第27話

 携帯が着信の知らせを伝えるため、ブルブルと振動したのは、車庫に戻ったおおよそ三十分後の夜七時のことである。すぐに彼女からの電話だと察した。



 立ち読んでいた本を差し戻し、速足で店の外へと向かった私はそそくさと電話を取り出し、痺れるような感触を断ち切らんとボタンに指を掛ける。

 そもそもこんな展開になった理由は、彼女に渡したメモにある。

 話を聞けると安心したのもつかの間、先行きの見えない話にどこか歯切れの悪さを感じた私は、とりあえずその約束だけでも交わそうと考え頭をひねった。もちろんメモでも良かったのだろうが、あの日は駄目、この日は駄目となった場合、いたずらに時間ばかりが過ぎ、それこそ歯切れが悪いというもの。従って直接話すことが一番の近道だろうと思った。


 彼女の気が変わらないうちというより、私自身、早く片付けてしまいたいことだったかもしれず、予約に向かう前にペンを走らせた私は、そっと彼女に差し出し、前回と同じようにまた白い指がそれを隠した。

 メモには仕事が終わり次第電話をくれるようにと綴り、携帯番号を下に書き加えた。


「もしもし、島田ですが・・・・」


 すっかり日の落ちた暗がりに光る携帯を耳に当てると、

《もしもし、岩崎です》

 と、聞き馴れない名前を告げる女性の声。名前と声とを結び付けるのに一拍空けて、

「あ、どうも・・・・なんだかつまらないこと頼んじゃって申し訳ないですね」

 と、つい電話片手に頭を下げる。

《いえ・・・・大丈夫です》

 労ったように答えた声は確かに彼女であっても、普段にはない表情が口調の中に感じられる。優しい声だった。

「仕事は終わったんですか?」

《ええ、つい先ほど》

「いつもこのくらいの時間に終わるんですか?」

《ええ・・・・そうですね。だいたいこのくらいには・・・・》

 他愛もないことでも、あの彼女と予約以外の話をしていることが信じられず、尚且つ何かが満たされて行くような不思議な時を感じた。


 十五分ほどの通話を終え、店内に戻った私はしばらくうろうろと歩き回る。

 落ち着かなかった。

 本を取り出しパラパラ捲って見ても、意識は知らずとポケットの携帯に向いてしまう。絵を眺め文字を読んだところで上の空の内容に、次々と本を変えるがどれも似たような物でしか無かった。



────《え!?今日、これからですか?》


「ええ。もちろん今日でなくても構いませんよ。たまたま私が都合が良いんで訊いてみただけですから・・・・それにいろいろと予定もあるでしょうし・・・・」

《ええ・・・・特に予定って予定は・・・・今日だったら何時頃?・・・・》

「何時でも良いですよ。って言ってもそんなに遅い時間でもなんですから、まぁ適当に都合のつく時間で・・・・」

《そうですね・・・・じゃあ・・・・今日で》

「あ、別に無理しなくっても良いですよ?」

《いえ・・。ただ少しだけ待っていただけますか?一度家に行きたいので・・・・》

「どうぞどうぞ。ぜんぜん構わないですから」

《すみません・・・・それでどこへ行けば良いんでしょう?》

「そうだな~・・・・わかりやすい所で待ち合わせた方がいいですよね?」

《そうですね・・・・あまり道には詳しくないんで私もその方が・・・・》

「だったら、教習所から東に二キロくらい行ったところにある本屋なんてどうですか?」

《東に!?・・・・『ワールドブックス』ですか?》

「ええ。実は今そこにいるんですよ。ここだったら車も止めて置けるし、本でも見ながら時間も潰せますし・・・・」

《わかりました。・・・・八時頃までには行けると思いますので・・・・》

「別に慌てなくても平気ですよ。そうそう、それと駐車場に来たらまた電話してください。そうすれば店の中をうろうろしなくても済むでしょうし」

《そうですね・・・・・・わかりました》


 時計を見るとかえって時間が気になるだろうと、ただひたすら本を眺めることに専念してはみたが、どうしても携帯から意識が離れず、ちょっとした動きでも振れた感じがして、そのたびに緊張を走らせてしまうのである。そんな行為がもどかしいと、店内を縦横無尽に歩き回ったりして気を紛らせた。

