第7話 黒木さんは、腐っている#1
【二、黒木さんは、腐っている】
放課後なり、俺は荷物をまとめて教室を出た。他クラスの生徒たちも一斉に教室を飛び出し、人だかりができる。その中をかき分け、階段の方へと向かう。黒木が言っていた第一資料室は四階に位置する。四階にはホームルームはなく、特別教室が並んでいる。美術室や音楽室では部活動も行われているため、真面目な生徒たちは既に教室に出向いていた。文化系の部活動だからか、女子生徒が多い。第一資料室は廊下の奥にあるため、廊下を歩く際、注目を浴びる結果となった。見知らぬ奴がいるとでも思っているのだろうか、視線を感じる。
「(ここか?)」
扉には鍵が掛かっていなかった。
扉を開くと眩しい光に包まれる。教室内には西日が差し込んでおり、床が光を反射して目も開けられないほど眩しくなっていた。俺は手で目を庇いながら、教室のカーテンを閉めた。
「暑いな~この部屋」
普段使用されていない部屋なだけあり、冷房など効いているはずがなかった。
広い部屋とはいえないが、ホームルームの半分ほどの広さがあった。中央に机がくっつけて四つ並べてあって、少し古びた椅子が机と同じ数だけ陳列してあった。資料室というだけあって、おおきな本棚があった。中には赤本や教科書、古い文献などが敷き詰められていた。
「(まだ来ていないのか。黒木は)」
そのとき、扉が閉まる音がした。どんという鈍い音が教室に反響した。
「早いのね。不二奏太君」
振り返ると黒木と二人の女子生徒が立っていた。そして何故か黒木はおもむろに鍵を閉めた。
俺の本能が危険を察知した。やばい。閉じ込められた。
「……く、黒木サン?なんで鍵をかける必要があるんだ……」
黒木は少し頬を緩ませて言い放つ。
「あなたを逃がさないためよ」
その目は笑っていなかった。たすけてお母さん。
「ははは」
乾ききった笑い声が俺の喉から漏れ出た。扉が閉まったせいで風が入らなくなって、更に蒸し暑さが増した。俺の背中に汗が流れたが、その原因は暑さか恐怖かどちらだろうか。いずれにせよ滝のような汗が流れている。
「なんてね冗談よ。部外者が入ってこないためよ」
「いや、冗談に聞こえないんだがそれは」
「そうだぞ~美麗。不二くん怖がってんじゃ~ん」
「暑いなぁ。クーラーつけよか」
黒木の後ろにいた面識のない女子二人が各々話し出した。
「さぁ不二くんそこに座って。話をしましょう」
「いや待ってくれ!その二人は誰なんだ?」
「あぁ、こっちの派手な見た目の方が二年の太刀川先輩」
「派手ってなんだよ!どうも~太刀川涼香です。よろ~」
「え?よろしくお願いします……」
まさにギャルという言葉が似合う人だった。話し方も制服の着こなし方も、黒木や普通の女子のものとは違っていた。うちの高校は高速で髪染めは禁止のはずだが、彼女の肩までの髪は金色に染められていた。優の髪とは違って自然な感じがないが、よく手入れされているのか、サラサラで輝きを放っていた。
「なんで髪染め……」
「え?なんか言った?」
「いや、なんでもないです」
威圧感がすごい。太刀川先輩の顔をよく見ると軽く化粧も施されているようである。おかしいな、化粧も禁止だった気がするのだが。
「そやんな~不二くん。なんで髪染めてんのか分からんよなぁ。涼香はなぜか許されてんねんで~。意味わからんやろ?」
穏やかな話し方をするもう一人の少女は、クーラーの温度を下げながらそう言った。
「そしてその変わった話し方をする方が、同じく二年の姫野真由先輩よ」
「変な話し方って嫌やなあ。京都弁やんかぁ」
姫野先輩という方は対照的に落ち着いた雰囲気である。きちんとした制服の着こなしに気品を感じる。身長は低く百五十センチほどだが、すらりとしているためスタイルが悪いようには見えない。俺が見ているのに気付いた姫野先輩は「どうしたん?」と言いたげな顔で小首を傾げた。その際にポニーテールがゆらゆらと揺れた。
「く、黒木?どういうメンバーなんだこれは?」
「とにかく座って」
黒木に肩を押されて、半ば強制的に俺は姫野先輩の横に座らされた。ぎしぎしと古い勉強椅子が不愉快な音を立てた。長時間座っていると壊れてしまうのではないだろうか。
黒木は持っていた通学鞄を床に置いて、俺の向かい側に静かに腰掛けた。彼女の席の椅子も古びて変色していたが、彼女が座っても椅子は音を立てなかった。彼女には体重がないのだろうか。そんな某戦場ヶ原的なことはないだろうけれど。
「ここにあなたを呼んだのはほかでもないわ」
黒木は真剣な面持ちで話し始めた。俺は息を呑んで彼女の言葉を待つ。
「——あなたに私たちのサークルに入ってもらいたいの」
「さ、サークル?」
「えぇ。部活ではなくてサークルよ。……どうしたの変な顔をして」
