一 ノーシュタルトの花嫁①
母は、
その言葉は、幼いエレナにとっては
大丈夫、大丈夫よ。
繰り返されるその言葉だけが、エレナを
泣き続けるエレナを
──大丈夫、あなたは「無能」などではないわ。
力こそすべてのノーシュタルト一族の中で、「無能」と
* * *
早朝。
エレナはまだ
秋も深まってきて、そろそろ山が色づきはじめるだろう。もうじき吐く息が白く
(……冬になる前に嫁ぎ先へ向かうことになったのは、喜ぶべきことなのかしら……?)
昨日、父であるノーシュタルト一族の長ダニエルから嫁ぎ先が決まったと教えられたこともあり、エレナは急いで旅
出発は三日後らしい。ずいぶん急だが、ダニエルの命令は絶対だ。
(持っていくものはすべて準備してあるって言っていたけど……)
エレナはノーシュタルト一族の長の娘でありながら、ノーシュタルトの地で暮らすみんなから「無能」と蔑まれていて、一族のものとして扱われていない。そのためエレナが住んでいるのは、ダニエルの
だから、その厳しい冬を
エレナは
無能だと蔑まれるエレナへ食事が与えられることはないので、自分で食べるものを確保しなければならないのだ。
ノーシュタルト一族にとって「無能」とはすなわち、生きている価値のないもののことをいうのである。
ノーシュタルト一族はこの西の果てにある半島で、数百年も前から、彼らの持つ特異な力──異能の力を守り続けてきた。
異能とは世界でノーシュタルト一族だけが持つ
異能の力こそ絶対とするノーシュタルト一族は、異能を持たない「無能」者にひどく
実際エレナも、母がかばわなければ生まれてすぐに殺されていただろう。
エレナは生まれてすぐに無能と判ぜられて、一族の長の娘として生まれながら、長の娘として扱われなかった。
それでも母が生きていたころは幸せだったと思う。住む場所も長の邸の母の部屋だったし、母はエレナを
けれども六歳の時にエレナの母が
使用人には与えられる食事もエレナには与えられず、自分で食べるものを見つけなければ
「いただきます」
藁を
いつも朝から晩までこき使われるエレナだったが、
水仕事で
着ている服も使用人が着古して捨てるものが回ってくるので、つぎはぎだらけでくたびれているし、穴の開いた
(……この格好で行くのかしら? さすがに失礼なんじゃ……)
もそもそしたゆで卵を食べ終えると、エレナは沸いた湯の中に、裏庭に生えていたドクダミを
エレナが
「くっさ! 何よこの
バネッサは
一つ年下の異母妹がエレナが暮らしている小屋へやってきたのははじめてだった。
「バネッサ、どうしたの……?」
「お父様にこれを持って行けって言われたのよ。そうじゃなかったら、どうしてこんな
バネッサはそう言って、エレナに向かって乱暴に何かを
「これは……?」
「
「えっと、……どうして?」
エレナのことを蔑んでいるバネッサが、どうしてわざわざ椿油を持ってきたのだろうか。石を投げつけられることはあっても、何かをもらったことなど一度もない。父に言われたところで従うとは思えなかった。
バネッサは意地悪そうに顔をゆがめた。
「
(ロデニウム……?)
バネッサの口ぶりからすると、エレナの
(呪われた第二王子……?)
ロデニウムとは確か、北にある大国ではなかろうか。ダニエルの祖母だった人がロデニウムの元王女だったはずだ。
(わたしの嫁ぎ先はロデニウム国で、相手は呪われた第二王子……)
知らされていなかった嫁ぎ先を聞いて、エレナは
だが、エレナの
「ふふん。あんたにはお似合いよね。呪われた王子に嫁いで、あんた自身も呪われるといいわ。
せいぜい呪われた王子に気に入られるように全身に椿油をぬり込めばいいと言って、バネッサはやって来たときと同じように乱暴に扉を閉めると去って行く。
エレナはしばらく放心したようにぼんやりしていたが、やがて藁のベッドに手を
「……お母様」
つぶやいて、小箱の
「まだ、あかないの……?」
あなたが本当に困ったときにあけなさい──、死に
ただ一つだけ残った母の形見を手に、エレナは細く息を
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