一 ノーシュタルトの花嫁③
エレナの部屋は二階の東の角にある大きな部屋だ。
ノーシュタルトの
(それにしても、一体どういうことなのかしら?)
エレナを
ミレットはノーシュタルト一族について多くを知っているわけではないが、気に入らなければ異能の力を
嫁いでくる
だからエレナを見たときは申し訳ないが、その何とも不格好なドレス姿も相まって、姫の使用人かと思ってしまった。
「こちらが奥様のお部屋になります」
もう少し様子を見る必要がありそうだと思いながらミレットがエレナの部屋の
サファイアのような瞳を見開いたままぴしっと
そんなミレットを、エレナの荷物の片づけをしていた二人のメイドが
ミレットはもともと
ひとまず二人のメイドは無視することにして、ミレットは、何とかしてエレナの反応を引き出そうと
「奥様、こちらへ。そんなところにお立ちになっていないで……」
ミレットがソファをすすめようとするも、エレナはぎこちなく
ミレットの顔色がだんだん悪くなって、不安に
「奥様、お気に
お願いだから動いてほしいと
エレナがちょっと反応を見せてミレットがほっとしたのも
ミレットは頭を抱えた。
エレナは何が気に入らないのだろうか。ユーリが好きにしろと言ったから、この部屋は、ミレットがこれから仕えることになる奥様のために
大きな
これの何が気に入らない。何がいけなかった。ミレットは泣きたくなる。
「奥様、どこがお気に召さないのでしょうか。直しますので……」
「気に入らない……?」
「カーテンの色でしょうか?
ミレットに訊ねられて、エレナが
「あ、あの……、お部屋はとても可愛らしいと思います。ええっと、……ミレットさんは先ほど、わたしのお部屋に案内してくださるとおっしゃいましたが、部屋をお
「やはり気に入らないのですね?」
「き、気に入らないなんて、ええっと……」
「どこが気に入らないのですか? はっきりとおっしゃっていただいて構いません。ここは奥様のお部屋ですから。奥様がお好きなお部屋をご用意する義務がわたくしにはございます」
「ああ、ここは奥様という方のお部屋なんですね」
「奥様はエレナ様です!」
「ぷっ」
「ぷくくっ」
その様子を
ミレットはそこではじめて二人の存在に気がついたとばかりに振り返り目を
年若いメイド二人は、ミレットの視線に表情を正した。
こほん、とミレットが
「奥様、この二人は奥様つきとなるメイドたちです」
エレナは「奥様つき」のメイドによほど驚いたのだろう。エレナはサファイア色の瞳をこれでもかと見開いて、またまた固まってしまって、ミレットは額に手を当てて
***
ミレットが紹介したメイドが、エレナに向かって順番にお
メイドがつけられると聞いたエレナの困惑は最高潮だった。ノーシュタルトの地では、父の
エレナは泣きそうになって、ミレットを見上げた。
「わ、わたし、屋根裏部屋でいいです。メイドさんたちのお手を
「何をおっしゃっているのですか奥様!?」
ミレットが悲鳴をあげて、ケリーとバジルは腹を
「お、奥様、面白い……!」
「ミレットさんが困ってる……!」
「あなたたち! 笑っている場合ではないでしょう!」
ケリーとバジルはぷくくと笑いながら、左右からエレナの手を取った。
「さあさあ奥様、立っていないで座りましょう」
「旅の間に
「夕食まで時間がありますから甘いものでも用意しましょうか?」
「お茶は何がいいですか? おすすめは蜂蜜たっぷりのミルクティーです」
「それ、ただケリーが飲みたいだけじゃないの?」
「あら、バジルだってミルクティー好きでしょう?」
エレナが
「奥様、ドレスのサイズがあっていませんけど、急激にお瘦せになったんですか?」
「ドレスを新調する必要がありますね」
「クローゼットにおさめたけど、あのドレスは処分した方がよさそうね」
「ミレットさん、マダム・コットンはいつ来るんですか?」
「お荷物に
まるで
鏡台からクリームを取ってきたバジルがエレナの手に
ミレットは少し冷静さを取り
「マダム・コットンへは
マダム・コットンは歩いて一時間ほどのところにあるリリッタという町で仕立て屋を営んでいる女性らしい。王都へも出店していて、社交界でも人気が出はじめているそうだが、リリッタの町が気に入っているマダムは、王都の店は
リリッタの町は小さいために宝石商がおらず、宝飾品を仕入れるには、ここから馬車で丸一日かかるドリアードという町の人間を呼ばなければならないらしい。
ミレットから説明を受けるもエレナは自分がおかれている
「あ、あの……、そのドレス、捨てちゃうんですか?」
エレナのサイズにはあっていないけれど、上質な
クローゼットのドレスを全部引っ張り出したケリーがきょとんとした。
「え、だってサイズがあっていないじゃないですか」
