第8話 黒木さんは、腐っている#2
「——不二くん部屋のことをバラされたくなかったら、大人しくこのサークルに入りなさい」
「何でそうなるんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」
突然大声を上げて立ち上がった俺に先輩方はビクッとしたようだ。口論をするのをやめて俺と黒木を交互に見た。
「分かったかしら?もしこのサークル『クラウドナイン』に入らないなら日吉君と師道君にあなたの部屋の写真を見せるわ」
「待て待て黒木!あいつらは知ってるからな?」
「ぐぬぬ……。ならば職員室前の掲示板にあなたの部屋の写真を掲示して、全校生徒に拡散するわ!」
「ちょっと待て!話が飛躍し過ぎだ!」
「とにかく入りなさい!お願いお願いお願い!」
黒木は手を擦り付けて、正月の神社で万札を入れた人の様な形相でお祈りしている。俺は幸運スポットか?
「あ~もう分かったよ。入ればいいんだろ?入れば」
俺は乱暴にそう応えた。もう黒木に振り回されるのは面倒である。サークルに入った方が更に面倒なことになるのではないかとも考えたが、全校生徒にオタク趣味を公開されるよりはマシである。俺は口を滑らせてしまったことを後悔しながら、もう一度椅子に座った。ロリコン先輩とショタコン先輩はその様子を丸い目で見ていた
「本当に!それは良かったわ!」
「不二くん入ってくれるん?良かったわぁ」
「おー、ぱちぱちー」
三者三様に俺の入部を祝ってくれているが、正直な感想としては全く嬉しくなかった。
「何はどうあれ、ようこそサークル『クラウドナイン』へ。歓迎するわ」
「歓迎するって俺から進んで入部したわけではないんだが……」
「さぁ、早速ですがこれからの活動方針について話しましょう」
聞く耳を持たないというのはこのことなのだろうか。彼女には自分にとって都合の悪い言葉は伝わらないらしい。暴虐の王だ。いや女王様か。
「今日からこの教室が使えるんやね。夏休み前に間に合ってよかったなぁ」
「そうだね。美麗の家に毎日のように行くの、そろそろ申し訳ないと思ってたからな~」
「涼香、あんたホンマに申し訳ないと思ってるん?土日も入り浸ってるんやろ?」
「いえ別にそれは構わないのですけれど、学校から私の家までの時間が勿体ないでしょう?だから学校で制作できるようになれば、時間の浪費がなくなると思うんです。即売会まで時間もないですし」
「そーだ、そーだ」
「いや、涼香はどういう立場なんよ?」
話に着いて行けないどころか、少しもどういう活動を行っていたのか見てこない。これまでは活動を黒木の自宅にて行っていたのだろうか。土休日まで入り浸っているというのは、最早家族みたいだなと俺は思った。黒木の家にはデジタルでイラストを描く環境があって、先輩方の家にはないので彼女の物を借りて活動しているのだろか。
「これまでは黒木の自宅でサークル活動をしていたんですか?」
「うちは違うよ。自分の家からボイチャ繋げてやってたんやけど、弟が受験生やから大きい声出しにくいんよ。だから学校で出来ればいいなぁ~って思ってたんよ」
姫野先輩は鞄からスマートフォンを取り出し、俺に画面を見せてきた。そこに映っているのは、姫野先輩によく似たまだあどけなさが残る少年の写真だった。照れているのか顔の半分を手で隠している。姫野先輩は「これうちの弟!」と言いながら俺の眼前に画面を押し付けてきた。近すぎて何も見えない。人間の視覚領域を知らないのかこの人は。
