第5話
関東に数カ所営業所を持つ隣の会社は、全体では百人ほどの社員がいて、隣には九人が勤めていた。
十年もなると社員も入れ代わり立ち代わりで、いろんな人が通り過ぎ、配達が営業になったり、あっちの営業所へ行った者、向こうの営業所から来た者。
人事異動は毎年のお約束のようなものでもあった。
須藤はここに来て一年くらいになるだろうか。
当初はそうでもなかったが、最近は作業場に止まっている大型トラックを見ては、
「島田さん。今、運転手さん居るんすか?」
と、関心を示すようになったのである。
「いや、置いて帰っちゃったから居ねぇよ」
「ちょっと、運転席に座っても良いっすかね?」
「良いよ」
やったとばかりの表情で、サッと駆け上がると、椅子に座ってハンドルを持ち、両サイドのミラーで眺めたり、ちょうど運転でもしている格好だ。
わずかな時間にしろ降りて来る時の顔はうれしさそのものである。
「やっぱ、でかいっすねぇ~」
「見るんと乗るんじゃ違うだろ?」
「そうっすね・・・・やっぱ乗るんなら大型が良いっすね~」
「そうだな~、大型の方が運転しててもトラックって感じがして良いもんな」
「そうっすね、四トンじゃ所詮普通免許っすからね~」
その言葉にドキッとさせられもするが、別にピンと来るものもあった。
かつて何人もが同じ目をして話したように、須藤もしかり。明かにトラックの運転手に憧れているのだと感じた。
ある日、仕事を終え私のところに立ち寄ったときのこと。
「島田さんには話しちゃうけど、実は今度、会社に内緒で免許取りに行こうと思ってるんすよ」
「へぇ~。免許かぁ~いいね~・・・・じゃあ大型?」
「ええ。今度のボーナスが出たら、それで行こうかなって・・・・まぁ、仕事してからだから毎日乗れるかわかんないっすけどね」
「大型かぁ~!いいですね~島さん」
片付けをしていた圭ちゃんの耳にも届いたのか、手を休めて来ると私の顔を意味ありげに見て言った。
「そうなんすよ、あ、栗原さんも黙ってて下さいっすよ」
「ハハハ・・・・・・どうしようかな~?」
あさっての方向とでもいおうか、そんな曖昧な視線を送る圭ちゃんだった。
「あ~!さてはまずい人に聞かれちゃったっすかね」
「大丈夫!圭ちゃんはああ言うけど口は堅いから安心しろ。そういや大型の教習って、今いくらぐらいするん?」
「規定で行くと二十二万くらいっていう話なんすけど、けっこう、これが場所によって違うんすよ」
近くの椅子に腰を降ろす圭ちゃんに、疑いの眼差しを送りながらも須藤の顔は笑っていた。
「けっこうするもんですね、島さん?」
圭ちゃんはやや真剣な表情を浮かべる。
「そうだな~、それでどこ行くん?」
「西にしようかと思ってるんすよ。さっき値段が違うって話したじゃないっすか。調べたらこの辺じゃ西が一番安いっすね。あそこだと家に帰るのもちょうどいいし、北部だと行くまでが遠いっすからね」
「そうだな~北部は、ちょっと時間帯にしてきついな・・・・・だったら東が良いだろ?」
私は街を抜けて行かなくてはならない西より、通うのが楽な方がいいだろうと、身近にある教習所を話してはみたのだが、
「東は大型はやってないみたいっすよ」
と、須藤。
「そうだった?そういや走ってるの見たことねぇかな~。・・・・と言うとやっぱり西になるか~・・・・・・あそこもボロなんだよな~」
「そうなんすよね~・・・・・・あれっ!?島田さん、西に行ったことあるんすか?」
「ああ、もうずっと前の話だけど、中型でね」
「そ、元暴走族だから!」
「もう直管バリバリで・・・・バリバリってのもふりぃなぁ~」
間髪入れずの圭ちゃんのジョークに私もつい乗ってしまう。
「ハハハ・・・・須藤が本気にしちゃいますよ?」
と、フォローする圭ちゃん。
「それもまじぃな。実はその話は圭ちゃんでさ──」
そんな私の振りに今度は、
「あれっ!?そうでした~?私はどっちかと言うと真面目な暴走族でしたよ」
と、圭ちゃんが乗ってみせる。
またいつのも冗談が始まったのかと、微笑ましく眺める須藤は、
「あ、そういやバイクもやってるんすよね。話だとほとんど変わってねぇらしいすよ。でもいいんすよ。ボロだって免許が取れれば・・・・」
「ま、確かにそうだな」
圭ちゃんの顔をチラッと見ながら言った。
「ボロなら結構空いてていいんじゃねぇの?」
「どうなんすかねぇ~」
須藤らとの会話の中に、かつて訪れた西教習所が懐かしく頭に広がる。
