第3話
────信号のない場所でメイン道路から右折しようと待っていた。
時間は夜の九時頃だっただろうか。
会社の車でどこかへ遊びに出掛けた帰りのことで、曲がればすぐアパートという距離に、特に慌てることもなく、タイミングを見計らうように対向車を眺めていた。
バンはディーゼルだったため加速が鈍い。それも重々承知していた。
と、言うよりは、しばらく足として借りていた車なので、身体で覚えていたと言った方が適切である。
透き間もないほど続く車の中に、若干の途切れを見つけた私は、徐々に近付くその間に目を凝らす。対向車のヘッドライトの脇にはもう一つ光りが見えた。どうやらバイクらしく、そのスピードはほぼ車と同じようだった。
このくらいなら十分曲がれるだろうとアクセルを踏む。
だがこれだけでは終わらなかった。
バーン!!───。
と、凄い音と衝撃が走り、あまりの音に飛び上がるほどだった。
(!?何の音だ?何か爆発でもしたのか??)
咄嗟にブレーキを踏むも、何が起こったのか皆目見当がつかず、ギアをニュートラルにして後ろを振り返れば、荷台の中には何かが散らばっているのが見える。
(何だ!?これは───)
その直後、バンの左後方のガラスがないことにも気づいた。
(これはガラスか・・・・・・何で割れてるんだ!?)
そしてリアガラスの先に何かがあると、食い入るように見つめた時、私は愕然とした。
なんとそれは道路に倒れた人だったのである。
(───ひょっとして・・・・お、俺の車か!?・・・・・・)
まったくもって信じられなかった。衝突した事実にしても同じだったが、直ちに私は車から飛び降りて行った。
「おい、ウソだろ~?」
倒れている人のところへ走りながら、口から思わずそんな言葉が出ていた。
ほとんど大の字に近かっただろうか。離れた場所に転倒しているバイクにも気づいた。
(あのバイクか・・・・そうだ!救急車を・・・・)
近くの飲み屋らしきところに飛び込むと店の人に、
「すいません!救急車を呼んでください!」
「あ・・わかりました・・・・事故ですか?」
店の人も知っていたようにすぐ対応してくれた。店の扉は開いていたような気がする。
恐らくあの音だ。客がやじ馬として見に出ていたのかもしれない。
車の手配は済んだが、現場へ戻るのが正直嫌だった。夢ならいいと思った。
しかしそれは覚めることのない現実でもある。そしていつぞや教習所で習ったマニュアルも思い出していた。
被害者の所に行くと、周りには何人かの人が取り囲んでいた。二次災害を防ごうとする人、交通整理で車を誘導する人、ケガ人の状況を見る人、やじ馬の人。
その中の一人が私に、
「事故らしいんだが、相手はどこにいるんだい?」
と、訊いてきた。
「私です──」
まるでこのバイクは誰のと訊かれた時の返事のように答えた。
「・・・・・・そうかい。救急車は?」
「はい、今連絡して来ました」
「あ、なら、じきに来るだろ・・・・・・」
被害者に目をやると頭から大量の血が流れていて、大の字になったまま動かない。
(ま、まさか・・・・・・死んでいるんじゃ・・・・・・)
とっさにそんな不安に駆られるが、思っていたほどの動揺もなかった。
(転倒したときに頭を打ったか・・・・頭 ・・・・なんでヘルメットを被ってないんだ?)
