3:本当に不便な機能だ

「なぁリコ、俺も仕事、手伝わせてくれよ。人間は傷つけたら死罪か禁固刑、正体がバレたら超怒られるって決まりも、この通りしっかり覚えたしさぁ」


「だーかーらー、お前は記憶を取り戻すのが先なんだって」


「記憶を取り戻すためにも一緒に行動して色々体験させろって、なんか偉い人が言ってたじゃん」


 本当に生意気になりやがった。

 シジカと過ごして一ヶ月。最初に来た頃と違って無愛想だったり、態度が悪かったりすることはなくなったが、その代わり仔犬みたいにオレに付き纏ってくる。


「お前は見た目もいいし、最近は素直だし一緒にいるのは確かに楽しいが、こっちは一ヶ月ずっと血を吸うのを我慢してるんだよ」


 ついでに禁欲状態だ……とまでは言わなかったが。本当にたまったもんじゃない。


「俺の血、リコなら吸って良いっていってるじゃん。俺の恩人だし、飯も作って貰ってるし」


「野郎の血なんていらねえんだよ。俺は胸が大きな女の子といちゃいちゃしながら精気と血を吸いたいの!」


「ちぇー」


「いいから、ここでクレープでも食って座ってろ」


 男の血も吸えなくもないが、まあヒト以外の血で更に男の血なんて大体飲めたものではないから、こいつから血を分けて貰うというのも却下だ。

 オレは、クレープを食べているシジカから少し離れて、裏通りにあるさびれた雑居ビルを見上げる。

 白蛇を信仰する新興宗教が、先月何かを大陸から持ち込んだという情報までは掴んだが、それを追うためにはあいつらが根城にしている、この雑居ビルへ侵入する必要がある。

 真祖たちのようなヒトを魅了する魔眼や、コウモリやネズミに姿を変える魔法でも使えるのなら便利なんだろうが、今のオレが満足に使えるのは血を操る術くらいだ。服にはオレの血を染みこませているから血を操る感覚で翼に変化させて飛ぶことも出来るが……。

 無我妖精マナが満ちている場面なら、物語の吸血鬼ヴァンパイアよろしく、ここら辺一帯を凍てつかせる魔法くらい使えたんだがなぁ。今はせいぜい小さな氷の玉を作るくらいしか出来ないし、無我妖精マナが周りにない時に魔法を使うなんて、めちゃくちゃ疲れるからやりたくない。 


 雑居ビルの近くまで、仔犬のように纏わり付くシジカを連れてきてみたはいいが、こいつの顔も、オレと同じ位整っている。

 そこいらのモデルも霞むような面のいい野郎が二人連れだって雑居ビルに入っていけば悪目立ちするよなぁ。どうするかな。血の匂いみたいなものはプンプンしてるんだよな。怪しいよなぁ。

 このまま一人で潜入だけしてくるか?


「なんなんだよお前!」


 腕を組んで考え込んでいると、シジカが待っている場所あたりからガシャンという重い物が地面に叩き付けられるような音が聞こえた。

 シジカの慌てたような上擦った声が聞こえて、反射的に振り向いて走り出す。

 意識が少し遅れて視界の情報を脳に届ける。


 浮いた自販機と、鉄製のベンチ。逃げ惑う人々。自販機の向こうを凝視しているシジカ。


「……やぁっと君を見つけた。あのまま消えてくれればよかったのになんで戻ってきたの?」


 シジカと向き合っているのは、真っ白な髪をした子供だった。

 耳を隠すくらいのコケティッシュなショートカットからは性別が判断出来ない。

 子供がボールを前へ投げるようなジェスチャーをすると、それに合わせる様にして浮いていた自販機が勢いよくシジカの方へ飛んで行く。

 見たことがない魔法だ。物体を操る能力? まぁ、能力のことなんざどうでもいい。

 近くにいた人間の記憶改竄と、公共物の修繕と……ああ、なにより人為らざる者が人間に対して何かをやらかすことが一番面倒だ。

 近くに人間以外の気配はなかったはず。いつの間に接近された?

