第180話 戻らぬ距離

 ガイゼンからの罰ゲームによって、「仕方なく」孤児院に向かうジオ。

 だが、もう時刻は深夜。普通なら誰もが寝ている。

 子供たちの面倒の手伝いなど、今から行っても何もすることはないだろう。

 そして、仕事を終えた大人だってもう寝ているはず。

 今から行っても誰も起きていない可能性の方が高いし、行っても何も意味がないだろう。

 しかし、それでもジオは何となくだが予感で分かっていた。


「……ったく……こんな夜遅くに……めんどくせーな」


 今から自分が会おうとしている人物は、おそらくまだ起きているだろうと。

 なぜなら、一言も言葉を交わさなかったが、自分とすれ違ったのだ。

 その人物のことを良く知るジオだからこそわかる。

 彼女もきっと眠れない夜を過ごしているだろうということを。

 しかし、だからと言って、会って何を話せばいいかなど分からない。

 二度と関わらないと決めた、かつての故郷であった帝国。

 彼女自身は、運命の日にジオに対して何もしていなかったものの、それでも彼女自身は帝国における重鎮。

 それと関わるということは……


「……ちっ……やっぱり……」


 街の外の平原に出る。

 キオウの力で眠らされた街の住民たちが気持ちよさそうに星空の下で爆睡している。

 その中には、エイムやナトゥーラ、更にはギヤルやフェイリヤなど、自分にとって所縁のある女たちも居た。

 気持ちよさそうに寝る彼女たちを通り過ぎ、そして向かう先にはポツンと置き去りにされた一つの建物。

 ガイゼンが腕力で担いでここまで持ってきた、孤児院である。

 そして、その孤児院の壁に寄りかかりながら、一人の女が……


「っ……ぐすっ……じ……お……」


 蹲りながら、『布に包まれた何か』を強く抱きしめながら、涙を流していた。

 その姿を見て、「やっぱり起きていた」、とジオは舌打ちした。


「…………」


 彼女は、自分の存在にまだ気づいていない。

 ただ、声を漏らし、時には自分の名を呟いて苦悩していた。

 その姿をしばらく眺めて、なかなか声を掛けづらいジオだったが、それでも「仕方ない」から声を掛けるしかなかった。



「が……ガイゼンに頼まれたんだが……」


「ッッ!!??」


「孤児院の仕事を少し手伝って来いとな……なんか、仕事……あるんすか?」



 ジオがソッポ向きながら女に近づき、言葉を発する。

 次の瞬間、女は全身を大きく震わせ、勢いよく俯いていた顔を上げた。


「えっ……あぅ……あっ……」


 両目を大きく見開き、ようやく女の顔を……実に三年ぶりにジオは見た。

 

「じ……おっ……ジオ……」


 長く美しい金色の髪。

 白い手足と、彫刻のように整った美体。母性を感じさせる豊満な乳房。

 一切の穢れの無い白いシルクの衣服とロングスカート。

 衣服そのものに装飾は少なく、良い素材で造られた庶民に寄せられた服ではあるが、女が女神と身が間違うほどの美貌故に、誰もこの娘が庶民などとは思わぬほどの神々しさを発していた。


「帝国の第三皇女……『マリア姫』が、直々に身を粉にして孤児たちのために働いて……護衛も連れずに……あぶねー人だな……」

「ど、う……し、て……あ……じ……お……」


 ただでさえ泣いていた女……帝国第三皇女のマリアが、ジオの姿を見て驚きに打ち震えるも、次の瞬間には更に大粒の涙を流した。


「別に……大した理由は……ないっすよ。あんたこそ……こんな夜遅くに何してるんすか?」

「……わ、たしは…………」


 あくまでそっけない態度を取ろうとするジオに対し、マリアはすぐにハッとして顔を逸らす。

 今の自分を、とても見せられないと思ったからだろう。


「じ……おっ……」

 

 そして、何かを言わなければならないと、マリアはジオの名を呼ぼうとする。

 様々な複雑な想いが絡んで、なかなか言いにくそうな様子だった。

 だが、それでも言わなければならないと、マリアは唇を噛み締めながら……



「アルマお姉さまや……ティアナお姉さまから話は聞いています……今のジオは、謝罪すらも煩わしい……声を掛けることすら許されず、二度と生涯関わらないで欲しいと……そう思っていると」


