一 ノーシュタルトの花嫁②

 三日後。

 ロデニウム国へ向けて出発するときになって、エレナは困った顔で自分の姿を見下ろしていた。

 エレナは今、ぶかぶかのクリーム色のドレスを身に着けている。今にもずり落ちそうなかた、腰にはぶかぶかのウエスト部分をすようにきつくリボンが巻かれて、何とかげないように整えてはいるものの、あまりに不格好だ。

(……持って行くものを準備したって言ってたけど、つまるところ、バネッサのために用意していたものをそのまま回されただけだったのね)

 エレナが着ているドレスは、バネッサに用意されたドレスのようだった。

 身長こそバネッサとエレナはさほど変わらないが、体形は大きな違いがある。バネッサのよこはばはエレナの二人分はゆうにあるのだ。バネッサの服をエレナが着るのは無理がある。

 ぼろぼろの服で向かうのも失礼だろうが、この格好も相手に失礼ではないだろうか。そう思うものの、父がよしとしていることに文句をつけることはできず、エレナは肩が落ちないようにえりもとを押さえながら、用意されている馬車に乗り込んだ。

 当然のことながら、見送りにはだれも来ない。体裁上、エレナには同乗者としてライラという名前のバネッサのじよが一人つけられたが、彼女もロデニウムにとうちやくしたらそのままとんぼ返りらしい。ロデニウムからは身一つで嫁いでくればいいと言われているため、侍女といつしよに嫁ぐ必要はないそうだ。

 ロデニウム国へは、ノーシュタルトの半島から馬車で一か月半から二か月程度かかるという。ロデニウムは北にあるので、到着する冬には一面雪におおわれているそうだ。そのため、荷物の中にはこれまたバネッサ用に作られた防寒具がたくさん入っていた。道中でエレナが死ぬとバネッサがかわりに嫁ぐことになるため、体調管理に努めろと言われている。

「はあ、どうしてわたしがあんたのような無能者の付きいをしなくちゃいけないの?」

 馬車が動き出してすぐに、ライラがをこぼした。同じ馬車に乗っているのも嫌だと言って、つんと視線を窓の外へ向ける。

 ノーシュタルトの地から北東へ向けて進んだ先にあるサイルーム国までロデニウム国の使いがやってきているそうだ。そこから合流してロデニウムへ向かうことになる。

 二日ほどして合流地点のサイルーム国の小さな町につくと、ロデニウム国からのむかえはすでに到着していた。

 ここからはロデニウム国のくろりの四頭立て馬車に乗りえることになる。

 大きな馬車だった。馬車を引くくりの馬たちの毛並みはつやつやしていて、引きまった体つきをしている。

 許されるならでさせてもらいたい。勝手に撫でたらおこられるだろうか。

 馬車の周囲には何人もの兵士がいた。護衛のための兵士だろうが、それにしても人数が多い。エレナのためにこんなにたくさんの人を動かしてしまったことを申し訳なく思っていると、兵士たちの中から、ひときわ背の高い男が歩み出てきた。

「はじめまして、ノーシュタルトのひめ

 彼は、ライザック・リヒターというらしい。赤みがかったブラウンの髪をした、おだやかな顔立ちの男だ。ライザックはリヒターだんしやく家の次男でユーリ王子のゆいいつの側近だそうである。王子が迎えに来られない代わりに迎えに来たのだと言っていた。

 姫と呼ばれたのははじめてでおどろいたエレナだったが、ライザックの視線がライラへ向いていることに気がついて、思わず自分の格好を見下ろした。こんな体形にあわないドレスを着た女がはなよめだとは思うまい。

 ライラはふっとあざけるようなみをかべて、エレナに視線を向けた。

「わたくしではございませんわ。花嫁はこちらです」

 すると、ライザックがげ茶色の瞳をきようがくに見開く。彼はエレナの頭のてっぺんから足の先までに視線をわせて、ぽかんと口を開けた。

「……え?」

 思わず声がれたのだろう、ライザックが慌てて自分の口を押さえる。

(……そうよね。まさかわたしみたいなのが王子様の花嫁だとは思わないわよね)

