第30話
途中まで話を交えながら道順を案内している時だった。
「・・・・怒らないでくださいね」
と、突然ポツリと言い出す彼女に理由を尋ねたところ、
「道が知りたいなんて・・・・実は・・ウソなんです」
更に、
「御馳走になったのにあんな形でしかお礼が出来ないから、今日は私が御馳走しようって・・・・だけど本当のことを書いたら、きっと断られるだろうし・・・・それで・・・・」
「・・・・・・」
「怒った?・・・・怒りますよね」
「いや、ハハ・・な~んだ。そうだったの。だったら最初からそう言えば・・・・」
「え!?そう言っても断らなかったんですか?」
「あ、まぁ~御馳走するなんて言われたら断るかも・・・・」
「ほら、やっぱり・・・・」
「あ、でも今日はいいよ。どうせ遅くなるって言っちゃったし、ただし勘定は私が持つからね?」
「いえ、今日はだめです」
怒るよりも今時珍しいほど義理堅い彼女に、朗らかにさえなるのだった。
『ロッサ』に着いてからも、私たちは教習所の話を中心に時の経過を忘れた。
「そう。じゃ~西教習所で免許を取って、またそこで働くことになったんだ」
「ええ。私もまさかここに務めるとは思わなかったですけどね」
「そうだろうね。でも考えてみると人の縁なんて不思議なもんだね」
「え!?」
「免許を取った所で働いてる岩崎さんと、二十年振りに免許を取りに行った私がこうして食事してるんだから、なんだかおかしな話だよね」
「あ、そうですね」
「交差点ってやつかな?」
「え!?交差点!?」
「まぁ、普通、交差点っていうと道を連想するかもしれないけど、久しぶりに来たら教習所も実は交差点みたいなところじゃないかって思ったりしてね。いろんな人が来て教官などの人に出会って、またすれ違う車のように離れて行く・・・・」
「・・・・・・」
「それは教習所に限った話じゃなくて、そんな交差点はどこにでもあるんだろうけどね」
「そう言われればそうかもしれませんね。でも凄いですね。私にはとてもそんなことを考えられないですから・・・・」
「別にたいしたことじゃないよ・・・・あ、今日はこの間みたいに遅くなると悪いから、そろそろ行こうか?」
「いえ・・・・あ!だめですよ」
素早く私が手にした伝票を見て彼女は、
「今日は困ります」
と、必死に手を伸ばそうとするも、静かな店内の雰囲気からか、それは抵抗となるほどのものではなかった。
「いいんだよ」
「それじゃ~だって・・・・」
「ハハ・・こういう時は男が払うのが筋だし、まぁ恥をかかせないと思って・・・・」
一旦はそれで引き下がったように見えた彼女も、店の外に足を踏み出した途端、
「やっぱり、だめです」
と、納得出来ない表情と困った表情を交互に見せながら、バッグから財布を取り出そうとしている。私はただひたすら宥め続け、十分が過ぎようとした頃、
「わかりました・・・・じゃ・・お言葉に甘えます」
と、ようやく納得したかに見えた彼女であるが、
「私も島田さんのお願いを聞きましたから、島田さんも私のお願いを聞いてください」
と、助手席に乗り込む早々口を開く。
「お願い!?」
「ええ・・・・聞いてくれます?」
「まぁ・・私も少し気が重いところもあるし・・・・聞ける範囲だったら・・・・何?」
「あの~・・・・これからドライブに連れて行って欲しいんですけど・・・・」
「ドライブ!?」
「ええ。いけませんか?」
「いや、そんなことだったらお易い御用だけど、時間は大丈夫?」
「ええ!」
やや膨れ面を見せる彼女も、車から見える景色に次第にその口元を緩めだすのだった。
「私、こんな時間にドライブしたことってほとんどないんです。夜に走るって言っても、仕事の往復や買い物くらいの早い時間だけですし・・・・」
「そう~・・・・そうだ!どこか行きたいところある?」
「そうですね・・・・特には・・・・あ、眺めの良いところ」
「眺めか~・・・・う~ん、どういった感じで?」
「街の明かりとか見渡せるような・・・・夜景っていうか」
「夜景!?夜景か~・・・・」
「おかしいですか?」
「いや、そうじゃないんだけど、ほらああいう所って、カップルが行くところだしね~」
「あ、でも見た目には私達だってカップルみたいじゃないですか」
