第19話
その日の夜、国道沿いのラーメン屋に艶やかな黄色が一際目立っている。
広々した駐車場は様々な地名のトラックでひしめき合い、作業服を纏った人達と威勢の良い店員の声が入り乱れ、アベックや家族連れはあまり立ち寄らない、言わばトラッカーの集いの場所を感じさせた。
営業時間も夕方から早朝までと、長旅の休憩所として利用する者も多く、酒を飲む姿があちこちで見られる。きっとそのままトラックの寝台で一眠りするのであろう。
この店に来たのは初めてであって、そもそも夕方来店した鈴木さんから聞いた話が発端だった。
鈴木さんは常連のお客の一人でトラック乗りでもある。
パーツの商談話が一転し、ラーメンのうまい店の話を始めた鈴木さんは、そのツユの味から麺に至るまで事細かく伝え、絶妙な表現力も重なって思わず生唾が滲んだ。後で行ってみますと返事はしたものの、小腹の空いた時間帯が災いしたか、店を閉める頃には、そのラーメンが食べたくなって仕方がなかった。圭ちゃんも私同様麺好きであるため話は早く、一時間半も掛けて県外まで車を走らせたのである。
肩身の狭い部外者のように、カウンターの隅の方に腰掛け、頼んだラーメンの出来上がりを待っていた。
「なんだか、普通目にするラーメン屋って感じじゃないですね?」
小声では聞き取れないほど店内は騒がしい。
料理の音や注文やらの声に混じって、道路の混み具合や仕事の話等でざわめいている。
店内はほぼ満席に近いのだが、うまいと評判よりも夕飯時、トラックが止められる理由で混んでいるだけなのではと、内心期待外れだったかと思ったりもした。それは他の客が食べている品に目をやる圭ちゃんも同じで、
「島さん。案外ガセネタだったりするかもしれませんね」
と、冴えない表情を見せる。
「ハーゲンバーゲン」
「!?なんですか?それ?」
「いや、そうかもしれないなって言うドイツ語」
「本当ですか?」
「ハハ・・冗談に決まってるだろ。でもなんだかそんな気がするな。だとしたら、ここまで付き合わせちゃってわりぃことしたな。本当に用事はなかったん?」
「いえ、俺は全然・・・・島さんこそ家の方は?」
「大丈夫。仕事の後、圭ちゃんと飯行くって電話してあるから。まぁ、亭主元気に何とかって言うしな」
「ハハ・・・・また~。島さんとこはそんな感じじゃないでしょ~」
「ま、だけどせっかく来たんだからどんなもんか見てこうぜ」
「そうですね。・・・・そうだ島さん。見極めの後、修検の予約は?」
「ああ、取れたよ。明日の朝からなんで、また半日頼むよ」
「はい。え~と何時からですか?」
「それがさ~八時半だってよ」
「八時半ですか!また随分早いですね~。俺なんてまだ寝てる時間じゃないですか」
店に近い圭ちゃんの朝は長い。にも拘わらず私よりも先に居て、掃除をしているのだから通勤時間が少ないというのは何かと利点が多いものである。
「ちょっと走り慣れない時間帯だから検定より道が心配だな」
「そうですね~。通勤と重なりますからね。五月橋辺りが混みそうですね」
「俺もそう思ってんだよ。三島橋は余計駄目だろうし・・・・」
「あそこは名所ですからね」
そこまで話すと、カウンターの正面から、
「はい!支那蕎麦二つのお客さん。お待たせしました!」
と、湯気の向こうに店員の歯切れ良い声が揺れる。
互いに丼を手に取り、目の前でじっくり眺めれば、ネギとメンマとチャーシューだけのシンプルな具に、腰の強そうな手打ち風の縮れ麺が澄んだスープの中に輝いている。魚と鶏ガラだろうか。ダシの香りは湯気に入り乱れながら鼻から腹をくすぐる。
「こりゃ~香りが良いですね~」
と、スープを熱そうに啜る圭ちゃん。私も啜った。