 どのくらい経っただろうか。いつしか開く本に気持ちが傾き始めた頃、


「こんばんは・・・・」


 どこからともなく聞こえた声に何げなく振り返れば、突然とブルーを基調としたワンピース姿の女性が目に映る。

「あ・・・・」

 きっと見ているものと頭が噛み合わない顔だったに違いない。聞き覚えのある声が誰なのかよりも、集中していた本と店内のBGMが入り乱れて、何となく振り向いたに過ぎなかったからだ。

 うっすら微笑みを浮かべる顔は紛れも無く彼女であるものの、解いた髪や化粧のせいだろうか、私は戸惑いながらも淡い色に染まる口元を眺めていた。


「あ・・・・どうも・・・・いや~驚いたな。・・・・え?だって電話するって・・・・あ、じゃ~探したんじゃない?」

「いえ・・・・それほどでも・・・・」

「そう・・・・じゃ~良かった。それにしても格好が違うから一瞬、誰だかわからなかったよ」

 私は照れ臭そうに笑いながら言った。

「そうですか?・・・・でも制服じゃ来られないですから」

「まぁ・・・・それもそうだね」

「・・・・おかしいですか?」

 つい定まらないような私の視線にポツリと彼女が訊く。

「いや、そんなことはないんだけど・・・・」

 素敵に見えたという台詞は喉辺りで止めておいた。

「ここで立ち話もなんだから、とりあえず行こうか?」

「そうですね」


 少し離れて歩く彼女と店の外へと出れば、ちりばめられた明かりが夜の暗さに広がっている。

「車は?」

「あそこに止めてある白のラシーンです」

「ラシーンか・・・・でもここから電話してくれれば、すぐ出て来たのに?」

「・・・・あ、私、携帯持ってないんですよ」

「え!?・・・・あ、そうだったの・・・・え、じゃ~あの電話は?」

「教習所にある公衆電話からです」

「公衆!?あ・・・・あそこからね」

 と、確認もしなかった自分をごまかした。

「どうぞ」

 そう言って早々と車に乗り込むと、彼女は助手席のドアを開け、

「失礼します」

 と、言いながら腰を降ろし、ショルダーバッグを膝に乗せベルトを掛け始める。


 さすがは教習所に勤めるだけのことはあると思いながらも、密接ともいえる隣り合わせの距離に私は少なからず動揺した。車内に広がる香りのせいであったかもしれない。

 走り出して間もなくのこと。

「やっぱり・・・・携帯持ってないって変でしょうか?」

 と、思い出したように弱々しい声で訊く彼女。

「いや・・・・そんなことはないと思うよ。でも最近は持ってて当たり前みたいになっちゃってるところもあるからね。特に若い女性なんて言うとほとんど・・・・あ・・・・まぁ最終的には個人の自由なのかな?」

「そう・・ですよね」

「でも無いと不便じゃない?例えば彼氏と連絡取り合うとか?」

「いえ・・・・特には・・・・彼もいないですし・・・・」

「え!?・・・・」

「おかしいですか?」

「いや、そうじゃなくて、ちょっと信じられないなぁと思って」

「居るように見えます?」

「まぁ・・・・ね。だから今日のこともその辺が気掛かりだったりしてね」

「そのことでしたら、大丈夫ですよ。本当に居ませんから」

「あ・・・・まぁ、それはいいんだけど・・・・そうだ。はじめは断ると書いてあったのに、どうして変えたのか気になってたんだ。あれって、もしかして同情してくれたとか?・・・・」

「え!?いえ・・・・あれは・・・・はじめから返事をしたら軽く見られるんじゃないかと思って・・・・」

「えっ!?」



 私は思いも寄らぬ答えに驚きながらも、思わず笑い出すのであった。

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