「でもさあ、なんであんなのがいきなり出てきたんだろうな。 口裂け女の話なんてテレビでしか観たことないぜ?」


 替え玉を注文してから匠が考え込んだ。ロダンの彫刻の代わりに匠が博物館に飾られても違和感ないな、と思いながら僕はラーメンのスープをレンゲですくう。


「そうだよね。あの公園の前は毎日通ってるのに、何で今まで遭遇しなかったんだろね」


 相槌を打ちながらも、僕は内心穏やかじゃなかった。自然と左腕を触ってしまう。


「つーか明日からどうするよ。あそこ通んないと学校行けない」


「うん、さすがにもうさっきみたいな手は通用しないだろうしね……ごめん、ちょっとトイレ」


 個室の便座に座って、左腕を見つめる。制服のシャツの上から、大きな絆創膏の感触を確かめる。


「僕のせいじゃ、ないよね……」


 触った感じでは、特に異変は無いように思えた。大丈夫。“封印”は、効いている。

 なら、さっきの口裂け女が現れた原因は何だろう。とりあえず、明日からのことを匠と相談しよう。


「離せよ!」


 トイレから出ると、匠のそばに見慣れない中年男がいた。何やら匠に話しかけているようだ。よく見ると男は匠の腕を掴み、匠はそれを何とか振りほどこうとしていた。


「おい、何してんだよ!」


 僕は慌ててテーブルに向かった。男は匠の腕からパッと手を離して、銃をつきつけられたみたいに両手をあげた。


「誤解だよ。別に変なコトしようってわけじゃないさ。聞きたいことがあって話しかけたら、急に逃げようとしたから咄嗟に掴んじゃっただけ。ごめんね。オジサン、悪気は無かったんだ。あ、何でもないです、皆さんお騒がせしましたね。豚骨醤油一つください」


 悪びれる風もなく流れるように注文まで済ませて、男は僕の隣の席に座った。

 初対面で匠にグイグイ接近してくる奴は、匠に良からぬことをしようとしている変態が多い。だから匠は急に身体を触られそうになっても避けたり振り払ったりすることには慣れているのに、このオッサンは匠の腕を掴んでビクともしなかった。怪しさ満点で、嫌でも警戒ゲージが上がっていく。


「……聞きたいことって何だよ」


 匠が掴まれていた腕をさすりながら、黄金比率バッチリの眉をひそめて男をにらんだ。僕も男を改めて観察した。年は四十代後半から五十代前半くらい? 僕の父さんより少し年上みたいだ。ジャケットは羽織ってるけど中のシャツはシワシワで、少し太ってて無精髭を生やしてて、いかにもオッサン、て感じ。


「君達、さっき第三公園にいたよね? 口裂け女と話してたでしょ」


 僕と匠は目を見合わせた。この人も、霊感を持っているらしい。


「俺の名前は秋本あきもと孝義たかよし、その筋のモンだよ。いや、ヤのつく方じゃなくて。口裂け女みたいな、妖怪に“対処”する業界の者なの」


 秋本と名乗った男はラーメンをすすりながら名刺を差し出した。「有限会社 mamonotori」と片隅に印刷してあるけど、こんなんいくらでも個人で作れるしな。 ていうか社名がダサ過ぎる。マモノとりて。


「君らくらいの力があったら、この業界のことちょっとは聞いたことない? 無い。あ、そう。今日覚えて帰って」


「オッサンの仕事の話とか興味無いよ。聞きたいこと早く言ってよ」


 匠が乱暴に水を飲んだ。コップを持つ指は、きめ細かく細長い。


「悪い悪い。年とると話が長くなっちゃってねえ。それで、ここら一帯でこれまでは見かけなかった妖怪の目撃情報が増えてて、その原因調査をしてるんだオジサン。力の弱い無害な妖怪ならともかく、口裂け女くらいのメジャーで凶悪なやつがいきなり現れるってねコレ大事おおごとなの。自然発生とは考えにくくて、何者かが意図的に呼び出してる可能性が高い」


「あんな危険なモノ呼び出してる奴がいるんですか? 何のために……」


 公園での恐怖を思い出して背筋が寒くなった。


「んー、イタズラ目的か、特定の対象を呪いたいかそれとも……現時点ではよくわかんないね。そこも含めて調査中。で、素人にしてはチカラの強い君達に、最近この辺で何か変わったことがなかったか聞きたい。それが本題」


「心当たりないなあ。なあ?」


「うん、特に変なコトとか無かったかな。知ってる限りでは、だけど」


「そうか……まあ、君達が気づかなかったってのも一つの大事な情報ではあるよ。力を隠すのが上手い奴なのかもしれない。時間取らせて悪かったね。ありがとう」


 秋本は伝票を持って立ち上がった。


「あっ、ちょっと待ってください!」


 今度は僕が秋本の腕を掴んで引き止めた。


「何なに? 何か思い出した?」


「いえ、あの……第三公園は僕達の通学路にあるんです。今日は運良く逃げられたけど、また口裂け女に出くわしてしまったらどうしたら良いですか」


「ああ、それなら大丈夫。ここに来る前にちゃんと封じておいたから」


 秋本はこともなげに言った。え、そんな簡単に?すごい。え、本当に?


「もし何か気づいたことがあったら、名刺の番号に連絡して。……さっきはホント悪かったね」


 秋本はポンポンと匠の腕を軽く叩いて、今度こそ去って行った。

 ああは言ってたけど秋本の話を全面的に信じる気にはイマイチなれなくて、効くかどうかはわからないけど家にあるお守りを匠の分まで持っていくことにして、とりあえず今日は解散した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る