第15話

 同乗する人によって車内の空気ががらりと変わる。

 これは何も教習所に限った話ではない。本当に人の存在というのは不思議で面白いものである。一回り程度の歳の差や、教官であることをつい忘れさせてしまうほど、原さんとの会話は指導から離れた雰囲気を味わうことが出来るのだ。


 もちろん随所に教習としての注意もある。しかし、それ以外はほとんど世間話で時間が過ぎて行き、まるで運送屋の上司でも乗せている気分だ。

 特に話題が私生活に及ぶと、一層しみじみとした口調で愚痴り、生活の疲れまでも漂わせた。これもかつて聞くことの出来なかった本音と、繰り出される話に耳を傾け相槌をいれたが、華やかそうな教官という裏に垣間見た現実は、楽しむどころか同情すらさせるのである。だから良い聞き役として徹したのかもしれない。


 私にしたって無言でいられるよりも余っ程ましだと思った。

 悪い表現なら息の抜ける相手とでも言おうか、恐らく原さんとてこれから免許を取る不慣れなドライバーよりも、気楽に過ごせる一時間と考えていたからに違いない。

 いつものように車庫に行ったのは五分前で、数人の教官たちが休憩時間の一時を利用し交代でゴルフのスィングの練習を楽しんでいた。その中に次の担当である原さんの姿もあった。乗車予定である三号車の前あたりだ。


 パシーン!と言う音と共に勢いよく弾け飛び、直ぐさま紐で繋がれたボールは反動で戻って来る。それを見ては良いだの悪いだのと、笑顔を交えて周りの教官たちがあれこれ言い合っている。教習中では見られないであろう長閑な顔が広がっていた。

 少しすると原さんがスィングを始め、軽快な音が何度となく響いた。邪魔にならない場所で微笑ましく見ている私は、実のところ三号車に乗り込むかどうか迷ってもいた。

 そろそろ開始になる時間とは言え、早く行こうとばかりに楽しみを中断させるのもどうかと思ったからである。その反面、担当が呑気にスィングをしている間は大丈夫だという余裕もあったのだが。そんな考えを察したのか、


「見てないで乗ってろ!」

 と、原さん。


 言い方は決して当たりの良いものでは無かったが、周りの教官たちに誇示するか、ずっと見られて照れ臭かったためにあえて出た言葉だと思った。だから別にむっとすることもなかった。案の定、乗り込む早々、

「さぁ~て、行くか!」

 と、普段以上に軽やかな表情で手帳に目を通している。

「じゃあ、確認して出て良いよ」


 ブロロロ・・・・。


 ゆっくりとまずはお決まりの外周へと出て行く。

「順調だね~。あとちょっとで修検か~」

「ええ」

「島田君もゴルフやるの?」

 外を眺めながらポツリと訊く。熱心に見ていたように思ったらしい。

「いえ、やりませんよ」

「そうかい」

「たまにはコースとかにも行くんですか?」

「いや~行かないよ。行けないって言う方が正しいかな~。そりゃ~昔は行ったりしたけどね~今は経済的にもそんなゆとりはないね。子供にみんな吸い上げられちゃって・・・・・・。だってあれだよ~昼飯食べれば小遣いなんて終わっちゃうんだよ~。だもん遊びになんてとても行けないよ・・・・まぁいいとこ、たまに打ちっぱなしでも行くくらいかな~」

