第34話

 どこまで虚勢だったのかは定かではないにしろ、確かに以前交わした時点においては、少なからず今ほどの重々しさはなかった。

 冗談を言って笑い合い、教習所の話に花を咲かせるうち、いつしか触れられぬ話題になってしまったのか、互いの胸にしまい込んだまま口に出そうとはしなかった。

 私も言わなかった。彼女も訊かなかった。そして時間だけが過ぎて行ったのである。


「あと、三日ですね」


 沈黙を破るにはあまりにも弱々しい声だった。


「そう・・だな。・・・・路上に出てからは暇をかいたけど、こうしてみると早いもんだね。ハハ・・今日もそんな話を所長としてたところでさ」

 気まずい雰囲気を打破しようと無理に笑った見せた。

「帰りのとき外で話してたでしょ」

「あれ!?見てた?」

「ええ。何話してるのかなって」

「そう。たいした話じゃないけどね」

「でも・・・・不思議な縁ですよね」

「そうだな。・・・・そうそう、ところで何の本買ったん?」


 何か話を盛り上げる話題はないだろうかと、目にした紙袋のことを訊くのだが、

「あ・・これ・・・・携帯電話の本なんです」

「携帯!?」

「ええ。私も携帯買おうかなって・・・・そうすれば今日みたいなとき困らなくて済むし」

「・・・・・・」

「でも・・・・そんな心配もう要らないんですよね」

「まぁ・・でも・・・・なんて言うか・・あれば便利かもしれないし」


 明るく振る舞おうとする彼女に対して、私は気の利いたことが言えず、またしても車内は重苦しさに包まれるのだった。

「・・・・そうだ。いつか渡したメモってどうした?もう捨てちゃったかな?」

「メモ!?・・・・いえ。持ってますよ。見せましょうか?」

「え!?今持ってるの?」

「ええ。バッグの中に」

 少し得意そうな笑みを浮かべ、手をかけようとする彼女に、思わず照れ臭くなった私は、左手でそれを制した。すると、


「私のは捨てたんでしょ?」

 と、今度は彼女が同じことを訊き返して来る。

「あ・・まぁ・・・・実は持ってたりして」

「え!?島さんも?」

「まぁね。でもお互い捨てずに持ってるなんて面白いもんだな」

「ええ。ほんと」


 ようやく二人の笑いとも言える声が交じり合った。


「そういや訊かなかったけど、あれってどこで書いたの?まさか、仕事中あそこに座ったままとか?」

「え~!まさか。いくらなんでも無理ですよ。それこそ貴子さんにチェックされちゃうじゃないですか~」

「じゃあ、どこで?」

「実はあれトイレに行って書いたんです」

「トイレ!?トイレか~!」


 そう言って私はただ笑った。

「そんなにおかしかったですか?」

 と、疑問と笑いを織り混ぜながら彼女は訊いた。

「いや~ごめん。そうだよな~、やっぱり書くって言ったらあの辺しかないよな~」


「え!?・・・・じゃ、ひょっとして島さんも?」

「けっこう、同じ場所だったりして」

「アハハ・・・・いやだ~」

 目を細めながら口元を押さえる。どんなに親しくなっても、彼女にはそんな上品なところがあった。


 車は軽快に夜の中に紛れるように、一路北へと向かって行く。

 ドライブにしても食事にしても気の向くままだったが、どこか人目を避けるかに見知らぬ街を徘徊することが多かった。そんな時間がまた新鮮で操るハンドルを楽しそうに彼女は見つめている。


「でも、島さんって運転が上手ですよね」

「そう!?」

「ええ。今まで思っててもなかなか言えなかったんですけど、横に乗ってても安心って言うか、たまに尊敬して見てるときがあるんですよ」

「へ~。でもそういうところで働いている人に褒められると光栄ですね~。あ、だったら教官にもなれるかな?」

「なれますよ。きっと」

「じゃ、仕事に困ったら教官の試験でも受けるか。そうしたらどこに務めようかな?」


 冗談交じりで私が言うと、

「その時は西に来てくださいね」

 と、彼女も楽しそうな口調で答える。私も笑った。


「でも、もしそんなことになったらおかしいだろうな。それで大型に乗って教えてたりしたら、それこそ笑っちゃうだろうね」

「アハ・・・・そうですね」

「それで植木さんが所長で・・・・あ、そういや定年するんだったっけ」

「知ってるんですか?」

「あ~、外で話していた時聞いたんだよ」

「そうですか・・・・でも、私が居ますから」

「あ、そう・・だったね。でも同じ職場でこんな関係はやっぱり・・・・」

「そう・・・・ですね。じゃ、西へは来ないでください」


 短い言葉に彼女の本心が見え隠れするも、私はただそれを紛らすように笑い、

「おいおい、来いとか来るなとか忙しいね~」

「だって・・・・アハ・・・・」

 私の口調がおかしかったのか、満面の笑みを浮かべて声を上げる。楽しい時間だった。

 それはやがて記憶から消えて行ってしまうかもしれない時であろうとも。

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