 避けるだろうと思っていたが、シジカは頭を抑えてその場に膝を付いてうずくまった。


「逃げろ」


「あ……あ、ああ……」


 クソ。会話にならない。なにかされたのか?

 声が届かないなら、仕方ない。懐いた仔犬が目の前で死んでも寝覚めが悪い。

 手首を指輪で傷つけて、流れた血をシジカの前に向かわせる。

 霧状になったオレの血は、自販機を受け止めてそうっと地面に下ろした。オレに気が付いた子供は、眉を寄せながらゆっくりとこちらへ顔を向ける。


「……なんだよお前。邪魔するな」


 色素が薄いのか、銀色に見える子供の瞳がオレの姿を捕らえた。


「なんだよってなぁ……オレはそいつの保護者だよ」


 そう言った瞬間、子供の瞳孔がギュッと小さくなる。カッと真っ白な頬を染めた子供はわずかに体を宙に浮かせるとオレの方へ猛スピードで突進してくる。

 人間に害を為す同族には、手加減をしなくていいことになっている。オレは血を剣に変えて向かってくる子供に振り抜こうとした。


「ヒナ」


 小さな声で、シジカがそう呟いた声が聞こえた。

 剣が子供の薄っぺらな胴体に食い込む。硬い手応えをきにせずに思い切り振り抜くために腰と肩に力を入れる。


「リコ! そいつ、人間だ」


「は?」


 立ち上がったシジカがそう言ったのは、どさりと、胴体を両断された子供だったものが地面に落ちた後だった。

 異能を使う……人間、だと……?


「人間を殺したら、死罪か死ぬまで閉じ込められるって……」


 駆け寄ってきたシジカが、力なく死体の前で座り込む。

 頭が真っ白で言葉が出てこない。人間だって? こいつが?

 目の前の死体から漂ってくる血は、紛れもなく純血の人間の匂いだ。

 自分が殺したのは、確かに人間だという事実がじわじわとオレの手を震わせる。


「か、隠しちゃおう。それで、逃げようよ。そうすれば……」


 座ったままのシジカがこちらを見上げた。口元は笑っているが目は潤んでいて今にも泣き出しそうだ。

 こんな子供に気を使わせるわけにはいかない。ちゃんと、やったことの責任を負うのが大人のやることだ。

 謎の能力を持ってるとはいえ、人間は人間だ。無許可で殺していい理由にはならない。

 自分にそう言い聞かせて、組合に出頭すると口を開こうとした時だった。

 確かに一刀両断にされたはずの子供の体が動いた。


「シ」


 シジカ……名前を呼ぼうとして、ゴボゴボと口から液体が漏れる。

 太陽の日が突然遮られて、嫌な予感がしたから、シジカの体を突き飛ばした。それから、体の上に重い物が落ちてきて、めちゃくちゃ痛かった。今もめちゃくちゃ痛い。久し振りにここまで大きなケガをしたが、こういうときに素直に死んで終わりにならないところは本当に不便な機能の一つだと思う。