「可愛いやろ?身長低いなって言ったらな、まだ成長期来てへんとか言うねんで」
「中三ですか?」
「中三で百五十九やで?不二くんは中三の時どれくらいやった?」
「俺は今とほぼ変わらないですね。百八十くらいでした」
「え~やば⁉めっちゃ高いじゃん?なんかそんな風に見えないのに」
太刀川先輩は机から身を乗り出して、前屈みになる。その際に第一ボタンが外れた半袖ワイシャツから、下着が見えそうになった。俺は慌てて目を逸らしながら、立ち上がった。
「最近はパソコンばっかりいじってるから猫背気味なんですよね」
俺は身体測定をする時のように丸まった背筋をピンと正した。
「ほんとだ~!かっこいいじゃん!その方がモテるから姿勢良くしときなよ」
「……分かりました」
なんか母親からよく言われる台詞だな。ギャルみたいな風貌だが、太刀川先輩には母性が溢れ出ているような気がする。立ち振る舞いに「ママみ」を感じる。——俺は非常に気持ち悪いことを考えていた。
「でも弟には不二くんみたいにおっきくなってほしくないわぁ。小さいままが良い」
「本人は大きくなることを渇望しているでしょうけどね……。失礼ですけど、姫野先輩はあまり背が高くないですよね?両親は背が高いですか?」
「そんなに高なくないなぁ」
「そうですか。でもまだ伸びる可能性はあると、本人に言っておいて下さい」
「やさしいなぁ~不二くんは」
姫野先輩は前髪を手で梳いて、額の汗を手の甲で拭った。弟のこともショタとして見ているとは、筋金入りのショタコンだなこの人は。あれ、ブラコンでもあるのか?そんな定義を決める必要などないわけだが……。
クーラーが段々と部屋の温度を下げ、ヒートアップしていた俺の体も冷えていった。俺は座って頬杖を突きながら冷風でカーテンが揺れるのを目で追っている。薄緑の涼しげな色彩のカーテンから僅かに西日が透けている。確か今日は雲一つない快晴だった。梅雨はもうどこかに姿を眩ませたようだ。
「じゃあいいかしら?活動方針について話しても?」
「あぁ」
「あ~話の途中やったね。堪忍ね」
太刀川先輩は足を組んで、スマートフォンをいじっていたが「うぃ」と小さな声で返答した。スカートが短いので太腿が大胆に露出している。目のやり場にまた困ってしまった。
「ということで、不二君。さっきも言っていたのだけれど、もうすぐ同人誌の即売会があるの。七月の二十五日なのだけれど」
「一月もないのか。まさか夏コミではないよな?」
「えぇ、申し込んだのだけれど落選したわ。これはもう少し小規模な催しよ。東京で開催なの」
「と、東京⁉東京に行くのか?」
「あ~大丈夫やで。うちの別荘に近いから。そこに泊まったらいいよ」
「別荘⁉どこが大丈夫なんですかそれ?」
軽く爆弾発言をした姫野先輩はおどけた顔で笑って見せた。私立学校と言えども、東京に別荘を所有するお嬢様がいるとは……。俺は引きつった顔で愛想笑いをした。
「すごいよ~真由の別荘。バカ広いよ!なんなら実家も和風な感じやし」
「もぉー涼香!別に大したことないよ」
「いえ、姫野先輩。あの家は「大したこと」に十分当たると思いますが」
お互いに家に遊びに行くような関係ということは、長い付き合いなのだろうか。姫野先輩と太刀川先輩は仲がいいような気がするが、黒木は敬語で話しているし、いまいち関係が分からない。黒木は誰に対しても丁寧な口調で話しているのもあるとは思うが。あれ?俺に対してはそんなことないよな。……俺格下に見られてる?黒木さん……?
