第9話 黒木さんは、腐らない#3
俺は普段とは逆方向の駅のホームに立っていた。そして普段なら隣には優がいるはずだが、横には綺麗な顔をした少女が立っていた。黒木の髪の端が西日に照らされて茜色に染まる。眩しそうに目を細めた彼女に俺は釘付けになってしまう。ミステリアスな雰囲気を漂わせている黒木にうっとりとしかけたとき、俺は彼女が腐女子であることを思い出して、思わず溜息を吐いた。
「なにかしら?」
「いや、なんでもない」
俺は向かい側のホームに明らかに俺たちを見て、噂話をしている女子生徒三人組を発見した。わざとらしくそちらの方に顔を向けると、彼女たちは気まずそうにそっぽを向いた。黒木は気付いていないようで、赤く細い腕時計と電光掲示板を交互に見ている。
俺は結局、黒木に押し切られて彼女の自宅にお邪魔することになった。俺はBL漫画のモデルになるために女子の部屋に行くという、未だかつてない謎の状況に陥っている。よく考えればこれが初めて女子の部屋に上がるのではないだろうか。こんなに不純な動機で女子の家に上がりたくなかった。仕方がない、全校生徒に性癖を紹介されるのは厳しいものがある。これは俺に与えられた試練だと思おう。
勢いでサークルに入ってしまったが、太刀川先輩と姫野先輩という人物に出会えたことは良かった。二人ともアニメに出てくる美少女キャラのようだった。それも二人は幼馴染みだと言っていたし、これは百合の花が咲き乱れるのも時間の問題なのではないだろうか。間近で二人の美少女の百合が見られるのならば、サークルに入った意義もある。
そして黒木にも曲がりながらも友人と呼べる相手がいたようで安心した。友人が少ない俺が上から目線で心配しているのも馬鹿らしい話だが、優に似ていると言われてから気になっていた。そして優が言っていた通り弱点がない『完璧人間』とは程遠い奴のようだ。人の話聞かないし、強引だし、何より腐女子だ。いや別に腐女子が悪いとは言っていないが、俺と優と日吉の絡みを盗撮していたり、運動部の男子のことをほとんど把握していたりするのははっきり言って異常だろう。話してみないと分からないことはたくさんあるものだ。優の言っていた通りだな。
黒木に脅された形でサークルに参加するわけだが、彼女という人間、そして同人活動というものに興味がある。まぁ気楽に活動してみようか。あれ、俺チョロい?異世界ハーレム物のヒロインぐらいチョロいのでは?
「不二君、電車が来たわ。黄色い線の内側まで下がりなさい」
「それを口頭で言われたのは初めてだ」
気の抜ける音がして、扉が開く。夕方のプラットホームに独特の駅メロが鳴り響く。
黒木は開いた席に迷うことなく座った。俺はそれに促されるように、微妙な隙間を開けて座った。扉が閉まり、いつもとは違う景色が車窓に流れ始める。
「不二君、なぜ間を開けているの?詰めて座りなさい」
「いや黒木、カップルでもないのに男女がくっついて座るのは変だろ」
「構わないわ。私そういうことには無頓着だから」
「お前が構わなくても、俺の中の倫理観が駄目だと言っている」
「いいから詰めなさい。次の駅はこの時間帯、人が多いのよ」
そういうことならと言わんばかりに、俺は眉を上げて気を吐いた。椅子を這うようにして黒木に近づいた刹那、彼女の髪から甘い香りがして俺はたじろいでしまった。そのせいで二人の間には遠慮気味な距離がまだ残っていた。
「不二君。遠慮なんてしなくていいのよ」
「やけに寛大だな。駅に着いてから詰めるそれでいいだろ」
「えぇ、分かったわ」
「……黒木。あと気になっていたんだが」
「なにかしら?」
「黒木が俺を呼ぶとき「不二君」の「君」が他の人に比べて冷たい感じがするのだが……」
「? 何を言っているのかよく分からないのだけど」
「わ、悪い。忘れてくれ」
「——つまり他の呼び方をすればいいのかしら」
「いや、まぁ。その」
「不二様、不二先生、不二伯爵——」
「おいどうした⁉壊れてしまったのか?」
「不二さん」
「それだと富士山になってしまうだろ。俺はそんなに立派な者じゃない」
「そうね……じゃあ。——奏太君でいいかしら」
「うーん、なんか「君」が固いんだよな」
「注文の多い人ね。——奏太。これでいいかしら?」
「……おう」
「照れないでくれるかしら。言っている本人の方が恥ずかしいのだけれど」
「……悪かった」
黒木はほんの少し赤面しているように見えた。もともと肌が白いから、そう見えるのだろうか。謝った俺の方を見て黒木はくすりと笑った。彼女の目尻に笑い皺ができるのを見て、不覚にもきゅんとしてしまった。いかんいかん。女の子は女の子同士で付き合うべきだ。それを俺が邪魔をしてどうする。俺は軽く自分の頬を叩いた。
「なら、そ、奏太も私のことを呼び捨てではなくて名前で呼ぶのはどうかしら」
「美麗さん」
「あなた等価交換という言葉を知っているかしら」
「——美麗」
「……私たちは何をやっているのかしら。中学生でもあるまいし」
「なんでいきなり冷めるんだ⁉」
彼女は俺と目を合わせずに向かいの窓の外を見ていた。それは一種の照れ隠しのように思えたが、実際のところはどうなのだろう。俺も彼女の横顔から目線を離し、天を仰いだ。
間もなく次の駅に到着し、黒木の言った通りに大人数が乗車した。俺は黒木の方に身を寄せた。気を抜いたら肩と肩が当たりそうな距離になってどぎまぎしている俺と対照的に、彼女は背筋を伸ばして着席してる。
そこからは会話もなく、ただただ電車は先へ進んだ。四駅ほど通過して「ここよ」と黒木が小さな声で囁いた。俺は聞き間違いではないかと振り向いた。
「さぁ、降りましょう——奏太」
「無理に言わなくてもいいぞ」
「無理はしていません——奏太」
「変な間を開けるな……美麗」
俺たちは一体何をしているのだろうか?
