第28話

「おかしいですか?」


「あ、まぁ・・と言うより今日はいろいろと驚くことが多いなって・・・・そうか~そうだよな~・・・・あ、あと十分くらいで着くからね。スパゲッティでいいかな?」

「ええ。そのくらいでしたら持ち合わせもありますから」

「ハハハ・・・・良いんだよ。今日は私が誘ったんだから、そんな心配しなくて~」

「え・・でも・・・・それじゃ~」

「まぁ、メモにも書いたんだけど、今日は教習所の話を聞かせてもらうだけで充分でね」

「教習所の!?・・・・」

「そう。だから変な気遣いはしなくていいから。まぁ、なんて言うか教習所の話っていうと、変に聞こえるかもしれないけど、以前も実は今のところに来たことがあってね」

「西にですか?」

「そう」

「普通車で来たんですか?」

「いや、二輪だよ。それも古い話でね。なんせ植木所長がその時の教官だったから」

「所長が!?・・・・」

 と、目をやや大きく開いた彼女は笑みを浮かべる。


「教習所を楽しむ暇も無かったというか、そんな余裕も無かったんだろうけど・・・・だけどこうして久しぶりに来て見るとこれが結構楽しくてね。まぁ、せっかく来たんだから楽しんで行こうかなって」

「そうなんですか・・・・」

「コースを走ることもそうだけど、同乗した教官といろんな話をするのがまた面白くてね。そうしたらいつの間にか、教官以外の人にも訊きたくなっちゃって・・・・でも驚いたよ」

「驚いた!?」

「メモを渡した時、表情をまったく変えず落ち着いてたようだったから、ひょっとして何度か同じようなことがあったのかなって?」

「え~!そんなこと──。なんて言うのか最初はよくわからなかったんですよ。もちろんメモをあんな形でもらったこともないですから読んだ時にはびっくりして・・・・二回目の時なんて凄くドキドキして──。それに教習に来る人は若い子ばっかりですし、私、あまり年下って子供っぽいから好きじゃなくて・・・・」

「え!?じゃ~今日来たのは私が年上だからとか?」

「いえ・・・・そんなこともないですけど・・・・」

「あ・・そう・・・・でも若いって?私からすればたいして違わないように見えるけどな~」

 と、あまりに意外と思える言葉に薄ら笑い浮かべれば、

「え~!?そんなことないですよ・・・・子供っぽく見えます?」

 と、彼女は少し不機嫌そうな顔を見せる。

「いや、そんなつもりで言ったんじゃ・・・・あ、ここだよ」


 限られた時間を惜しむように話続けたせいか、知らぬ間に来ていたと思わせるほど、時と車の流れは会話と離れていて、どこをどう走って来たのかさえ、記憶に留める透き間はなかった。

 町外れの比較的通りの少ない道路に面した『ロッサ』と言うイタリアンレストランは、本格パスタが味わえる穴場の店ということで、かつて圭ちゃんと一度だけ訪れたことがあるものの、男同士で来るには場違いの理由から、あれ以来足を運ぼうともせず忘れかけていた場所でもあった。したがって懐かしいよりも初めて来た感覚に近かった。


