2:変な名前

「離せよ! 触るな!」


「シジカ、大人しくしろって!」


「勝手に名前を付けんな! バカ!」


 浴室の隅で局部を両手で隠しながらこちらに背を向けて唸るシジカに強制的にシャワーをぶっかけてやる。

 ブレスレットはどうやっても外せなかった。壊そうとも思ったが、まあ体を洗うだけなら支障がないので放っておくことにする。


「つめてえ!」


「っあっつ! クソ、この家は火気厳禁だぞ」


 口から拳大の火の球をぼうっと出して来たので、慌てて腕で凪いでかき消す。

 駅から近い上に、スーパーも近隣に複数個ある。それに、新宿まで電車で15分。最高の立地にあるこの家を手放すわけにはいかない。身分を偽装して貰ったり、組合のやつらに保証人になってもらったりとそれなりに苦労して手に入れた、女を連れ込みやすい最高の拠点だ。


「野郎の全裸を、長々と見る趣味はねえんだよ」


 反省した様子もなく、べーっと舌を出している顔が綺麗なだけのクソガキの頭を軽く叩いて、目を閉じさせる。

 シャンプーを手に馴染ませてからわしわしと頭皮をマッサージするように洗う。うなじを隠すくらいまで伸ばされた烏の濡れ羽色をした髪は、一本一本が絹のように細く、柔らかい。

 髪を温かいお湯で流してやってから、体に大きな傷がないかだけ確かめて、オレは浴室の扉を開き自分だけ外に出た。


「あとは自分で洗えよ。まあ、それも出来ないならお願いしますって言えばやって……」


「さっさと出て行け! 変態!」


 本当に顔以外は可愛くないガキだ。身長がオレより少し高いのも、ちょっとムカついてきたな。

 公園でぶん殴ったこのクソガキを担いで、人目に付かないように空を飛んで組合まで行ったはいいが、このガキはここ数日の記憶以外は自分のことすらもわからないと言いやがった。

 会長は「調査とこの子の世話をよろしくね。あと、適当に名前つけてあげて。不便でしょ」とだけ告げてさっさと席を外してどこかへ出かけちまったし。

 クッソー。男がいたら女を連れ込めない。女を連れ込めないということは血も、精気も吸えないってことだ。

 最悪すぎる。


 ソファーに座って、タバコに火を付ける。電子タバコを吸血鬼ヴァンパイアが吸うってのもウケるな。数百年ほど生きているが、念話テレパスなしに離れた他者と会話が可能になり、火の無我妖精マナに念じなくても火を起こせるし、今のタバコは火すらいらなくなった。

 大した物だな……と思いながら、煙を無我妖精マナに吹きかける。こいつらも、かつてはここから見える夜景よりももっとたくさんいて、大地を人為らざる者オレ達だけが見える光で満たしていたというのに。

 今は、季節外れに羽化したホタルのようにたまにぽつりと見かけるくらいだ。昔は思うがままに使えた魔法も、今では割に合わない派手なだけのもので手品くらいにしか使えない。

 ふよふよとどこかへ漂っていく無我妖精マナをぼうっと見ながらタバコを吸っていると、浴室の扉が開く音がした。

 どうやら、大人しく服を着るくらいのことはしたらしい。

 ぶすっとした表情でこちらを見ているシジカに手招きをすると、可愛くない表情のままこちらに近付いてきた。


「……シジカ、とりあえず座ってろ。腹減ってるだろ? 何か作ってやるから、逃げるなよ」


「変な名前で呼ぶな。……腹は、減ってるけど、さ」


 警戒した様子で、こちらを睨んでいるシジカはオレと人一人分離れた場所に腰を下ろす。


「紫の鱗で、鹿みたいな角があるからシジカ。良い名前じゃねえかよ。四時花って花の名前でもある。オレとしては、別にポチでもドラ助でもいいんだが」


「……ポチは嫌だ」


「じゃあ、大人しくしとけよ、シジカ」


 渋々、といったようすでようやく納得したシジカを置いて、オレはキッチンへ向かった。

 竜人ドラゴニュートが食べられない物……まあ、アレだけ強くぶん殴って傷一つついてないんだから、きっと体も丈夫だろう。

 包丁を使うのめんどくさいな……。もやしと、あと……ウインナーがあるか。あとは……ああ、焼きそばが買い置きしてあった。

 吸血鬼ヴァンパイアだって飯は食う。伝承上で言われてるようなやつらは、いわゆる真祖というべき存在で、オレ達の上位存在みたいなもんだ。

 真祖たちと、ヒトから変異させられた吸血鬼ヴァンパイアが雑多に混じって世代を重ねるにつれて、オレみたいな川も渡れる、鏡にも映る、飯も食えれば、日光を浴びても平気な吸血鬼ヴァンパイアが増えていった。