思っていたことと全く違うことを要求されたとき、人間は変な顔になってしまうらしい。
「日吉と付き合えじゃなくて?」
「日吉君と付き合う?付き合ってくれるの⁉」
「いやいや、そんな嬉しそうにするな。そういうわけではない」
「とにかくサークルに入ってほしいの。お願いできるかしら?」
「いや突然そんなこと言われても困るんだが」
「美麗ちゃん、まずはなんのサークルなんか説明した方がいいんちゃう?」
横から姫野先輩が口を挟んだ。「ね?」と言いながら可愛らしい仕草で俺を上目遣いで見た。不覚にもときめいてしまった。
「そうですね。——私たちのサークルは同人サークル『クラウドナイン』というの。主に同人誌を作る活動をしているわ」
あーサークルってそういう……。確かに黒木はBL好きだと聞いていたが、自分で同人誌も作っていたとは予想外だった。
しかしなぜ俺を勧誘するのだろうか。オタク部屋を見られたと言えども、俺は別に絵を描いたりはしたことはない。学校の美術の授業などで描く風景画や自画像なんかはそれなりに上手く描くことはできるが、二次元のキャラクターを描くなんてことはやったことはない。
「なぜ俺を勧誘するんだ?漫画研究会とかの部員を勧誘したらどうだ?」
「だめよ。あなたじゃないと」
目を見て『あなたじゃないとだめ』なんて言って恥ずかしくないのだろうか。言われた俺は恥ずかし過ぎて、頬っぺた赤くなっちゃった。中学生かよ俺は。
「なんか美麗があんたが良いって言ってんのよ。なんか学校のサークルの必要人数が四人以上らしくてさー、この教室使うにはあと一人足りないの~。だから人探してたら不二くんが良いって美麗が言い出したの」
太刀川先輩は開いた席にどかっと座って、大胆にシャツの腕を捲った。一応男子がいる前でそんな行動をとるなんて、彼女は貞操観念を失ってしまっているらしい。しかし言葉足らずな黒木と違い太刀川先輩は状況説明をしてくれるので助かった。
なるほど。俺はサークルを成立させるための人員なのか。学校の部活動に所属していない俺は、部活動のいろはについてはよく分かっていない。確か正式な部活動は九人必要だったはずだ。野球部を中心に考えられている感が否めないが、運動部であれば人数が少なくとも成立するとも聞いた。女子ハンドボール部は七人しかいないが正式な部活動である。しかし文化系の部活は九人いないと認められないらしい。だから学内に人数の少ないサークルがいくつか存在しているらしい。……文化系に対して当たりきつくないか?
しかしそれだけでは納得できない。なぜ俺でなくてはならないのだろうか。
「なぜ俺が良いんだ?」
「? 当り前じゃない。見た目が良いからよ」
「は?」
「見た目が良いから、同人誌のモデルにぴったりなのよ」
「人を勝手にデッサンモデルにするな!」
「それにあなたの友達の日吉君と師道君、揃って見た目が良いのよ。昨日なんか日吉君と師道君が朝から絡み合っていたし……うふふ」
「別にあれくらいのじゃれつきはよくあるだろ……」
「あんな美少年たちが絡み合っているのは、あまり見ないわ」
「あぁ、そう……」
俺は若干引いたが、よく考えれば美少女がキャッキャウフフするのをにやけながら見ている俺も大概であることに気が付いた。どちらかというと、世間的に見れば俺の方が危ない奴である。
「それにあなたは百合好きなんでしょう。だったら私の趣味も理解できると思うのだけど」
「いやBLはキス以上になるのが速すぎるんだよ!俺は過程を見たいんだ。プロセスをだ」
「あら?そんなBLを侮辱するようなこと言っていいのかしら?」
「な、なんだと?」
「私だけがBL好きだと思った?ねぇ太刀川先輩、姫野先輩」
まずい。この教室に二人しかいないと思い込んで口論していた。同じサークルに所属しているということは、この二人もそういうことなのだろう。俺は恐る恐る二人の方へ目線を移した。
「いや、全然」
「分からへんな~」
「好きじゃないんかい!」
思わず関西風に突っ込んでしまった。厳密にいえば京都弁と関西弁は違うのだろうか。ネイティブスピーカーじゃないから分からない。二人とも清々しいほど興味がないようで、気の抜けた顔になっている。
「なんで先輩方は分かってくれないのですか?」
「だって別に興味ないし」
「同じくやわ」
同じサークルなのにも関わらず、好きじゃないのか……。それはもうサークルではないのではないか。俺はそんな疑問を隠して、黒木に告げる。
「と、とにかく俺はBLのモデルになる気はないし、別の人を当たってもらえないか?」
「え~残念。でも不二くん、こいつロリコンやねんで。かわいい女の子好きなんやろ?気ぃ合うんちゃう?」
