第9話

 市外にある「アートショップK」と言う自分の店までは、流れの良い国道を走って四十分。混雑していて約一時間掛かることもあり、おおよそ二十分の誤差が生じる。

 それはちょうど、市内だけで通う圭ちゃんの通勤時間でもある。


 店名はトラックを降りると話した深夜に決められ、私の和哉と圭ちゃんに共通するイニシャルを使うことで、より結束を強めようとした意味合いもあった。もっとも圭ちゃんの場合は名字も名前もKであったため、オーナーに間違われることも多かったようだ。



「おはようございます」

「おはよう」

「どうでした島さん?」


 五十分の通勤を終え店に車を乗り入れると、ピットの前を掃除していた圭ちゃんは薄笑いを浮かべながら訊いた。


「それがさぁ~・・・・・・」


 長い付き合いの中で培ったのか、回りくどい言葉は必要ともさせない。まさに阿吽の呼吸と言う間柄で、仕事が忙しくなるほど簡略なやり取りも激しさを増し、光景を目の当たりにする客などは時に目を白黒された。


「しかし、よくそれだけで伝わるねぇ~」

「ええ、なんとなくですがわかるんですよ」


 目なのか、表情なのか、それとも相手の心までもが見えるのか、ほとんど間違いもなく伝わることに慣れてしまったせいか不思議にも感じなかった。

「当時そのまんまだよ」

「え!?変わってないんですか?」

「ま、多少はあるんじゃねぇかと思うんだけど、ほとんど変わってねぇな」

「しかし、全然変わってないなんて凄いことですね~」

 話を聞いただけの圭ちゃんですら、驚きの表情なのだから、実際に見た私がタイムスリップのような錯覚に陥るのも無理はないのだと思った。

「俺もたまに前を通ったりするけど、確かに外は一緒のように見えますよね」

「いや~外だけじゃないんだって!・・・・・・そうそう、昔中型で教わった教官が所長だったよ」

「所長になってましたか?何か話たんですか?」

「ああ、ちょっとだけどね」

「島さんのこと覚えてました?」

「いや~さすがにそりゃ無理だろ~、余っ程悪たれでもした奴ならわかんねぇけどさ」

「あれっ!?島さんはそんな教習生じゃなかったんですか?」

「そう、教官ぶっとばしちゃってさ~って違うだろ!」


 俄に交通量が増え出したトラック団地の一角に、楽しそうな笑い声が響いている。

 落ち葉もすっかり風でどこかへ運ばれてしまった季節のことだった。


「いよいよ、始まりますね」

「そうだな。・・・・そうだ。最初に入所ってのがあるんだけど、それだけは変な時間にやるんだよ」

「何時だって大丈夫ですよ。そういや、入所なんてのがありましたね。なんだか懐かしく感じますね~」

「俺もすっかり忘れてたよ」

「トラックの大きさも問題ないし、教習所も初めてじゃない。余裕ですね」

「ある程度はな」

「と言うことは、話好きな島さんのことだから、やっぱり教官ですか?」

「ま、それも楽しみにあるんだけどな。きっといろんな話が聞けるんじゃないかって」

「面白い話待ってますから」

「わかった。いい土産話持って来るぜ」


 十時に店を開けちらほら客の出入りが始まると、暗黙の了解のように圭ちゃんも私もその話題に触れることはなかった。それは入所を済ませた四時に戻った日も同じだった。 

 街道沿いでもないことから、閉店時間はおおよそ決められていても、気分や客まかせでまちまちだったりする。六時を少し回った頃、圭ちゃんはシャッターを下ろすと、


「いつからです?」

と、こちらを見る。

「一日だ」

「一日ですか?間が空きましたね」

「そうなんだよ。須藤の話じゃすんなり取れると思ってたんだけど、結構混んでるんだよな~」

「その次も取れたんですか?」

「いや、結局取れたのはそこだけで、二週間以上は取れねぇんだって」

「だったら、他の時間は?」

「それも考えたんだけど、時間的に中途半端だしな~あんまり仕事に差し支えたくねぇし、かと言って長引いてもしょうがねぇしな、場合によっちゃ朝に回るかもしれねぇな」

「構いませんよ。状況が状況だからそのほうがいいでしょ」

「それにしても、机に向かいっぱなしってのは疲れんな」

「俺もだめですよ。仕事ならまだいいですけどね」

「確かに。面白かったのは最初だけで、あとは退屈でしょうがねぇよ。余っ程、ホーンでも付けてた方がいいよな」

「それも今日で終わりですよ。もう学科もないんですから」

「ほんとだよなぁ~。それだけでも助から~そうそう今夜は飯行こうぜ」

「大丈夫なんですか?」

「ああ、今日は圭ちゃんと食べるって言ってあっから」


 ちょうど電話が鳴ったのは、店の電気を落とそうとした七時のことだった。


「はい。アートショップKです・・・・・・誠に申し訳ありません。もう本日は終了致しまして・・・・・・・はい。明日も営業しております・・・・ええ。朝は十時より開店となりますので・・・・・・はい。申し訳ありませんね。よろしくお願いします」

 出入り口の所に立ち、こちらをずっと見たままやり取りを聞いていた圭ちゃんは、しばらく考え事でもしてる顔を見せていたが、次第に優しい笑みを浮かべ始める。それに受話器を片手に見ていた私も、つられて笑みを浮かべるのだった。


「どうしたん?圭ちゃん。うれしそうじゃねぇ?」

 だから受話器を置いた早々、私はそのことを尋ねた。

「いえ、感心していたんですよ」

「え!?何に!?」

「島さんの話し方にですよ」

「話し方!?」

「ええ。俺なんかと話す時はラフな感じなのに、相手次第でまるで別人のように切り替えられるって言うか、簡単なようでも実は難しいことだと思うんですけどね」

「本人は至って無意識なんだけどな。まぁこれも仕事や経験で身につけたことなんだろ」

「だからその切り替えが凄いんですよ。そしてそれが今の若い子には出来ないんです」

「おいおい、俺もまだ若いつもりなんだけど──」

「ハハハ・・・・そんなつもりで言ったんじゃないんですけどね」

「わかってるよ。でも、こうして圭ちゃんと喋ってるのが一番楽で俺らしいかなぁ」

「俺もそう思います」

「じゃあ行くか?」

「ええ。今日は俺ので行きましょう」



 軽く頷き乗り込むと、車は滑るように団地を抜け出し国道の光の中に紛れた。

 比較的混む時間帯にも関わらず、スムーズに流れる中をやや軽快とも言えるスピードで北へと向かう。空が澄んでいるのか星がきれいに見えた。横で周りの景色など眺めていても、時折、おかしな錯覚に陥り、つい目の前に無いはずのハンドルに手を伸ばそうとしてしまうことがある。それを圭ちゃんに何度も笑われたのだが、たまに乗る程度では思うように慣れず、リラックスしづらい助手席でもあった。


 鮮やかなイエローが目に眩しいBMWZ3ロードスター。


 決して派手好きな方ではない圭ちゃんとは言え、さすがにこのZ3には驚かされてしまった。それまでの320の渋めの色合いが、より強烈な印象を与える理由になったと思うが、それほど恵まれた給料でないことを知る私としては、自分事のように支払いを心配するのだった。


「相変わらず下から滑らかだよな~!」

「三リッターほど加速は強烈じゃないですけどね」

「いや~俺にはこれだって十分だよ」

「もう時期半年もすれば車検ですよ」

 そう言いながら圭ちゃんは、タバコに火を点け窓を僅かばかり下げる。冷たい風と煙がパッと瞬時に車内に広がった。

「寒いですか?」

「いや・・・・大丈夫だよ」

「すぐ煙くなっちゃうのがこいつの悪い所ですかね。本当はトップを開けて走れば粋なんでしょうけど、どうも本物じゃないから、この時期は寒くてだめですよ」


 笑いながら話すも、やや熱いほどに感じていたヒーターだったので、むしろ心地良く思えた。

 外の光が車内に差し込んだ時、左肘すぐ脇にある灰皿に目が行く。溢れんばかりに詰め込まれた吸い殻と、その周りに飛び散っている灰。

 外回りは奇麗に磨き上げても、中は割りと気を遣わず、下ろしたての新車であっても、惜しみも無くタバコを吹かす。このZ3の時もそうだった。むしろ気が気でないのは私の方で、


「まだ新車の香りがするうちだっていうのに、もったいねぇんじゃね~?」

 と、話せば、

「いや~汚さないで大事に乗る方が、余っ程俺にしてみればもったいないことですよ」

 と、笑う。

 それが圭ちゃんらしいところとも言えよう。


「圭ちゃん。そういや、智ちゃんとはどうなん?」

「・・・・あ、智美ですか・・・・相変わらずですよ。つい最近も会ったんですけどね。うまくいってるような・・・・いってないような・・・・」

 時折照らし出される吸い殻の山を、微笑ましい気持ちで眺めた時、偶然目にした赤く染められたフィルターが、このところ見かけない彼女を思い出させたのだった。

「まだ若いからですかね。智美はどっちかというと、俺よりもこの車に惚れてるんじゃないかって気がする時もあって・・・・」

「いくになったんだっけ?」

「二十五です」

「そうか、十歳くらい違うんだっけ」

「ええ。まぁ、もともとこれに乗り換えるなんて話も智美が言い出したことで、色だってあいつが選んだんですよ。ちょうど付き合い出した頃で、勢いで買っちゃったみたいなところもあるんですが、島さんも知ってるように、俺はどっちかというと渋めの色が好きなんですけどね。・・・・今じゃすっかり慣れて愛着も沸きましたけど・・・・」

「あ、そういや黄色はオーダーって言ったっけ?」

「え!?・・ええ」

「でも・・ほら何て言うか国産で見かける黄色と違う感じに見えるよな」

「あれ!?島さんにもわかりますか?」


 慌てて変えた話題が功を奏したのか、曇りがちな圭ちゃんの口調も一転した。

「おいおい、そのくれぇ俺だってわかるよ。なにイエローだっけ?」

「ダカールイエローⅡ(ツー)です」

「お、ツーまで言うかい?」

「いや、これが島さん微妙に違うんですよ」

 そう言って圭ちゃんは笑いを顔に浮かべる。私も笑った。

 しかし、私の笑いの半分は、ついつまらぬことを訊いてしまったと言う笑いであり、展開次第で訊こうとしていた二人の行く末については、一先ずしまい込むことにした。


「さ~て、今夜はなんにするか?」

「そうですね~。あ、肉なんてどうですか?それも目の前で焼いてくれる店なんてのは?」

「えっ!?そんな店知ってんの?」

「ええ、まぁ・・・・」

「じゃ~決まり!」

「わかりました。じゃ、そこ曲がりますよ」



 私の左手に触れようかとする位置で、小気味よく圭ちゃんはギアを変えると、ロードスターはスキール音を響かせる。

 短いシフトの前にあるアナログ時計は八時を指そうとしていた。

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