やや濃いめの味を感じた途端、舌には爽やかさが広がり、続いて懐かしい余韻が残される。その切れて行くスピードが絶妙である。
一度顔を見合わせた後、直ぐさま箸を割り麺を勢いよく吸い上げる。何かを考えるように二人とも無言だった。存在を示すまでの腰は歯ごたえ充分で、ほぐすように口の中で楽しんだかと思うと、スルッと喉越し良く消えて行ってしまう。汗が額にほんのり滲むまで何度か繰り返した。
「島さん。これ?」
半ば笑うような圭ちゃんの目が味のすべてを語っていた。
「うん、うめぇ。スープも良いけどこの麺がまた良いぜ」
箸ですくい上げてじっと眺めた。
「本当、見た目は地味ですけど味は深いですね~。懐かしいって言うか」
「ああ、こりゃ、その辺のチェーンの店じゃ食べらんねぇ味だよ」
「シンプルで本物って少なくなりましたからね」
「そうだな。派手なラーメンは増えたけど、そんなのに限って味はたいしたことねぇしな」
舌鼓を打ちながら、とても良い店を教えてもらったなどと考えていると、なぜかそれが古臭い西教習所で出会った、本物の教官に似ているように思えるのだった。
麺を啜りスープを飲んでは息を吐き出し、見る見るうちに丼が空になった。
「フゥ~。うまかった」
額に手を当て汗を拭い去り、懐かしく旨い味の余韻に浸った時だった。
「そこの・・黄色い外車は・・あんちゃんのかい?」
との声に振り返ると、テーブルに腰掛けた髭面の男がこちらをじっと見ている。
「ええ。そうですけど・・・・」
と、圭ちゃん。
実はこの男。私たちが店に入って来てから、ジロジロと何か言いたげに見ていたので、気にはなっていたのだが、あえて見て見ぬふりをしていた。テーブルには徳利やらビールの空き瓶が立ち並び、かなり酔っ払っているのか目はやや据わっている。
「俺っちは薄汚れたトラックだっつうのに・・・・世の中ってのは・・差があるもんだな~」
「ハハ・・そんなたいした車じゃないですよ」
作り笑いでその場をごまかそうと圭ちゃんは言った。だが、その言葉に男は刺激されたのか荒々しい声で、
「そういう金持ちみてぇな言い方が好きじゃねぇんだよ~。ここはおめぇらみてぇなボンボンが来る店じゃねぇんだ!」
罵声が店内に響き渡ると店は静寂に包まれ、何事かと客は一斉にこちらを向いている。
ラーメンの味さえ忘れてしまう嫌な雰囲気を感じた。
「圭ちゃん。相手にすんなよ」
「ええ、わかってます」
小声で耳打ちすると、
「あ~。駄目だな~吉田さん。酔っ払うのは勝手だけど、他のお客さんにちょっかい出されちゃ困るよ」
見かねて店の親父らしき人がすかさず宥めに来る。
「うるせ~!親父は関係ねぇんだよ!」
「まったく、ちょっと飲むといつもこうなんだから・・・・気を悪くしないでくださいね」
「あ、いえ・・・・俺は別に・・・・」
「俺っちはな~こういうトラックも知らねぇ野郎と・・飲むんが嫌なんだよ~」
「あ~わかった。わかったから車でもう寝た方が良いよ」
「うるせ~な。触るんじゃねぇよ~!今、俺っちは説教してるとこなんだから・・・・」
掴んだ手を振り払い次第にエスカレートする事態に、気の良さそうな親父も困り果てた顔を隠せない。なるべく刺激しないよう私達は正面を向いていた。
相手は酔っ払い一人だから、喧嘩になったところで然程問題ではないが、とんだ客と遭遇したものだと、どうこの場を切り抜けるか考えていた。すると、
「その説教はなんなら俺が聞いてやるぜ!」
そんなドスの効いた声に一同目を移せば、一人の大男が酔っ払いの後に立ちはだかっている。
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