確かにそうだが、とエレナはベッドの上に山積みにされたドレスに視線を向ける。
ミレットはエレナがサイズ直しをするのはダメだと言った。ならばほかに使い道はないだろうか? ミレットもケリーもバジルにも、このドレスは大きいだろう。エレナほどではないが、三人もほっそりとしている。ふくよかだったバネッサのドレスはぶかぶかだ。
エレナは無意識にソファの上のクッションを抱え持って、ハッとした。
「クッションカバーを、作りたいです」
エレナは名案を思いついたと瞳を
「え……、クッションカバーですか?」
「使っていない布、あったかしら?」
「ドレスを注文するついでに
なぜか新しい布を買う話になってしまって、エレナはあわあわと首を
「そ、そうではなくて……、そのドレスで……」
メイドたちの視線がドレスに注がれた。きゅっと
「まあ、生地は悪くないですからね」
「でもわざわざ捨てるものを使わなくても」
このままだとドレスが捨てられると思ったエレナは、必死になって頼み込む。
「だ、
「「「もったいない?」」」
メイド三人の声が見事に重なった。
三人が三人ともに
エレナは何か間違えたのだろうかと不安に思ったが、ドレスを捨てられてはたまらないと言葉を重ねた。
「さ、
メイド三人は、
***
「で? どういうことなの?」
エレナの世話をケリーとバジルに任せたミレットは、ダイニングでくつろいでいたライザックの前で
離宮の
エレナが離宮に来るまで同行していた兵士たちは、国から借りていたライザックの父リヒター男爵の部下で、離宮の住人ではない。彼らは今頃、ライラをノーシュタルトの地へ送り届けている最中だろう。
ライザックはクッキーを口に
「何が、じゃないわよ。奥様は本当にノーシュタルトの
ミレットはライザックの真向かいの席に腰を下ろす。
ライザックはごくんとクッキーを飲み込んで「ああ」と
「
「そうじゃない!」
可愛いというライザックの意見に異論はないが、ミレットが言いたいのはそういうことではないのだ。
エレナは腰までの月の光のような銀色の
それに──
(あの手……。お
大切に育てられた姫君なら、あれほどまでに手が荒れているはずがないのだ。エレナはまるで
「予想していた姫と違いすぎるわ」
「じゃあ、ミレットはみんなが予想していた通り
「そうは言ってないわ」
少し会話をしただけでも、エレナの性格はなんとなくわかった。ほんわりおっとりした姫君だ。
ライザックは手元のコーヒーを一口飲んで、テーブルの上に
「ノーシュタルト一族なのは間違いないと思うよ。ただ、
「じゃあ──」
「うん。俺もさ、エレナちゃんが
「は?」
「だって、エレナちゃん、可愛いんだもん。変に傲慢な姫をよこされるより、本物かどうかわからないけど可愛い女の子のほうがいいと思わない?」
ミレットはこめかみを押さえてため息をついた。
ライザックの言う通り、ミレットも、ノーシュタルトからどんな
だから、ライザックの言い分もわかる。でも、それとこれとは話が別だ。
「もし
「だろうね。でも、相手はノーシュタルトだ。約束を反故にされたからと言って、こちらも強くは出られないよ」
「……あの一族は本当に
世界で
それが許されてしまうのは、彼らが絶対的な力──異能の力を持っているからだ。
二百年ほど前に、とある国がノーシュタルト一族の力を求めて戦争を
「ある意味、あの一族に対して責任を
「そうね……」
ミレットはそっと息をつく。ユーリがその身に呪いを受けたのは、彼が生まれてまもなくのことだった。ノーシュタルト一族の長の目の前で、ノーシュタルト一族の
ユーリと同じ歳のライザックはその時の様子をもちろん知らないだろうが、当時すでに
「だから、むしろエレナちゃんでよかったって考えようよ」
「そう、ね……」
ミレットはそっと息をつく。エレナが本物のノーシュタルトの姫であろうとなかろうと、すでに受け入れてしまったのだ。
「でも、もう一つ言いたいことがあるのだけど」
ミレットは新しいクッキーに手を
「言いたいことって?」
「ドレスよ」
ライザックがエレナと合流したのは一か月と三週間前だ。エレナを見て、サイズ違いのドレスを着ていることがわかったのならば、どうして早馬で
じっとりと
「あのぶかぶかドレス、可愛くない? 殿下に見せたくってさあ!」
「あなた、わざと
ミレットは心の底からあきれた。
ライザックがミレットの手からクッキーの皿を奪い返して、口の中に
「あのエレナちゃんを見た殿下が、エレナちゃんに
「……あなたを
ライザックを向かわせず自分が行けばよかったと、ミレットは本気で
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