第31話
「どうだった?圭ちゃん」
「いえ、いつもと変わらなかったですよ。お客さんと言えば・・・・」
「いや、そんなことじゃねぇよ。智ちゃんと出掛けたんだろ?」
「あ、そっちですか。それもいつもと変わらずって感じですけどね。島さんこそどうでした?」
「え!?あ・・・・俺!?・・・・何が?」
「何がじゃないでしょう。教習所ですよ。誰だったんですか昨日は?」
「あ~、それね。ハハ・・昨日はほら・・、あの・・、愚痴りの人さ」
突然返された質問に困ってしまったのは、やはり昨夜の出来事のせいなのだと思った。
しかし、そんな一件以来、教習のある日に食事やドライブに出掛けるのが自然となり、島さんと呼ぶ彼女の口調も、私の言葉遣いも変わって行った。それでも教習所では今まで同様、何食わぬ顔を演じ続けている。
カードを貼り合わせる手間がなくなった代わりに、彼女は瞳で話すようになった。
少し時間を掛けてする瞬き。
それが教習所で私を迎えてくれる時の彼女流の挨拶で、見送るときも似たようなことをし、私は鼻をちょっと擦って応えるのである。誰にも気付かれることの無いささやかな時間だった。
「あ、こんちは」
「あ~どうも。どう?順調に進んでる?」
「ええ。今日乗れば明日卒検ですよ」
「卒検!?そりゃ~はえ~な~」
その日私は修検で一緒だった若い彼と、久しぶりに会い笑顔と言葉を交わした。
「でもそんなに違わないんでしょ?」
彼はそう控えめな口調で言いながら私の手帳に目を移すも、
「いや、まだ俺なんて半分も行ってねぇよ」
と、それを開けば彼の表情も変わるのだった。
「あ・・・・どうしたんですか。仕事でも忙しいんですか?」
「いや、そんなこともねぇんだけど、ここんとこ、ちょっとのんびりしてて・・・・すっかり先越されちゃったな。そうだ。運送屋の彼とは行き会ったかい?」
「ええ。あの人にもこの間会ったんですけど、ほとんど変わらなかったですから、来週辺りじゃないですかね」
「そうか・・・・みんな順調だな・・・・明日か・・・・」
「ええ」
「一発で合格しろよ」
「そうですね」
彼は照れ臭そうに笑った。
「・・・・ってことは、もう会えなくなるんだな」
私はしみじみとした口調で彼を見つめ、
「そうだ。これも何かの縁だし、結果も知りたいから良かったらここに後で電話してくれよ」
と、バッグから名刺を取り出し彼に手渡した。彼はそれを見つめてから、
「ええ。必ずかけますから。あ、俺、佐藤と言います」
「佐藤さんか。良い知らせ待ってるから」
「わかりました」
修検の時とは違うその明るい口調は自信に満ち溢れていて、まず合格は間違いないだろうと確信するのであった。
「じゃ、乗って来ますから」
片手を上げて立ち去る彼の後ろ姿を見送り、一人長椅子に腰を降ろせば、
(そういや・・・・あの頃・・何してたっけな~?)