「あ、あの。三人はどういう関係なんですか?長い付き合いなんですか?」
「あー、あたしと真由は幼馴染みなんだけどー。美麗はいつからだっけ?」
「ネットで知り合ったのは私が小六の頃です。実際にお会いしたのは中学に入ってからですから、三年半ぐらい前ですね」
「そうやね。うちと涼香は昔からアニメが好きで、ネットでイラストとか見たりしてたんよ。そしたら、美麗ちゃんがピクシブに投稿してたイラストを見つけて、二人で盛り上がってたんよ。俺妹のあやせちゃんのイラストやったっけ?もちろんそん時は美麗ちゃんのことも知らんよ」
「そーそー。ネット上でやり取りしてるうちに、近くに住んでることが分かって、同じ中学に進学することも分かったの。今考えたら危ないよね。知らない人に住所教えるとかさー。マジありえなくない?」
「ホンマやね」
「私も未熟でした」
何たる偶然だろうか。そんなことがあるものだなと、思わず感心してしまった。実際トラブルになりかねないことだが、巡り合わせが上手く働くきっかけになったインターネットは偉大だなと、俺は更に感心した。
「当時はお二人とも異常性癖ではなかったですしね。なんでそんなことになってしまったのですか?」
「お前が言うな!」
「あんたが言うんかいな!」
息ぴったりに違う言葉が飛び出した。
「普通のオタクだったんですね。皆さん」
「そういう不二くんはなんで百合が好きになったの?オシエテー」
「なぜ百合が好きになったかだって?それはな……とあるギャルゲーを通販で買ったんだ。イラストが好みだったから、あんまり内容を確認しないまま買ってしまい、いざプレイしてみたら、主人公は女の子だし、男性キャラもほとんど登場しない代物だった。吟味しなかった自分が悪いのだが、正直騙されたと思ったよ。でもせっかくだからプレイしてみるとだな、意外にも面白いんだ。百合モノなんて、初めてで—って言っていました」
「なんで全文暗記しているんだ⁉」
「あーそうなんや。うちは元々ショタキャラが好きやったし、予兆はあったなぁ」
「あたしは別にロリコンじゃないから!」
「涼香、嘘ってバレるで」
「ウソじゃねぇって!」
「いや待ってくれ!なんで暗記してるんだ黒木ぃ!」
「あなたがどういう人物か前から気になっていたのよ。あと周りの二人との関係も」
「不二くん、美麗ちゃん実は君たちの話してるところ盗撮したりしてたんやで。その写真をグループラインに張り付けてたし」
「立派な犯罪だぞそれ⁉」
黒木以外の二人が俺のことを初対面ながら知っていたのはこれが原因だったのか。自分のことを隠し撮りしているクラスメイトがいるなんて、想像できなかった。
「細かいことはいいのよ。それより不二くん、その即売会では私と姫野先輩の二人で二冊出すのだけど。私の同人誌がまだ制作途中なの。姫野先輩は完成したらしいのだけど」
華麗に盗撮のことはスルーされた。
「あぁ、それを手伝えって言うのか?俺は絵を描いたことなんてないぞ?」
「いや、違うわ。モデルになってほしいの」
「モデル?」
「えぇ、私がお願いしたポーズをして、止まっておいて欲しいの」
「結構な重労働だな。構わないが、サークルに入ったのに役割はそれか?」
「そうね……。じゃあラノベを書けばいいじゃない」
「どうしてそうなるんだ?」
「『クラウドナイン』は別に決まった活動をしているわけではないの。私はBLの同人誌を描いているけれど、姫野先輩はイラスト集を制作しているし、太刀川先輩は風景画をデジタルで描いているのよ」
「にひ」
太刀川先輩は白い歯を見せて笑った。彼女が風景画を描くなんて想像もつかない。繊細な絵を描くタイプには見えない。俺はひどい偏見を持っていたようだ。
「だからあなたも好きな活動をすればいいわ。時には協力し合うこともあるだろうけど、そのときはよろしくね」
「え、あぁ分かった」
「じゃあ今日のところは解散にしない?あたし美麗の家に忘れ物してるし」
「そうやね~。うちも修正したいイラストがあるし、今日は帰ろうかな」
「そうですか。では明日から活動しましょうか」
二人は俺に別れを告げて、さっさと帰って行ってしまった。放課後の第一資料室に俺と黒木の二人きり。静寂に包まれる教室には冷房の音しか聞こえなかった。
練習を始めた吹奏楽部の管楽器の音が聞こえてきた。それと同時に黒木が口を開いた。
「では今から私の部屋に来てもらうわ。不二君」
「はい?」
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