第8話 彼女の過去
「これがモンブランというやつなんですね」
「まるで初めて見た、みたいな反応だな」
「見た事はあるけど、食べた事はないです」
今のご時世でモンブランを食べた事ない人なんているのか。
「あんまり好きじゃない?苦手だった?」
「そういうわけじゃないですよ」
「親が買ってきたりしないのか?」
この言葉を発したらいけないと気付いたのは、その後の彼女の反応を見た後だった。
「私、親からそういうのされた事、一切ないんですよね」
その発言で少し分かったような気がする。彼女が俺を含めて二人の男とした理由が……。きっと心配して欲しかったのだ。
今の発言から察するに、彼女の親はネグレクトと呼ばれる親だったのだろう。そんな親でも自分の娘がセックスをしたと聞いたら心配してくれるはず、そう思ってセックスをしよう誘ったのだ。
結果がどうなったかは、今の彼女の状態を見れば分かった。
それが1番の答えだと思うのだが、彼女の発言と食い違う点もある。やはり未だに謎が完璧に解けない。しかし、今の考えは70%近くは当たっているはずだ。
「嫌なこと聞いたな」
「言ったのは私です」
モンブランに喜んでいた彼女も、また暗い表情に戻った。
「その悪い、簡単に同情とか言って……。でも俺は本当に心配してて、」
俺の経験した過去とは、断然レベルが違う。
「私の事を心配してくれたって分かったので大丈夫です。…………私、嬉しかったんですよ?」
「え?」
「私、人に本気で心配されるのも、こんな風にご好意を貰うのも初めてなんです」
暗い表情からまた明るい表情に変わった。その顔は、心から喜ぶような、そんな顔だった。そして涙が1滴、2滴と流れる。
「人から何かを受け取るってこんなに心地が良いんですね」
こんな悲しい言葉を泣きながら言う彼女にかける言葉が見つからない。
「人の優しさってセックスなんかよりよっぽど気持ち良いんですね」
その言葉の後に、俺もつられて涙が出てきた。
「ごめん。もっと早く気付いてあげられなくて、ごめん」
初めて会った日、俺が彼女の『愛か……』と言った言葉を無視しないで、彼女にもっと色々と聞くべきだった。
自分の事ばかり考えて、ましてやヤった事に後悔なんてしていた自分が情けない。
「俺でよければ、話聞かせてくれるか?」
「…………はい」
充血した瞳をパチクリと瞬かせ、同時に顔をこくりと頷かせる。その後、彼女から詳しい話を全部聞いた。
まず、彼女は親から愛というものを貰った事がないらしい。理由はシンプルで、彼女の父と母が望んで生んだ子供じゃないからというそれだけだ。
両親ともに社長クラスの権力の持ち主で、その二つの会社の利害関係となるために結婚したんだとか。喜びに打ち明けた両親は、その晩に一夜の過ちで身ごもってしまった。
堕胎した、なんて噂が流れたら会社のイメージや尊厳がなくなるために、仕方なく産んだ。生まれてきた当初から愛されることなんてなく、ハウスキーパーを雇って、その人に琴葉はずっと面倒を見てもらったという。
彼女の両親が建てた一軒家に住んでいたが、二人とも忙しくて、帰ってきた回数は指で数えられた。
その人も、金銭を受け取っただけの他人みたいな存在で、身の回りの世話や家事なんかはしてくれるけど、それ以外は何もしてくれない。
風邪をひいた時でも、どんな状態の時でも、時間になれば必ず帰った。
当然、愛を教わった事も受け取る事もなかった。物心ついた頃からずっとこの環境で育った彼女は、人の数倍愛というものを知りたくなり、そして欲するようになった。
中学に上がってからは、ハウスキーパーもいなくなり、事実上の一人となってしまった。その事がさらに彼女に孤独感を植えつけた。
中学の頃も、たまにクラスの人と話すくらいで、口を開く事はほとんどない。家に帰っても誰もいない。
両親から与えられた携帯は、自分たちには必要な物やお金などだけの連絡をし、それ以外の不要な電話もメールもするなと直接言われたそうだ。
そんなある日、母から一本の電話がかかってきた。
「あんたが早く大人になれば……」
それだけ告げられたという。それに従えば、自分も愛を貰える。そう勘違いした彼女は、1番最短で大人になれる、セックスをしようと決めたらしい。
それが物理的な意味じゃないというのは、良く考えれば分かる事なのだが、当時の彼女にそんな余裕はなかったそうだ。
余裕がないのは当たり前だ。十数年後にようやく愛を貰えるかもしれない。そう思うと、まともな思考が出来ていなかったという気持ちが痛いほどに分かる。
それを聞いた時には、さらに涙が溢れた。
そして迎えたのが、俺との出会いだった。俺とした後に、母に連絡をした。
「私ね、セックスしたの!だから、もう大人になったよ!」
そう声を跳ね上げながら電話をしたという。
「馬鹿なの?体だけ大人になっても意味ないの!あんたが20歳になって、戸籍から縁を切りたいから、大人になって欲しいって言ったのよ」
「え?」
「そんな事でいちいち連絡しないでちょうだい!」
母から現実を見せられたそうだ。しかし彼女は、携帯越しでそう言われても、まだ諦めなかった。
その後、春休み中にもう一回セックスをして、母親に連絡をしたが、今度は繋がらなかったそうだ。
そして本日、ゲームセンター近くで男に誘われた。最初は断ろうと思ったが、もしかしたら今回こそは親が心配してくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、男に許可を出した。
俺がたまたまその場に居合わせたので、彼女の考えは結果として失敗に終わった。俺と別れた後、『誘われた』そう電話をすれば心配してくれるかもしれないと思い、電話かけたそうだが、出なかった。
折り直しの電話が来たのは、スーパーにいる時だった。
「何だ?」
両親のどちらにもかけていたので、父が反応をくれたようだ。そして、誘われたという事を話した。
「そのままヤれよ。そうして精神でも病んでくれりゃ、楽だったのにな」
父と母のどちらも味方をしてくれない。そう現実味を持って知らされた彼女は、この公園で一人泣いたという。持っていた携帯もその時に壊したそうだ。
そうして俺が来て、今に至るというわけだ。
クラスの男子に興味を持たずに、手を出さなかったのはそういう理由だった。
南沢さんにも祖父母はいるが、中学の春休みまで会った事がなかった。父側の祖父母は亡くなっていて、彼女の母が祖父母と離していたのだ。
隙を見て彼女と接触した祖父母は、彼女置かれたの事情を知った。自分たちの所に匿ってもいずれはバレるので、新たな出会いを探させるためにも一人暮らしを勧めたらしい。
この高校には、祖父母が気を利かせて、自分たちの息子が経営する高校に進学先を変えたそうだった。
勿論期限は過ぎていたので、特別入学という形になったが、彼女が一人暮らしをしている理由はこれだった。
全てを聞いて、勘違いや思い込みなどが激しかった事を実感させられた。同情という言葉では足りないくらいの過去に、しばらくは夜に吹く風の音で気分を落ち着かせた。
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