 痛みを誤魔化したいのと現状を把握したくて頭を働かせる。シジカはどこだ? 無事か? 組合の執行にしては早すぎないか? ぐるぐる考えているうちに聴覚が戻ってきた。


「……コ! リコ!」


「……うるせえ」


「よかった……俺、俺……」


 明るくなってきた視界には涙と鼻水で顔をびちゃびちゃにしてガキみたいに泣いているシジカが写っている。


「オレは死ねない。……心配させて悪かったな」


「お兄さん、人間じゃないの? 僕と同じだね」


「……お前と同じなんかじゃねえよ」


 口の中に込み上げてきた血を地面に吐き捨てて、声がした方を見る。

 そこには、さっき一刀両断にしたはずの子供が何事もなかったように宙に浮いていた。

 服に切れ目があるから、さっき切ったのは幻の類いではないみたいだ。

 こいつはシジカを目の敵にしている。保護者として守ってやらねえと。

 一歩前に出ようとして、足がふらついた。慌てるようにしてオレの肩を支えたシジカが、また泣き出しそうな顔になる。


「血が足りないだけだ。大丈夫」


 参ったな。血を吸ってない上に今大量に失っちまった。


「こいつ、ヒナって言うんだ。すごい能力があるから、神様の子って言われてて……傷がいくらでも治るからって、人間に酷いコトされてるのに笑ってたんだ」


「酷いことなんかじゃない! みんな僕を愛していてくれたんだ! お前みたいな化け物に喰われて、それで僕は復活して完全な神様になるはずだったんだよ」


 薄ら笑いを浮かべていたヒナが、真っ赤に染めた頬を震わせながら、目をつり上げて叫ぶ。

 オレの服をギュッと掴んだシジカは、眉尻を下げてうなだれた。


「……逃げようと、したんだ」


「酷いコトされてるから逃げようなんてさ! 今まで僕が痛くても愛されてるからって笑ってたのがバカみたいじゃないか。みんなの愛をお前が否定したんだ! 神になるのを邪魔するお前なんかいらないって! せっかく外へ捨ててやったのに!」


 癇癪を起こした子供のようにヒナは叫ぶ。

 カタカタと地面が揺れて、小石が浮かび上がった。地面の揺れが大きくなり、街路樹がゆっくりと引き抜かれていく。


「また僕の家族と僕への愛をバカにするつもりだろ! 僕を騙して愛を独り占めしようとしたんだろ? でも平気だよ! 僕は家族を永遠にしたんだ! 死ねばもう竜を探そうなんて、言わないだろ?」


 木が勢いよくこちらへ向かって飛んでくる。血を失っても動きが鈍くなるだけで、オレは聖水に浸した銀製の武器で、心臓を貫かれない限り死ねない。

 攻撃は何も出来ないが、死なない体だ。シジカの肉の盾くらいにはなれるだろう。


「シジ……カ、組合に走れ。応援を……」


 狂気に満ちた笑いが聞こえる。辺り一帯の物が浮き上がっている。

 太い木がシジカに向かって飛んできたので、体を滑り込ませて自分の体で受け止める。

 クソ……カッコいい保護者ってやつになりたいはずなんだが。


「リコ、リコが……」


「オレは、死ねない……から、心配するな」


 掴まれた手に、ポタポタと熱い雫が落ちてくる。

 ビルと街路樹にサンドイッチにされながらオレは、目からポロポロと大粒の涙をこぼして泣いているであろうシジカに話しかけた。

 視界が一瞬だけ戻る。背中を向けて走り出すシジカが見えてホッとした。


「あはははは! ジニア、あんたの大切な人をぶっこわしておいてやるよぉ! 竜の血でも治しきれないようにめちゃくちゃになぁ!」


 立ち止まったシジカに「止まるな」と叫ぼうとして、頭に衝撃が走る。ああ、死ねないってのは最悪だ。

 痛みがいつまでも終わらない。まあ、昔人間から数十年され続けた拷問みたいな実験よりはマシなんだが。

 こいつの挑発なんて無視して、逃げろ。ああ、こいつの名前はジニアっていうのか。竜の血……竜人ドラゴニュートの血は純血の竜みたいに他者に力を与えねえよ馬鹿。

 思考が散漫になる。痛い。最悪だ。血さえ吸えてりゃあ変わったのか?

 やっと戻った視界には、こっちに向かって決死の表情で走ってくるシジカの姿が見えた。馬鹿野郎。


「血! 思い出したんだ。俺の血は……純血の竜の血はめちゃくちゃ強い力を他人に与えられるって」


 シジカの瞳がギラリと光を帯びた。

 竜人ドラゴニュートじゃなくて、純血の竜だと?

