、順番があるからね。山田君はちょっと待ってて。」


 秋本は手慣れた動きであっという間に匠の手足を縛り上げる。


「ちくしょう、離せよこの変態!」


 匠が叫んでいる。助けたいのに、尻尾に阻まれて近づけない。持ってきていた道具の何を投げても、狗狸に傷一つつけることはできなかった。秋本はハンカチを取り出すと、匠の口に捩じ込んだ。叫び声が布に吸い込まれていく。そして秋本が何事かを匠の耳元で囁くと、匠はグッタリとして動かなくなってしまった。


「なに、何したんだよ! たくみ! たくみ!」


「眠ってもらっただけだよ。オジサンが匠君にひどいことするワケないじゃない」


「お前がたくみって呼ぶな!」


 秋本は軽々と匠を抱え、車に向かって行った。追いかけようとする僕の前に、狗狸が立ちはだかる。ヤケクソになってリュックごと投げつけたら、それも尻尾で跳ね返されて綺麗に僕のお腹に命中した。僕は痛みにうずくまる。ガチャンと音がして、リュックは地面に落ちた。まだ中に残っていた鏡が割れて、破片がリュックの口からはみ出した。


 戻ってきた秋本の手には、ナタのようなものが握られていた。ゆっくりと僕に近づいてくる。


「色々と荷物積んでるから、匠君を乗せたらやっぱりスペースちょっとキツイみたい。残念だけど、山田君はちょっと


 僕は後ずさった。怖い。悔しい。怖い。悔しい。

 匠を守れなかった。アイツ、友達想いの良い奴なのに。俺みたいな奴がアイツの妹のルミちゃんのことを好きになっても、嫌な顔するどころか応援してくれて、告白の練習にまで付き合ってくれたのに。本当は妖怪とか怖いくせに、俺のそばにいてくれたのに。ずっと友達でいてくれたのに。

 震える足は全然思ったように動かなくて、秋本との距離は縮まるばかりだった。

 右手に、硬いモノが触れた。


 ――封印を解いちゃ、いけないよ――


 僕の左腕を撫でながら言ってくれた人は、誰だっただろうか。

 わかってる。もう、いつ誰に言われたかも覚えていないのに、それだけは。

 わかってるけど、でも、もうこのままだとどうせ僕は殺されてしまうんだ。


 絶体絶命で、何をしても殺されるなら。最後に、イチかバチかで悪あがきしてやる。悔しいけど、秋本が匠を離れたところに連れて行ってくれたおかげで、僕の覚悟が決まった。これは一世一代の、賭けだ。


「お前なんかの、思い通りになってたまるか」


 僕は、鏡の破片を左腕の“封印”に突き立てた。引き抜くと、噴き出した血であっという間に袖が赤くなる。

 意識を集中させて、渾身の呪文を唱えた。





「パルプンテ」









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