 といっても、オレみたいに血と精気さえ定期的に取っていれば老いないし、腕がちぎれようが体が粉みじんになろうが心臓を聖水に浸した銀の武器で貫かれない限り死ねない個体もほとんど残っちゃいない。唯一知っている真祖の吸血鬼ヴァンパイアも、オレの本名を知っている人外共生組合ブルーピルの会長くらいだ。

 オレたちみたいな不老不死の存在は少数派で、ヒトよりも少し丈夫で、少し長生きするだけの、ちょっと血を飲むと気持ち良くなるって程度の吸血鬼ヴァンパイアが、今の主流になっている。


「できたぞ」


 サクッと作ったソーセージ入りの雑な焼きそばを持っていくと、露骨にシジカの橄欖石ペリドット色をした瞳がギラリと光る。

 尾が生えていたら犬みたいにブンブン左右に振り回しそうだな……と思ったところで、ガチャンガチャンと大きな音が響いたのでシジカの手元へ向けていた視線をあげた。


「お前さぁ!」



 シジカの尻あたりから伸びている尾が左右に激しく揺れ、ソファーの横に置いていた本棚と上に乗っていた小物をなぎ倒していた。

 焼きそばが盛られた皿に釘付けだったシジカが、オレの声に気が付いて視線を追いかける。


「は? へ? ……あ」


 自分の尾と散乱した小物達を見て、目を見開いたシジカは柳眉を顰めながら大きな体を縮こまらせて首を竦めた。


「ご、ごめんなさい」


 てっきり開き直ると思っていたから、素直な謝罪に驚いて言葉が出てこない。

 

「あの、俺さ、マジで自分のことなにもわからなくて、あんたも俺のことぶん殴ってきたし、裸にしてきたし、俺を捕まえた人間たちと同じだと思ってたんだ」


 裸を見ることと、こいつを捕まえに来たヤツらとどう繋がるんだよと頭を抱えたが、と言ったことに気が付いて、シジカの瞳を見た。


「狼に変身する人間とか、角が生えたやつらじゃなくて……人間か?」


「そうだよ。狼に変身するやつらもオレを捕まえに来たけど、ぶん殴ったら大人しくなった。だから、あんたたちの仲間に裸にされそうになったことはない」


 人間が人為らざる者オレ達を捕まえて、裸に?

 そういう趣味のクソ野郎か、それとも何か目的があるのか?

 想像していたよりも、面倒なことになりそうだ。


「その、マジで、ごめん。尻尾がこんな時に出るなんて思わなかったんだ……飯、記憶がなくなってからはゴミ箱を漁ったくらいしかしてなくて」


「ああ、いいって。とりあえず、喰って、そしたらあのベッドを使って寝ていいから」


 手渡した箸を器用に使いながら、シジカは焼きそばを食べ始めた。

 育ちは、海外とかではないのかもしれない。でも、確か組合に竜人ドラゴニュートの家族なんてどこにもなかった気がするが……。少なくともアジア圏から来たやつなのかもしれない。

 ああ、でも……クッソ……マジで面倒なことを押しつけてきやがったな、あの会長。

 うまそうに焼きそばを頬張るシジカを見ていたい気もしたが、とにかくさっさとこの調査とやらを終わらせないと、オレの安寧な……女で心の空虚さを埋められる日々は戻ってこない。

 

「オレはちょっと仕事でこっちの部屋にいるから、大人しくしてろよ」


 シジカをリビングへ残して、オレは書斎へ籠もることにした。

 脱走防止のために簡単な結界も室内に施してあるし、まあ平気だろう。

 しばらくしてぱたぱたと微かな足音と水音がして、それからすぐに静かになった。

 大人しく寝たらしい。


「ったくよー。血が吸いてぇ……」


 三本目のタバコを吸って口寂しさを紛らわせながら、オレは椅子の背もたれに思い切り体重を預けて、天井を仰いだ。

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