再会を祝す

 クルリラ村の僕の実家。夕暮れ時が近づいて、窓から西日が差しこむ頃。朱の光を浴びながらこちらに剣を向けるフェイとにらみ合う時間が続く。


 フェイが剣を握る手には力が入っていなくて、ゆるく柄を握られているだけなのがわかった。だけどこちらに向けられた銀の切っ先は、ゆらゆらと揺れながらも僕から逸れる雰囲気ではない。


 何度かフェイと剣を打ち合ったことがあるけれど、彼女の剣捌きを一言で表すと『柔の剣』といったところか。神速で圧倒するセツナ様の『迅の剣』とは違う、のらりくらりと立ち回っては、気づいた頃には敵を地につけている千変万化の剣。もし彼女と剣を交えても、後手に回っている時点で僕は軽くいなされてしまうだろう。


「……なんで急に斬りかかってきたんだ、フェイ」


「うら若き女性のひとり暮らしに帯剣した男が押し入ってるんだから。普通自衛するわよね?」


 ぐうの音も出ない。確かに僕は帯剣している。


「いや、でも、どうして君がここにいるんだ、フェイ」


「ハル。同じ質問を繰り返す男は嫌われるって、あたし教えなかったっけ?」


 くすり、と小さく笑みを落とすフェイ。細められたその涼しげな目元は、記憶とまったくたがわない。その表情も、口ぶりも、僕がかつて溺れたフェイのままだ。二年近くの時を経ても、不良騎士フェイ・シンクレアは変わっていないらしい。


「……そうだね、そうだった」


 フェイが変わっていないことが、僕はちょっとだけ嬉しかった。


「えーっと、フェイ。君はここの家主で、ここは君の家なんだよね?」


 とはいえ、恋人関係が解消されたいま、僕とフェイはただの他人。元恋人同士という関係性を持つただの男女にすぎない。余計な感傷は置いておいて、話を本題に戻そう。


「……ここは僕の生家のはずなんだけれども」


「前の住人は長らく帰っていないし、帰ってくる様子もないから、好きに使ってくれって村長に言われたの」


 王国騎士の制式剣をくるくると掌で弄びながら、フェイ。


 僕は記憶の中にいるクルリラ村の村長に胸中で大いに抗議した。僕たちは一緒にクルリラを開拓したご先祖様を持つ家々だったのに。その跡取りがちょっと村から出ていっただけで、貴族の屋敷に押し入り盗賊行為を働く女に家を明け渡してしまうなんて!


「というわけで、いま、この家の主はあたしなのよ。客観的に見て、アンタは不法侵入者」


「いやあ、でも僕にはこの家で暮らした確かな記憶があるんだけれどね。つまり僕は先住者であってだねフェイ」


「家の権利書は私の手元にあるけど?」


 言って、腰元から丸められた羊皮紙を取り出したフェイが流し目で僕を見る。ふむ、なるほどね、そう来たか。家の権利書は……持ち出してなかったからなあ……。


「そして私は法を犯した国民の逮捕権を持つわね?」


「……すいませんでした。まだここが自分の家だと思ってつい入ってしまいました」


 フェイの言うとおり、今の僕は王国の法律上ただの不法侵入者だ。盗みを働いておいてどの口が逮捕権とかほざいてるんだこの女、と口に出したい気持ちはあったけれど、わざわざ自分から不利な立場にまい進する必要もない。ここは自分の過ちを素直に認めよう。認識が甘かった。


「わかればいいのよ、不法侵入者のハルト君」


 僕の謝罪を受けて微笑んだフェイが、ようやく剣を下ろしてくれた。不法侵入者呼ばわりは傷つくのでやめてほしいんですけど。


「ま、元恋人を客人としてもてなすことに否やはないわ。……ハル、久しぶりね」


「ああ、久しぶり。フェイ」


 フェイが僕に近づいてくる。フェイの端正な顔立ちと長い睫毛が視界に映って、思わず硬直してしまった。心なしか穏やかな口ぶりのフェイとの距離はほぼゼロで、二年ぶりの口づけを交わす流れなのでは、なんてちょっと胸の内に邪な期待がもたげる。


「表情が露骨よ、ハル」


「えっ」


「……そちらへどうぞ?」


 さっと身を翻したフェイに促され、僕は恥ずかしい思いを感じつつティーテーブルの前に腰かけた。この家で暮らしていた頃の記憶にはない家具だから、これはフェイが自分で置いたものなのだろう。フェイがこの家で暮らしているというのは、間違いないらしかった。