賑わう改札口を通り抜け、人の波をかき分けて駅を出る。俺の最寄り駅はもっと人が少なく、朝の通勤ラッシュ時でも人通りは多くない。それに比べるとこの駅は繁盛しているようだった。
遅れて改札から出てきた美麗は小走りで近づいてきた。
「ごめんなさい、前の人が間違えて免許証を入れたみたいで」
「大丈夫だ、問題ない」
「? さぁ行きましょうか。すぐ近くのマンションよ」
本日何度目かの華麗なスルーをかまされた。本気で困惑させたみたいで申し訳なくなってきた。
俺は美麗の少し後ろを歩きながら、辺りを見回した。沿線に住んでいるのだがこの駅には一度も降車したことがない。もう一つ先の駅には大きなショッピングモールがあるので、頻繁に訪れるのだが、その手前のこの駅には用事がなかった。左右に見慣れない風景が広がっている。
駅前の大通りを直進すると、そこにはマンションが立ち並んでいた。十階建てほどのマンションが並立しており圧迫感を受ける。
「このマンションよ」
しばらく着いていくと、美麗はあるマンションの入り口で立ち止まった。自動ドアが開き、彼女に招かれるままに中に入った。広くはないが清潔感のあるロビーであった。黒木は鞄の中からパスケースのようなものを取り出し、読み取る機械のようなものにかざした。すると防犯対策用の奥の自動ドアが開き、エレベーターホールが見える。
「俺が入っても大丈夫なのか?」
「えぇ、今日は誰もいないはずよ」
俺たちはエレベーターに乗り込んだ。美麗がパスケースを鞄の中に入れていたので、階数を尋ねたら「十階よ、ありがとう」と彼女は呟いた。ボタンを押すと扉も閉まった。
「十階ってことは、最上階なのか」
「いやこのマンションは九階建てよ」
「? …………はい?」
「冗談よ。怖がらせようと思って」
「分かりにくい冗談はやめてくれ。本気でびっくりしたぞ」
「ふふ、ごめんなさい。そう、最上階よ。景色はそこまで良くないけれど」
美麗は心底楽しそうな顔をしている。もしかしてSっ気があるタイプなのだろうか。
「家族の人に怒られないか?勝手に男を上げて」
「えぇ、両親はそういうことを気にするタイプではないし、父は単身赴任で家にいないの。母も看護師をしているから、この時間はいないわ」
「兄弟は?」
「いないわ。あなたは?」
「妹が一人いる」
「いいわね」
「良くないぞ」
「いいじゃない。寂しくなったりしないのだから」
「あれだ。隣の芝生は青く見えるってやつだな」
「そうかもしれないわね。——奏太」
到着を告げるチャイムが鳴って、扉が一気に開いた。眩しい西日が差し込んでくる。
「うわぁ、すごい景色だな」
「そう?毎日見ているから見慣れてしまったわ」
美麗はエレベーターから降りて、長い髪を手で梳いた。俺も続いて降りる。
「俺は一軒家だからな。二階から見える景色は綺麗と言っても高が知れている」
「そう……。そんなに感動されたら、私も綺麗に見えてきたわ」
「そうか」
「えぇ」
このまま感傷的な気持ちに浸っていたいが、そうぐずぐずしていられない。夕飯の時間には帰宅しなければならない。過保護な母さんに心配をかけてしまう。
そんなことを考えていると、シャツの袖が引っ張られた。
「部屋はこっちよ」
美麗が優しくシャツの袖口に手をかけていた。
もう落ちてきた西日に照らされた彼女の姿は、この上なく綺麗であった。
『限界百合男子不二くん ⅤS BL漫画家黒木さん』 手塚 豪 @tezuka-go
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