と、何げなく若い彼と遠い日の自分を照らし合わせたりしていた。やがてそれにいつの間にか真剣になり、彼女を見ることも忘れ没頭している。
遠い日の記憶だった。
───「今日は何考えていたんですか?」
「え!?今日!?」
その夜、待ち合わせた車に乗り込む早々、彼女は口を開く。
「路上を待ってる時ですよ。凄く真剣だったから・・・・」
「あ~・・あれ、いやね、二十三歳の頃は何してたっけなって・・・・」
「私くらいの時?」
「そう」
「聞きたいな。何してたんです?」
「そうだな・・・・何ってこともないんだけど、病院によく見舞いに行ってたかな」
そう言って駐車場から車を出すと、流れるライトの列に紛れた。
「病院!?友達とか?あ・・もしかしてその頃の恋人だったりして」
「いや、そんなんじゃないよ。ちょうどその頃、事故起こしてね・・・・それで」
「島さんが?」
「そう・・」
「そうだったんですか・・・・ごめんなさい。知らないもんだからつい私・・・・」
「あ、別に気にしなくて良いよ」
「大きい事故だったんですか?」
「まぁね。でも無事に退院出来たよ」
「・・・・そうですか。大変でしたね・・彼女も心配したでしょうね?」
「彼女か・・・・フッ・・そうだな・・・・いたとしたら心配かけただろうな。でも・・・・そんな人もいて欲しかったよ」
「・・・・・・」
「精神的にも辛かったし・・・・なんだか暗い二十三だったな・・・・岩崎さんも良い二十三になるよう事故には気を付けなよ」
「ええ。・・・・その頃出会ってたらきっと私が心配して上げましたよ」
「えっ!?そう?」
慰めから出たにしては、随分大胆なことを言うものだと、
「その頃って言ったらいくつ?・・・・小学校の三、四年か~」
などと、笑いを浮かべて惚けて見せれば、
「そういう意味で言ったんじゃありません」
と、否定した彼女はばつが悪そうに口を噤んでしまう。私も同じだった。
それは言わずと知れた彼女の気持ちが伝わったからで、
「そうだ。どう今夜はゲームでも行かない?」
思わず話題を変えようと出たのは、我ながら突拍子もない言葉であると、
「ゲーム!?」
首を傾げる彼女の姿に思った。
「そうそう。ゲームセンター。ゲーセンって言った方がピンと来るかな?」
「いえ・・・・」
「行ったことある?」
「いえ・・・・。でも良いですよ。私見てますから」
「大丈夫!すぐに出来るようになるって!」
自動ドアが開くと同時に、騒々しい音に目を白黒させながら、彼女は物珍しそうに辺りをキョロキョロしている。
「うるさい?」
「ええ。とっても・・・・でも平気です」
いつしかそんな彼女は様々なゲームに笑い、悔しがり、汗も滲ませるほど夢中になり、私も何かを忘れるようにおどけた。それは時間だったのか、家庭のことだったのか、あるいは残された教習の時間だったのかはさておき、楽しい一時は瞬く間に過ぎて行くのであった。
教習も順調に消化され、既に路上も半分を折り返していた。鼻を擦った後、外に出て真っすぐ車庫を目指す。思えばこんなことですら自然に感じるようになった。途中、次の教習の準備をするベテランに、「こんちは」と声をかければ、「あ、どうも」と、ベテランはうれしそうな顔を浮かべ答える。実に良い笑顔だと思った。
それが一歩助手席に乗った途端、別人とも思える凛々しい顔に変わるのだから、ベテランの仕事に対する意気込みには、ただ驚かされたものである。
「車庫入れはやったか?」
「いえ、まだです」
「よし、じゃあ今日は場内で車庫入れをするから」
山本さんとの簡潔な会話を合図に、言われるまま車を外周へと走らせると、久しぶりに見る場内に懐かしさすら感じた。そして路上に出たことで車庫入れと縦列駐車を、すっかり忘れていることに気付くのだった。
(そうか~、これは路上に出てからやるのか・・・・)
などと考えていると、横で手帳を見ながら、
「週に一回、それも一時間だけとは、ずいぶん最近はゆっくりしてるじゃねぇか」
と、薄笑いを山本さんは浮かべる。
「そんなに予約も混んでるようには思えねぇけどな~。それとも仕事が忙しいんか?」
「そうですね。ちょっと仕事の都合と合わなくて・・・・」
私はつい体裁の良い言い訳をした。
素直にゆっくり楽しみたいと話そうとも思ったのだが、それとて最近は言い訳のような気がしてならなかったからだ。
「木炭車って知ってるか?もう知らねぇかなぁ~・・・・西から入ってもう一度車庫入れするから」
「はい。あ、聞いたことがありますよ」
「そうか。あれが今と違ってエンジン掛けるのにも時間が掛かってな~」
「はぁ~」
「ま、そんな仕事はみんな助手が朝早く起きてやったんだけど、火を起こしてエンジンを温めて置いて運転手が来るのを待ってるわけだ・・・・それから───」
耳を傾けていたとは言え、コースを周回しながら見える建物に、山本さんの話はいつの間にか遠のき、代わって私の頭には徐々にあの夜の光景が広がって行くのだった。
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