「ここ知ってる?」


 歩きながら拳一つほど低い彼女の頭を見つめ尋ねると、

「いえ・・・・あまり食べ歩いたりしないんでこういうお店には疎くて・・・・」

「そう・・・・けっこう美味しいって評判の店だから口には合うと思うよ」

「よく来るんですか?」

「いや、今日で二回目。それも前は男とだったから、女性と来るのは初めてだよ」

 窓からこぼれる淡い光が彼女の顔を優しく映し出している。

 オーダーを取り終えた店員がテーブルから離れた後、私は一枚の名刺を差し出し、

「まぁ、どこの誰なんてのは入所の時に書いたから、調べればわかることだけど、一応形式的と言うか、口説こうなんて思われても困るからね」

「いえ・・・・別にそんな風には・・・・あ、でも、お返しする名刺が・・・・」

「あ~それは構わないよ」

 困った表情を浮かべる彼女に右手を左右に振りながら言うと、


「じゃあ、岩崎恵理香です」


 と、彼女は姿勢を正し自分の名前を告げた。

「あ、どうも・・・・恵理香!?」

 つい畏まって軽く頭を下げた私は、疑問そうにその名前を呼んだため、

「ええ・・・・お知り合いにでも?」

 と、少し顔を屈め彼女は尋ねる。

「いや、そうじゃなくて、ちょっとお洒落な名前だなと思って」

 そう言う私の言葉に顔を緩ませ、

「名前だけは割りと気に入ってるんですよ」

 と、うれしそうに話した彼女は、

「島田さんは店長さんなんですね」

 と、続ける。

「まぁ、そんなところかな。そこの店はトラック用品なんか販売してるんだけど、時々運転したりすることもあるから、免許はあった方がいいだろうってね」

「それで大型の免許を?」

「そういうことになるね。あ、もし不躾なこと訊いちゃったら遠慮なく言ってよ。それと無理に答えられなかったら、答えなくてもいいから」

「ええ・・・・わかりました」

「じゃ~早速だけど・・・・そうだな・・・・何から訊こうかな?」

 と、改めて彼女を見れば、何か非現実的な光景に抱いていた質問ですら見失ってしまい、

「でもなんだかこうしてるのも変な感じがしない?」

「え!?」

「いつもは何て言うのか、明日の四時五時なんて話してるだけだからね」

「フッ・・・・そういえばそうですね」

 と、彼女は目を細め楽しそうに笑った。


 頼んだ料理が白いクロスを飾り出す合間にも、記憶の片隅にしまって置いた他愛のない疑問を少しずつ私も並べていけば、彼女の答えを聞くたびに、スッと何かが軽くなって行くような気がしてならなかった。

「そうですね・・・・確かに今でも時間が空くと退屈になっちゃうこともありますけど、それが仕事だから・・・・それよりも身体を動かさなかったりするんで足とかが冷たくて、そのほうが辛いですかね。それとあとはやっぱり目ですね・・・・」

「目・・と言うとドライアイとか?」

「ええ・・・・それで肩が凝っちゃって・・・・」

「なるほどね~座ったままの仕事も楽じゃないんだね・・・・あ、それで膝掛けを?」

「ええ・・・・気が付きました?」

「まぁ、予約取りに行った時だったかな?・・・・そうそう話してばっかりじゃ冷めちゃうから食べて?」

「ええ・・・・、じゃあ。いただきます」

 暗闇の中に映る彼女の横顔に時折目を移しては、私は彼女からの話をパスタと共に噛み締めていた。お陰で旨いと評判のある味も、店内に流れる音楽同様に脇役でしかなかった。

「おいしい・・・・」

 何度か彼女からそんな言葉が零れ、赤いスープの皿がテーブルから消え去ると、


「あの~・・・・私からも訊いていいですか?」

 と、ジュースを一口飲み終えたところで彼女が一言告げる。

「あ、どうぞ」

「結婚してらっしゃるんですよね?」

「ええ・・・・っていうか一応は」

「それで・・・・奥さんは今日のこと?」

「・・・・知らないよ。まぁ、疚しい気持ちで来てるわけじゃないけど、話してもきっと誤解を招くだけだろうから、今日は知り合いと飯食べて来るって話しただけ」

「そうですか・・・・あ、それから・・・・断ったメモのことですが、怒ってます?」

「あ~、あれね~!怒るも何も・・・・まぁ、あの時は誤解されたのかなって思ったけど、考えてみたらそれが普通なんだろうね・・・・だから次にもらったのを見た時は、その反動って言うのかちょっと驚いたね・・・・あ、そういえばメモは誰にもバレなかった?」