 いたたまれなくなってうつむくと、ライザックが慌てたようにエレナの前にひざまずいた。

「大変失礼いたしました。ノーシュタルトの姫君。なにとぞごようしやを」

 人に跪かれたことのないエレナはあわあわと手を横にった。

「た、立ってください。わたしは別に……。そんなこと、しないで……」

 跪かないでと言うエレナに、ライザックが再び目を見開く。おどおどしているエレナと、えらそうなライラとを見比べて、げんそうに首をひねった。

 ライザックは立ち上がってくれたが、馬車へエスコートしようとエレナの手を取ったところで、再び彼は不思議そうな顔をした。視線はエレナの手に注がれている。

 どうしたのだろうとエレナが顔をあげれば、誤魔化すように微笑ほほえまれた。

「姫君、ここからは長旅になります。無理のない日程を組んでおりますが、体調が悪くなったらすぐに教えてくださいますか?」

「は、はい。……あの、できればエレナと、名前で呼んでいただけないでしょうか?」

 姫君と呼ばれては落ち着かない。

「では、エレナ様と」

「で、できれば様もつけないでいただけると……」

「エレナ様は主人の奥方になられる方ですので、そういうわけには……」

「で、でも……」

 それでは落ち着かないとエレナが長いまつげをふるわせると、泣くと思ったのか、ライザックが急いで言い直した。

「わ、わかりました。ではエレナちゃんで」

「敬語も……」

「わ、わかった。これでいい?」

 エレナがこくんとうなずくと、ライザックの周りにいた兵士たちがどっと笑いだした。

 どうして笑われるのかわからず首をひねるエレナに、ライザックがしようする。

「エレナちゃんはおもしろいね」

(面白い……?)

 ぱちぱちと目をしばたたかせるエレナのとなりで、ライラが心の底からかいそうに顔をしかめた。


   ***


「エレナちゃん。もうすぐきゆうにつくよ」

 ライザックが焦げ茶のひとみやさしく細めてそう教えてくれたのは、サイルーム国の町からロデニウム国へ向けて出発してから一か月と三週間ほどたった日のことだった。

 エレナの夫となる人は、ロデニウム国の第二王子で、ユーリ殿でんというそうだ。

 ユーリは現在、ロデニウム国の王都ラファエラよりさらに北東にある、エヴァンジェルこうしやく領内の王家の離宮で生活しているらしい。エヴァンジェル公爵を名乗っているのは現在第一王子にあたる人だそうだが、ゆくゆくはその地位はユーリにゆずられるという。

 エレナは馬車の窓外に広がる雪景色を見て、はあっと息をく。分厚い布が張られ、しっかりと防寒対策がされている馬車の中でも、吐き出した息が白くこおった。防寒着を着こんで、ライザックがちゆうの町で買ってくれた耳当てをして、首には毛糸のマフラーを巻いているが、それでもものすごく寒い。

「昼すぎには着くと思うから、がんってね」

 離宮に到着したらすぐに温かい飲み物を用意させるからと言うライザックは、とにかく心配しようだった。

 ライザックはこの一か月と三週間の間、せっせとエレナの世話を焼いては、体調管理に努めてくれた。ライラは知らん顔を決め込んでいたが、ライザックがエレナばかりを心配するのが気に入らない様子で、ちくちくと毎日のようにいやみを言われた。だが、離宮に到着すればエレナの侍女の役割から解放されるので、今日のライラはいつもよりげんがよさそうだ。

 馬車が進むにつれて、窓から見える景色は針葉樹ばかりの森になる。雪に包まれた針葉樹の森は、美しいけれどどこかおそろしくもあった。

(ユーリ王子って、どんな人なのかしら……?)

 バネッサはのろわれていると言ったが、ユーリ王子は本当に呪われているのだろうか。呪いとはすなわち異能の力だ。ユーリが本当に呪われているのならばその呪いをかけたのはノーシュタルト一族のはずである。一族が呪った相手に一族のものをとつがせるのは、だろう。

 嫁ぐということがどういうことかあまり理解していないエレナは、離宮へついたら何をすればいいだろうかと考える。求められる役割はなんだろうか。そうせんたく? 料理はでるか焼くしかできないので自信がない。つくろい物なら得意だが、王子が繕った服を着るとは思えないのでさいほう技能は役に立たないかもしれない。

