第7話

 食後のそれもビデオを見る学科であったなら、居眠りを誘うほどの暖かさに包まれた二階の一室は静かな時を刻んでいた。開始の時を待つ以外することのない私にとっては、退屈な時間にも感じ、同じ場所に腰掛けボーッとしている。

 まだ時間に余裕があるのか座る人もまばらで、ただでさえ人数に対し広く感じる教室が一段と広々して見えた。目の前は煙を交えた運転手らしき人の背中で、彼もまた時間を持て余しているようだ。

 すると突然、その背中がクルッと向きを変え、


「大型ですよね?」


 と、声を掛けて来たのである。

 見えない冷たい空気の壁が取り払われたような気分だった。同時に、近くにいながら黙りこくっていた、つい先ほどの自分を恥じたりもする。

 先手を取られたような不甲斐なさの中にも、うれしいくらい温かい言葉だった。年下に見えた彼は、どうやら私よりも大人だったようだ。


「ええ」

 と、返事をしたものの、やっぱり大型ですかは、間抜け過ぎて言い出せない。相手はきっかけとして使った言葉ではあるが、同じ列にいるので、わかりきったことでもあるからだ。とっさに身なりから、

「やはり仕事の関係ですか?」

 と、返す。

「ええ」

「じゃあ、今、四トンか何か乗ってて?」

「そうです。あそこに止めてあるのがそうです」


 と、外に向けて軽く指をさした。しかし、椅子に座った場所からは何も見えなかった。

「四トンじゃ、やっぱり稼げないかい?」

「いや、そうでもないんですけどね。とりあえずはまだ乗る予定はないんですよ。ただ会社が取れって言うんで、まぁ費用も出してくれるし、いいかなって」

「あ~、だったらいいね~。費用も馬鹿にならないしね」

「そうですね、けっこう安くないですし、こんなときじゃないとなかなか時間もないですしね・・・・・・やっぱりトラックに乗ってるんですか?」

「いや。前には乗ってたけどね」

「でも仕事か何かで使うんでしょ?」

「まぁ、時々乗る程度かな」


 たいした時間ではなかったが、重苦しい雰囲気が少なからず薄らいで行くように感じた。

「けっこう混んでるんですかね?」

「さぁ?どうなんでしょう」

 俄に室内に戻って来た人でざわめきだすと、チャイムの音が響いた。

「それではこの時間は簡単なテストを行います」

 小脇に用紙を抱えながら、先程の人が足早に入って来る早々それを配り出す。


(テスト!?そんなのがあったっけな!?)


 やや疑問に思っても、手元に届いたものは見覚えのある用紙でもあった。

「テストと言っても難しいものではありません。簡単なアンケートと運転にどのくらい適しているかの調査のようなものです」

 時間内に同じ形を選んだり、素早く印を付けていったり簡単な計算問題もある。それで反射神経や情報判断力等を調べるようだが、何回か経験のある私は、過去どの程度まで出来たのか気になった。

 年と共に反射神経が鈍るとすれば、比べることにより一つの目安となるからだ。あいにく、手元にもなければ記憶にもなかった。


「それでは始めますよ。はい!どうぞ!」


 こんなもの何の役にも立たないと思っても、いざ始まると夢中になってしまい、時間が短くも感じた。ペンもこれほど早く動かしたりしないので、手首がおかしくなるような気もした。それでも真剣になってしまった。


「はい!やめ~~!それでは次のページを開いてください」


 算数はもともと得意な方ではないので、見るからに簡単な問題もなかなか進まない。それがいらだたしくもあった。焦ると余計にわからなくなり空回りしてしまう。

 質問事項ではさしずめ心理状態の分析なのだろう。

 これは時間に関係なく、担当の人がそのフレーズを読み、あるないなどに印を付けるものである。



───「運転していると~、ふと~死にたくなることがある」

 なんともそれらしく言う口調がおかしいのか、何人かがクスクスと笑った。私はそんな笑い声も含めて聞き覚えのあるフレーズだとも思った。

「───でありますから、これらを踏まえて安全運転に役立てて下さい。はい、それではこれで終わりにしたいと思います。普通車の方はこの後───。大型の人は予約を取ればすぐ実技に入れますから、下へ行って手続きをして下さい」


 机に向かう時間から解放されることの方がうれしく、テストの結果はどうでも

よかった。

(やれやれ、これでようやく実技だけになった。予約でもして帰るか)

 大型は三人だけということもあり、慌てることもなく、のんびりと階段を降りて行った。

 既に二人は先にいたが予約の場所ではなく隣に並んでいて、予約の彼女の場所は、まるで私を待っているかのようにも見える。


 なんだか気分が良い。


 今度こそ予約だから調子外れの返事は聞かなくて済む。

 空いている教習所は何事もスムーズで良いなどと思いながら、彼女のところに行き、


「あの~、予約を取りたいんですけど」

 と、話せば、

「初めての方は、まず乗車券をお求めになっていただけますか」

 と、これまた調子っ外れの言葉。確信していただけに余計に驚いてしまった。

「!?・・・・・・乗車券?」

「ええ、乗車券がないと予約が取れないんです」

「・・・・・・・・あ、そうですか・・・・・・え~と、それはどこで?」

「隣の窓口です」


 そう言われたとき、二人の並んでいる場所を理解した。

「わかりました」

 一度ならず二度も空振りをする姿に、さすがに今度は彼女もおかしかったらしく、目の辺りは笑っているように見えた。同時にやはり笑顔の方が似合うとも思った。

 後に並んでみても納得がいかず、知らぬ間に記憶を手繰り寄せている。それは遠い記憶でもあった。

(乗車券がないと予約は取れなかったっけな?確か予約を取るときお金を払ったような・・・・いや違うのか・・・・普通車のときはそうだったような・・・・・・)