「ああ……言ったな。まあ……俺の方から声を掛けたこの場合は例外なんすけどね……」



 ジオもアルマやティアナに告げたことをハッキリと覚えている。

 涙を流す二人に対して強く拒絶し、もう二度と会わず、そして戻ることも和解もしないことも決めて旅立った。

 


「まぁ、あんたは……俺に直接何かをしたわけじゃないっすから……複雑な相手ではあるし……あの二人の妹で帝国の姫であるあんたを例外とは言う気はないっすけど……とはいえ……別に憎しみを持って嫌悪するまではしない……だからまあ……そんな感じっすね」


「ッ……そう……ですか……」



 ジオも今の自分の気持ちをうまく説明できないでいたが、それでもマリアは何となくだが理解はできたようで、悲しそうにしながらも頷いた。

 復讐する気も、ましてや無理に嫌悪する相手ではない。とはいえ、昔のようになる気は全くないという壁を作っている。


「あなたの新しい仲間……ガイゼンさんと、マシンさんという方に……あなたのことを聞きました」

「……ん?」

「楽しそうだと……笑っているときの笑顔は作り笑いなどではなく、本心から出ていると思うと……そう言われ……少なくともそれだけは、私もホッとしています。怒りや憎しみ……孤独……あなたがそんな想いを抱いていないか……心配する資格も無い私でも……どうしてもそれだけは気がかりでしたから……」


 マリアは、謝罪でもなく、ましてや戻ってきて欲しいとはもう言わない。その言葉がジオにとってもっとも怒りを買う言葉だということを、姉二人の話から理解しているからだ。

 だからこそ、そのことを求めない代わり、ただ今のジオの安否だけをずっと気にかけていたのだ。



「ああ。俺は今……楽しんでますよ……だから……もう、昔には戻れないっすけど……昔のような関係にもなれないっすけど……もう、それで終わりでいいんじゃないっすか?」


「ッ……じお……」


「俺は俺で……生きていく。だから、あんたも……もう吹っ切って……囚われないで……。少なくとも俺はあんたに……憎しみも恨みもないんすから……」



 マリアの言葉を聞いて、ジオも自分の口から、「今の人生を楽しんでいる」と肯定する。

 そして、その上で惜別のような言葉を送る。

 怒りや憎しみをマリアに対しては持ち合わせていない。しかし、それでももう昔のような関係に戻ることはない。だから、もう……


「それがあなたの望みであるならば……ですが……やはり……難しいですね、それは」

「マリア姫?」

「大魔王の魔法で忘れてしまっていたあなたのことを……帝国が……どれだけのことをあなたにしてしまったかも認識しないまま……のうのうと三年間を過ごしておきながら……もう、吹っ切れなど……死んで償うよりも難しくつらいです」


 しかし、今のジオの言葉こそが、恨まれるよりも苦しいことであるとマリアは告げて、これまでずっと抱きしめていた『布に包まれた何か』を再びギュッと胸元に抱き寄せ、ジオに顔を向ける。


「今、私が所持している『コレ』だってそうです」

「あっ?」

「……お父様に見つからないように、秘密の隠し場所に隠していたもの……しかし、大魔王の魔法であなたの存在を忘れたことで、コレを隠していたことすら忘れていました」


 そう言って、自分が抱きしめている『布に包まれた何か』をジオに向ける。



「あなたを思い出し、動揺し、泣き喚き、そしてコレの存在を思い出して隠し場所を覗いてみたら……三年前のまま、埃をかぶってそのままでした……あなたとの思い出……」


「それは?」


 

 ジオはマリアが抱えている『布に包まれた何か』に首を傾げる。

 それは、どうやら自分とマリアにとっての思い出のもののようだが、ジオに心当たりはなかった。

 すると、マリアは悲痛な表情を浮かべながら……



「あなたにとって……たとえ、私を復讐で殺そうとしなくとも……それでも私たちとの日々は……思い出したくもない過去。ただ、それでも私には……狂おしいほど愛おしい過去です」


「…………」


「先ほど、窓の外からあなたの姿を見て……どうしても我慢できず……あなたとの思い出を抱きしめながら、感傷に浸っていました」



 そう言って、マリアは愛おしそうに抱きしめていた、『布に包まれた何か』を開放する。

 そこには……



「あなたとの思い出……おm―――――」


「消え去れええええええええええええええええええええ!!!!」



 ジオは高速でマリアが抱きかかえていたそれらを強引に強奪し、空の彼方へと力強く投げようと……



「や、やめてええええ! ジオ、や、やめてください! そ、それは……たとえ、あなたには思い出したくない過去でも、私にとっては全てが……あなたとの思い出が詰まったそれは!」