「・・・・・・・・」


 心の底から吐き出すかのような口調には説得力が感じられ、慌てずのんびりと語るスピードは、届ける荷物も積まないトラックの運転にちょうど良くマッチしていた。

「中学生でしたっけ?」

「ああ・・・・・・上はね」

「学費も掛かりますね」

「掛かるね~。年々大変になって行くよ・・・・その上、うちのはサッカーやってるだろ。それがまた大変なんだよ」

「サッカーですか・・・・でも、サッカーだったら着る物くらいでそんなに掛からないでしょう」

「それは良いんだけど、最近じゃ試合とかで遠方に出掛けたりするんだよ」

「じゃあ、旅費なんかも掛かりますね」

「旅費ってよりは、それの送り迎えなんかが大変でね」

「送り迎え?電車とかバスで、おいじゃあ行って来いよって言うんじゃないですか?」

「昔はそうだったけどね。だけど今は車で送ってくんだよ」

「車で?それぞれですか?」

「いや、それも当番みたいなのがあって交代でやるんだけど、結局なんてんだろ、子供だけで行かせて移動中に何かあったらってことなんだろうな」

「親がするんですか?」

「そうだよ~。近頃じゃ子供より熱心な親が居てね、お陰でせっかくの休みも返上だし、自分ちの子供だけならまだしも、他所んちの子供まで一緒だと神経も遣うしな」

「そりゃ疲れるでしょう?」

「ああ、仕事でもやってた方が余っ程楽だよ。え~と、それじゃあ、この先の東から入って、まずはクランクでも行くか」

「わかりました」


 東から中央の交差点に向けて進入する場合は進路変更に無理があるので、北での四十キロは出さなくてもいいことになっていた。直線の終わりに差しかかる頃、合図を出しながら右折の準備に入ると、ちょうど正面から左折しようとする普通車と鉢合わせになり、

「あ、ちょっと待って。先に行かせちゃおう」

 と、進路を譲る。普通車の女性の表情も真剣である。


 停車したまま行き過ぎるのを待っていると、普通車に乗る教官がスッと手を上げた。教官同士でやり取りする感謝的な挨拶なのだと思った。原さんも同じように手を上げている。

 当たり前くらいにしか思わなかった光景もその後、数回と見続けているうちある疑問に駆られた。


 それは手の上げ方の違いである。

 スッと好意的に上げる時もあれば、それこそ脇見でもしながら嫌々上げているのではないかと思わせる時もある。もちろん気のせいだとも思った。だが、手よりも表情が明らかに違うので、

「教官の間なんかでも仲が良いとか悪いとかあるんですか?」

 と、それとなく訊けば、

「ああ、やっぱりあるね~」

 と、原さん。

「派閥みたいな感じですか?」

「そうだね~。本当はそう言うんじゃいけないんだろうけど、馬が合う合わないってのは人間だから、どうしても出て来ちゃうよね~・・・・結局は似たような歳ってのが話も合うから良いのかな~」

「若い人とじゃだめですか?」

「ああ、若いのはだめだ。仕事もしねぇくせに生意気なことばかり言って」

 いつの世も繰り返して来た世代による隔たりだと思った。


「え~と、もうみんな一通り回ったかな?坂道発進はやった?」

「いえ、坂道はまだです」

「あれ!?まだやってなかった?じゃあ、やるか・・・・そこを左行って坂道へ入るから」

「わかりました」

 気楽な返事だった。


 かつて坂道発進などと言うとこの上なく緊張したものだが、月日の経過とは恐ろしくも凄いことで、やや大きめの音を伴いつつ坂道をゆっくりと上る。

「そこの線のところに止めて、ハンドブレーキを引いて・・・・・・そうしたらエンジンの回転を上げて、クラッチを切って音が変わったらブレーキを戻す」

 それはすべてマニュアルに基づいた指示のようでもあった。あくまで指示に忠実にしようと心掛けた。簡単でも馬鹿にしてはいけない。これもまた教習の一つなのだ。


 発進するとすぐに下りになるほどその距離は短く、大型トラックを加味してもこんなに坂道のコースは短いものだったのかと昔を振り返ったりしてしまった。

 下り終えた所にはちょうど踏み切りがあり一旦停車。遮断機と路面には線路らしき絵が描かれていて教習所らしい光景をしばし見つめる。

 窓を軽く開け耳を傾ける。こんな動作が無性に懐かしかった。思えば教習所に通っている時以外にやった記憶は皆無だった。描かれた線路の上に電車など走る訳がない。そう冷静に見られるのも今だからかもしれない。