 あまりに曖昧過ぎて答えは出ない。それどころか何か見えない力で彼女との距離を裂かれているような気さえするのだった。


「乗車券下さい」

「はい、何枚でしょう?」

「一枚いくらですか?」

 こんなやり取りの後、

「じゃあ、場内の八時間全部ください」


 と、規定である時間すべてを購入した。その都度買うのも面倒だと初めから決めていたこととは言え、すんなり予約が取れず腹立たしく思ったのか、それとも目の前の女性の言い方だったのか、さらりと簡潔に答えた。

「お待ち下さい」

 パソコンを叩き手続きをしているのを待っていると、

「明日の夕方四時は?」

 隣から聞こえた小声につい耳が傾いてしまった。それもそのはず、仕事に差し支えないようにと私も四時から乗ろうと考えていたからである。

 実際は四時半から五時半になる教習を、ここでは四時と言っていた。

 四時だと少し早めに切り上げてくる程度で、続けて二時間の教習が可能であるし、その次では日も落ち暗い中で走らなければならない。そんな状況で乗るのはあまりに乗り辛いだろうと思っていた。


 それ以外にもなるべく早く何事も無かったように取ってしまいたかったのもある。だから決められた一日の乗車時間を、フルに乗ろうと考えてもいた。

 どうやら先に乗車券を買った大型の人も同じ時間を選んでいるらしく、慌てる乞食はと、のんびりしていた自分に後悔の色も映り出す。


「それじゃ、あさっての四時、五時。その次の日は?」


 聞こえる言葉が気が気ではなく、意識は完全に予約の方へ向いている。そして四時、五時と彼が言い、彼女がはいと返事をする度に、焦りをあおられた。


(何てことだ。完全にバッティングしてるじゃねぇか~)


 こんなことを思っても、今は彼が予約しているのだからどうなるものでもない。おまけにもう一人後に控えている。頼むから両方埋めないでくれと祈るだけだった。

 彼も私同様まとめ買いしたのか、長い間居座り次々と予約を入れている。


「はい。それではこれで予約を取れますから」


 目の前の彼女の言葉は然程耳にも入らず、余裕でもあるかに隣に並ぶ足取りは、半分諦めのようでもあった。

 二人目の若い彼は、朝に集中させホッとさせるが、朝がだめだと夕方に回り、またしても後でやきもきしていた。余っ程知り合いか何かなら、

「おい、ちょっと待てよ。俺が乗れなくなっちゃうじゃねぇか~」

 などと、冗談半分でカウンター腰に乗り出して行きたいところである。

 ここでも待つしかなかった。

 ふと大型は二台あることに気づいたことが、多少なりとも気持ちを和らげてくれるのだった。


「予約を・・・・・・」


 彼が立ち去った後、ようやく彼女のところに来たというのに、言葉は疲れたような沈んだ口調になっていた。

「はい、どうぞ」

 事務的な口調ではあるものの、普段とは違う穏やかな優しい目をしていた彼女に、

「明日の四時はどうですか?」

 と、駄目元で尋ねる。パソコンを叩きながら、

「明日はいっぱいです」

「なら、あさっては?」

「あさっての・・・・四時ですか?」

「そうです」

「いっぱいですね」

「五時でもいいんですけど」

「五時もいっぱいです」

 思惑が当たってしまったのか、既に四時、五時は埋められてしまったようだ。

「次はどうでしょう?四時か五時です」

 見えない画面が気になり、前かがみに乗り出すようにすると、予約の状況の画面がはっきりと見え、


(へぇ~、予約の画面てこうなっているのか)


 と、見慣れないものを見て楽しんだりすれば、それによって得た彼女との接近した距離もどこかうれしく感じた。

「次もいっぱいですね~」

 その声は耳元に近いために息までも届きそうなほどだ。

「四時か五時だと、いつなら空いていますか?」

 密接な時間もそれはそれで悪くはないにしろ、何度となく訊くことに焦れったくなり、質問の内容を変えた。

「四時、五時ですと・・・・・・来週の木曜になっちゃいますね」

「来週の木曜ですか?」

「はい」

「木曜はちょっと駄目だな・・・・・・金曜は?」

「金曜は両方大丈夫です」

「あ、じゃあそこでお願いします・・・・・・」

「番号は?」

「4019です」

「はいわかりました。土曜日も空いていますけど入れますか?」

「いや、土曜も都合が悪いんです」

 なんてことだ。初めて乗るのがまるまる一週間も先になってしまうとは。てっきり空いてるから一月もあれば取れると思っていたのに、とんだ思惑違いだ。よりによって仕事の都合がつかない木曜と土曜が空いているなんて、なんと間が悪いことか。


「再来週の月曜日は?」

「再来週ですと予約の方が取れないんです」

「取れない?」

「ええ、予約は二週間までしかとれないので」

「そうですか・・・・」

 そう言った後、何げなく彼女の名札が目に留まると、そこには岩崎とあった。


(岩崎さんって言うのかぁ~)


 ガチャ・・・・ガタッ!


 緑色の大きめの封筒を手に歩き出せば、

(まったく、空いてるなんて言って、須藤の野郎ウソ言いやがったな・・・・・・)

 すんなり予約の取れなかったことで、思わずそんなことを思ったりもしたが、それほど根に持つほどでもなかった。

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