第18話

 嫌な予感とは実に当たったりするものだが、今回だけは外れて欲しい。祈るような気持ちで見つめていても、無情にも開けたのは一号車の扉だった。


「よろしくお願いします」

 至って普通に言ったつもりも歓迎を示すトーンではなかった。

「はい。お願いします」

 と、ぶっきらぼうに山本さんは答えた。


(よりによって山本さんとはついてない・・・・・・) 


 私は見極めという節目を無言のまま過ごすのかと落胆した。車内に立ち込める異様な空気は、リラックスした気分を蝕み始め、体さえも硬直させようとしている。


「お、今日は見極めか。はい、じゃ~出して」

「・・・・はい」

 これも授業だと自分に言い聞かせながら車を走らせた。

 終了時間までがとても遠く感じ、途方に暮れようとした矢先、首を傾げたくなることが起こった。

「もう、修検のコースは走ったかい?」

「え、ええ・・」

「三コース全部?」

「ええ。一応は・・・・」

「じゃあ、この時間も同じコースを繰り返しやるから。見極めなんて言っても、別になにするってこともないから、修検の練習するのが一般的だな。水曜日か・・・・これから申し込んで明日受けるんか?」

「はぁ、予定では・・・・」

「よし、じゃ~一発で受かるようにポイントを教えてやるから、え~と、南から入って発進地点に着けて」


 違う・・・・。


 どこがどうと、はっきりした答えはないが、漂う雰囲気に違いを感じた。

「東に出る手前の所ですか?」

「ん・・そうそう、卒検も修検も出るのはあそこからだから」

 外周から南を右折し中央にある交差点をまた右折、その後、左に合図を出しながらゆっくりとラインに合わせて停車。

「乗った所からでいいよ、じゃあ左に出てまた南から入るから」

「はい」

 考えたところで所詮野暮なことだと、

「何だか今日は機嫌が良さそうですけど、何かあったんですか?」

 と、この間と違う人みたいだと言うことを遠回しに訊けば、

「え!?いや、別に何もないけど・・・・」

 と、さらりと答えた後、数秒し、

「ん・・・・この間は機嫌が悪そうだったか?」

 と、腑に落ちない顔を山本さんは浮かべる。

「え・・ええ」

「そうかな~?」

「ええ・・まぁ・・。前回の時はほとんど黙ってて・・・・そんな気がしただけかもしれないですけどね」


「前回!?」


 そう言って取り出した手帳に目を通し、何やら考え込んでいる様子で、

「あ~!この日か~。わかった!」

 と、その直後車内に痛快そうな声を響かせる。

「あの日は歯が痛くてな~」

「歯!?・・・・歯ですか?」

 予想もしない答えに、しばしポカンとしていた。

「ああ。あの日は食事も出来ないほど痛かったんで、喋るのも辛くてね。まぁ余っ程の事だと仕事柄つい声も出しちゃうんだろうけど、その反動でまた痛くなったりしてな~」

「そうだったんですか~」


 とんだ取り越し苦労だったかと私は微笑ましく言った。

「なにね、俺は歯が痛いのと、上司へのごますりだけは苦手でね~・・・・そうかぁ~機嫌が悪そうだったか・・・・まぁ確かに良くはなかっただろうな~・・・・はい、減速して~交差点を左でクランクに入る」

「はい。・・・・歯は辛いですからね~。あ、その後、歯の方はどうなんですか?」

「ここんとこ良くなったよ。良くなったって言うと勝手に治ったみたいで変だけど。ようやく医者に行ってね、それからは落ち着いてる」

「じゃあ、良かったですね」

「でも仕事の合間に医者に行けるようになったんだから良くなったよな~」

「え!?それじゃ前は?」

「ああ、寝込むくらいじゃないと駄目だったね。仕事もそうだったけど、昔は教官の教え方も厳しかったし、今じゃ考えられないけどね」

「やっぱり、そんな感じだったんですか?」

「俺なんかまだ良かったけどね。昔は降りろだの帰れなんてのは当たり前だったし、俺が取りに行ってた頃は、いい加減なことやってたら横からバシッと来たからね。もう軍隊みたいだったよ。まぁそれだけあの頃は特別だったんだな」

「今はあんまり居ないんですか?」

「今はそんなことやってたら教官は駄目だ。もう教えてやるなんて踏ん反り返ってるような姿勢が通る時代じゃないんだよ。あくまでも相手はお客様だから」


(そういや、原さんも同じようなこと言ってたな・・・・それに須藤が話したお喋りってのも本当だった・・・・でも歯が痛かったとは・・・・)


 あまりにもスムーズに弾むので、もしや別人では無いかと疑いたくなるほどである。

「もう長いんですか?」

「教官か?ここか?」

「え・・って言うと前はここじゃなかったんですか?」

「ああ。ここに来たのはまだ最近の話で、それでも五年前くらいかな~」

「その前は違う仕事だったんですか?」

「いや、別のところで教官やってて、まぁいろいろあってね。そんな時来ないかって声が掛かったんでここに来たんだよ。あ、このクランクの出口は右から来る車が見辛いから、よく目視して・・・・出たら西から坂道・・・・教官自体だと二十年以上やってることになるかな」

「他って言うと北部とか東とか?」

「いや、県内じゃないよ。あ~もう一周したら次は南から坂道行くから」

「はい」

「ここは初めてかい?」

「いえ、二十年くらい前に来たことがありますね」

「二十年前か~・・・・普通車で?」

「いえ、二輪ですよ。もう今はやってないみたいですけどね」

「そうだな。だけどやってない割には奇麗になってるだろ?」

「え!?・・あ・・そう言われれば当時はもっと鬱蒼としてましたかね」

「ああ。初めて来た時にはこれでも教習所かって正直びっくりしたよ。周りだけじゃ無くコースにしたってそうさ。道路の標示なんて消えかかってるし、いや~ひどかったね。それで暇な時間見つけちゃ草刈りしたんだけど、手でやるんだからたかが知れてて、ほら、もうあの辺なんか伸びちゃってる」


