第33話
待ち続ける間に時計を見ないのは相変わらずで、ほぼ決まった時間に現れる彼女が時計代わりでもあった。従って今何時なのかは、あくまで推測に過ぎなかった。
何となくそろそろ彼女が来る予感がした私は、雑誌から離した目を入り口の方へと向ける。明るい店内とは対照的な外の暗さの中に、何人かの行き交う姿が映し出された。
彼女の姿はなかった。
気のせいだったかとそのままゆっくり視線を移し、店内に居る客などを何げなく眺めたりして行くと、あるところまで来た目はピタリと止まる。
次の瞬間、私は目を見開いていた。
見覚えのあるように見えた服は実は教習所の制服であって、女性誌を傾ける人は紛れも無く貴子さんと言う受付の女性だったのである。
本に夢中だったために、こちらには気付く様子も無いように思えたが、さすがに焦りを感じ手にする本を上げ気味に顔を隠した。穏やかではなかった。
それでも視線の先の女性を見ているうち、ちょっとした名案が浮かんだ。それは店の外で彼女を待てば良いと言うことで、すぐさま立ち去ろうと思った矢先、暗がりの中から現れた一人の女性を目にする。
彼女だ。
漲る緊張をよそに何食わぬ顔を浮かべる彼女は、店内を見回しながら次第にこちらへと歩いている。願わくば貴子さんよりも先に気付いて欲しいと祈りながら、咄嗟にこんなとき彼女も携帯を持っていたらと思った。合図をして知らせるにはあまりに近すぎる距離に、ただ半ば顔を隠すようにして一部始終を見守り続けた。
やがて、彼女は私を見つけ微笑ましい表情を漂わせる。その直後、切れ長の目がほとんど丸に変わったものだから、肝を冷やす私としても、ついその落差におかしさを覚えるほどだった。生憎気付いたのは彼女だけではなく、
「あれ!?恵理香!?」
そう言った貴子さんの言葉が普段と違う彼女を象徴していた。足を止める彼女を驚いたように上から下までまじまじと眺め、
「やだ、デートの待ち合わせ~?」
「ち、違いますよ!」
そのバツが悪そうな顔と言ったらなく、誰が見てもウソがみえみえだと思った。
「え!?もう彼氏来てるの?どこ?」
彼女の言い訳に聞く耳を持たない貴子さんは、店内をぐるぐると見回してはそれらしい人物を探している。予めそんな状況を察した私は、貴子さんの視線をかい潜るように、彼女たちのほぼ反対側となる場所へ移動していた。高い仕切りで阻まれるここは、顔を見られる心配もない上、二人のやり取りがより鮮明に聞こえるのである。
「ほんと、デートなんかじゃないんですから」
「うそうそ、もう隠さなくたっていいじゃな~い。顔に書いてあるわよ。だって~、そんなお洒落してたら誰だってわかるわよ~。でもあまり別人なんでびっくりしちゃった~」
「そう!?あ・・・・貴子さんは今日は何?本を買いに?」
「え、うん。って言うか、ちょっと見に来ただけ。あ、駄目よ、はぐらかしたって」
「いえ、そんなんじゃ・・・・・」
「それで彼氏ってどんな人?も~、それらしいこと何も言わないんだから~。ねぇ~紹介してよ~」
「いえ、ホントに私も本買いに来ただけですから」
「え~!?それで洒落たワンピ着て、化粧も気合入れちゃうわけ?・・・・もしかして紹介出来ないような人だったりして?」
貴子さんの話に彼女はたじたじだった。
耳を澄ます私とてそれは同じで、貴子さんから繰り出される尋問に、不意に彼女が本当のことを話してしまうのではないか冷や冷やし、おちおちページを眺める暇もない。
それでも普段カウンターに並ぶ二人のやり取りを耳にしていると、つい同じ年だと言うことを忘れてしまいそうな口調の違いに、私はおかしくなって表情を緩めるのだった。
ほとんど変わらない彼女に、どことなく安心を覚えたのか、そこから先の話は聞かずに雑誌を置き店外へと出た。いつ終わるのかという女同士のお喋りよりも、勘の良い貴子さんに顔を見られまいと足が無意識に動いたようで、行き交う車の音で賑わう外はひんやりとした風が吹いていた。むしろ身体にはそれが心地良く、十五分ほど車内からぼんやり外を眺めていると携帯の音が私を呼んだ。
《島さん?・・私です》
「あ、今どこ?」
《出入り口のところにある公衆電話です》
「そう・・・・ここからじゃ、ちょっと見えないな・・・・貴子さんは?」
《もう、びっくりしちゃった!あ・・・・今はさっきの本のところですけど、なんだか見られてるような気がして・・・・》
「そうか・・・・俺ももっと早く気が付けば良かったんだけど、まさか来てるとは思わなかったし・・・・、まぁ、それはともかく、今日はやめておいた方がいいんじゃない?」
《・・・・・・いえ、気付かれないようにしますから。島さん、お願いなんですけど裏の方へ迎えに来てくれませんか?》
「裏!?わかった。・・・・じゃ、これから向かうよ」
駐車場を回り込むような形で、薄暗い住宅地の細い路地を抜けて行くと、やがてヘッドライトの灯火の中に浮かぶ女性を見つけ、すぐに車を止め照明を落とした。
ブルーのワンピースが闇の影に変わった。
「ごめんなさい」
ガサガサとした紙袋の音に声を重ねながら、横に腰を降ろす彼女の表情は、予めつかないようにしておいた車内灯に消されたが、落ち着かない雰囲気を察し、
「そうか、今日はデートだったんか?」
と、白々しく尋ねてみたりした。
「え!?・・・・もしかしてずっと聞いてたの?」
「いや・・・ちょっとだけね。さすがに見つかっちゃうような気がしたからさ───」
走り出して少しすると、車内の空気に僅かながら和やかさが加わった。
「気付かれなかった?」
「ええ・・・・たぶん」
「まぁ、いつかこんなことが起こるんじゃないかって思ってはいたけど、実際起こってみると焦るもんだな」
「ええ。も~目が点になっちゃった」
「いや、点というよりは凄い目だったよ」
「え・・・・そんなに・・・・やだ」
「冗談だよ。それはそうと何か買って来たん?」
差し込む明かりに照らされた紙袋を見て、思い出したように尋ねると、
「あ、これ。だってあ~言った手前、手ぶらじゃ出られないから」
「ま、それもそうか。だけど明日の朝、貴子さんに何か訊かれそうな気がするな」
「え!?どうして?」
「だってラシーンは止めてあるのに本人が店に居ないとなりゃ、ちょっと不自然だろ。彼女、勘が良さそうな感じだし」
「・・・・そうですかね」
そう口籠った彼女は困ったように顔を曇らせる。
「でも何分暗いし似たような車もあるから大丈夫か。それにそんな心配するのもあと少しのことだろうし・・・・」
場の空気を変えようと明るい調子で言ったつもりでも、
「・・・・・・そうですね」
と、俯く彼女に私も続く言葉を失ってしまう。二人の脳裏にある約束が浮かんだからに違いないと思った。
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