 新たなコースを回ったにしても、場内の六時間目ともなるとさすがに一時間が長く感じ、ふと、須藤がこぼしていた言葉が浮かぶ。


────「もう、場内は飽きちゃってつまんないですよ~早く仮免取りてぇなぁ~」


 まったく同じ心境だった。

「そこに点線が引いてあるのが見えるだろ?」

「ええ・・・・」

「あれはここ数年に出来たやつなんで知らないかもしれないけど、そこでも一旦停止だから」

「はい・・・・でも知らなかったですね~最近なんですか?」

「割と最近だね。一般道でもまだそんなに見かけないからね」

 何も変わっていないと思っていた教習所の中に描かれた点線に、徐々に変化の兆しを感じ取ったのだった。

「じゃあ、これで一応は全部廻ったわけだ。あ、ここは左折して・・・・そうだな~西からクランク行ってS字行こう」

「はい・・・・え~と、西ですよね」

「あ~、一周してっからでいいよ」

 外周に出てから次の進入には一周程度開けてから入る傾向がある。これは原さんに限った話ではない。従って慌てて入ろうとすると、

「あ~、一周してからでいいよ」

 と、なるのだが、それも教習生に余裕を与えるのと同時に、せせこましく走ると時間内の指示も大変になるという理由もあるようだ。

「それじゃ~・・・・次は~また坂道行こう」

「え~・・S字からクランク」

「あ~・・・・次はどこ行こうかな?」


 飽きて来たのは私だけではないらしく、原さんも残り時間をどう過ごすか考えているようで、終いには、

「場内の一時間は長く感じちゃって大変だよな~。じゃあ、あとは好きな所を走っていいよ」

 と、まで言って聞かせる。

 たまに乗る私とて飽きるのだから、毎日乗っていれば想像以上であると、好きな所の言葉に戸惑いつつも、あちらこちらと考え場内を走り回った。

「毎日じゃ~さすがに景色も見飽きるでしょうね」

「あ~、仕事とは言え飽きるね~」

「原さんは大型専門なんですか?」

「いや、普通車も乗るよ。ただ大型の教習出来る資格を持ってるのは限られちゃうから、どうしても乗ることが多くなるけどね・・・・まぁ乗っちゃ、大型の方が気楽で良いよ」

「そんなもんですかね」

「普通車はこれから取ろうっていう連中だから神経の休まる間がねぇしな」

「そう言われればそうですね」

 改めて狭いコースのやり繰りは大変だと思い出した頃、

「じゃあ、あとは少し外周回って終わりにするか」

「はい」  


 車庫に戻り手帳に印を押した後、

「はい。ご苦労様でした」

 そこでようやく原さんの愚痴の講演とも言える一時間が終了した。

 普段ならここで今後白紙である予約が心配になって真っ先に彼女が浮かびそうであるが、慣れない時間帯でも影響したのか店を任せてある圭ちゃんが頭に浮かぶ。教習中すっかり忘れていたのも、つくづく寄せた信頼がなせることだと思った。


