プロローグ

 彼女は空を見上げて、もうひとつきもすれば初雪が降りそうだなと思った。

 大陸の北に位置するロデニウム国──その王都ラファエラよりさらに北にある大地は、一年のうち三分の一は雪におおわれている。

 針葉樹に囲まれた中にあるコの字形をした優美なきゆうは、雪が降ればその白いかべと景色が一体化して、それはそれはれいなのだが、同時にひどく冷たく映るのだ。

 離宮のげんかん前にあった大理石の石像が、土台を残して無残にかいされたのは、いつのことだったろうか。

 長いまつげをそっとせて、彼女は細く息をつく。

 ──だいじようよ。

 ふと、ずいぶん昔に言われた言葉がのうをよぎった。

 ──大丈夫。きっとこの子は──……。

 思い出して泣きたくなっていたら、ホゥ……、と遠くでふくろうの声が聞こえた。

 まぶたを上げれば、離宮の窓の向こうに金色にかがやく二つの目が見えてぎくりとする。

 冷たく、そして何もかもをあきらめたような、こおりついたような目。

 彼女はきゅっとくちびるんで、静かにきびすを返した。




プロローグ



 大陸の北に位置する大国ロデニウム。

 王都ラファエラにある城の国王の私室には重たい空気がただよっていた。

 年の割りに童顔なことを気にしているロデニウム国王チェスターは、童顔対策に生やしているひげでながら、ちらちらと目の前の息子むすこを見やる。

 息子は金色の目をじっと父の方へ向けていたが、それは明らかにげんそうな色をしていて、チェスターは早くも心が折れそうだった。

 生まれてすぐにのろわれたぐうの息子──第二王子ユーリは、先ほどからむっつりとだまり込んでしまっている。

「ユーリ……」

 息子と二人きりなのもあり、王のげんなどどこにもなくなったチェスターは、息子をなだめるような声を出した。

「これはそなたのためでもあるのだ。可能性はわずかでも残しておいた方がよいし、それに……」

「二十年前にそう言っておどした手前、後に引けないんだろう? それくらいわかる」

 ユーリの口から冷ややかな返答がある。

 うぐっとチェスターは黙り込み、それから大きくたんそくした。

「だって考えてみろ。ノーシュタルトがここまで手こずるとどうして想像できたのだ。私だって文句を言いたいのをまんして──」

「我慢した?」

「……いや、相応の文句は言ったが、だが、これでもかなりおさえたのだ」

「だろうな。ノーシュタルト一族相手にけんを売るものじゃない」

 ユーリは金色のひとみをそっと伏せた。

「別にいい。俺はすでにあきらめているから。だけど、呪いに関してはあきらめていても、これ以上のめんどうごとを押しつけられるのは我慢ならない」

よめを取るのがそれほど面倒ごとか?」

「あたりまえだ!」

 ユーリがえると、チェスターがびくっとかたらした。

 ユーリははあと息をいて、くるりと踵を返す。

「ユーリ」

 あわてて呼び止めようとしたチェスターに、ユーリはり返らずに答えた。

「わかっている。呪われていても王子だ。後に引けないなら引き取ってやる。だけど、送られてきた嫁をどうあつかおうと俺の勝手だからな」

 ふんっと鼻を鳴らすユーリにチェスターはひとまずほっとして、それからその背中にえんりよがちに声をかける。

「母に、会って行かぬのか?」

 ユーリはかたしにちょっと振り返って、目を伏せた。

「俺を見たらあの人は泣くから、だから、このまま帰る」

 チェスターは「そうか」と目を伏せて、息子が去って行くのを黙って見送った。


   * * *


 大陸の西の果て──

 ノーシュタルト一族の暮らす半島で、少女はぼうぜんまばたきをくり返した。

 つぎはぎだらけの色あせてくたびれたワンピースのスカートを、きゅっとにぎりしめる。きんちようからか、れてあかぎれだらけの手のひらは、じっとりとあせをかいていた。

「お前のとつぎ先が決まった」

 それは、少女の十七回目の誕生日の朝のことだった。ノーシュタルト一族のおさであり、父であるダニエルの言葉に、少女の思考は確かに停止した。

 かみと同じ銀色の長いまつげを伏せて、再びゆっくりと開く。夢かと思ったが、何度瞬きをり返しても、目の前の冷ややかな目をした父が消えていなくなることはなかった。

(……嫁ぎ、先)

 少女──エレナは自分の未来に、だれかに嫁ぐということが起こり得ると考えたことがなかった。エレナは一生この地で、れいのようにして暮らすのだと、そう思っていたからだ。

 けれどもエレナには、父の言葉にいなを唱える資格はない。

 父からの命令──いや、この地に住まうノーシュタルト一族の人間からの命令は絶対で、エレナに口答えする権利はあたえられていないのだ。

 もちろん、とつぜん、という思いはあった。むすめとも思っていないエレナの嫁ぎ先を、父がそつせんして用意するとは思えない。奴隷商人に売りわたすと言われた方が、むしろしっくりくる。父の言う嫁ぎ先は、本当に「嫁ぎ先」なのだろうか。

 だが、父がわざわざエレナに説明するはずもない。何故、どうして──そのような疑問を持つことすら、エレナには許されていない。

 どこの誰に嫁ぐのかとも、いったいどうして急に嫁ぎ先が決まったのかとも、それが本当に嫁ぎ先なのかどうかもくことができず、エレナは小さくうなずいた。

「わかり、ました……」

 どこへ行こうともエレナの生活は変わらないだろう。

 なぜならエレナは「無能」なのだから。

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