「あ・・・・まぁ・・・・言われて見れば・・・・ハハ・・そうか」
妙に納得した私はただ笑って、くねりのある山道へと車を向けた。
三十分ほど走ると、県内では割りと知られたスポットにたどり着く。
「十時か・・・・まだたぶんそこそこには見えると思うんだけど・・・・」
そう言って乗り入れた駐車場は季節外れを物語るように、わずかばかりの車が疎らに止まっているだけで、少し距離を置いた場所からでは、生憎夜の街が一望出来なかった。
「ちょっと場所が悪かったな・・・・」
「・・・・ええ・・・・でも歩いて行けばもっと良く見えるんでしょ?」
「見えるよ。だけど外は寒いよ」
「大丈夫です」
せっかく来たのだからと言う彼女の言葉に押され、冷たい風に身を縮めながら際にあるフェンスまで行くと、消え行くことを惜むかのような無数の明かりが目の前に広がり、
「お、けっこうまんざらでもないね」
と、見渡しながら呟けば彼女も、
「ええ・・・・とってもきれいです・・・・」
と、瞳に映し込んだ明かりをいっそう輝かせて答える。夜景以上にその瞳はきれいだった。
「やっぱり寒いですね」
ものの五分もしないうち、身体を窄め出す彼女に、
「ほらね~言った通りだろ?でもこの間の修検に比べりゃ、まだこんな寒さなんて」
「え!?修検ってそんなに?」
「も~!凄いのなんのって、風がビュービューの吹きさらしの中で待たされたからね」
「アハ、そういえば大型って何もないんですよね」
「だからさ、他の連中にも言ったんだけど、衝立か何かあったらいいなって」
冗談めいた口調に楽しそうに彼女は笑った。
それから間もなくのこと。
互いを気遣ったように車に戻ろうと、暗がりに止めた車の横を通りがかった時だった。何げなく見えてしまった恋人同士の激しいキスに、笑いのムードは一転させられてしまった。
「ちょっとびっくりしちゃった・・・・」
「やっぱりカップルの来るところなんだな」
車に乗り込んだ落ち着きと共に繋がり出した会話の糸も、どこか気まずい色で染められている。
「どうだった?」
「え!?・・・・」
「夜景!?」
「あ!?・・・・良かったです」
「そう。じゃ~良かった。・・・・ま、もう少し早い時間だと、もっと奇麗なんだけどね」
「いえ・・・・」
彼女の言葉が途切れた後、車内に変わった空気が流れたような気がしたため、ふと彼女の方に目を移した私は、その瞳を閉じた顔に動揺した。
「ど・・・・どうしたの!?」
さらりと尋ねたつもりも穏やかでない気持ちは隠せなかった。
「眠くなっちゃった・・かな!?」
「そんな顔に見えます?」
瞳を閉じたまま不機嫌そうな彼女の表情は、尚更らしい顔に見えて仕方がない。
「そ・・そんなって言うか・・・・何か誤解してない?」
「わかってます。これは・・・・私の気持ちですから」
「気持ちって!?こっちはなんちゃってカップルなんだし・・・・」
「・・・・そんなこと・・・・でも・・・・」
そう詰まらせながら瞳を開けた彼女は、
「私なんかじゃ・・だめですか?」
と、私の動揺を煽り立てるような目で見つめ返す。それは教習所でも食事のときも見たことの無い目だった。
「いや・・・・駄目ってことも・・・・」
そんな目に私は言葉を濁している。
「さっきのお店で島田さんに恥をかかせなかったのだから、私にも恥をかかせないでください」
「恥を?」
そういえば思い当たる節があると数十分前の記憶を過らせても、
「別に恥ってことも・・・・」
と、それに続く言葉はなかった。
「このままじゃ私、・・・・明日仕事に行けません」
「そ・・それも困ったな・・・・でも私も一応は男だからそれだけじゃ済まないかもしれないよ」
らちがあかない押し問答に終止符を打とうと、あえて脅しにも似た言葉を並べて見せた。虚仮威しでもそれで彼女の気が変わればと思ったからだ。
「・・・・わかっています。・・・・私だって子供じゃありませんから・・・・そのくらいのことは弁えてるつもりです」
「・・・・・・」
覚悟はしているような口調も私にはただの強がりにしか思えなかった。
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