 店に着いたのは昼を少し回っていた。

 車のドアの音にお客でも来たのかといった圭ちゃんの顔が窓越しに覗くも、店内には人影がもう一つ見えたため、あえて今来たことを告げる挨拶はせず扉を開けると、


「あ、島さん。おはようございます。先にいただいてますよ」

 と、心配は無用とばかりの圭ちゃんが箸を持ったまま手を上げる。続いて、

「・・んちゃ~す」

 相向かいに座る須藤も口をもぐもぐさせて振り向く。

「おはよう・・・・なんだ、お客かと思ったぜ・・・・そうかぁ~もう飯の時間か~」

「島さんも食べるでしょ?待っててください。今支度しますから・・・・」

「ああ・・・・あ、圭ちゃん。わりぃけど飯はまだいいや。なんだか腹へってねぇし・・・・」

「島田さん仕事してないっすからね~。そうそうお湯もらったっすよ」

「おっ、ラーメンかいいねぇ~。だけど珍しいな。須藤がこっちで食うなんて」

「ま、たまには栗原さんの顔見ながら食べんのもいいもんっすよ」

「まったく、何言ってるんだよ。そう言って俺のおかずさっき取ったんだから」

「いいじゃないっすか~。一つくらい・・・・減るもんじゃ・・・・減るもんっすね」

「これだよ」

「あ、圭ちゃん。留守して悪かったな」


 口一杯にほお張った直後の圭ちゃんは、いえいえと言った調子で箸を左右に振る。

「そういや、島田さん。もう何時間乗ったんすか?」

「今日で六時間だな」

「じゃあ、あと一日行きゃ~仮免じゃないっすか。やっぱ早いっすね~。で、今度はいつっすか?」

「十三日のまた朝だ」

 一同揃って壁のカレンダーに目をやる。

「来週の水曜っすね。まだけっこう混んでるんすか?」

「大型はなんだか居るんみてぇだな~」

「あ、でも水曜の午前中に見極めもらっちゃえば、次の日検定受けられるじゃないっすか」

「まぁね。その点じゃ都合が良かったな。修検も午前中に終わっちゃえば木曜でも問題ねぇし、まぁ圭ちゃんにはわりぃんだけど」

「なんの大丈夫ですよ」

「島田さん。場内も飽きないっすか?」

「いや~飽きる飽きる。須藤が前に言ってたのは本当だったな」

「あれ、たまには須藤も本当のこと言うんだね~」

「なんすか栗原さん、それ・・・・あ、今日は誰だったんすか?」

「え~と、原さんと・・・・」

「あ~原って嫌みな奴でしょ?文句ばっかり言って・・・・」

「いや、そうでもねぇけどな~?」

「あれっ!?おかしいっすね~。俺ん時なんていつも怒ってばっかっすよ」

「そりゃ~やっぱり須藤君。人間性の問題でしょ~」

「栗原さん。やっぱ、そうなんすかね~。あとは?」

「あと一人はほら、全然喋らない・・・・え~と、なんてったっけな?メガネの・・ちょっとおっかねぇような・・・・や・・・・」

「メガネですか?山口?あ、違う・・・・山本?」


「それだ!山本!」

「山本は面白いっしょ~。よく喋るし」

「よく喋る!?じゃあ、山本違いなんかな~?」

「いや、でも大型にはあとは山が付く人は居ないっすよ。ペラペラ喋らなかったっすか?」

「いや、ムスッと黙ったまんまだ」

「・・・・・・」

「島さんの方から話しかけなかったんですか?」

「それがさぁ~。とてもそんな状況じゃねぇんだよ~」

「そうですか~。それじゃいくら話し上手の島さんも形無しですね」

「まぁな。あれにはだけど冗談抜きで参ったぜ」

「変っすね~。俺ん時なんて喋りっぱなしっすよ。機嫌でも悪かったんすかね」

「どうかな!?あ、そういや圭ちゃん。午前中はどうだった?」


 すると圭ちゃんはニコッと笑って親指を立てて見せる。

「あの新型のバンパー。売れましたよ」

「佐藤さんか?」

「ええ!さっきも須藤とそんな話をしていたんですけどね」

「ありゃ~まだここいら辺じゃ出たことないっすから、第一号っすよ」

「今日来たんか?だってありゃ~、ほとんど買わねぇ感じになっちゃったから、もう駄目かなって・・・・」

「ええ。一時はそんな感じでしたけど、今日来て商談してたらコロって・・・・」

「おいおい、俺があれだけ骨折ってたんに・・・・ひょっとすると、午前中は居ねぇ方が良かったりして」

「いや、たまたまですよ」



 謙遜気味に話す圭ちゃんの顔が頼もしく見えた。

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