一 ノーシュタルトの花嫁②
三日後。
ロデニウム国へ向けて出発するときになって、エレナは困った顔で自分の姿を見下ろしていた。
エレナは今、ぶかぶかのクリーム色のドレスを身に着けている。今にもずり落ちそうな
(……持って行くものを準備したって言ってたけど、つまるところ、バネッサのために用意していたものをそのまま回されただけだったのね)
エレナが着ているドレスは、バネッサに用意されたドレスのようだった。
身長こそバネッサとエレナはさほど変わらないが、体形は大きな違いがある。バネッサの
ぼろぼろの服で向かうのも失礼だろうが、この格好も相手に失礼ではないだろうか。そう思うものの、父がよしとしていることに文句をつけることはできず、エレナは肩が落ちないように
当然のことながら、見送りには
ロデニウム国へは、ノーシュタルトの半島から馬車で一か月半から二か月程度かかるという。ロデニウムは北にあるので、到着する冬には一面雪に
「はあ、どうしてわたしがあんたのような無能者の付き
馬車が動き出してすぐに、ライラが
ノーシュタルトの地から北東へ向けて進んだ先にあるサイルーム国までロデニウム国の使いがやってきているそうだ。そこから合流してロデニウムへ向かうことになる。
二日ほどして合流地点のサイルーム国の小さな町につくと、ロデニウム国からの
ここからはロデニウム国の
大きな馬車だった。馬車を引く
許されるなら
馬車の周囲には何人もの兵士がいた。護衛のための兵士だろうが、それにしても人数が多い。エレナのためにこんなにたくさんの人を動かしてしまったことを申し訳なく思っていると、兵士たちの中から、
「はじめまして、ノーシュタルトの
彼は、ライザック・リヒターというらしい。赤みがかったブラウンの髪をした、
姫と呼ばれたのははじめてで
ライラはふっと
「わたくしではございませんわ。花嫁はこちらです」
すると、ライザックが
「……え?」
思わず声が
(……そうよね。まさかわたしみたいなのが王子様の花嫁だとは思わないわよね)
いたたまれなくなって
「大変失礼いたしました。ノーシュタルトの姫君。なにとぞご
人に跪かれたことのないエレナはあわあわと手を横に
「た、立ってください。わたしは別に……。そんなこと、しないで……」
跪かないでと言うエレナに、ライザックが再び目を見開く。おどおどしているエレナと、
ライザックは立ち上がってくれたが、馬車へエスコートしようとエレナの手を取ったところで、再び彼は不思議そうな顔をした。視線はエレナの手に注がれている。
どうしたのだろうとエレナが顔をあげれば、誤魔化すように
「姫君、ここからは長旅になります。無理のない日程を組んでおりますが、体調が悪くなったらすぐに教えてくださいますか?」
「は、はい。……あの、できればエレナと、名前で呼んでいただけないでしょうか?」
姫君と呼ばれては落ち着かない。
「では、エレナ様と」
「で、できれば様もつけないでいただけると……」
「エレナ様は主人の奥方になられる方ですので、そういうわけには……」
「で、でも……」
それでは落ち着かないとエレナが長いまつげを
「わ、わかりました。ではエレナちゃんで」
「敬語も……」
「わ、わかった。これでいい?」
エレナがこくんと
どうして笑われるのかわからず首をひねるエレナに、ライザックが
「エレナちゃんは
(面白い……?)
ぱちぱちと目をしばたたかせるエレナの
***
「エレナちゃん。もうすぐ
ライザックが焦げ茶の
エレナの夫となる人は、ロデニウム国の第二王子で、ユーリ
ユーリは現在、ロデニウム国の王都ラファエラよりさらに北東にある、エヴァンジェル
エレナは馬車の窓外に広がる雪景色を見て、はあっと息を
「昼すぎには着くと思うから、
離宮に到着したらすぐに温かい飲み物を用意させるからと言うライザックは、とにかく心配
ライザックはこの一か月と三週間の間、せっせとエレナの世話を焼いては、体調管理に努めてくれた。ライラは知らん顔を決め込んでいたが、ライザックがエレナばかりを心配するのが気に入らない様子で、ちくちくと毎日のように
馬車が進むにつれて、窓から見える景色は針葉樹ばかりの森になる。雪に包まれた針葉樹の森は、美しいけれどどこか
(ユーリ王子って、どんな人なのかしら……?)