(できれば、部屋は屋根裏部屋でもいいからやしきの中がいいな。外は……凍りついてしまいそうだもの)

 ノーシュタルトの地で暮らしていた時のように、物置小屋をあたえられたら、きっとこごえ死んでしまうだろう。もし物置小屋に入れと言われたら、せめて春まではかんべんしてほしいとたのみ込まなくては。

 エレナがずれたことを考えている間に馬車は離宮へとうちやくして、ゆっくりとまった。

「ついたよ、エレナちゃん」

 ライザックがそう言って馬車のとびらを開けると、すような冷気がぶわっと入り込んでくる。

 寒さにふるふる震えながら馬車を降りたエレナは、雪にもれるように建っている真っ白な離宮を見て息をんだ。びっくりするほど美しい。

 エレナの身長ほどの高さのへいに囲まれた中にあるのは、広大な庭とコの字形の離宮だ。両開きのげんかんとびらの前には、石像でも建っていたのだろうか。石像の足首だけを残してかいされたような不思議なかたまりがある。

「もう帰っていいかしら?」

 白い息を吐きながら離宮を見上げている間にも、ライラがにつきたがったので、エレナは止めなかった。彼女はとにかくエレナから解放されたくて仕方がなかったのだ、引き留めては可哀かわいそうである。

「引きぎはしなくていいのかい?」

 ライザックがそう言ってまゆをひそめた。

「身一つで嫁げとのことですから、わたくしが引き継ぐことは何もございませんわ」

「だが」

「ではわたくしはこれで。身一つでとのことですから、おさからわたされているはこのまま持ち帰りますわね」

「ええ」

「はあ!?」

 ライザックがとんきような声をあげたが、エレナはライザックが驚く理由がよくわからなかった。路銀なら、ライラが帰る時にも必要だろう。エレナが頷けば、ライラはにんまりと微笑んで、さっさと馬車に乗り込んだ。

「エレナちゃん、いいの……? いや、こっちはかまわないんだけどさ……」

 エレナとともに馬車が来た道を引き返していくのを見ながら、ライザックが歯切れ悪く言う。路銀をライラに持って帰らせてはいけなかったのだろうか? 首をひねると、ライザックに苦笑された。

「まあ、エレナちゃんがいいならいいよ」

 あとから聞かされた話だが、ライラが言った「路銀」はエレナの持参金のことだったらしい。エレナは知らなかったが、ダニエルはロデニウムの王子へ礼をくすという意味で、多少の持参金を持たせていたそうだ。持たされた荷物の中身を知らなかったエレナはそれを知らず、まんまとライラにかすめ取られてしまったというわけである。

 ライザックとエレナと荷物を残して、ライラを乗せた馬車が見えなくなると、ガチャリと玄関の扉が開いた。

「お待ちしておりました、奥様」

 そう言いながら現れたのは、やや白いものが交じっているくろかみをぴしっとでつけた、姿勢のいい男性だった。年のころは五十をいくらかすぎたほどだろうか。じりしわを寄せて微笑むさまは優しそうだった。

 彼はマルクスというらしい。離宮のしつだそうだ。

 エレナが離宮へ入ると、マルクスからメイドがしらだというミレットという名前の四十歳ほどの女性をしようかいされる。ミレットはい茶色の髪を寸分の乱れもなくまとめた、きりりとした印象の女性だった。

「奥様、失礼いたしますね」

 ミレットはエレナの背後に回ってコートをがしてくれたが、その下に着ていたドレスを見てぎゅっと眉を寄せると、ライザックへ非難めいた視線を向ける。

 マルクスもわずかにどうもくしたが、すぐにすように微笑ほほえんで、ダイニングへ案内してくれた。エレナが持ってきた荷物は、ほかのメイドたちが部屋へ運んでくれるそうだ。

「あの……、ユーリ殿下は……?」

 この離宮のあるじはロデニウムの第二王子ユーリである。まずは主にあいさつすべきだろうとエレナがユーリに会いたいと言えば、マルクスが困った顔をして、ライザックが笑った。

