第8話 夜半

「……関谷、それにお前たち二人も。少しいいか?」

「あ、若頭。なんなりと」

 蝶番が軋む音を立て、座敷の扉が軽く開いた。真っ直ぐな黒髪を翻し、純姫が廊下に姿を現す。即座に立ち上がり、関谷は片手を胸に当てて軽く礼をした。黙って純姫の方を見やる霧矢と、いつも通りのんびりしている紅羽。そんな一同を見回し、純姫は口を開く。

「迎撃の際の配置について考えておきたい」

「……卒爾ながら。組員の配置はもう決まってますよね?」

「ああ。その方には変更はない。……問題はお前たち二人だ、MDCの」

 二人に視線を向け、純姫は一つ瞬きをする。何も考えていなさそうに首を傾げる紅羽をよそに、霧矢は頭の後ろで腕を組んだ。

「そういや俺らの配置の話してなかったしなァ。……で、何か考え、あンのか?」

「ああ。……二人とも、私と共に中心で待機。物見から連絡があるまで出ないでくれ」

「えー!? 初手攻撃ダメなの!?」

「ダメに決まってンだろ。昼間みたいに勝手に突っ込まれてたまるか」

「むー……」

 不満そうに目を細め、唇を尖らせる紅羽。小さく肩をすくめ、純姫は紅羽の光のない瞳に視線を合わせた。

「お前は重要な戦力だ。下手な場所に配置して、離れたところに敵が現れ際の戦力のロスは避けたいんだ。それに紅羽とは少し話したいこともあるしな。……わかってくれるか?」

「んむ……わかったぁ!」

「チョロいなこの」

 満面の笑みで頷く紅羽に、純姫は満足げに頷いた。静かに彼女の話を聞いていた関谷に視線を向け、次の指示を出す。

「お前は先の指示通り、物見の方の監督を頼む」

「了解。こっちのことはお任せあれ。ではー」

「ああ、よろしく頼む」

 一礼し、その場を離れていく関谷。その背を見送り、純姫は改めて二人に視線を向けた。刀の柄に軽く触れ、口を開く。

「……では、移動しよう。襲われる危険性が最も高い拠点がある」


 ◇◇◇


 一般的に皇会の最大拠点とみられている場所――江東区の港湾近くの建物は、実質的には伏龍組の詰所として使われている。本来の拠点は初見ではそうとわからないように偽装され、使用頻度もそう高くない。故に公安や他の犯罪組織はおろか、MDCをはじめとする友好組織もその所在を把握できていないのである。

「そういうわけで本来の拠点が襲われる危険性は低い。つまり、それ以外の拠点に敵が現れる可能性の方が高いということだ。……襲撃の危険性が最も高いのはこの伏龍組詰所で、次点が台東区拠点。皇会の主要なシノギは銃器製造であり、台東区拠点は最大規模の製造所だからな。警備が薄いところを叩く可能性もあるんだ」

「……?」

「疑問符浮かべんじゃねェ。お前だってガッチガチに防御固めた公安より、防衛ザルなとこ叩く方が楽しいだろ」

「そりゃそうだよー。ってか皆そうじゃない?」

 あっけらかんと笑う紅羽に、霧矢は盛大に肩をすくめた。理解しているんだか、していないんだかさっぱりわからない。普段からツッコミに精を出している雛乃の疲労を身をもって理解しつつ、霧矢は純姫に視線を投げた。

「……で? こっから台東区だとまぁまぁ近いはずだが、そんなパッと行けるような場所じゃねェだろ? 転送系の天賦ギフトとか用意してンのか?」

「当然だ。ここに残っている組員と台東区に派遣した組員、双方に転送要員を配置してある。そこは心配するな」

「ッたく……抜かりなしかよ。つまんねーな」

 だるそうに天井を見上げ、そのまま後方に首を倒す霧矢。別に笑い種にしようとしたわけではないが、こうも抜かりなさすぎると面白みがない。体勢を元に戻し、霧矢は学生服のポケットからスマートフォンを取り出した。

