幼馴染みとの再会 ― 表

「お待たせしましたっ」


 それからしばらくして、明るい元気な声とともに給仕の娘が注文の品を両手に抱えて僕の座るテーブル席までやってきた。彼女の動きを目で追っている他の客も多い。


 僕を「ハルト君」と呼んだ、金髪の美少女給仕。言われてからよくよく思い返してみれば、彼女の美しい青色の瞳や金糸の髪は、記憶の中にあるクレアの姿と合致する。


 僕が村にいた年齢だと、だれこれが好きなんて話をすればすぐからかわれたものだけれど、同年代のみんながひそかに好意を寄せていた、村一番の美少女クレア。


 もし本当に目の前のこの子がクレアならば、実に六年ぶりの再会になる。外見もさることながら、体つきも僕の想像を超える相当な成長っぷりを見せていて、いざ言葉を交わそうとするとめちゃめちゃに緊張してきてしまう。喉がカラカラだ。


「エール酒と、ウサギの香草焼きです」


「あ、ありゃがとう」


 緊張のあまり噛んだ。最悪だ。


 木のジョッキに並々注がれた黒色のエールと、香ばしい湯気を立たせて食欲を誘うウサギ肉。そのどちらも間違いなく心を惹かれる食事だったけれど、僕の心も視線も、いまは眼前のクレアに奪われている。


 まずは何から話したらいいだろう。「結婚の約束覚えてる?」なんてのは悪手中の悪手だろう。いくらなんでも性急に過ぎるだろうし。女心に厳しいフェイが聞いたらぶん殴られるのは間違いなしだ。


「久しぶりだねクレア。信じられないほど綺麗になってたから驚いたよ」とか褒める感じで行くべきか。なんか僕のキャラと違うかな。


 僕がハルトと認識している――はずだよね――から、彼女が僕の幼馴染みであることは間違いないと思うのだけれど、彼女が予想以上に美人に成長しているものだから少し気後れしてしまっている。フェイも美人だが、彼女みたいなヤバい女との再会とは違って勝手がわからない。正直お手上げだ。


「……お客様、わたしの顔に何かついていますか?」


 そうして僕が注文した料理に目もくれず、どんな声をかけるか迷いながらチラチラと視線で伺っていることに気が付いたのだろう。クレアが少し訝しむような目と声音で尋ねてきた。


 いけない。再会した時の第一印象が最悪では困る。将来的に。


「ち、ちがうんだクレア」


 そう思って、僕は慌てて両手を顔の前で振り、自分が不審者ではないアピールをしてしまった。思わずクレアの名前を出したせいで余計に怪しくないかなこれ、と思うも後の祭り。


「おいおい、ナンパならもっと上手くやれよ兄ちゃん!」


「その子は手ごわいぞ!」


 遠くの方の席で、僕を揶揄する冒険者たちの笑い声がどっと上がった。はたから見れば、僕のことは美少女給仕に声をかけようとして失敗した青年に見えているのだろう。


「…………」


 余計な合いの手が入ったが、クレア(……だよね?)はその透き通るような青い瞳をじっと僕に向けて、無言の構えだ。


「き、君、クレア……だよね? 覚えてるかな、僕、ハルト……なんだけど。クルリラ出身の……」


 結局、無言で寄せられる視線の圧に耐えられず、僕は考えうる限り最悪の自己紹介をする羽目に陥った。


 六年ぶりに顔を合わせた幼馴染みを断定できない態度。「覚えてるかな」などと引き気味の確認。要らない出身地の紹介。フェイに聞かれてたら間違いなく落第と言われてそうな勢いだ。


 完全に失敗してしまった。まったくスマートな再会じゃない。


 案の定、拙すぎる僕の言葉運びに酒場内の冒険者たちは爆笑している。お前たち、顔覚えたからな!


「…………くすっ」


 だが、僕が自己嫌悪に苛まれつつあったその時、ずっと無言だったクレアがその相合を崩した。クレアの口から零れ出てきた小さな笑い声を聞いて、僕は驚き、酒場の客たちからはどよめきが漏れる。


「ク、クレア……?」


「ふふ、おかしい。やっと気づいてくれたんだね、ハルト君?」


 彼女に改めて「ハルト君」と呼ばれて、僕は心底安心した。圧が消えた。よかった。


「……やっぱり、クレアだったんだね」


「うん、クレアだよ。ハルト君」


 そう言ってにっこり笑った彼女に頬にできるえくぼは、子供の頃に見た笑顔と変わらない。


 僕はいま、幼馴染みのクレアと再会を果たしたのだ!


「……ダグさん、休憩もらいますね!」


「おう」


 振り返ったクレアが澄んだ声でそう叫ぶと、厨房から野太く短い声が返ってきた。大鍋を振るう筋骨隆々の彼こそが、この夕やけの林檎亭の店長なのだろう。


『休憩?』と首を傾げる僕を尻目に、クレアが僕の対面にある席に腰掛ける。


「ダグさんのお墨付きももらったし、ちょっと休憩。相席いいよね、ハルト君」


「あ、もちろんもちろん!」


 僕はぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。クレアの方から僕と話すために休憩をとってくれるなんて、とちょっと感動。