バネッサは
嫁ぐということがどういうことかあまり理解していないエレナは、離宮へついたら何をすればいいだろうかと考える。求められる役割はなんだろうか。
(できれば、部屋は屋根裏部屋でもいいから
ノーシュタルトの地で暮らしていた時のように、物置小屋を
エレナがずれたことを考えている間に馬車は離宮へ
「ついたよ、エレナちゃん」
ライザックがそう言って馬車の
寒さにふるふる震えながら馬車を降りたエレナは、雪に
エレナの身長ほどの高さの
「もう帰っていいかしら?」
白い息を吐きながら離宮を見上げている間にも、ライラが
「引き
ライザックがそう言って
「身一つで嫁げとのことですから、わたくしが引き継ぐことは何もございませんわ」
「だが」
「ではわたくしはこれで。身一つでとのことですから、
「ええ」
「はあ!?」
ライザックが
「エレナちゃん、いいの……? いや、こっちはかまわないんだけどさ……」
エレナとともに馬車が来た道を引き返していくのを見ながら、ライザックが歯切れ悪く言う。路銀をライラに持って帰らせてはいけなかったのだろうか? 首をひねると、ライザックに苦笑された。
「まあ、エレナちゃんがいいならいいよ」
あとから聞かされた話だが、ライラが言った「路銀」はエレナの持参金のことだったらしい。エレナは知らなかったが、ダニエルはロデニウムの王子へ礼を
ライザックとエレナと荷物を残して、ライラを乗せた馬車が見えなくなると、ガチャリと玄関の扉が開いた。
「お待ちしておりました、奥様」
そう言いながら現れたのは、やや白いものが交じっている
彼はマルクスというらしい。離宮の
エレナが離宮へ入ると、マルクスからメイド
「奥様、失礼いたしますね」
ミレットはエレナの背後に回ってコートを
マルクスもわずかに
「あの……、ユーリ殿下は……?」
この離宮の
「ああ、いい、いい。ほっとけば。そのうち出てくるだろうから」
「……え?」
「奥様、何と言いますか、
ライザックとマルクスがそろって「そのうち出てくるはずだから、それを待て」と言う。
「そう、なんですか」
ユーリは非常に警戒心が強いらしい。そういうことなら仕方がないと、エレナはユーリが姿を見せてくれる気になるのを待つことにした。
ダイニングに用意された温かい紅茶を飲んで一息ついたエレナは、マルクスとミレットを見比べて、どちらの命令に従えばいいのだろうかと考えた。ユーリがいないのであれば、執事かメイド頭のどちらかがエレナに指示を出すことになるだろう。やはりここは、邸を取り仕切っている執事だろうか。
「あのう、わたしはここでどんな仕事をすればいいでしょうか?」
一息ついたエレナがそんなことを言い出したので、マルクスとミレットがぎょっと目を見開いて、ライザックは
けたけたと笑い転げるライザックをミレットが
マルクスは困ったように眉を寄せた。
「奥様。仕事とおっしゃいますが、何をなさるおつもりでしょう?」
逆に
「ええっと……、掃除や洗濯ならできます。料理は自信がないです。裁縫は、繕い物ならできますが、
「もう結構ですよ」
マルクスが
「奥様が何か
「勘違い、ですか?」
エレナがサファイア色の
「奥様。奥様は主人の奥方として嫁いでいらっしゃったのですから、そのような使用人がするようなことはなさらなくて結構ですよ」
「……え?」
「奥様は日々、
エレナは何を言われたか理解できずに、ライザックへ
ライザックはにやにや笑いながら、大きく
「エレナちゃんはやりたいことってないの? 城と
「やりたいこと……」
パッと思いつかない。弱り顔で
「お、奥様。ご
(ゴシュミ……?)
「ピアノやダンス、それから、お買い物などは」
(ピアノ? ダンス? オカイモノ……?)
ミレットが何を言っているのかわからない。ピアノは
「食材の買い出しをすればいいですか?」
ようやくすることを見つけたとエレナが微笑めば、さらに困惑されてしまった。どうしてだろう。
「あっはっはっは!」
ミレットがライザックの腹にごすっと
「エレナちゃん。食材は料理長が買ってくるから行かなくていいんだよ。エレナちゃんが買わなくてはいけないのはそうだな、ドレスかな?」
「ドレス……」
エレナは自分の着ているぶかぶかのドレスを見下ろした。確かにいつまでもこんな格好をしているわけにはいかない。
「
「ん? どうしてドレスを買う話から裁縫道具になるのかな?」
「サイズを直そうと……」
「わかりました奥様。仕立て屋はわたくしが手配いたしましょう。奥様自らドレスのサイズを直す必要はございません」
ミレットに笑顔で遮られて、エレナは
結局何をすればいいのか教えられないまま、紅茶を飲み終えたエレナはミレットに連れられて、二階のエレナのために用意されているらしい部屋へと向かうことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます