第11話
車内は冬の日差しをいっぱいに受け、上着など羽織っていると、わずかの時間ですら不快になるほど暖かかった。だから尚のこと、寒々と感じさせる外に出たとき、生き返ったような安堵に包まれるのだった。冷たい風は心地良いだけでなく、気分転換も与えてくれるような気がした。
上着のままでは運転しづらいというよりも、とても残された時間を過ごすのは無理だと、車の前で慌てて上着を脱ぐのだが、既に助手席に座る教官の視線は、私をせかすようにもとれる。
教習開始の時間が遅かったことが、自分自身を焦らせてそう見えたのかもしれない。待たせては申し訳ないとばかりに、軽快な動きで身支度を済ませ、乗り込もうとドアを開ける。
「よろしくお願いします」
「はい。お願いします」
昇るように乗り込みながら改めて挨拶を交わすと、手帳などが入ったファイルを差し出すが、教官は受け取っただけで、目も通さずに外を眺めている。それがまた早く準備しろと言わんばかりの態度に見えた。
いそいそとシートベルトを掛けたり、椅子の位置を直したりしながらも、座席の高さはかつて乗っていた四トンそのものだと安心を覚えた。
「じゃあ、準備が出来たら出ていいよ」
「あ・・はい。あの~教習所では、やはりロー発進するんですか?」
「いや、それだと走り辛いからセコンドでいいよ」
「はい」
ギアを二速に入れ、ゆっくりクラッチを繋いで行くと、騒がしいディーゼルエンジン音と共に、三号車は動き出して行く。
特別な感触ではなく、何度も乗ったトラックそのものだった。ただ違うのは、一般道路ではないということで、描いていた場内を走っている満足感から、心なし顔は緩んでしまうのだった。
私はミラーに写るトラックの車幅よりも、教習所ならではのハンドル操作を心掛けようと、手の位置に特に気を遣いながら走っている。それは普段染み付いてしまった自己流の癖をどこまで出さずに、かつて普通車で教わったことをどれだけ出来るか自分自身試したかったのだ。
しかしながら変速に至っては、もう温まっているはずなのに、ぎこちない感じが隠せない。きっとオートマばかり乗っているせいだとも思った。
とは言え、そのうち慣れるだろうとたいして心配もせず、車は北の直線から東のカーブへと進んで行く。
コース全体では長方形に丸みを帯びた楕円形で、南北の距離は然程なかった。そのため、ハンドルを戻したかと思うと、すぐにまた切り始めなければならず、この微妙なアールとトラックの大きめのハンドルがうまく合わせられないのか、操作する手がいかにも素人っぽくて、もどかしかった。注意されることはなかったにしろ、どうも納得がいかなかった。
見た目にも単調なコースと安心していたようだが、やがて西にある建物に向かうカーブに入ると、思いのほか角度がきつく慌ててブレーキを踏む。それを見て、
「ここはちょっとカーブがきつくなってるから、入る手前で十分減速しないとね」
と、横から一声。
「あ・・・・はい」
そう返事をしたものの、不快どころか教習気分を盛り上げてくれる響きにも聞こえる。
(なるほど・・・・カーブと言ってもそれぞれ工夫している訳か・・・・そういや、昔来たことがあるって言っても、あの時はバイクだったから、実際に走ったのはこのコースじゃなかったんだ)
建物の前を通過し、ハンドルをゆっくり右に切り出す頃になると、頭の中は一転させられ、目は徐々に近付いて来る例の屋根に釘付けになった。大丈夫だからと言い聞かせてみても、咄嗟に避けたくなるほど、それは私に危険な怖さを与えさせ、真下を通り過ぎるまで、じっと見つめていた。
「慣れないと怖いだろう?」
「ええ・・・・ちょっと怖いですね」
「すぐ慣れるから・・・・それとこの直線は検定なんかだと四十キロ出すように決められてるから、まぁ今日は最初だからいいけど・・・・ほら、あそこにポールが見えるだろ?」
「ええ」
「あそこで四十キロになってればいいって訳だ」
「はぁ、そうですか・・・・」
「四十って言うとたいしたことなさそうだけど、直線も短いしトラックだからけっこう踏んで行かないと大変だよ。え~と、これで外周を一回りしたことになるんだけど、今日はこの繰り返しだけだから」
一周、約四百メートルくらいだろうか。
ゆったりと走る教習所の車でも、正味一分もあれば回れてしまうコースであるからして、残り時間三十分なら、単純に計算しても三十周は走ることになる。
