ボクたちのやまぶきサイダー
アカツキユイ
やまぶきサイダー
「なんてこった……」
目の前に広がるのは、いつもとは少し違う河川敷の景色。夕暮れの時間帯にしか見られない、とっておきの絶景スポット。
若々しい芝生が沈んでいく太陽に一斉に照らされ、ぱぁっと染められる瞬間はまるで稲の立派に育った田んぼのよう。心地よいそよ風が彼らを撫でると、喜ぶように踊りなびくのだ。
そんな幻想的な景色が見たくて、どうしても家路に着く前に寄ってみたくなる場所。なぜだろう、特に今日の夕暮れは、いつも以上に綺麗に見えた。
……でも、今日ここに来た目的は他にある。ボクは堤防敷の斜面にぽつぽつと座っている人々を眺めつつ、上の道を歩いていった。
「(きっとこの辺りにいるはずなんだけども)」
探している人は案の定そこにいた。長い付き合いだから、遠くから見てもすぐに分かる。ひとり斜面に仰向けになって空を見上げているのは絶対に彼だ。
落ち込み方があの人らしいっていうか、昔のボクに似ているというか、なんだか見ているとこっちまで寂しくなってきちゃうじゃんか。
ボクは静かにその場へ駆け寄ると、彼の頭の上から顔を覗かせた。
「じゃじゃーん」
「うわっ、じゃじゃーんって何だよ……」
「せっかく来てあげたのにその態度はないでしょうよ〜」
彼はゆっくり頭を起こすと、大きくため息をついた。
「ありがとうな、連絡もしてないのにそっちから来てもらって」
「だって、キミの事だから多分振られるんだろうなぁ〜って思ってたし」
「酷くねぇかそれ!? ……なんて言ってもな、実際そうなっちゃったんだから何も言い返せねぇんだ……」
「振られたら絶対ここに来るって分かってたもん。それに今日は晴れだって言ってたし、時間帯的にも黄昏れるならここだろうなって」
「おい、黄昏れるなんて大袈裟なこと言わないでくれ」
こうして今話しているのは、昔からの親友で"幼なじみ"のカズヤ。幼稚園で最初に知り合ってから、何かと気が合うという理由だけでなんだかんだ仲良くしている。通う高校も同じにしたし、今年はクラスだって一緒。
今日はそのカズヤが好きな子に告白したらしいんだけど、実は今朝ボクにこんな事を言ってきていた。
『もし俺が振られたらさ、いつものサイダーかなんかでも買ってきて慰めてくれよ』
カズヤは元々強気でやんちゃで人騒がせな人だ。この前だって、体育教師に説教された時はしつこく反抗して大変だったそうだし。
……そのはずなのに、高校以前は恋愛とは無縁だったせいか、好きな人の話となるとメンタルが急に弱くなる。本人に言わせれば、こればかりはどうしようもないんだ助けてくれよヴワァァァン、だそうだ。
もちろん今回も例外ではなく、保険にとでもと思ったのか、振られた時はボクに慰めてもらうとか言い出した。相変わらずだな……告る勇気があるんだったら強気で行かなくっちゃ。そんなに弱気でいると、成功するものもしなくなっちゃうよ……? とか思っていたけど、案の定呆気なく振られてたってわけだ。
「振られたかどうかも居場所すらも連絡ま〜ったくくれないのに、ボクがわざわざ来てあげたんだからね? 感謝しなよ」
「はいはい。お前がいるおかげでいつも助かってるさ。こんなわがままも聞いてくれて本当にありがとな」
「むーっ…………」
ボクは黙ってカズヤに買ってきたサイダーを手渡した。
サイダーはカズヤのとびっきりの大好物で、落ち込んでる時にはよく奢ってたりする。これも本人に言わせれば、サイダーさえあれば何でも頑張れる気がする、なんだとか。逆にボクが落ち込んでる時もカズヤのほうからサイダーを奢ってくれることも…………あったかな。どうだろう。へへっ……
「それじゃ、いただきます」
「うん。ボクもいただきます」
ボクも自分の分として買ってきたサイダーを手に取って、カズヤと一緒にフタを開けた。ぷしゅー……と爽やかな悲鳴を立てた後、穏やかな泡立ちがキラキラと舞う。飲み口からほのかに感じられる冷気が顔をくすぐって気持ちがいい。もう飲まずにはいられなかった。