「ああ、いい、いい。ほっとけば。そのうち出てくるだろうから」

「……え?」

「奥様、何と言いますか、だん様は非常に引っ込み思案というか、けいかいしんが強いというか……、少々人ぎらいなところがございまして、すぐには姿を見せないかと……」

 ライザックとマルクスがそろって「そのうち出てくるはずだから、それを待て」と言う。

「そう、なんですか」

 ユーリは非常に警戒心が強いらしい。そういうことなら仕方がないと、エレナはユーリが姿を見せてくれる気になるのを待つことにした。

 ダイニングに用意された温かい紅茶を飲んで一息ついたエレナは、マルクスとミレットを見比べて、どちらの命令に従えばいいのだろうかと考えた。ユーリがいないのであれば、執事かメイド頭のどちらかがエレナに指示を出すことになるだろう。やはりここは、邸を取り仕切っている執事だろうか。

「あのう、わたしはここでどんな仕事をすればいいでしょうか?」

 一息ついたエレナがそんなことを言い出したので、マルクスとミレットがぎょっと目を見開いて、ライザックはき出した。

 けたけたと笑い転げるライザックをミレットがにらみつける。

 マルクスは困ったように眉を寄せた。

「奥様。仕事とおっしゃいますが、何をなさるおつもりでしょう?」

 逆にかれてしまって、エレナはおっとりと首をかしげた。

「ええっと……、掃除や洗濯ならできます。料理は自信がないです。裁縫は、繕い物ならできますが、しゆうはやったことがなくて、お役に立てるかどうかはわかりません。それから……」

「もう結構ですよ」

 マルクスがを言わさないかんぺきがおでエレナの言葉をさえぎった。

「奥様が何かかんちがいなさっているということは理解しました」

「勘違い、ですか?」

 エレナがサファイア色のひとみをぱちぱちとまばたかせると、ミレットがエレナの手をそっとにぎり、そしていつしゆんだけ動きを止める。ミレットのげ茶色の瞳が再度ライザックの方へ向いて、何か言いたそうにすっと細まった。

「奥様。奥様は主人の奥方として嫁いでいらっしゃったのですから、そのような使用人がするようなことはなさらなくて結構ですよ」

「……え?」

「奥様は日々、おだやかにおすごしになられれば、それでいいのです」

 エレナは何を言われたか理解できずに、ライザックへすがるような視線を向ける。

 ライザックはにやにや笑いながら、大きくうなずいた。

「エレナちゃんはやりたいことってないの? 城とちがってきゆうだから、できることも限られるけど、やりたいことをしてすごせばいいよ」

「やりたいこと……」

 パッと思いつかない。弱り顔でだまり込むと、ミレットはこんわくしたようだった。

「お、奥様。ごしゆは?」

(ゴシュミ……?)

「ピアノやダンス、それから、お買い物などは」

(ピアノ? ダンス? オカイモノ……?)

 ミレットが何を言っているのかわからない。ピアノはみがいたことはあるけれどけないし、ダンスもバネッサのドレスのすそげならしたことがあるが、おどったことなど一度もない。お買い物とは買い出しのことだろうか? それくらいならできるかもしれない。

「食材の買い出しをすればいいですか?」

 ようやくすることを見つけたとエレナが微笑めば、さらに困惑されてしまった。どうしてだろう。

「あっはっはっは!」

 とつぜんライザックが腹をかかえて笑い出した。

 ミレットがライザックの腹にごすっとこぶしたたきこむのが見えて、エレナはぎょっとする。き込みながらライザックが言った。

「エレナちゃん。食材は料理長が買ってくるから行かなくていいんだよ。エレナちゃんが買わなくてはいけないのはそうだな、ドレスかな?」

「ドレス……」

 エレナは自分の着ているぶかぶかのドレスを見下ろした。確かにいつまでもこんな格好をしているわけにはいかない。

さいほう道具をお借りしてもいいですか?」

「ん? どうしてドレスを買う話から裁縫道具になるのかな?」

「サイズを直そうと……」

「わかりました奥様。仕立て屋はわたくしが手配いたしましょう。奥様自らドレスのサイズを直す必要はございません」

 ミレットに笑顔で遮られて、エレナはされたようにこくりと頷く。

 結局何をすればいいのか教えられないまま、紅茶を飲み終えたエレナはミレットに連れられて、二階のエレナのために用意されているらしい部屋へと向かうことになった。

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