「ええ、たぶん」

「そう。じゃ~よかった。肩身の狭い思いでもさせちゃったら気の毒だからね。特に隣にいる人に、バレるんじゃないか心配で・・・・」

「あ~貴子さんね。受付の?」

「そう・・・・貴子さんっていうの?」

「ええ。でも何も訊かなかったから、気付いてないと思いますよ・・・・彼女にも話を?」

「いや・・・・軒並み聞こうってわけじゃないから・・・・あ、どう!?いっぱいになった?」

 ふと出た言葉に、いつか見たシーンを過ぎらせるものの、単なる偶然にしか思えなかった私は店員にメニューを催促し、やがて色鮮やかなデザートがテーブルを飾る。


「今日は吸わないんですか?」

「え!?」

「タバコ」

「あ・・まぁ・・・・」

「良いですよ。無理しなくても・・・・いつも美味しそうに吸ってるの知ってますよ」

「あ、そうだったっけ。じゃ~遠慮なく・・・・」


 微笑みながら言う彼女に、照れ臭そうな顔を見せると、取り出したタバコに火を点ける。

 思えばこんな在り来りのことも忘れさせる時間が流れていたのだと、吐き出しながら一味違うタバコを楽しんでいた。


「──仕事柄動けないんで、退屈になっちゃうとつい待ってる人とか見ちゃったりして・・・・本当はいけないんでしょうけど・・・・よく見てるなって思ったでしょ?」

「え!?」

「だから・・・・はじめ誘われた時、それが原因だとばっかり・・・・」

 彼女から聞かされた話に私は目を丸くし、むしろ見ていたのは自分であることを素直に告げた。意外だったのは彼女にしても同じだったらしく、涼しそうな目元は驚きに満ちていて、そんなお互いの勘違いがおかしかったのか、やがて店の片隅には安心から零れる笑い声が咲く。それだけでも充分価値があったと、二度と訪れないであろう時間を脳裏に刻んだ。


 ラストオーダーを告げに来た店員は現実をも運んで来たようで、

「あ・・・・うっかりしてたな。すっかり話に夢中になって時間のこと忘れちゃってたよ。おうちの人心配してるんじゃない?」

「いえ・・・・大丈夫ですよ。もう子供じゃないんですから・・・・そんな・・おうちの人だなんて」

 彼女はそう言って怒ったように笑って見せた。

「あ、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだけど・・・・」

「ええ、いいんです・・・・でも本当に御馳走になっちゃっていいんですか?」

「もちろんだよ。お陰でいろんな話を楽しく聞かせてもらったからね」

「いえ、そんな私は何も・・・・なんだか楽しかった」

「そう!そう言ってもらえると誘った方としてもうれしいね。今度友達でも誘って来たら?」


 ヘッドライトに浮かぶ街が、不思議と鮮やかに見えたのは清々しい心のせいだと思った。

 横に座る彼女にはとても寒くて伝えなかったが、これがもしオープンカーであったなら、思わずトップを開けて走っていたに違いない。とは言え、それは彼女を独占しているからでも、送り届ける時間を惜しんでのことでもなく、あきらめ投げ出していた問題の答えが、突然解けたような単純なものでしかなかった。

「あ、そうそう。恩着せがましく聞こえるかもしれないけど、ご馳走したからといって無理に予約を都合してくれなくてもいいからね」

「ええ。大丈夫ですよ。こればっかりはしてあげたくても出来ないですから」

 楽しそうに受け答えする彼女の目からは、数時間前の堅さは消え失せていた。

「それから・・・・教習所に行っても何も無かった顔でいるから、同じように振る舞ってくれれば」

「え!?」

「な~に、妙に馴れ馴れしくして何か誤解されてもいけないだろうし、小声で話したって所長まで聞こえちゃうような場所だからね」

「あ・・・・そうですね~。わかりました」


 彼女を見送った後、家路へと向かった私は、ようやくタバコの煙を車内にくゆらせる。

 わずかに開けた窓から吹き込む風が、煙と一緒に彼女の残り香を寒い夜空へと連れ去って行った。

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