ふと、そんなことを考えたら気が遠くなりそうになり、慌てて別のことに意識を持って行くが、所詮はつまらぬことには変わりないようだ。
免許を持ち過去に乗っていた経験のある私は、勘を取り戻すのにもたいした時間は必要とせず、次第にトラックの癖なども把握しだすと、車内から見える様々な景色に目を向け始めた。その芽生えた余裕が、気分をより満喫させてもくれる。
(見える・・・・道路の継ぎ目も、周りの景色も。横に居る教官がどこを見ているのかさえわかる。向こうから来る普通車に乗った人の顔は、真剣そのものだな・・・・あ~教官が何か注意しているな)
強いて重苦しいと思えるのは、これと言った会話も無い車内の雰囲気だけで、エンジンの音だけが響いていた。
コーナーでの今一つだったハンドルさばきも、だんだんと様になって来たようではあるが、東から南に向かう場所の路面だけは相変わらずで、波打つように荒れているせいか、通過するたびにトラックはぎくしゃくするのだった。
ちょうど荒れた踏切を渡る感じにも似ていて、何度来てもアクセルとエンジンの回転がうまくいかず、スムーズにやろうとするほど結果は裏目だ。もはや屋根の突起よりも、注意はそちらに注がれていただろうか。
ゆっくり優しくアクセルを踏んだり、強めに踏んで一気に走ったりと、自分なりにいろんなパターンを試したりするものの、どれも決定打に欠けるような気がする。
一般道路にない路面では決してないにしても、要するに一定の遅いスピードとマッチしないのである。
時代の経過でこうなったのか、もし意図的に作られたものだとしたら、うまいこと作ってあると感心せざるを得ない路面だった。
「ここは走り辛いですね」
思わず口からこぼれてしまうと、
「ああ、みんなそう言うよ。ちょうど凸凹してて、特に大型だと走り辛いね」
「これは意図的に作ってあるんですかね?」
その質問に教官は笑いながら、
「いや~そんなことはないよ。ただ古くなって荒れたんだよ。いずれは改修して奇麗にしなくちゃいけないんだろうけど、相変わらずそのままだな」
思惑通りの答えならば、さすがだと相槌を打とうとしていた私は、言葉を発するどころか、肩透かしを食らったようだった。
周回をある程度重ね、緊張や感動の薄らぎを感じ始めた頃、
「島田さんは、やっぱり仕事で使うんで大型取りに来たの?」
と、教官は口を開く。
「直接は仕事っていうこともないんでしょうけど、たまに動かしたりする時があるんですよ・・・・」
「運送屋さんじゃないんだ?」
そう言いながら教習手帳を取り出し、プロフィールなどの項目に目を走らせる。
「ええ、違います」
「アート・・ショップ・・・・Kか・・・・どんな仕事なんだい?」
「トラックのアクセサリーみたいなパーツを、販売したり取り付けたりしているんです」
「トラックのパーツ・・・・あれっ?そういえば、この間もそんな人が来てたな?」
「須藤って奴じゃないですか?」
「須藤?・・・・須藤だったっけな?あ、そうだそうだ。メガネのな。なんだ、知り合いだったんかい?」
「ええ、隣にある会社の奴なんです」
「そうだったんかい。彼はたしかトラックに乗るなんて話してたけどな~」
「はぁ~そうですか・・・・」
「普通車もここで取ったんかい?」
「いえ、普通車は北だったんです」
「あ~北ね~。じゃあ、ここは初めて?」
「いえ、以前二輪で来たことがあるんです。かれこれ二十年も前の話ですが・・・・その時の教官が植木さんなんですよ」
「所長の?」
「ええ・・・・」
「植木所長が二輪の指導してたのは、かなり前だから、相当古い話になるね。・・・・それに、しばらく前から二輪はやってないしね」
「やってない?」
ちょうど南を走っている時だった。
左前方の奥の方に、バイクの教習で使っていたコースに気付いたのである。
思わず声を上げそうになった。しかし、喉元に立ち止まったまま言葉にならず、心の内で声を噛み締めていた。
一瞬にしていろんなことを巡り寄せてしまったらしい。
コースとしての道は、形を残しているようにも見えるが、生い茂った雑草が手入れの行き届かないことを物語っている。閑散とする中に、いつから放置されたのか、部品を外され錆び付いたバイクが数台、どこか物悲しく放置されていた。バイクでも走っていれば、すぐ気が付く距離であっても、あまりに周りの景色に溶け込んでいたためか、意識の片隅にも浮かばなかった。
「もう、やめちゃったんですか?」
「いや、公認は残してあるよ。そうでないと、また始めるとき何かと大変だからね。ただ検定員の資格を持つ人が、今は植木所長しかいないんだよ」