記憶は朧げでしかなかった。
たまにすぐ脇の道を走ることはあっても、ほとんど当時と変わらない外見を眺めるだけに過ぎなかったからだ。
「じゃあ、ゆくゆくは辞めてトラックか?」
「ええ・・・・もう、安すぎてだめっすよ・・・・・・ぜんぜん遊べなくて」
「まぁ、こういう仕事だからしょうがねぇだろうな。けどその分仕事は楽でいいだろ?特にうちへの配達は?」
「もう頼んでも遠いのか、なかなか来なくってね~」
「栗原さん、これでも急いでるんすよ~。ほら最近は伝票の出るのが特に遅くなったじゃないっすか」
「あっ・・伝票って言ったら、窓口の子辞めちゃったんだって?」
「そうなんすよ。それでただでさえ遅い伝票が遅くなったんすけどね」
「あの髪の長い子か?え~と・・・・何てったっけ?」
「山ちゃん。あ、山崎さんっすよ」
「そうそう山ちゃんだ。そうかぁ~辞めたんか~」
「ええ。何でも花嫁修業とかで実家に帰るって言ってたっすよ。・・・・そうそう島さんのことも話してたっすよ」
「え!?俺のこと?」
思いも寄らぬ話に、自分を指さしながら言うと、
「ええ。何だか楽しそうな人だから、もっと話してみたかったって──」
「おいおい。そういうことはもっと早く言わないと。あれっ?実家はどこ?」
「また~。すぐこれなんすから」
「ハハハ・・・・まぁ、冗談はともかく、その程度のことならお易い御用だったのに。でも言われてみりゃ、なかなか窓口の子となんてゆっくり話す機会もないしな~」
「そうですよね~。だけど、もしそれで後々まで気にし続けたりしたら、ちょっとした話とは言え後悔しますよね。あ、俺のことは何か言ってなかった?」
「あ、言ってたっすよ」
「え!?なんて?──」
「あの人は遊び人風で嫌だわって」
「本当かよ!それ?」
「ハハ・・・・冗談っすよ~~」
「て・・てめぇ~~」
「ハハ・・・・栗原さん~勘弁して下さいっすよ~。ま、仕事は確かに島田さんの言う通り楽なんすけどね。やっぱ金が無くて遊べないってのは辛いっすよ」
「金使い過ぎなんだろ?」
「いや、そんなことないっすよ。借金もあるじゃないですか」
「借金?・・・・・・借金ったって何があんだよ?」
「ほとんど車っすけどね」
「車か・・・・・・」
「それに女も居ますから、デートで金使わせるんも嫌なんで、つい出しちゃうじゃないですか」
「ああ・・・・」
そう返事をしながらも、こいつも私と似たような性格かと笑いそうになると、圭ちゃんもニヤニヤしながら、
「女に出させるような男にならないと駄目だね~」
「そりゃ~栗原さんみたいに容姿が良ければ別っすよ」
「おっ、言ってくれるね~、あ、だから遊び人風だってか?」
「ハハ・・その話はもういいじゃないっすか~」
「冗談冗談。須藤、何か飲むか?」
「そうだ、圭ちゃん、わり~けど、何か淹れてやってくんねぇか?」
「あ、いいですよ」
「すんませんね、栗原さん──」
「なんの!なんの!」
そう言いながら奥の方へ足早に向かって行く。
「・・・・・・じゃ~金も残んねぇなぁ~」
自分もそうだったとばかりにしみじみとした口調になった。
「もう全然!足んないくらいっすよ・・・・」
「ま、てっとり早く稼ぎたいんならトラックだろうな」
「やっぱ、そうっすよね。あ、俺が教習所に行くってこと、黙っててくださいよね」
「大丈夫だよ!そんな得にもならねぇ話、したりしねぇから安心しろ!」
遊びたいが金は無し、若いときは誰しもそんなものだと思った。
だからと言って今、金をあり余らせている訳ではない、少なくともあの頃よりはましだと思うだけである。
「はい、コーヒーでよかったかな?」
両手にカップを持って現れた圭ちゃんが、私と須藤の前にカップを置くと、立ちのぼる湯気の中にコーヒーの香りが混じった。
「ど~も、すんません」
「そういう時はダンケって言うの」
「も~ドイツかぶれなんすから~」
「ハハハ・・・・まぁそう言うなって」
お茶らけたように笑う圭ちゃんが自分のコーヒーを取りに戻って行った時、
「大型かぁ~・・・・俺も取るかなぁ~?」
その場の和んだ雰囲気からか、コーヒーを一口飲み終えた口からは、ついそんな言葉がこぼれていた。
「え!?大型って・・・・島田さんは持ってるじゃないすか?」
「いや~、まぁ、なんて言うか、ここだけの話、大型は持ってねぇんだよ」
「だって結構乗れてるじゃないっすか?え、じゃあ栗原さんは?」