ボクらは満足がいくまでごくっごくっとサイダーを一気飲みした。カズヤなんてもう半分も残っていない。でも気持ちは分かる。こんな景色を眺めつつ堪能するサイダーなんて、世界で一番美味しいと思うくらいだもん。
「それで? さぁさぁ、話聞かせてよ」
「話って、何の話だよ」
「そりゃもちろん告白の話さ〜。なになに? どんな感じで告ったの? 聞きたいなぁ〜 ボクめちゃくちゃ気になるんだけど〜」
「そ、そこまで聞くかオイ!? 何なんだよ……お前は何のためにここに来てくれたんだかよく分かんないな」
「え? 慰めに来た人が告白の詳細聞いちゃダメなの? むしろ聞く権利があるくらいだと思うんだけど」
カズヤは大きく溜息をついた後、自分の手に持っているサイダーをぼんやり見つめてから、仕方ないと言わんばかりに口を開いた。
「電話とかメールとかじゃなくてさ、直接言いたかった。……これを。好きです。どうかお付き合いお願いします…………みたいな」
「ほうほう……? なかなかやるじゃん???」
「おい、そういうのやめろって。聞くんなら真面目に聞け。お前の事今すぐ投げ飛ばしたいくらいだ」
「ひどいなぁ〜。誰だってああいう反応したくなるでしょ……。それで? どんな風に返されたのさ?」
「初手からごめんなさいの一言で片付けられた」
「…………そ、それだけ?」
「その後に、どうしてもあなたの事は好きになれないって言われてさ」
カズヤはもう一度大きな溜息をついた。この返しを聞く限りは、勝利の余地などない、見事なまでの完敗だったってわけだ。
「別に嫌われてたわけでもないし仲が良かったわけでも無かった。それだけにショックだったわ……」
「そ、それはまぁ、残念だったね……」
「ここまで来たなら行くしかない、腹を括ってさ、好きになれない理由とかも聞いちゃえと思って、その場の勢いで尋ねてみたんだ。そしたら気が軽い男っぽく見えるし、責任感無さそうだし、頼りになる要素見つからないし、って容赦無く言ってくるわけさ…………何もそんなストレートに言わなくったって……」
「自分で理由聞いておいてボコボコにされてるんじゃん……」
豆腐メンタルだって分かってるのに、振られた直後に自分からまた突っ込みに行ってるんじゃ救いようがない。特攻隊かよ。
「あと、普段から幼なじみと恋人みたいにイチャイチャしてる癖に何浮気しようとしてんの、とか言われた」
「えっ何それどう言う事!?」
「幼なじみとイチャイチャしてる自覚全く無いんだがな……お前もそう思うだろ?」
「いやその、まぁそうなのかもしれないけど……あはは…………」
他人から"恋人"なんて言われるほどにイチャイチャしていると言われているのは前々から知ってはいたし、今まで少し困っていた。
いつかは向き合わないといけない問題なんだ。
ただ、カズヤ本人にはそんな自覚は無いというのを聞いて少し安心した。やっぱりボクはボクでいられてるんだなって、当たり前かもしれない事を思いながら。
「そんでさ、別れ際に『こんな俺の気持ち伝えるためだけにわざわざ呼び出したりなんかして悪かったな』って言ったんだが————」
「言ったんだが?」
「そしたらこう返された。『私にお礼言うくらいなら、もっと他の人に言ってやりなさいよ。傍から見ても分かるくらいにあなたは自覚がないのね。……好きになれない理由はそこ。この私の他に、あなたがもっと恩返しすべき相手、身近にいるでしょう?』」
「………………」
なーんだ。カズヤ以外はみんな分かってるんじゃん。ダイレクトに言われるとボクの気持ちが全部筒抜けになってる気がして怖いけど。
「唐突すぎて何が何のことだかよく分からなかった。恩返しってそんな大袈裟な事言われてもな」
「…………思い当たる節、無いの?」
「思い当たる節? 少し考えてはみたけど、恩返しをするような人なんて俺にいたっけな…………ああっ」
こんな事あからさまに言うのもあれだけど、カズヤの面倒はいつも誰が見てあげてるんだよっての。もっと早く気づいてほしかったな。
