夕やけの林檎亭

 フェイとの語らいもそこそこに、僕は夜のクルリラを走る。


 クレアはちょっとオドオドとしていて、僕と一緒に遊ぶときは僕の背中について回るタイプの娘だった。金を溶かし込んだように美しい金の髪を肩口近くまで伸ばしていて、日の光を浴びるとキラキラ煌めくのだ。そこまではわかるのだけれど、逆に言うとクレアのことはそこまでしかわからない。顔もそこまで詳しくは覚えていない。


 僕の記憶にあるのは、六年前の恥ずかしがり屋だが村中で一番可愛い少女だった時代のクレアだけだ。しかも、彼女とこの村で過ごした時代の思い出は時を経てヤバい女どもとの思い出に塗りつぶされつつある。まあ、フェイとの思い出は悪いものではないけれど、セツナ様の思い出はなんとも、だ。


 大きく様変わりしてしまったクルリラの村でクレアを探すにはやはり情報が足りない。走り出しこそ快調だったものの、軽快に地を蹴っていた僕の脚は、やがてとぼとぼと鈍い動きへ変わっていった。

 

「行き当たりばったり過ぎたな」


 自分の浅はかさを呪ったところで、僕のお腹はぐぅ、とひと鳴きした。


「……そういえば夕飯を食べていないや」


 お腹を押さえて、僕はあたりを見渡した。


 僕の推測は案外的を射ていたようで、フェイが言うにはクルリラの村近傍にダンジョンが発生したため、村は冒険者たちの拠点として急速に発展を遂げたらしい。


 とくれば、村の中には冒険者たちの日々の潤いである酒と食事を提供する酒場がいくつか存在するはずだ。まずはそこで腹ごしらえをしよう。何なら酒場にいる人たちにクレアについて尋ねてみたっていい。


 僕は石畳で舗装された村のメインストリートへ出て、良さげな店を探した。しばらく数軒をひやかしたのち、僕の目はクルリラ特産のリンゴをかたどった看板を掲げる酒場を捉える。


「夕やけの林檎亭……」


 看板に書かれた店名を読み上げた。僕が村にいた時代には存在しなかった店だ。店からは煌々とした明かりが漏れ出ていて、その奥から冒険者たちの賑やかな笑い声も溢れ出ていた。雰囲気は明るい。ここにしようか。


 立ち入った夕やけの林檎亭は、そこそこ広い店内に丸テーブルとカウンター席を置いたシンプルなつくりの酒場だった。カウンターの奥に厨房があって、筋骨隆々のおっさん(たぶん元冒険者)が豪快に鍋を振るっている。店の中には二十人ほどの客がいて、騒々しく冒険者仲間同士でカードや飲み比べに興じていた。


 よくある冒険者御用達の酒場だ。朝早くから死の危険と隣り合わせのダンジョンに潜り、昼間中を探索と戦闘に費やし、夜はその日を無事に終えられることを天に感謝しながら命の水を飲む。これが冒険者の一日。親が子供につかせたくない職第一位と揶揄されるだけのことはある。


 どうやらこの店に給仕の娘は一人しかいないらしく、彼女は冒険者たちの間を上手にするりするりと抜けては、注文された酒や食事を一生懸命に配膳していた。入口に対して背を向けているからか、そこに立つ僕に気付いてはいないようだ。


「勝手に座らせてもらおうか……」


 給仕に案内されずとも、自分で空いてる席に座るくらいわけはない。忙しそうにしている子をいじめる趣味もないので、僕は適当に空席を見つけてそこに座った。


 店内の端っこの席に座って、慌ただしく仕事をこなす給仕の娘をぼんやり視界の端に捉える。彼女がこちらの近くにやってきたら酒と食事を頼もう。


 給仕の娘は、服の露出度こそ控えめながら、胸が大きかった。お尻もなかなかの大きさで、色気たっぷりの体つき。セツナ様とは違う、しっかり発育した体をお持ちの様子だ。店にいる冒険者もあの娘に対して僕と似たり寄ったりの感想を抱いているようで、下心の混じる視線を大きな胸か尻に投げてはその鼻を伸ばしていた。まあ、見る気持ちはわかるよ。だって大きいもん。大きいのはいいことだ。小はいくら行っても小だが、大は小を兼ねるのだ。


「そういえばあの子……金髪なのか」


 給仕の娘の頭、バンダナで束ねた下に見える髪の色は金だった。王国の民にはさして珍しくもない髪色だが、僕が知るクレアも美しい金髪の持ち主だ。ひょっとして、なんて期待しないわけでもないけれど。


 あの引っ込み思案のクレアが、冒険者のようなあらゆる欲の塊みたいな存在が多数たむろする酒場で給仕をする姿はとても結びつかない。クレアみたいな大人しい子は、王立図書館とかで司書をしている方がよほど似合いだ。


 はてさて。クレアはどこにいるのだろう。


「……あっ。お客様、ご注文まだですよね?」


「え?」


 クレアの所在について考え込み始めた僕を現実に引き戻したのは、喧噪の中にあってもしんと響く、鈴の音を転がしたような声だった。


 声の主を探して視線をさまよわせると、僕の傍らに給仕の娘が立っている。どうやら僕の注文を取りにやって来てくれたらしい。仕事ができる娘だ。


「お客様?」


「……あ、うん。エール酒と、適当に腹が膨れる食事を」


 給仕の娘に促され、僕は酒と食事を注文する。近くで見ると、彼女はかなりの美少女だった。


 鼻筋が通った顔立ちで、大きく丸い瞳は透き通るような青色。桜色の唇はぷっくりと瑞々しく、触れてみたくなるくらい。その魅力的な肢体と合わせて、村中の冒険者から絶大な人気を誇っているだろうなと思わせる。


 王都でだってそうそうお目にかかれない美少女だ。思わず見惚れてしまうと、給仕の女の子は一瞬だけ瞳を見開いたのち困ったように笑った。


「……あまり見つめられたら照れてしまいます、お客様」


「ごめんなさい」


 フェイと再会してからこっち、セツナ様と共にいた時代には薄れていた性欲が少しずつ復活している気配がある。よくない兆候だ。慌てて謝ると、給仕の娘は「お気になさらず」とさらりと流してくれた。慣れているのかもしれない。


「適当にお腹が膨れるお食事でしたら、子ウサギの香草焼きをお持ちしますね」


「……うん、よろしく頼むよ」


 僕は冒険者ではないけれど、冒険者が送るような下卑た視線を給仕の娘に投げつけてしまったのは、少々居心地の悪いものだった。体を縮こませるように座りなおして、僕は目線をテーブルの上に固定する。これで彼女に無遠慮な視線を送ることもないだろう。


「それではお料理お持ちするまで、少々お待ちくださいね。……ハルト君」


「……え!?」


 耳に届いた優しい声音。思わず頭を跳ね上げると、すでに給仕の娘は軽やかな身のこなしで客の波をかき分けて厨房へと向かっていた。その背中を目で追いながら、僕は自問する。


 いま、あの娘は僕を「ハルト君」と呼んだか? 呼んだよね? 僕をハルト君と呼ぶのは僕が知る限りひとりしかいないわけで。じゃあまさか、あの娘がクレアなの……?


「すごい成長してるじゃないか……」


 それはもう、いろいろな意味で。


 注文したエール酒と子ウサギの香草焼きが手元に運ばれてくるのを、僕は非常に悶々とした気持ちで待つことになった。

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