こちらに向かう圭ちゃんに目をやる須藤に、照れ臭そうな笑みを浮かべ圭ちゃんは首を振った。
「つまりは二人ともっつうわけでな──」
「そうだったんすか・・・・・・てっきり持ってるんだとばかり思ってたっすよ」
「まぁ、なんとか乗ってんのは、ここの前まで四トンに乗ってただろ。そのうち取ろうかななんてことは、前々から考えちゃいるんだけど、なかなかね~」
「それはうちの社長は知ってるんすか?」
「いや、話しちゃいねぇよ」
疑問そうに訊く須藤に私はきっぱりと答えた。笑みが消えて行くような須藤の表情に、
「おっ、どうする須藤?こんな貴重な話を聞かされて?」
と、圭ちゃんが冗談交じりの口調で尋ねれば、
「なんだかうれしいっすよ・・・・・・大丈夫っすよ俺も喋らないっすから」
そう言って須藤はコーヒーを口にする。
「だったら今ならちょうどいいんじゃないすか?時期的に仕事も忙しくないから時間もあるし、そうっすよ!島田さん乗れるんすから、一発で行けばいいじゃないっすか」
一発とは、本試験場で直接実技の試験を受けることである。従って教習所も行かなくて済むのだが、かなりの運転技術が必要とされ一回二回ではまず受からない。それでも数回通ったにしろ費用は遥に安上がりだ。
「それも考えたんだけどな・・・・・・所詮ちょっと動かす程度じゃ、何回も行くようになるしな」
「やっぱ、走ってないと駄目っすかね」
確かに言われたように、それも一つの手かもしれない。近いうちに免許がないと生活するのもままならない状況なら、根気を出して何度でも通うだろう。
しかし、そこまで追い込まれてもいない現状では、本試験場まで行って試験に落ち、また家路に向かうことの繰り返しを考えると、どうにも腰が重い。
だから、どうせ本試験場に行くなら、免許をもらいに行くだけにしたい。
これが正直な感想とは言え、別にある考えもあった。それは教習所のコースをもう一度走ってみたいと言うもので、以前もそんなことを真剣に思っていたこともある。恐らく出来そうで出来ない事ゆえ、やってみたくなるのだろう。
教習所なんて免許さえ取れば、まったく用のないところになってしまうわけだから、もう一度走りたいと考えること自体おかしいことなのかもしれない。
横に教官が乗り、みんな決められた安全のスピードで車が走る教習所よりも、若葉マークからベテランまで入り交じる一般道のほうが、より実践的で難しく勉強になることも多い。
しかし・・・・しかしである。
右も左もわからず免許の取得に夢中になっていた頃は、運転するだけ免許が欲しいということだけで、それこそゆっくりコースを味わう暇も余裕もなかった。
あの無性に狭いコースが広々と見えたのだから、それも致し方のないことにせよ、車に乗り出して約二十年経った今なら、道路の継ぎ目まで見えるのではないか。どんなコースだったか味わうことが出来るのではないか。
いつの頃からかこんなことが私の中で膨らんでいたのだろう。
だが、それも横に教官を乗せてが前提で、時間いくらで走れるコースでは何かが物足りないのだとも思った。そうなると、やはり教習所に通うしかないのである。
「だったら、一緒に行かないっすか?」
「え!?一緒にか?」
突然とも言える須藤の言葉に驚いて答えれば、
「そうっすよ。一人より楽しいじゃないっすか!」
そんな単純な理由に少なからず心をくすぐられたような気がした。
「そうだな。そのうち考えておくよ」
───「こんにちは!」
「こんにちは」
揃うような揃わないような十数人の挨拶が聞こえたかと思うと、
「え~今日からみなさんは当教習所に入所なされるわけですが、え~、まず座る場所なんですが、こちらの側から普通免許。そして真ん中の手前に普通免許のAT車。え~オートマチック免許ですね・・・・」
(オートマの免許!?・・・・そういや、そんな免許が出来たんだっけ・・・・)
改めて教習所に来る開いた時の空間を感じてしまった。それもそのはず、私が普通車の免許で通っていた頃は、一部の高級車にオートマチックが普及する程度で、性能も今とは当然比較にならないものだった。
しかし、ドアを開けて「オートマかぁ~・・・・・・」と、ぼやいていた季節はどこへやら、今は「え~っ、マニュアルかぁ~・・・・乗れないんだよ」
と、AT免許の人だったら言うに違いない。
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