「そうなんですか・・・・・・」
まさか所長兼任で、一人でバイクの教習ってわけには、いかないだろうしと考えながら、数周の間、廃墟と化したコースに目を走らせれば、運転のリズムと同調するように、会話も滑らかさを増し、無言のスペースは、いつしか二人の話し声で埋められて行くのだった。
トラックは同じところを淡々と走っている。
堅苦しい空気は、時間の経過と共に親しみという色に染められつつあることを感じた。
それは教官の口調からも、見受けられる。
「島田君は、結婚してるんかい?」
「ええ」
「子供は?」
「二人居ます」
「まだ小さいんかい?」
「七歳と二歳です」
「あ~、じゃあ可愛い盛りだ」
「まぁ、そうですかね・・・・」
「そのくらいが一番良いやな~。だめだよ、でっかくなると生意気になっちゃって」
「もう大きいんですか?」
「上は中二になるね。下はまだ小学生だけど、上の子の影響ってのもあるんだろうね~。年々生意気になる感じがするね」
「中学くらいになると、やっぱり違いますかね?」
「ほら、もう口が達者になってくるからね~。可愛げがないよ・・・・金も掛かるし・・・・」
しみじみと漏らしたようにも聞こえた。
「働けど働けどって感じですか?」
「本当だよ。学費だけでも大変だってのに、その上、部活とかやってるだろ。それもまたけっこう金が掛かって、父ちゃんの小遣いなんて減らされる一方だよ・・・・・・」
「はぁ・・・・奥さんも働いているんですか?」
「ああ、でないと、とてもじゃないけど俺の安月給じゃやって行けないよ。パートだからいくらか足しになる程度だけど、ないよりはいいからね」
初対面にしては、良い聞き役に思えたらしく出て来るのは愚痴ばかりだった。それほど普段の生活に鬱憤が溜まっていたのか、やや白髪混じりの頭が、苦労の跡にも見えたりするのだった。
「・・・・・・もう、この仕事は長いんですか?」
「ああ、なんだかんだ二十五年になるかね~」
「二十五年。じゃあ、すっかりベテランですね」
「年だけはね。やってることは同じだから・・・・」
「・・・・・・でも、こういう仕事なら世間で言われてるほどの不景気とかって少ないんじゃないですか?この辺だと免許はみんな取るでしょうし・・・・」
「いや~。今は少子化ってのがあるだろ?三人居た子供が一人になれば、それだけ仕事が減るからね。だから教習所だって少ない子供の取りっこで大変だよ」
「そう言われればそうですね・・・・少子化かぁ~・・・・」
「でも大型はむしろ多くなったね」
「えっ!?そうですか・・・・」
「ほら、やっぱり企業とかのリストラで職を失ったりする人が多いんだろうな。それじゃ運転手でもやるかって資格を取りに来るんだろうね~。この時間だと予約だって少し手間取らなかった?」
「あ・・・・ええ、まぁ」
理由の違いはあれ、何が仕事に幸いするかわからないものだと思った。
「何人兄弟だい?」
「あ・・・・二人です」
「今なら普通くらいかな。俺んところは三人だけど、最近じゃ一人なんていう家も珍しくなくなったね。そんな家だと親も大事に育ててるから、特に学校なんかだと何かあるとすぐ親が出て来るから凄いよ」
「時々そんな話を聞いたりしますね」
「ここだって生徒もお客様々だから、特に若い人なんかだと機嫌を伺いながら教えてて、どっちが偉いんだかわかんねぇよ」
「そうなんですか~・・・・・・なんだか変わりましたね~。私が行ってた頃なんて、そりゃ~ビシビシ言われましたけどね。昔はそうじゃなかったですか?」
「昔は俺もそうだったよ。それこそ降りろなんて言って生徒を車から降ろしちゃったこともあるし、いや~もっと凄い教官だって居たよ。それがまた普通でもあったんだろうけどね」
「そうですね。教官っていうとそんなイメージが未だにあるし、そのくらい厳しく教えておいた方が、後々本人のためになると思うんですがね」
「今の子は駄目だよ。我慢ってことが出来ないから。少しでもガミガミ言うと、すぐあの教官じゃ、やだとかになっちゃうし、そんな話が上に行くと、またそれで怒られたりするしね」
「大変なんですね」
「まぁ、そんな時代になったんだろうね・・・・よし、あと一周したら車庫に入れるから」
「わかりました」
教習中であることを思い出させた一声だった。
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