第29話

「こんにちはぁ~」


 夕方、店の一角で商品の片付けをしている最中、突然聞こえた声に振り返れば、スリットの切れ目から細い脚を覗かせた女性がこちらを向いて笑っている。

「あれっ!?珍しいね~!どこのモデルが来たんかと思ったよ」

 そう言って笑みを浮かべる私に、

「ニャハ~。もぅ~島さんったらぁ、目が良いんだからぁ~。元気~っ?」

 と、色づいた長い爪で口元を隠しながら、その女性は舌足らずの口調で冗談を飛ばす。

「あ~。それだけが取り柄だから。どう?そっちも変わりない?」

「え~。ぜんぜん!あ、居るぅ?」

「ああ、ピットの奥に居ると思ったな。圭ちゃ~ん!お客さんだよ~!あれ!?車替えた!?」

「あ~ゴルフ車検なんですよぉ~」

「あ、そう。代車なんだ。今日は何!?休み?」

「え~。有休でぇ、たまには島さんの顔見ようかなぁ~って」

「またまた~うまいね~!でもたまにはなんて言わず顔見せなよ」


 コクリと頷いた後、ほんのり赤みがかった髪をかきあげる仕草は、どこか懐かしく見えたりもした。

「な~んだ智美か~。お客さんなんて言うから誰かと思ったよ」

 奥から来る早々、圭ちゃんは無愛想な言葉で出迎えたが、互いに見せる表情からもこのところの付き合いはうまく行ってるような気がした。

「そういえばぁ~島さん教習所行ってるんだっけぇ」

 それはこんな言葉からでも二人の距離が伺える。

「ああ、こっそりとね」


「そっかぁ~。あ~智も大型行こうかなぁ~っ」


 冗談とは言え、思わず圭ちゃんと目と目を合わせてしまった。

「大型って?」

 ただし、圭ちゃんには洒落にならない言葉だったようだ。

「ゴルフも満足に運転できない奴がよく言えたもんだな。車検と一緒に鈑金も入ってんだから」

「あ~っ、それ言わないって言ってたのにぃ~」

 智ちゃんの膨れっ面に思わず、しまったという顔を圭ちゃんはしてみせたが、そのやり取りですら私には心地良く聞こえた。

「今日は何?圭ちゃんと飯でも行くん?」

「え~。島さんの居ない間ぁ、智がちゃんとぉ仕事してるか見張ってるからぁ、安心して出掛けていいですよぉ~」

「ハハハ・・・・じゃ~智ちゃんにあとは任せて行くとすっか!でもうちの従業員は真面目ですから、その心配はしてないですよ~」

「え~~!真面目ぇ~?」

「ま、世間的には不真面目そうに見えるかもしれないけど、うちの茶髪でロンゲの社員はちょっと違うんですよ~・・・・あれ!?そこが良かったんじゃない?」

「ニャハハ・・・・もぉ~っ」

「じゃ~圭ちゃん・・・・悪いな・・・・」

「えっ!?・・・・あ、行ってらっしゃい」


 微妙なニュアンスを感じ取ったのか、一瞬圭ちゃんは言葉を詰まらせた。

 実は三日前のあの夜に、食事に行く相手として使ったのは圭ちゃんの名前であり、その無断で借りたお礼が、つい口調に現れてしまったようだ。


 逆に彼女は忠実に実践していた。


 扉を開けた私に目もくれることなく、じっとパソコンの画面を眺めている。あるいは気が付かないのかとも思ったが、いつもは誰が来たかと確認するはずの彼女が、一度もこちらを見ようとしないので、恐らくわかって振る舞っているのだと思った。それがあの日の約束であると、私も何食わぬ顔で時間を待ち続けている。

 そんな彼女と目を合わせたのは、教習カードを取りに出向いた時で、言葉の代わりとしてわずかに浮かべた笑みを交わし合う。それも瞳の中だけのことである。

 バインダーにきちんと並ぶカードを見て、すべてが元に戻ったのだと、ためらいも無く手にして戻ろうとした途端、指先に妙な感触があることに気付く。だが、あの時のような驚きはない。すぐに何であるのかピンと来たからだ。

 それよりも長椅子に腰掛けた私はうまいこと騙されたと、一枚に見えるその重ね合わせた技術に感心し、微笑みさえ浮かべてしまうのだった。


 正確に四隅を合わせ薄いテープか何かで貼ったのか、ちょっと触れただけではずれないために、バインダーに並べられたのだろう。カードにはこう書き記されていた。



[この間はごちそうさまでした。今日はちょっとお願いがあってペンを取りました。じつはあの店にもう一度行こうと思ったのですが、道がよくわからないのです。仕事が終わったら携帯に連絡しますので、もし都合が悪いようでしたら、メモに書いて予約のときにでも渡してください」