一瞬慌てふためくカズヤ。不意にちょっと可愛く見えてしまった。
「もしかしてお前のことか!? あちゃー、俺は本当に馬鹿だわ……お前がいることが当たり前すぎて、ありがたいって気持ちを忘れかけてたのかもしれねぇ」
「……………………」
「灯台下暗しってやつか。俺は最低な奴だ。こんなにもお前に助けてもらってきたのに、お礼のひとつも出来ていなかったなんて…………。俺は最低な奴だ。振られて当然だよな」
「カズヤ、気づいてくれるのは嬉しいけど、そんなに落ち込まなくたって」
カズヤの言葉は喉の手前で一度止まりかけたようだったけど、それでも言わずにはいられなかったらしくて、自嘲はまだまだ続いた。
「ごめんな。そうだよな。俺はもっとお前に感謝しなくちゃな。こんなクズみたいな俺と一緒にいてくれるんだからさ。しかもお前は学校で一位二位を争うくらいの優等生なんだぜ? こんなバカ極めてるような俺なんてどうだっていいはずなのに、本当に…………」
それからまたしばし沈黙が続いて、こう言う。
「俺決めた。明日からお前にサイダー毎日奢る。今までのお返しだ」
「あのねぇ! ボクがして欲しいのはそんなんじゃなくて!」
「サイダーじゃないのか。そんなら一体何をしてやればいいんだ」
「はぁ…………」
「…………ていうかさ、唐突に思ったんだけど、お前も恋とかってしないのか?」
「……ふぇ!?」
あまりに唐突な話で変な声が出てしまった。今まで感謝とか恩返しとかの話をしてたのに、どうしていきなり……それも、なぜこのタイミングで?
「いや、本当に思いつきなんだが、そういえばお前の恋バナとかって今まで一度も聞いたことないなぁって」
「いや、それはね……」
ボクだって一度も恋バナなんてした事ないのは知ってるし、むしろここ数年は避けてきたくらいだ。カズヤに直接話すなんて、恥ずかしくて出来るわけがない。
「……あるにはあるんだ。でも今のままじゃ教えられない。カズヤがちゃんと言うべき事言ってくれないと、ボクは何も教えないよ」
「言うべき事って…………」
鈍感なカズヤのために数秒間黙ってあげた。図々しいのはわかってる。でも、こんな中途半端な態度を取ってるカズヤに恋バナをするなんて出来ないから。————自分の中の"ボク"がそうさせてくれなかったから。
「…………分かった。ちょっと待っててくれ」
カズヤは何かを分かったかのように口をつぐみ、そして少し俯きながら考える。
何気なく手に持ったサイダーを見つめると、眩しくキラキラと輝いていた。黄金の光だ。ふと気になってそれを夕暮れ空に透かしてみる。
ボクらが見たのは、まさに山吹色のサイダーだった。夕焼けの山吹色がサイダーを甘酸っぱく染めているんだ。
映る姿はどこか頼もしく、それでもどこか哀しそうで、切ない。そこにあるのは確かにいつも通りのサイダーのはずなのに、それは周りの景色に溶け込んで自由自在に色を変える。
本当の味を知っているのは、そのサイダーを味わった人だけなんだ。
それで何を思い出したのだろうか、今度はサイダーの蓋を開けて中身を飲み干した。
夕日を背中に、カズヤがこちらへ振り返る。
「お前が自分自身を"ボク"って言い出し始めたあの頃をふと思い出したんだ。……確か高校に入るちょっと前だったっけか。つい1日前まで『私』なんて言って普通の女子だったくせに、次の日になったらいきなり自分をボク呼ばわり。どうしていきなり一人称を変えたんだって聞いてみたら、お前はこう言ってた。『男女の幼なじみがこんなにベッタリしてたら恥ずかしいじゃん? 呼び名をボクに変えたら、なんとなく男友達みたいな感じがして絡みやすいかな〜って』」
「…………うん」
カズヤは、私が女子なのにも関わらず一人称を『ボク』に変えた時のことについて思い出していた。
「なんであんな事したんだろうって思った。でも今になって全部分かったよ。俺を助けてくれたんだな…………。 お前がいなかったら、間違いなく俺はクラスで浮いてる存在になってた。浮きまくってたと思う。でもそうならないように、お前が俺の唯一の絡み相手になってくれた。お前のおかげで、今では何となくだけど他の友達ともうまくやってけてる。そんな事も知らずに俺は1年間を過ごしてたってわけか」