「吹っ切るどころじゃねえ! こんなもん破片一つ残さず消滅させろおおお!」



 必死に叫ぶマリア。

 しかしジオは本気でそれらを消滅させようとしていた。



「うおっ、よ、よく見れば、上二人の姉たちが使っていた道具とか、……うおっ、アレもコレも、つっ、こんなもんを後生大事に保管してんじゃねえ! つか、孤児院にまで携帯してんじゃねえ! オラオラ消え去れええええ!」


「あっ、嗚呼……ジオ……ジオとの思い出が……」



 中にはマリアとの思い出以外の品すらもあり、ジオはそれら全てをマリアの泣き叫ぶ声を無視して、全部を砕き、破壊し、投げ捨て、魔法で消滅させる。


「ったく、あ~、もう! ほんとこの人は……そういう何か歪んだところは、エイム姫と同じだぜ……」

「エイム……ですか? あっ……そういえば、ジオ……あなたは、エイムとは……ナトゥーラも……」

「ああ……まあ、色々考えるのがアホらしくなってな……だが、だからって変な期待されても困るけどな」

「わ、……分かってます。お姉さまたちがダメなのに私だけなど……と、そんな浅ましいことは考えません」


 溜息を吐きながら、ジオは背を向ける。

 陰鬱とした空気だったのに、アホらしくなった。

 だが、一方で一つ気になった。



「……そういや、あんたは……そういう母性みたいなのが人よりあって……身寄りのない子供たちのためにボランティアしたりして……でも、もっとそういう仕事がしたいと言っても、立場や年齢を理由に皇帝に却下されて……その溢れる母性を発散させるために、さっきの道具を使って、俺でままごと遊びをしてたな……」


「……え……ええ……」


「でも、今……こういう仕事をしてるってことは……皇帝にも許されたってことか?」


「……はい……二年ほど前に……お父様を説得し……戦災孤児のための基金や団体を立ち上げ……そして、合間には施設に顔を出して子供たちと交流をしたり……私にはお姉さまたちのように、戦の才能はありませんでしたが……それぐらいはできました」


「そうかい……」


「この街にこの孤児院を移設することも、エイムに協力をしてもらって……戦争の終わった時代……子供たちには十分な環境で勉学に励むことができるようにしてあげたいと……」


「……そうか……地上の聖母……あんたのことだったのか」


「……過ぎた異名です……私なんかには……」



 話を聞いていながら、ジオは思い出した。トキメイキモリアルに孤児院を移設するにあたり、「地上の聖母」と呼ばれた人間の女が動いていると。

 その話を聞いたとき、聖母が誰かは分からなかった。

 

「ふ~ん……俺の知らない間に……三年もありゃそうか……」

「ジオ……」

「なら、余計にあんな過去の思い出なんか消しちまってよかったんだよ。もう……ままごとじゃねーんだ……そうだろ?」

「……それは……そう……ですが……」

「皇帝すら説得してまで通した意志だ……昔の男を思い出したぐらいで、いつまでも揺らがれても、俺も困るんだよ」


 やはり、三年の空白で自分の知らないことや変化は起こっている。

 そのことを改めて実感してジオは呟いた。

 だからこそ、尚更マリアにも、それどころじゃないだろうと告げる。


「じゃーな……仕事も無さそうだし、俺はもう戻らせてもらう」


 そう言って、ジオは立ち上がってマリアに背を向ける。

 もう十分話をしたと感じ取った。


「ジオ……」

「あっ、そういや……あんたたち、ダークエルフのギヤルと仲悪いみたいだけど……あんま悪い奴みたいじゃなさそうだし……少しは近づいてみたらどうだ? 俺よりは話が分かると思うぜ?」


 結局、二人の距離が元に戻ることも、触れあうこともしない。和解もない。

 だが、それでも、今はこれで十分だとジオは背を向け、切ない顔を浮かべるマリアも、本当は泣いてしがみつきたい衝動に駆られるも、グッと堪えて離れていくジオの背を、ずっと見つめていた。

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