 まだ声が出せないのがもどかしい。

 オレを潰している巨大な瓦礫を軽々と退かしたシジカは、そのままこっちに手を伸ばす。オレの半分くらい潰れた体をシジカはぎゅうっと抱きしめた。

 あれ、オレ、別に盾にならなくてもよかったやつじゃない? と思ったけれど、そのことは横に置いておく。


「あいつら、オレの記憶をいじりやがったけど、そのお陰で父さんと母さんがくれた封印の解き方も忘れたから、それで」


「……封印ってなんだよ」


 やっと声が出せる。情報量が多すぎる。

 色々聞きたいことがあったが、反射で封印について聞き返してしまった。それよりも逃げろって言う方が先なのに。

 こいつがいくら強くても、竜だとしても、人為らざる者オレ達が人間を殺すのは御法度だ。

 

「これ!」


 白いブレスレットを見せたシジカだったが、こちらに近寄ってくるヒナの気配に気が付いて、オレに背を向けた。


「やっと役に立てる」


 シジカは、辺りに人間がいないことを確かめるように周りを見た。それから、最初に出会った時のように、頭を低くして腕を地面に付ける。

 目の前に現れた紫色の鱗に包まれた狼と鹿を合わせたような龍は、とても美しかった。

 こちらを見たヒナが、言葉にならない叫び声をあげて、辺りにある物を手当たり次第に投げつけてくる。

 もう道路の修繕とかいう問題じゃないじゃん。脳裏で始末書のことを考えながら、オレは溜息を吐いた。

 飛んできた瓦礫も、自販機も、ベンチもシジカが尾で叩き落としたお陰で、オレは体の治療に専念できる。


「始末書の十枚や二十枚、もう誤差みたいなもんだな」


 なんとか、満足に動けるようになった。

 シジカの背をそっと撫でると、鋭く尖っていた背びれが解けて、たてがみのように変化する。

 そっと竜の姿になっているシジカの首に腕を回し、硬い鱗に牙を突き立てた。あれだけ全力で殴っても傷一つ付かなかったシジカの鱗が、まるで薄氷を割るみたいにあっけなく割れる。そして、オレの口内には、温かくてシロップみたいな濃厚な甘さの液体が口の中に流れ込んできた。


「……嘘だろ」


 体に力がみなぎってくる。ほんの少ししか飲んでないのに。

 

「さっきから僕を無視するな! 絶対に殺してやるからな」


 目をつり上げて叫んだヒナが路上にあった車を持ち上げた。

 オレを載せたまま地面を蹴ったシジカは、浮き上がった車を踏み台にして更に高く跳ぶ。


「リコリス!」


 不意に、どこかから飛んできた一羽のカラスが、オレの名を呼んだ。その名前を知っているのは、一人だけだ。

 カラスはオレに耳打ちをして、そのまま高く飛び上がっていく。

 不思議そうな表情を浮かべたシジカが、こちらを見たので、安心させてやるつもりで角を撫でてから耳元に顔を近づける。


「今から、魔法を見せてやろう」


 シジカの尾が揺れる。竜になっている時は話せないらしいが、言葉よりよっぽど尾が素直なので助かるな。

 それにしても、すごい体が軽い。それに、無我妖精マナが大地に満ちていなくても、体に魔力が満ちている。

 いつぶりだろう。心が躍る。さっき飲んだシジカの血竜の血が熱を持って身体中を駆け巡っているような感覚に襲われる。

 上等な血や、酒に酔ったときに似た高揚感に満たされながら、オレは広げた両腕をヒナが待ち構えているであろう地面へ振り下ろした。


冷艶氷華アルビフロラ


 呪文を声に出す。腕から力と熱が一気に抜けていく感覚がする。

 少ししてから、地面が白く染まり、真夏にも拘わらず、頬を刺すほどの冷気が撫でていく。

 ヒナごと辺り一面は凍り付き、ツルツルとした地面に着地したシジカが驚きながら人の姿に変化して、オレの顔を見た。


「だ、大丈夫なのかよ」


「問題ない。会長命令だ」


 裸のシジカにオレのパーカーを羽織らせて、前を隠させると同時に、背後からバタバタと足音が近付いてくる。


「君が連れていた仔犬くんが純血種の竜だってわかったからやっちゃってとは言ったけど、また派手にやってくれたねえ」


 目を丸くしたシジカの肩を叩いた会長は、一緒に来た屈強な男達にヒナを担いで運ぶように指示をして、再びオレ達の方を見た。


「まあ、これだけの騒ぎを起こした責任は取って貰おうかなー。ね、リコリスくん」

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