「……水しかないわね。いいかしら?」


「何でも構わないよ。ありがとう」


 僕に背を向けながら、ガラス製のケトルから木製のコップに水を注ぐフェイ。やがて水を注ぎ終えた彼女が、コップを両手に持って僕の対面に座った。


 改めてフェイと向かい合う形になる。僕は懐かしき元カノの顔をまじまじと見つめた。僕より少し年上の、風のような女性。


 正直、生まれ故郷に戻ってきてフェイと再会するなんてことはこれっぽっちも想像していなかったから、今になってなんだかすごく不思議な気分に陥る。運命だったりして。


「まさか本当に、ハルとまた逢えるなんてね。運命かしら」


「あ、それ。僕もちょうど思ってたよ」


「気が合うわね」


 そりゃあ、恋人だったしねと呟いて、僕はコップを掲げた。僕の意図するところを汲んでくれたフェイも、同様にコップを掲げる。


「僕たちの再会に」


「乾杯」


 コツン、と木と木がぶつかる音を鳴らし、僕とフェイは久々の再会を祝した。飲み交わすのが酒ではなかったのが残念だったけれど、飲むものなんて関係ないくらい、僕たちの会話は大いに盛り上がった。



 ――貴族の屋敷に忍び込んだ後のフェイの足取り。



「あの後もなんだかんだ王都で表の仕事はしてたのよね。急に消えたら自分が犯人ですって言ってるようなものじゃない? あはは、王都にいると思わなかった? 寂しかったの? 可愛いわね、ハル」



 ――フェイと別れたあとの僕の生活。



「セツナ様の小間使いとしての生活に戻ったよ。あの人、そんな必要もないのに僕をひたすら戦場に連れまわすんだよ。囮にするわ露払いに使うわ、ヤバいよ本当。……いや、笑い事じゃないんだよフェイ」



 ――フェイがクルリラ村を住処に選んだわけ。


 

「知ってる? ここって近辺にダンジョンが発生したから急速に発展して、冒険者やら兵士やらでとにかく人の出入りが激しいの。だから騎士が必要なんだけど、王都から離れてるから人気がなくて。あたしが異動希望したらみんな喜んでたわ」



 ――僕がセツナ様のもとを離れた理由。



「まあ、なんていうか魔が差したって感じなんだけど……だから笑い事じゃないって。なんか切れたんだよね、糸が」



 別れていた二年間の空白を埋め、パズルの答え合わせをするように。僕たちは恋仲にあった頃と同じように話し続けた。


「……それで、≪剣聖≫殿のもとを離れてどうして故郷に帰ってきたの? もしかしてホームシック?」


「郷愁を覚えるべき家はもう他人の手の内だけどね」


 それもそうね、と笑ってみせる僕の元カノ。じいさん、ごめん。大事な家は僕の手を離れてしまったよ。


「≪剣聖≫殿からも逃げおおせて、故郷に戻ってきたいま、ハルは特に目的もない状態なんだ?」


「いや……、あっ!」


 まるで僕が人生に目標を抱えていないかのようなフェイの言葉を受け、僕ははっとした。


 フェイと再会したことですっかり頭から抜け落ちてしまっていたけれど、クルリラに戻ってきた理由は生家のほかにもある。というか、もともとは違う目的でここに来たんじゃないか。


「……そうだった! 僕はクレアに会うために戻ってきたんだった!」


「クレア……?」


「そう、フェイと話すのはすごく楽しいんだけどすっかり目的を見失ってたよ! ありがとう!」


「すごい複雑な気分にさせる物言いをするわね……」


 フェイが細く薄い整った眉を顰めたが、僕はそんなフェイの様子より、まだ見ぬ幼馴染みのクレアの方に意識を割かれていた。フェイもいい女だけど、クルリラでまっとうに成長したクレアは果たしてどれだけの美少女になっているのか。


「ごめんフェイ、ちょっと僕は幼馴染みの顔を見に行くよ!」


「あらそう。元カノより幼馴染みの方がお大事?」


「君は何を言ってるんだ……?」


 なんだか、らしくない台詞を零すフェイ。ちょっとその変調が頭の片隅に引っかかったけれど、それよりも僕の思考を支配するのはクレアだった。


 慌ただしくフェイに別れを告げて、僕は月が道を照らし始めたクルリラの村を走る。さて、クレアはどこだろう。僕の幸せ家族計画が待っている。

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