「……はぁ。とりあえず社長に定期連絡入れてくる」

「わぁ霧矢まっじめー」

「テメェにゃ任せらんねェんだよアホ社員! あぁもう黙ってろ、転がすぞ!」

「転がすの!?」

 紅羽の叫びをガンスルーし、スマホのロックを解除する霧矢。彼から視線を外し、純姫は紅羽の光のない瞳を覗き込んだ。


「……紅羽、少しいいか?」

「ん……どしたの?」

 きょとんと首を傾げる紅羽。捻じれたポニーテールがゆらりと揺れる。膝を抱えたままの彼女と視線を合わせるように、彼女は膝を揃えて座り直した。紫色の瞳が光のない両眼を真っ直ぐに見据える。

「昼間の葬仇院そうきゅういん……あの生物召喚系天賦ギフトの使い手のことだ」

「っ!」

「召喚生物の制御は非常に難易度が高い。だが、あいつは制御に成功していた。それについて、思い当たることはあるか?」

「……んー」

 純姫の問いに、紅羽は顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。何かを思い出そうとするように、赤い瞳が右往左往する。時折ぎゅっと目を瞑り、熱に浮かされたように唸ったり、頭に人差し指を突き刺したりした末に、ぱっと手を打った。

「なんかちょっと思い出した気がする!」

「なんでもいい。話してみてくれ」

「んっと……あいつ、ペットちゃんの制御してる間は一ミリも動いてなかった気がする。いや、めっちゃ喋ってたけどさ、手足は全然動いてなかった。……でもこれ、何か関係あるのかな?」

 言いながらも首をひねる紅羽は、多分自分でもよくわかっていないと思われる。そんな彼女を見つめたまま、純姫は片手を顎に当てた。それと天賦ギフト制御に関連性があるかどうか判断するには、まだ材料が足りない。

「考えられる可能性は……制御には何かしらの代償が必要、ということか? 例えば、四肢の麻痺とか」

「んー……? どゆこと?」

「召喚生物を制御できるようになる代わりに、操り手にも何かしら悪影響が出る可能性がある。勿論、決まったわけではないが……ありえなくはないんじゃないか?」

「あー!」

 両手をポンと鳴らし、紅羽は座ったまま軽く飛び跳ねた。その様子を興味深そうに見つめる純姫に、紅羽は頬をほのかに紅潮させて言い散らす。

「なんかわかる! なんかちょっと分かる! ……あれ、待って。なんかデメリットあるの? 身体に? それって痛い?」

「……痛いかどうかは場合によるだろう」

「そっかぁ……むぅ」

 黒タイツに包まれた膝を引き寄せ、紅羽は光のない目を伏せた。捻じれたポニーテールが、雨に濡れた草の葉のように垂れる。

「……あたし、フツーに痛いの嫌いなんだけどさ。それはそれとして、弱いままっていうのもフツーに嫌だし。……ラクじゃないなー」

「今更かよ……」

 スマホを制服に仕舞い直し、霧矢が半目で紅羽を一瞥した。天井をぼんやりと見上げ、紅羽は生返事を返した。

「まー、そーなんだけどさ。……いい加減、遊んでるだけじゃダメなとこまで来ちゃったのかも」

「むしろ今まで遊んでたのかよ……それでよくMDCクビになんなかったな」

「ひどくない?」

「事実だろ」

「その辺にしてやれ、霧矢。……こいつも多分、こいつなりに考えてるはずだ」

 紅羽の頭を軽く撫で、純姫は妙に真面目くさった彼女を見つめた。光のない瞳は天井を見つめているようで、どこか焦点が合っていない。彼女の髪から手を離し、一つ頷いてみせる。


 ――と、純姫は改造羽織の内側に手を突っ込んだ。スマートフォンを操作し、電話に出る。

「こちら純姫。――ああ、わかった。すぐに向かう」

 電流が走るように、その声が張りつめるような緊張感を帯びた。通話を切り、即座に立ち上がる。ほぼ同時に立ち上がった二人を刺すように見据え、言い放つ。

「敵が現れた。場所は伏龍組拠点の南門。……すぐ向かうぞ」

「ああ」

「りょーかいっ」

 短い返答を確認すると、純姫は長い黒髪を翻して駆け出した。息を詰めたまま、MDCの二人もそれを追う。

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