 私にしてみれば容易い用件であると、要せずして席を立ち路上の教習に向かい、お馴染みになった原さんの愚痴に付き合って場内に戻れば、すっかり辺りは薄暗くなっていた。


「一応、コースに入る手前でヘッドライトを落としてくれる」

 そう原さんに言われスイッチを一つ戻すと、

「ちょっと暗くて見辛いですね」

 と、あまりの暗さから思わず口に出せば、

「ああ、そうだな。でも一応これも決まりでね。場内では照明が灯ってるのでライトは消すことになってるんだよ」

「照明ですか!?」

 と、私はぼんやりと灯る寂しいまでの明かりを見つめて言った。

「まぁ、こんなんでも点いてるってことなんだよな」

 決まりと言われれば仕方がないにしろ、スモールライトだけでは先にある道路を見ることすらままならず、これが安全を教える教習所なのかと、疑問よりも出たのは笑いが先だった。


「予約をお願いします」


 それからいつものようにカウンターの前で告げれば、彼女も普段通りディスプレイ横目にキーを叩き、私はそんな明かりを取り入れた彼女の瞳を眺めている。

 すると時々カウンターに置く私の右手に、視線を運ぶ彼女に気付くのだが、その時はまだ理由がわからずにいた。

「じゃ~、来週水曜の六時で」

 教習も半分を折り返した頃になると、当初の短期間に済ませてしまおうという考えは、少しでもここにいる時間を楽しもうに変わりつつあった。一時間ずつ乗っても直だと言った圭ちゃんの言葉もそれに拍車を掛けたのか、私は一時間の予約を取ったところで、

「あとはもういいですから」

 と、手を上げる。とは言え、それがずっと伏せたままの右手であったため、彼女の目は私よりもカウンターに向き、その後こちらを見て膨れたように笑みを浮かべるのであった。


 ブルル~~・・ブルル~~・・。


 本屋で待つ私の電話が振れる。ほぼ前回と同じ時間だった。

「もしもし島田です」

《もしもし岩崎です・・・・こんにちは》

「あ、どうも、こんばんは・・・・時間通りだね」

《ええ・・あ、もうこんばんはの時間ですよね・・・・今、大丈夫ですか?》

「あ、大丈夫だよ」

《『ワールドブックス』ですか?》

「そう。わかる?」

《ええ。音楽が聞こえますから・・・・でもさっきはちょっと驚きましたよ》

「え!?どうして?」

《・・だってメモを持ってるようにしてたから、都合が悪いのかと・・・・あれ、わざとなんでしょう?》

「え!?・・・・あれ!?そんなことしてた?いや・・全然気が付かなかったな」

《本当ですか~?》

「本当だって・・・・あ、そうか、それで・・・・」

《あ、でも違うのなら・・もう・・》

 と、自分の勘違いに彼女は恥ずかしそうな口調で答えた。


「・・・・あ、そういえば道だったね」

《ええ、良く覚えてないものですから・・・・》

「まぁ、話してたのもあるけど暗かったからね。それにあそこはちょっとわかり辛いからな~。じゃ~どうしよ!?本屋からで良いかな?」

《あ、でも聞いただけだとちょっと・・・・》

「あ、そうか・・・・じゃ~あとで地図に描いて渡そうか?」

《あ、地図は・・苦手で・・・・》

「え!?あ・・そう・・・・じゃ~どうしたら良い?」

《あの・・・・一緒に行って教えてもらえませんか?》

 突然の彼女からの誘いにも私は驚いて動揺することもなかった。それよりも他に良い教える手立てが浮かばなかったので、一番の早道だとばかりに引き受けることを承諾する。


(まぁ、適当な言い訳を考えるか・・・・)


 後ろめたさよりも、無理なお願いを聞いてもらったからという感謝の気持ちの方が強かったのだろう。

「お待たせしました」

 それから一時間後、呼び止める声に振り向く私は、

「あれ!?岩崎・・さんだよね」

 と、思わず惚けてしまうほど、今日の彼女は大人びて見えた。

「でも、さすがは女性だね。こう、なんて言うかお洒落って言うか、私みたいにいつも似たような格好してるのとは違うよね」

「そんなことないですよ。でもこの間は子供っぽく見られたから、今日はちょっと意識して選んで来たんです」

 車に乗り込むなりそう言って彼女は笑う。

「そうだった?・・・・。そんなこともなかった・・・けど。じゃ~説明するからね。まずはこの道を東に行く。・・・・あ、なんだか教習所の教官みたいだね」

「え!?あ・・そうですね」


 微笑ましい声が車内に響いた。

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