キョロキョロと辺りを見回すと、遠く離れた場所に転がっていた。
そうこうしていると被害者も気が付いたのか、もそもそと動き出す光景にひとまずホッと胸を撫で下ろす。
出血している頭が気になるらしく、自然と伸びた両掌はいつの間にか真っ赤に染まっていた。放心状態にも似た顔が状況を把握出来ないのだと思わせた。
誰かに手を借りようとでもしたのだろうか、血に染まった手が今にも袖を掴もうとしたので、私は咄嗟に両手首を掴むと、こう叫んだ。
「よ~し!今救急車呼んだから、ちょっと待ってろ!」
相手は理解したのか、わずかに頷いたようにも見える。
救急車の到着など待ったことのない私には、サイレンが聞こえるまでの時間は長く感じ、その合間がいろんなことを考えさせた。
しかし、出来ることはただ待つしかない。
倒れたバイクや散乱した部品などで、片側は通行止めのような状態であった。そして、それを眺めながら通り抜ける車で、残された車線も渋滞している。
ポツンと一人佇んでいないだけせめてもの救いだと思った。
救急車はまだか───。
時間の流れが遅いような気がした。
どのくらい待ったのか、かすかながらサイレンの音が聞こえると、妙な安堵感に包まれるものの、次第に近付き騒がしくなるにつれ、同調して胸をかき乱した。
暗闇の中にさ迷うようにサイレンの音が消え静粛が広がり、ドアが開き速足で隊員が駆け降りて来る。
すぐさま被害状況等を確認して被害者に、
「大丈夫ですか~?」
と、声を掛けた時だ。
事態に気が付いたのか、放心状態のような顔が崩れ、
「ママ~~~!」
と、大声で泣き叫び暴れだした。
あまりに予想しない出来事に、今度はそれを見つめる私が放心状態のような顔になった。
どこからかやじ馬の人込みの中からは、
「おい、ママだとよ~」
と、呆れて吐き捨てる言葉も聞こえる。
隊員に両手を掴まれる被害者を見ながら、とんでもない奴とぶつかったのかなと考えていた。その言葉を聞き笑っていた者もいた。
それは助けに来た隊員本人である。呆れて半分怒ってもいた。
「おいおい、ママはねぇだろ~。何がママだよ。まったく・・・・よし乗せろ」
───カチッ!
静まり返った院内に靴音が耳に響き、ほとんど照明が落とされ、先が見えない廊下が不気味に見えた。どうしてここにいるのかと、キツネにつままれたような気分でもあった。
一人待合室で思案に暮れている私に、隊員が胸をなでおろす言葉を持って来てくれた。
「とりあえず、頭部から出血はしているんですが、意識ははっきりして、自分の名前とか住所など話していますから大丈夫だと思います」
「そうですか・・・・・・」
安心して出た息のような言葉でもあった。
「全身は打撲だけで、骨折もないようですし、じき両親も見えると思いますから、後はそちらの方で話し合ってください」
「わかりました。お世話になりました・・・・・・」
「まぁ、気を落とさないでください」
大らかで明るい口調であった。
両親は県外で一時間ほど掛かるらしく、その前に話を聞き付けたのか親しい友達などが何人か駆けつけ待合室に声が聞こえるようになった。
ここでもやはり待つ以外は何も出来ない。その時間に心を締め付けられながら、どんな人が現れるのか考えてもいた。
「ママ~」と、叫んだ子供の親とはいったい・・・・。
夜で空いていたのか、急いで来たのか、一組の真面目そうな夫婦が静かに部屋に現れたのは思っていたよりも早かった。少しばかり思っていたタイプと違うと思いながらも、すぐに察した私は立ち上がって、
「───この度はまことに申し訳ありませんでした」
と、頭を下げた。
静かな場所を考慮したつもりだったが、待合室の壁に響いた。
年にして四十代後半のやや紳士的な父親は軽く頭を下げ返すと、
「・・あ・・・・どうも・・・・まぁ掛けてください」
と、動揺が見え隠れする中にも落ち着いた口調で話す。
取り乱すこともなかったが動揺を隠し切れなかったのは母親の方で、父親の横に腰を下ろすにしても、落ち着かない様子が犇々と伝わって来る。
二人の横に座り、二言三言、父親に訊かれるまま事故の状況等を説明すると、軽くうなずき相槌を交えながら私の話を聞いている。
混乱している頭の中を整理しているようにも伺えた。
小声だったが全面的に自分が悪いとも思っていなかったので、なるべく状況を掴み易いように伝えた。
言いたいことも他にあった。ただ今は必要のないことだろうと口を噤んだ。
「起こってしまったことはしょうがないですから、後は誠意を見せていただくしかありません・・・・・・とりあえず今日のところは遅いですからお帰りになってください」
「・・・・・・わかりました」
駐車場に止めてあるガラスの割れた車を見るまでは、寝て起きたら悪い夢だったのではないかとさえも思った。
──カチッ!
「島田さん、お見舞いをいただくのはうれしいんですが、いつもだと大変でしょうから。いいんですよ、毎日来てくれるだけで十分ですから」
「はぁ・・・・」
確かに大変だった。
知り合いの見舞いでたまに訪れるのなら良いのだが、毎日だとさすがに何を選ぶかも辛く費用も馬鹿にならない。
申し訳なさそうに話す母親の横で、
「そうだよ。軽く手ぶらで来ればいいんだから。それに忙しくて来られない日は無理しなくったっていいよ」
と、労ってくれる父親。
「毎日じゃ~島田さん破産しちゃうよ」
親元を離れ、こちらの三流大学に通う彼も、この頃になると冗談も言えるほどになって、その回復と共に両親も穏やかさを増して行くように見えた。以前にはなかった笑い声に包まれる光景が目の前に広がり出す。
時間は不規則であったにしろ、毎日私は彼のもとを訪れた。
「──お言葉に甘えて今日は手ぶらで来ました」
手持ち無沙汰とはこんなことを言うのだと、私は両手のやり場に困りながらもひたすら笑い顔を作った。
「それでいいんですよ」
優しい両親とは言え、特に母親は過保護も過ぎるのではないか。そう思わせる光景を何度となく見かけると、いらだちを押し殺す自分が居ることにも気付く。
たいした理由もなしに行くのが憂鬱になって、欠かさず訪れていたお見舞いを休んだこともある。
しかし、その日が暮れようとした時には別の憂鬱感に襲われ、行かなかったことが私の中で後悔として残った。続けていたことが途切れた。そんな不満もあったようで、翌日からはまた欠かさず出掛けることを心に決めるのだった。
「──このぶんだと退院も近いようですよ」
「あ~それは良かった」
それは自分に言ってるようにも聞こえた。
──カチッ!
「はい。それじゃあ、結構ですから二階を上がった右の部屋で待っててください」
「右ですか?」
「そうです」
なんだか嫌なことを思い出してしまったようだ。
ゴッゴッゴッ・・・・・・。
黒くなった木の階段は軽快ではなく重苦しく響いた。
二階までは一直線。一般家庭と同じくらいの段数で天井も低くそれほど光りも差さないため、薄暗く慣れないと不気味なほどである。そこを何人もの人が歩くと、低い靴音が地底から響いて来るようにも聞こえた。
薄暗い中にほのかに浮かび上がるのは、いつ書かれたものかわからない「右側通行」の文字。
ガラ・・・・ガラガラ・・・・。
渋めの扉を開けると、対照的なほど日の光が十分に注ぐ温かい部屋が広がった。
整列した机に数人の男女が、一定の距離を保ちながらまばらに座っている。
教本を見ている者、目を閉じてじっとしている者など、期待と不安が交錯するような空気が立ち込めている。わずかのひそひそ話でも部屋中に聞こえてしまうほど静かだ。
(そうだ・・・・この部屋だ・・・・・・)
久しぶりに訪れる教室は緊張よりも懐かしさが勝った。ゆっくりとした足取りで一番北側にある列の後ろに腰を下ろすと、遠い昔の学生時代に戻った気がした。
チャイムが鳴り、先生が来て一時間目の国語の授業が始まる。そう思っても不思議ではなかろう。ただあの頃と違っているのは、授業の前でも憂鬱でないことである。
ガラガラ~~・・・・!
静寂を打ち破るように扉が勢いよく開き、慌ただしく速足で担当らしき人が入って来ると、
「はい、大変お待たせしました~。それじゃあ、早速始めたいと思います」
部屋中に反響するほど威勢の良い声が響き渡った。
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