姫野先輩は太刀川先輩を指差しながらそう言った。指を差された太刀川先輩は顔を赤くして、頬を膨らました。普通の女子がやっていたら痛いのだが、彼女がやっても全く違和感がないというか、とても似合っていた。
「あんただってショタコンじゃん!」
「べ、別にショタコンやないわ!ただ小さい男の子が好きなだけやん!」
「(それをショタコンと言うのでは……)」
「「なんか言った⁉」」
「いや、なんでもないです」
理不尽に強く当たられたような気がするが、波を立てないように俺は平謝りした。
二人は不毛な言い争いを始めた。太刀川先輩が身を乗り出して、姫野先輩の顔に近づいた。二人の距離はほとんどなくなる。互いの心音の高まりが聞こえるほど近い。見ているこっちが恥ずかしくなりそうだ。綺麗な顔をしたふたりの唇が近づく、その度にどきりとしてしまう。
あぁ~百合はいいよなあ。
「不二くん、なぜにそんなだらしない顔で二人を見ているのかしら?」
黒木の問いかけで俺は正気を取り戻した。よく見れば二人は険しい表情で言い合いをしている。俺には幻覚が見えていたらしい。二人がキスをしようとしているのかと思った。やだ、俺ってば破廉恥。
「結局どうかしら?入ってくれないの?」
「俺より向いている奴がいるだろ?それに、こんなに部員の趣味嗜好が異なっているサークルっていうのもどうなんだ?ロックバンドなら方向性の違いで解散してるぞ」
「いや、みんな同人誌を制作するという意味では団結しているわ」
「それはもう団結していないと同人サークル名乗れないだろう」
「別にいいのよそれは。あなたも百合漫画描きなさいよ」
「なんでだよ!入らないって言っているだろうが」
「……本当に入ってくれないの?」
「……いやまぁ、特別な理由があるわけではないのだが」
落ち込んだ様子の黒木を始めてみた。いつも凛として、はきはきと話す人が萎れているは、俺がとんでもなく酷いことをしたかのような気がしてしまう。俺は彼女の俯いた顔に話しかける。
「分かったから、取り敢えず保留にしてくれないか?そんなに落ち込むな」
「本当に⁉……えぇ、もちろんいいわ」
俺は話の間が開く前に切り出す。
「——あのさ、黒木。さっきは日吉のために、言ってくれてありがとうな。本人滅茶苦茶元気になってたぞ」
「あぁ、大したことではないわよ」
「いや、大したことだよ。日吉とはそんなに関りがないだろ?」
「いいえ。私は野球部の部員のことを全員把握しているわ」
「五十人ぐらいいるのに覚えているのか?何のためだよ」
「野球部の部員でカップリングするためよ。因みにサッカー部も、バスケ部も把握しているわ」
彼女はクーラーの風で目にかかった前髪を整えながら言い放った。あれ?この人今しれっととんでもないこと言ってません?
「……日吉と誰なんだ?」
「双葉先輩ね。双葉先輩は背が低くて、可愛らしい人なの。日吉君と対照的よね。こういうのは『ヒヨフタ』と相場が決まっているわ」
「あぁそうですか」
日吉は俗に言『攻め』なのか。何故か悪寒がしてきた。
黒木は少し残念そうだ。俺がこのサークルに入ることをそれほど所望しているというのは驚きである。夏休みの前になるまで一度も話したことのないクラスメイトの女子に、ここまで好意を寄せられているとは。まぁ純粋な好意ではないのだが、多少は嬉しく思う。
「不二くん、私あなたの家に上がったとき、あなたの部屋を見てしまったの。興味本位で」
「母さんから聞いた。……なんでそんなことしたんだ?」
「出来心よ。思わず写真も撮ってしまったわ」
「おい、人の部屋を被写体にするな。恥ずかしいだろ」
「それで、あなたのアニメやゲームに対しての真摯さを目の当たりにして、私「彼は私の助手に相応しいわ」と思ったの」
「助手ってお前は探偵か何かか?」
「とにかく、同じぐらい情熱のある人だと思ったの」
情熱と形容するには値しないが、確かにアニメやゲームは好きだ。俺の部屋を間近で見たとなると、嫌でも伝わってしまったのだろう。
「そういうことか。分かった。……てっきり俺脅されると思ってたんだ」
「脅す?どういうことかしら?」
「いや、俺の部屋のことを言いふらさない代わりに、日吉とか優と付き合えとか言われると思ったんだ。勘違いだったよ。ははは」
「そんなことするわけ……はっ⁉」
黒木は突然話すのをやめた。口を半開きにしたまま、動きをやめた。そして口角が段々と吊り上がっていき、口裂け女のようになってしまった。明らかに様子がおかしい。クラスメイトが見たらびっくりするのではないだろうか。あまりにも普段の彼女の綺麗な顔と乖離している化け物みたいな顔に。
「く、黒木さん……?」
「——不二くん部屋のことをバラされたくなかったら、大人しくこのサークルに入りなさい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます