逃げ出した小間使い ― 裏

 王城に呼び出されるのは嫌いだ。たいていの場合、王様や貴族の連中が私に縁談の話を持ちかけてくるだけだから。


 剣聖殿の血を後世に残さぬなど、こんなに勿体ないことがありましょうか。なんて言うのが、あいつらの決まった口上。


 でも、あいつらにとって大事なのは私の血ではない。あいつらが欲しいのは私を縛り付けておくための鎖だ。家族というものは、えてしてその者の行動を縛る楔になるから。


 首輪もつけられていない猛獣が王都のすぐそばに住んでいることが、よほど怖いのだと見える。


 だけど、私を飼いならしたいというのなら、良家のぼっちゃん方を薦めてくるのは愚策だ。そもそも私は東国の生まれだから、家格とかそういうものには興味がない。


 それになにより、心に決めた人がいるから。


「…………」


 東国で拵えられた得物――太刀を腰に佩き、私は早足で街道を進む。今日は王城に三時間も拘束されてしまった。


 急いで家に帰って、そしてハルトのご飯を食べたい。


「…………ん」


 ハルトは六年くらい前に出会った、≪剣聖≫セツナ唯一のだ。


 恥ずかしながら、私は生活力が皆無の剣を振るうことしか能がないたちの人間なのだけれど、怪我の功名というか、それが縁で私は彼と出会うことが出来た。


 自分もお腹を空かせていたのにも関わらず、空腹で倒れそうだった私になけなしの食事を恵んでくれたハルト。かつてあどけない少年だった彼は、いまや様々な修羅場を超えて頼りがいのある精悍な青年に成長している。


 料理、洗濯、掃除、なんでもしてくれるハルトは、私の自慢だ。


 ハルトに比べれば、王侯貴族の提示してくる男どもなんて、野良犬かそれにも劣る程度の木っ端でしかない。もしも私が後世に己の血を残すのなら、その相手にはハルトしかいないと思っている。いや、ハルト以外はいやだ。むしろハルトと子を成したい。


 王様が「ハルトをセツナ殿の婿にしよう」とか言ってくれたら喜んで頭を垂れて臣下になるのだけれど。現実はそう甘くない。そもそもハルトは王国の貴族連中に認知されていないし。


「…………」


 今日は王城に行ったせいでストレスが溜まってしまったから、明日はハルトの修行も兼ねてダンジョンに潜ろうか。セツナ流と併せたハルトの我流剣術をじっくり観察するのが私のひそかな楽しみなのだ。


「…………ふふ」


 ダンジョンに行こうと言ったらハルトはどんな顔をするだろう。ちょっと困った顔をするかな。デートだと思ってくれたりしないだろうか。


 男女ふたりきりで過ごしているくせに、ハルトはまったくもって私に手を出してくる気配がないから、もしかしたら私は女として見られていないのかもしれない。


「…………ぅぅ」


 私の胸は薄い。平らだ。加えて背丈はそこらの童と同じくらいで、肉体的な魅力に乏しいことは自覚している。もしもハルトが巨乳派だったとしたら、私に欲情しないのも道理だろう。


 でも私にはハルトとふたり暮らしというアドバンテージがある。わたしのお世話をしてくれて、剣の腕もめきめき上達しているハルト。いつか彼のたくましくなった腕に抱かれてしまう日を夢見ながら、私は浮ついた気分で家路を歩いた。




 だと、いうのに。


 家についた私は、先ほどまでの浮ついた気分が完全に消沈するほどの衝撃に見舞われてしまっていた。


 ハルトがいないのだ。


 ハルトの息遣いがない。


 ハルトの私物がない。


 ハルトの痕跡が家にない。


「…………っ」


 おかしい。こんなことがあるわけがない。ハルトはいつだって私の傍にいてくれる優しい男の子で、今朝だって王城に向かった私を少し陰のある笑顔で送り出してくれた。私が家を出てしまうのが寂しくてそんな顔をしていたはずなのに、だから私はできるだけ急いで家に帰って来たのに。家にハルトがいない。なんで。おかしい。どうして。いつも帰ってきたらおかえりなさいセツナ様って迎えてくれるはずなのにどうして今日はいないのハルト。なんで。なんでなんでなんでなんでなんで。


「…………ハルト」


 半狂乱になりながら、私は狭い家の中を駆けまわった。ハルトは確かに今朝まではこの家にいたはずなのだ。私を置いて勝手にどこかに消えてしまうような子じゃない。もしかして森の獣でも獲りに行ったのだろうか。でもそのわりに道具は置いたままだ。もしかして盗賊が襲ってきたとか。いいや違う家の中は荒らされていないし周囲に血痕もない。並みの盗賊ならハルトが一太刀で斬り伏せるはず。じゃあどこにいるのハルト。おかしいよハルト。なんで私が帰って来たのにここにいないの。


「…………ハルトっ」


 涙がにじみ、視界がぼやける。悲しくて辛い気持ちが胸の奥から噴き出してきて、私は嗚咽を漏らしてしまった。六年間もずっと一緒に暮らしてきたのに。どうして家にいないの。もしかして本当に、ハルトは私を置いて家を出て行ってしまったの。


「…………ぁ」


 家の中を這い回っていた私は、机の上に丁寧に置かれた手紙を見つけた。筆跡はハルトのものだ。私がいま一番会いたい人の手掛かりになる。宝物を扱うように優しい手つきで手紙を持って、私はハルトの書置きを読んだ。


「…………ッ!」


 その内容は、私に二度目の衝撃をもたらすのに十分な内容で。私はその手紙を読んだ直後のことを、覚えていない。




「…………うぁ」


 ただ気が付いた時には、家の中にはひたすらに斬りまわったであろう剣戟の跡が見るも無残な形で残されていて。同時に、ハルトはもうこの家に戻ってこないのだという確信が胸にあった。


 ――だから、私がハルトを探しに行かなくちゃ。


 どれだけかかってもいい。何年たってもいい。ハルトを見つける。ハルトを見つけて、ハルトにつらい思いをさせていたことを謝ろう。心を入れ替えて、今度は私がハルトのお世話をしてあげよう。


 足の腱を切って、もうハルトがどこへも行けないようにしてあげる。私にはハルトが必要で、ハルトには私が必要なんだ。


「…………ふふ」


 辛い思いは、消えていた。待っててね、ハルト。

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