「一人でやったんですか?」

「最初はね。今はだんだんやる奴が出て来たけど」

「それでさっぱりした感じになったんですね。あれ?でも木なんかもあったんじゃ?」

「あ~。どうでもいいような木がいっぱいだったよ。それも片付けた」

「けっこう大変だったでしょう?」

「時間は掛かったよ。ま、それだって少しでも奇麗になってる方が、来たお客さんだって気持ち良いだろうからね。グーッと減速して~もっと~」

「そうですね。・・手でやるって・・草刈りならともかく、木は業者に頼めば良かったんじゃないですか?」

「そりゃ駄目だ。金が掛かるからね。経営者が金の掛かることはしない主義だったから、ペンキ塗るにしたって全部自腹だよ・・・・まぁそれだって小遣いの中からやるんだからたいしたことは出来ないしね」

「自腹ですか・・・・凄い話ですね。え!?主義だったからって言うと、方針でも変わったんですか?」

「いや、ちょっと前に二代目に代わったんだよ。元々の経営者ってのは教習所なんて待ってりゃ人が来るような考えだったから、何もしようとしなかったけど、今の時代それじゃ駄目だ」

「はぁ・・そうですね。でも少子化や不景気なんて話もありますけど」


「やり方だよ。確かに景気は決して良くないけど、車が無くなっちゃうわけじゃないからね。そうだろ?」

「ええ・・・・」

「ましてやここは東なんかよりも全然広いし、場所も良いんだから、やり方次第でもっと入るよ。やり手だよ二代目は・・・・それに───」

「・・・・・・」



 徐々に弱々しい口調になる自分を感じた。思い描いた話好きとは少々異なっていたからだろうか。だが、教官は違う。

 聞きたいのなら聞かせてやろうと、戦闘体制でも整ったようにこちらを向いて座り、直接届かんとする声の攻撃のための間を計っている。それは前回の無言とは違った意味で威圧感を放ち、次の一声をためらわせるほどだ。

 しかし、このまま黙りを続けてしまえば、もしやあの日の二の舞いではと別の不安が浮かび、悄気るのをやめ何とか口を開こうと努める。

 とは言え、火に油を注ぐようで次の台詞が出なかった。時間を刻む音が聞こえる気がした。坂道を上がりハンドブレーキを引くと、


「なんだね、大型の教官なんて言ってみんな偉そうな顔してるけど、二種まで持ってる奴なんてそうは居ねぇよ」

 と、出て来る話題は見極めなどそっちのけだった。

 ただ来て給料をもらって帰るだけの教官と一緒にされちゃ困るよと言ったニュアンスに取れなくもないが、内容はこの際どうでも良いと思った。ただ相槌を入れている方が、気楽に運転出来て良いと感じたからである。

「あれ!?じゃあ山本さんは二種も持ってるんですか?」

「ああ。持ってるよ」

 と、当然でありそして待ってましたとばかりに答える。

「大型二種って言えばかなり難しいでしょ?」

「ああ、二種になると簡単じゃないよ。それこそ生ハンドルなんて切ってたら話になんないよ」


 生ハンドルとは車が止まった状態で、辻褄を合わせようとハンドルを切ることである。

 山本教官の講演はさらに熱が入る。

 それにしても興味深い話を聞いたものだと、支障をきたさぬよう調子を合わせ流れる景色に目を向けた。やはり何かが徐々に変わりつつあっても、私には当時と同じ姿にしか見えない。曖昧な記憶のせいか、あるいは歴然とした違いまでにはまだ至っていないのか、いずれにせよ、周りの風景を変貌させた時代の波が、着実にここにも押し寄せようとしているのは確かだ。

 もしそれが遠からずであるなら、この景色とて見納めなのかもしれないと思った。


 あの頃と言う季節が息づく今の姿を名残惜しく見つめた。

 近代的な様相も経営や生き残りを考慮すれば、致し方ないことなのかもしれない。しかし、真新しい建物に奇麗で整備された西教習所では、どこか魅力が薄れてしまう。似たようなことを考えるのは、私以外にもきっといるはずである。

 懐かしい風景を見せようと、誰かがここに導いてくれたのなら、粋な計らいと感謝したい気分だった。


(それにしても私を導いたのは何なのだろう。須藤か?今の仕事なのか、あるいは教官や所長か?この教習所そのものか?それとも・・・・)


「・・・・二種の一発試験はいい加減な格好なんかして行くと、試験の前に、はいお帰りくださいって言われて乗せてもらえないからね」

「えっ!?そうなんですか」

「ああ~。ビシッと折り目の付いたズボンで、靴もピカピカに磨いてな。それで初めてどうぞって言われるんだよ───」

 一方的で偉そうな話し方が説教でもされてるように感じ、肩の力は今一つ抜け切らないでいる。


 静かだと退屈。しかし、唯一受信出来るラジオのキャスターの話は、内容こそ頭に入るが耳障りなだけ。一言で表現するならこんな感じだ。

 調子を合わせるような会話が精一杯と、作り笑いで場を紛らそうとしていたのは、チャンネルは愚か電源も切れない状態に、半ば開き直っていたのかもしれない。



 あるいは、今度は私が歯でも痛かったのだろうか・・・・。

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