元剣聖の小間使い、故郷に戻りヤバい女と邂逅す
国丸一色
逃げ出した小間使い ― 表
「逃げよう」
魔が差した、と言えばいいのだろうか。どうしてそうしようと思いついたのか定かではなかったけれど、小屋の掃除をしている最中、僕はふと、今すぐこの場から逃げ出そうと思った。
僕が≪剣聖≫セツナ様の小間使いになってから、だいたい六年ほどの時が流れている。この六年で僕は様々な学びを得たけれど、セツナ様は正直ヤバい。あれはヤバい女だ。
背は低くて童と変わらないくらいに見えるセツナ様は、極端に無口で、茫洋としていて、生活能力がない。王国民に褒め称えられるその剣の腕がなければ、何の生産性もないダメ人間に近しい存在だ。
そしてそのダメ人間のセツナ様は、たぶん人の心がない。なんてったって、ただの小間使いである僕を戦場に連れて行っては、囮にしたり剣を振るわせたりするのだ。僕を殺す気としか思えない。
「セツナ様は王城に呼ばれてるから当分帰ってこないはずだよね」
このまま彼女のもとで小間使いを続けていても、たぶんこれ以上僕が何かを得られることはない。拾ってもらった恩――もなくはないけど、僕が小間使いになったのは道端で空腹のあまり倒れかけていたセツナ様に食事を恵んだことがきっかけだから、むしろ僕が彼女を拾ったようなものだ。
そう考えるとセツナ様、拾ってもらった恩を返してくれるどころかひたすら僕を死地に飛び込ませてるひどい女だ。やっぱりヤバい女じゃないか。逃げよう。
「セツナ様へ。いままでお世話になりました。盗賊の野営を襲撃する際、セツナ様に囮にされて五人の敵に斬りかかられたこと、今となってはいい思い出です」
セツナ様に向けた別れの手紙をしたためながら、僕は彼女の凶行を思い返していた。あの女、盗賊を襲撃する際にあろうことか僕を囮にしたのだ。しかもその時彼女が何をしていたかと言えば、草むらに隠れてじっとこちらを見ている始末。
その時はなんとか五人を斬り伏せて事なきを得たけれど、僕を囮にするならその機を活かして頭の首でも獲りに行ってほしかった。
「ダンジョンに潜った際、延々ヌシと一騎打ちを繰り広げるセツナ様のために露払いを続けたのもいい思い出です。そもそもセツナ様とヌシの間には露払いなんていらないくらい実力差があったと思うのですが、どうなんでしょうか」
これは二人でダンジョンに潜った時のこと。ダンジョンの奥に待ち構える巨大な魔物――ヌシと呼ばれる――とセツナ様が斬り結んでいる間、僕は彼女の一騎打ちの邪魔にならないよう、周囲に湧き出てきた魔物たちをただがむしゃらに斬り続けて露払いを務めた。
四時間近く魔物を斬ったらだいたい魔物も湧かなくなったのだけれど、そしたらあの女、たったの一撃でヌシを斬り捨てたのだ。いままで打ち合ってたのは何だったのと聞きたいくらいに鮮やかな一撃だった。僕の露払い、必要でしたか?
「うーん、セツナ様に言いたいこといっぱい出てくるなこれ……」
小間使いは身の回りをお世話する存在であって、鉄火場に連れて行くような存在じゃないと思うんですよセツナ様。おかげで何度死ぬ思いをしたことやら。
そりゃあ当然、彼女のもとにいて悪いことばかりではなかったけど。料理を作ってあげたら、いつもの無表情な顔がちょっとだけ嬉しそうになったりとか、そういう小さい幸せは確かにあった。
「……大変だったけど、飽きはしない生活でした。ありがとうございました」
セツナ様への手紙をそう結んで、僕は自分の荷物をまとめる作業に移った。
王国最強の戦士である≪剣聖≫は、その名声とは裏腹に華美で豪奢な生活を嫌っている。王都のはずれにある森の中に建てられたこじんまりとした小屋で、僕とセツナ様はふたり暮らしをしていた。
小さな小屋だから、置いてある荷物もそんなに多くない。僕は適当にパパっと自分の荷物をまとめて、ひと息つく。
「ふぅ……。前々から逃げることは頭をよぎってはいたけど、なんだかんだで実行に移そうと思うとやれるものだね」
体にいろんな傷がつく前に逃げればよかった。
思えば僕は、両親を亡くして生まれ故郷の村を出た直後くらいからずっとセツナ様と一緒にいる。
自分の青春時代の大半を≪剣聖≫の小間使いとして過ごし、ダメ人間の生活を助けては時として囮にされる生活。失った青春時代を取り戻すには少し遅いかもしれないけれど、まだ諦めるには早い。
「……ここを出たら、どこへ行こうか」
もう家族もいないし、行く当ては特になかった。
「家族……。いやそうか、家族か……」
自分の呟きを耳に入れながら、僕はふと考える。自分の家族になってくれる人――つまり奥さんを見つける旅というのも悪くないかもしれない。
旅の中で素敵な女性と出会って、彼女と理想の家庭を作る。まだ見ぬ伴侶の顔を想像し――、
『…………ハルト』
――セツナ様の顔が浮かんできたので、僕は慌てて頭を振って彼女を追い出した。違う、違うんだよ。まあセツナ様も見てくれはいいけど、伴侶にするならああいうヤバい女じゃなくてもっと可愛くて素直な――、
『ハル、アンタ騎士にならない?』
――続いて浮かんできた別の女性の顔。元カノのフェイだった。セツナ様ほどじゃないにせよあれも大概ヤバい女だったからダメ。もっとこうさあ、素直で可愛げがあって無邪気な感じの――、
『ハルト君、あのね、お、大きくなったら……わたしをお嫁さんにしてくれる?』
――あ。
村はずれの廃屋。僕たちふたりだけの秘密基地。頬を熟れたリンゴのように真っ赤に染めた小さな女の子が絞り出したセリフ。引っ込み思案で恥ずかしがりやな幼馴染みが、勇気をもって口に出してくれたであろうその言葉。
「クレア……そうだクレアだ」
脳裏によみがえる、幼い頃のクレアの姿。どうして今の今まで忘れてしまっていたのだろう。
なんて、自問するまでもない。セツナ様のお世話と無茶ぶりを背負っていると、日々を無事に暮らすのにも精いっぱいだったからだ。
クレア……小さい頃、村で一番僕と仲が良くて、村で一番可愛かった女の子。大きくなっているだろうか。どんな美人に成長しているのだろう。
彼女の決意を込めた言葉に返答することなく、僕はそのあとすぐに村を出てしまったけれど……あの約束はまだ有効だろうか。もしも有効だったら、それは、どれだけ幸せな――。
「――こうしちゃいられない。僕は故郷に帰るぞ!」
立ち上がり、僕は叫ぶ。
故郷に戻ろう! セツナ様の小間使いはもうやめて、幸せな家庭を作るんだ!
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