第2話 来店


 カウンターの椅子に座って、本のページをペラと捲る。本と言っても小説などではなく、ただの絵本だ。

 勘違いされないように言っておこう。別に絵本が好きな訳では無い。僕はこの世界の文字や言葉を知らないからとマリンさんが用意してくれたのだ。

 簡単な日常会話ならマリンさんが持たせてくれた魔法道具のおかげで通じるけれど、この世界特有の単語だったり言い回しを知る必要があった。

 まずは子供でも知っているような常識からということで、誰もが1度は読んだことのあるという絵本を渡された。


 『僕らがいるこの星は沢山の魔法で溢れている。魔法は植物、水、生物、空気、さまざまな物に溶け込んで多くの恩恵をもたらしている。そして、溶け込んでいる魔法を自在に操る者を魔法使いと呼んだ。魔法使いはその力をより人々がより暮らしやすくなるために使った。』


 僕が読んだページまでの内容はこんなかんじだった。読んでる場所は2.3ページの序盤も序盤。

 文字を書けるように絵本に書いてある字を真似してみたり、マリンさんに協力してもらって作った単語集を見ながら、絵本に書いてある文字を翻訳している。絵本だからってスラスラ読める訳では無い。

 僕が勉強が苦手でただただ理解が遅いというわけでない。決して。


 次のページに描かれている絵に目を移す。読んだことのない絵本だけれど、この物語の結末はだいたい予想できる。魔法使いが悪役になる、そして倒されて終わるのだ。


 小さくため息を吐いて、紅茶の入ったティーカップに口をつけた。ミルクと砂糖が入った紅茶はほんのりと甘くてホッとする。


 ―カラン カラン


 ドアベルの音が店全体に静かに響く

 パタッと読んでいた本を閉じて扉の方を見る。


 「いらっしゃいませ」


 そう声をかけると、店に入ろうとしていた客が、ドアを掴んだまま少し飛び跳ねた。

 頭に疑問符を浮かべたまま扉の方をじっと眺める。10秒ぐらい経ったあと、壁を盾にして、そろりとこちらに顔を出した。

 背丈的に恐らく12歳前後の少女だ。菫色の双眸がこちらをじっと見ている。

 見つめられ続けるとだんだんいたたまれなくなってくる。あの、と、こちらから話しかけようとすると、少女が口を開いた。


「貴方は誰?店長さんはいないの?」


 少しキツめの言い方だった。

 でもきっと、鈴を転がしたような声というのはこの事なんだろうな、と思ってしまった。


 「店長さん、水色の髪の女の人よ!いないの?」


 少女がまた、少しキツめの言い方でそう言った。どうやら、この少女はマリンさんを探しているらしい。

 菫色の双眸が僕を訝しげに見ている。それに気づいて、僕は慌てて返事をする。


 「えっと、マリンさんは今外出中で。僕は店番をしてるんだ。」


 あわあわと返事をする僕に少女はため息を吐いて、「つまり、新しい定員さんなのね。」と言った。それでも、少女の表情は安堵を浮かべている。

 空き巣だとでも思われていたのだろうか。いや、少女の口振りからしてこの店に通っているようだし、急に知らない男がいるのだから空き巣だと思う方が自然なのかもしれない。


「ところで、薬が欲しいの。店長さんが用意してくれていると思うのだけど。」


 今度は柔らかい声色で優しい言い方だった。幼い女の子にしては大人びた口調だなと思う。

 少女に、「ちょっと待ってね」と声をかけた後、レジカウンターの棚の扉を開ける。

 たしか、マリンさんが常連さんの分は分かるようにしてあるって言ってたような。


 棚の中にしまってある複数の籠を覗く。麻袋や宝石のようなアクセサリーが並ぶ中に、小さな飴玉のようなものが入ってある小瓶を見つける。小瓶にかけられている札に綺麗な字で『バイオレット』と書かれている。


 「君の名前はバイオレット?」


 カウンターから顔を出して少女にそう聞く。キョロキョロと店の中を眺めていたのだろう、少女がこちら見て小さく頷いた。

 合っていて良かった。机に小瓶を置くと、少女が小瓶を手に取る。


「それであってる?」


「うん、あってる。ありがとう。」


 少女が軽く微笑んでそうお礼を言う。

 その笑顔をみて、ふと可愛いと思ってしまった。僕は本当にちょろ過ぎると思う。

 お代と言われて渡された硬貨を受け取って、硬貨用の籠に入れる。


 「この絵本貴方が読んでるの?」


 カウンターに置いたままにしていた本を、手に取ってこちらを見て首を傾げている。少女の瞳はキラキラ輝いている。

 この絵本が好きで読んだことがあるんだろうか、


 「うん。でも字が分からないから最後まで読めてないんだ」


 軽く笑いながら、まだ読めてないことを伝える。少女は思いのほか驚いていなくて平然としていた。

 もう少し驚かれるか、笑われるのかと思っていた。案外、この辺りの街や国では字が読めない人の方が多いのかも知れない。

 しばらくして、少女が思い出したように言った。


 「なんで私の名前が読めたの?」


 「前に読んだ絵本のお姫様の名前がバイオレットだったんだ。覚えてて良かった。」


 本の内容はロミオとジュリエットに似たような話だった。どこにでも同じような話はあるんだな、と思ったのを覚えている。

 そういえば、この少女はどこか絵本の中のお姫様様に似ている。髪や瞳の色は全く違うけれど。

 でもこの子には絵本のような悲劇はきっと似合わない。


 「ねぇ、私が字を教えてあげる」


 店長さんも教えてくれてると思うけど……と語尾がだんだん弱くなっていく。

 ちょっとだけ赤く染まった少女をみて笑う。


 「お願いします」


 僕が笑った事に、少女はムッとしていたけれど、返事を聞いて安堵したように微笑んだ。

 マリンさんの他に字を教えてくれる人がいるのはありがたいことだ。マリンさんは忙しい方だから、教えて貰うにしても時間が限られるから。それに、少女のその気持ちが何よりも嬉しかった。

 お互い笑いあった後、少女が空を見ながら言った。


 「今日はもう日が暮れてしまうから、また今度、教えに来るわ。」


 少女が扉の持ち手に手をかけるのを見て、僕は少し声を張った。

 

「僕、真白って言うんだ。」


 変な自己紹介の仕方だけれど今はこうやって言うことしか思いつかなかった。

 とはいえ、だんだん恥ずかしくなってきた。

 少女はちょっとだけ驚いた表情をした後、笑顔になる。


 「私、バイオレットって言うの。またねマシロ」


 少女は僕の真似をしたような言い方でそういった。

 この子の名前は商品に書かれていたから知っている。それはこの子だって分かっている。つまりこれは、この子が僕に名前を呼ぶ機会をあたえてくれたってことだ。


 「うん、またね!バイオレット」


 そう言ってバイオレットに笑顔を返した。



 ドアベルがカランとなって、人が出ていったことを知らせる。

 僕はまたカウンターの椅子に腰をかけた。

 すっかり冷えてしまった紅茶と、机に置いた絵本を見て、ふと思った。

 もしかすると、この絵本の結末は僕が思うようなものでは無いのかもしれない。

 ほんの少しだけ期待を込めて、読みかけていた絵本のページを捲った。

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