「――アイツ、クレアちゃんのなんなんだ?」


 酒場の看板娘が誰とも知らない客に笑顔を見せ、あまつさえ同席する姿を見てざわめく冒険者たち。彼らを横目に、かすかな優越感も覚える。クレアは美人だもんね。わかる。


「……ギャラリーがちょっとだけうるさいけど。久しぶりだねハルト君」


「うん、久しぶり、クレア。六年ぶりだよね」


 僕がクルリラ村を出て、道端で行き倒れていたセツナ様を拾って、はや六年。セツナ様のお世話と無茶振りで身体にできた傷は数知れないけれど、僕はこうして六年ぶりに戻ってきた故郷で、とんでもない美少女に成長した幼馴染みと再会することができた。クルリラに来てよかった。


「そうだよ、ハルト君。六年と二十二日ぶりなんだから」


「そうなんだ」


 昔から細やかなところに気がつく子ではあったけれど、細かいなクレア。


「よく僕のことがわかったね」


「わかるよ、幼馴染みだもん。……でも、最初ハルト君はわたしのことわからなかったみたいだね?」


 そう言ってジト目で僕を見るクレア。どんな表情をしてても様になる。顔がいいって得だなあ。


「クレアだったらいいなあ、とは思ってたんだよ。……ただその、とんでもなく美人になってるもんだから」


「あら、お上手」


「いや、ほんとだよ!」


 この酒場ではじめてクレアを目にしたとき、彼女が幼馴染みだったりしないかなと思ったの本当だし、えらい美人になっていたのでちょっと声がかけづらかったのも本当だ。


「村を出て、女の子の扱い方でも勉強してきたの?」


「いや、それは……違う……とも言い切れないか」


 元カノのフェイにいろいろ教えてもらったのは事実だ。歯切れが悪い回答を返すと、クレアはさっきと同様に半眼で僕を見つめていた。


「村を出たあとに、手紙くらいくれてもよかったのになー」


 クレアが唇を尖らせる。どれだけ美人に成長していたとしても、幼い頃からの友人に見せる姿は子どもっぽいようだ。六年間会いもしなかったけれど、信頼されているということなのだろう。


 正直なところ、ついこの間までクレアの存在が頭から消えてたなんてことはとても口に出せない。でもそれはセツナ様のお世話で頭がいっぱいだったからなんだ。そうなんだ。


「……それより、クルリラが発展してて驚いたよ」


「近くにダンジョンができて、冒険者が増えたからそれに応じて、ね」


「うん、フェイに聞いたよ」


「……フェイ?」


 おっと。フェイの名前を出してもクレアにはわからないか。知り合いだよ、と短く答え、僕とクレアは会話を続けた。


 ――それから、三十分ほど。


「えー。ひどいね、その人」


「うん、ひどいというかヤバかったなあ」


 なんだかんだ鉄板になりつつある、セツナ様がヤバい女だった思い出話に花を咲かせていた僕は、どこらへんでクレアとの約束の話を切り出そうかタイミングを見計らっていた。


 クレアとの会話は結構盛り上がっているし、彼女から僕に対する印象は話している感じ決して悪くないと思う。むしろ良さげだ。今すぐに結婚とまではいかなくていいので、幼い頃の約束をきっかけにして、二人の関係をちょっと進める鍵になって欲しいところだ。


「ハルト君、村の外でいろいろ経験したんだね」


「良きにしろ、悪きにしろ、ね」


「そっかあ……」


(……よし、そろそろここで)


 ひとしきりセツナ様の話題を出し、会話に若干の間ができたこのタイミング。話題の切り替わりにはちょうどいいここで、僕は勝負を決しに――、


「――あ、いけない」


「えぁ?」


 と、そこでクレアに機先を制される形になる。


 何か大事なものを忘れていた、とばかりに急に立ち上がったクレアに視線をやると、クレアは両手を合わせて目線で僕に謝ってきた。


「ごめんねハルト君! まだまだ全然話足りないんだけど、わたし、家に帰らなくちゃ」


「おっと……」


 ついさっき、僕も同じような言動をフェイに対しても取ったなあ、と若干他人事のように思う。他人に対してとった言動が自分にも帰ってきたということか。仕方がない。そういうこともある。


(まだだ……まだ焦らなくてもいいのさ……)


 あの話を切り出せないのは残念だが、なあに。チャンスはまだあるよね。


 そう思い心中で余裕ぶっていた僕は、次に続いたクレアの言葉に衝撃を受けた。


「ライナスにご飯作らないといけなかったの」


「ら、ライナス……?」


 男の名前だ。


 そうだ。そこまで意識が回っていなかったけれど、想像して然るべきだった可能性を僕は見落としていた。いや、あるいはあえて目を逸らしていたか。


 クレアが僕を覚えていて、しかも親しげに話してくれるというその事実にだけ目を向けて、僕は勇み足を踏んでいたのではないか。


 そもそもなのだが、クレアはとんでもない美人になった。村一番どころか王国一番すら目指せるレベルの美少女だ。しかも彼女目当てに酒場を訪れる冒険者がいそうなくらいに、店内の耳目を集める少女である。


 さて。そんな美貌を持つ女性が他の男に放っておかれることがあるだろうか。答えは否だ。僕がこの六年の間にフェイと恋人関係になったのと同様、クレアが恋人を作っていない道理はないではないか。


 僕は完全に、その可能性を意識の外に置いていた。


「さ、参考までに聞きたいんだけどクレア。ライナスというのは……」


 震える声で尋ねる。頼む、予想よ外れてくれ。さもなくば僕がクルリラに戻ってきた意味がなくなってしまう。だが、クレアの言葉はシンプルかつ無慈悲だった。


「え、わたしのパートナーだけど……」


「ぐおっ……」


 僕は死んだ。

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