今まで言われることの無かったことを面と向かって言われると、すごく恥ずかしい。……………でも違う。そうじゃなくて。
「それだけじゃない。サイダーの事ももちろんだけど、俺は今までお前に数え切れないほど助けられてきたんだ。だから俺は今ここでお前に感謝を伝えるよ。————こんな俺の事を気にかけてくれて、助けてくれて、本当にありがとう————俺もお前の助けになれることは何でもする。だからどうか、これからも…………よろしく」
カズヤからそんな言葉を聞いたのは初めてだったかもしれない。変わったヤツだと思うけど、別に感謝を知らない人間というわけではないんだ。今のは間違いなく本心からの言葉だって分かるもん。ただ今まではその感謝を言葉に乗せることが出来なかっただけで。
不意に目頭が熱くなる。目の前の景色がうるんでいく。それと同時に嬉しさが込み上げてきて————笑わずにはいられなかった。
そんなカズヤに、幼なじみなんだから当然でしょ? なんて言葉を返したい気持ちは山ほどあった。あったけど、やはりボクは"そうじゃなくて"と言わなくちゃいけないんだ。
「…………違う」
「えっ?」
「…………違う。何もかも全部違うんだよ。まったくいつまでもキミは鈍感なんだから。…………ボクが今までキミと一緒にいた理由も、よろしくの意味も」
頬を伝わる温かみを感じながら満面の笑顔で答えてみせた。
滲みかけた目の前の景色はサイダーと同じ山吹色。しかし影は形を保ったまま、影そのものとして佇み続ける。それはボクがキミに向ける覚悟の証明だ。その影を逃さぬよう、この目で釘付けにして。
カズヤが学校で浮かないようにとか、これからも親友だの幼なじみだのとか、そんなの全部建前に決まってるじゃないか。それだけの理由で、わざわざカズヤと同じ高校なんて入ると思う?
ボクも山吹色のサイダーを手に取って勢いよく飲み干してから、改めて真剣な目でカズヤを見つめた。
「……………あのさ。他の子に告って振られたんだったらさ、……いっそのことボクと付き合わない?」
「付き合うって、ちょっお前…………——————あぁ、俺は今振られたばかりなんだぜ? もちろんお前には感謝してるけど、あんな直後にいきなりお前に告ったら、それは浮気みたいになっちまう。流石に俺だってそんな慰め方は」
「だから違うってば! 何言ってるのさ……もう! キミがボクに告白するとかしないとか、そういうのを聞いてるんじゃないの!」
こんなに勇気を出したってのに、カズヤはどこまでも不器用で鈍感だ。こんな事言ってるのはカズヤのためじゃなくて、私が…………!
もう我慢できなかった。別に焦らしたいわけじゃないし、ただカズヤに分かってもらいたいだけなんだ…………だから。
「それなら、ボクから…………いいや、私から言わせてもらうよ」
私はカズヤの元にそっと寄って、耳元に向かって優しく囁いた。
もう止まらない。さっきまでだって頭の中で言いたい言葉が何度もリピートされてて、会話にそういう言葉が出るだけでドキッとしちゃって……もう毒されてるんだって思った。耐えられない。自分の思いを全部ぶちまけたくて……仕方がなかった。
途中で彼が赤面しているのが見えたけど、それでもなお囁いた。
自分の頬が熱くなってるのも分かったけど、…………やっぱりそれでもなお囁き続けた。
「それが私の答え」
沈黙にそよ風が吹く。
唖然として何も言えないカズヤを横目で見つめて————そしてしばらく経った後、私は立ち上がって河川敷の上の道へと戻った。そして一言——
「キミの答えを聞ける日が楽しみだなぁ……えへへっ」
それだけを言い残して、その道をゆっくりじっくりと歩いて帰っていった。
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