第21話 幕間・壊れた蒼海女帝
「姫様ッ! どうかなされましたか!?」
「提督ぅ!」
そのとき、アルマの悲鳴が聞こえたのか、部屋の外から慌ただしく声が響いた。
「っ、問題ない! それより、今、船はどこに居る?」
「あっ、その……一応、目的地には既に……」
「ッ、な……何故すぐに起こさない!」
急いでベッドから体を起こして、壁に掛けていた自身の軍服に手を伸ばすアルマ。
既に船は航海を終えて停泊しており、その瞬間自分は寝坊をしてしまい、ありえない失態を犯したとアルマは顔を蒼白させた。
「申し訳ございません。その……昨晩から提督は体調が悪そうでしたし……何せ、急に倒れられたものですから……『ホサ大佐』の指示で、このまま休んで戴こうと……」
「そうか。そうだったな……ここ数日まともに眠れなかったものだから、私は操舵室で意識を……情けない!」
自身に何があったのかを思い出し、舌打ちするアルマ。
ここ数日、仕事が忙しいのもあったが、とにかく寝ることができないほど、アルマはあることに苦悩していた。
だからこそ、久しぶりにグッスリ寝たというのに、憂鬱な気持ちは一切変わることなく、心も重いままだった。
「それより、着替えるからドアは開けるな」
「あ、は、はいっ!」
「それと、そのままでいいから、『例の件』も含めて報告しろ」
「……は、はい。航海は順調で、『港町エンカウン』に無事到着。学生たちも下船し、体調を崩した者もなく、既に町長への挨拶などは、ホサ大佐が仕切って無事終わりました」
「……そう……で……『例の件』は」
ドアの向こうから報告する部下に対し、より一層重たい口調でアルマは尋ねる。
すると、ドアの向こうの部下からは、言いにくそうにしながら、アルマが一番気になっていたことを口にした。
「その……監獄島から消えたという……ジオ将軍の行方は……帝都の騎士団も捜索しているようですが、未だ不明とのことです……」
「……そう……」
その報告を聞き、着替えていた手が止まり、ボタンをかける手を震わせながら、アルマは俯いた。
「それで……帝都の状況は? ティアナについては?」
「……ティアナ姫は未だに自室から出られず……食事もほとんど口にされていないようです」
「そう。無理もない。私も……大魔王が死んだ『あの日』のことは今でも……世界が平和になった喜びをまったく感じることなく……ただ……自分で自分が許せない」
「提督……」
「今でも鮮明に覚えている。私がジオに放った言葉。行った尋問の数々。そして……ジオの指を斬り落とした感触が、決して忘れられずに私の手に生々しく残っている……」
再び着替える手を動かしながら、アルマは等身大を映し出す鏡の前に立ち、自分の顔を見て嘲笑した。
「ひどい顔だ。これが私か? 帝国の英雄を……仲間を……恩人を……愛した男を地獄に叩き落した悪魔の顔……まったく、殺してやりたいものだ」
「……ちょ、姫様ッ!?」
「……安心しろ。自殺なんてする気はない。少なくとも……もう一度ジオに会うまでは……」
そう言って、アルマは自嘲しながらも淀んだ瞳で顔を上げて、自分に言い聞かせる。
「そうだ。このような状況でも帝国の姫として、海軍提督として、どれほど苦しもうとも、私まで壊れるわけにはいかないからな。私は大丈夫だ」
ただ、それは……
「そう、私にはまだ役目がある。必ずジオに償いをして連れ戻してみせる。例えジオがそれを望まなくても、だからといってその事実から逃げるわけにはいかない。それこそ、責任からの放棄だ。ジオのかつての上官として、主君として、そして愛した女として、決して許されぬ罪を犯したその償いは何があってもしなくてはならない。その結果、ジオが私たちに死を望むのであればそれもやぶさかではないが、ジオ自身が望むまでは、この命を私たちがどれほどつらいからといって自分で自分を殺すようなことをするわけにはいかない。私たちの命はもう私たちが好き勝手にしていいものではない。私たちの命はもうジオの好きにさせたい。その結果、ジオが私たちに死を望むのであれば、その時はそれに従おう。私はもうジオのものだ。そして、逆もそうだ。ジオは私たちのもの。そうだ……そう……ジオは私たちの男。ジオをこの世で最も愛しているのは私たちだ。ジオが最も愛した女も私たちだ。だからこそ、ジオを幸せに出来るのは私たちだけ。世界中の誰よりも私たちこそがジオを幸せにできる。私たちこそがジオの居場所。許されざる罪も過去も全て抱え、ジオが望むのならこの身をいくらでも傷つけ、何本でも指を斬り落としても構わない。ジオ……私のことを好きなだけ殴ってもいい。蹴ってもいい。地べたに這い蹲って、足の指だって喜んで舐めてみせる。私の地位も肩書も関係ない。首輪をつけて犬のように四つん這いになって歩き、ペットのようにどんな命令だって忠実にこなして見せる。ジオが望むのなら私もティアナも末妹のあの子も含め、そしてジオに惚れた全ての女たちで並んで股を開いたって構わない。死ぬほど犯してくれて構わない。乱暴に壊してくれても構わない。精処理道具だろうと性奴隷になろうとそれでジオがほんの僅かでも憎しみが晴れてくれさえすれば。だからジオ、私たちから離れてはダメだ。たとえお前が帝国から離れたって、私たち以上にお前を幸せにできる女たちは居ないに決まっている。傷ついたジオを癒すのは私たちしか居ない。いや、仮に居たとしても渡さない。ジオは私たちのもの。私たちだけのもの。あの荒々しい性格も体も受け入れるのは私たちだけ。そう、私たちだけ。三年の空白と裏切りの日々が私たちの絆を断ち切ったとしても、必ずもう一度紡いでみせる。そしてもう二度と忘れない。憎き大魔王は死んだのだから。そう、あの史上最悪の悪は殺した。本当ならズタズタに腹を切り裂いて臓腑を抉りだして、生きたままサメにでも食べさせてやるぐらいの苦しみを与えてやりたかった。私とティアナを始め、私たちがジオと結ばれて多くの腹違いの息子と娘たちが帝国と世界を支えて恒久の平和を作り上げるという私たちの壮大な夢を壊した、あの外道を。しかも今、魔界は大魔王が死んだことにより混乱に陥り、より一層地上世界に危害を加える恐れもある。その時、第二第三の大魔王が現れて再び私たちの幸せと夢を壊すかもしれない。そう、やはり大魔王となる恐れのある魔族、いえ、いっそのことこの世に存在する魔族全てを葬り去るほど思い切った正義が必要になる。そう、戦争はまだ終わっていない。魔界へ攻め込み、この世に存在する魔族を全て皆殺しにしなければならない。それこそが、自殺もせずに三年間も愛する人を忘れてのうのうと生きていた私の天命。そして、それが私たちの償いになる。ジオへこの身を曝け出して償い、今後ジオを私たちから奪おうとするものを予め葬り去ること。それと、法改正も必要だ。やはり魔族を皆殺しにするにあたって新しく作られた法律は温すぎる。ただ、魔族に対して虐殺を許すにしても、半分とはいえ魔族の血が流れているジオへの配慮が必要。今後、ジオを国宝級の扱いとして、ジオに対するほんのわずかな中傷や、かすり傷一つでも負わせたものは家族親戚含め一族全員死刑にする法律を作る必要がある。生爪と生皮を剥いで、剣で切り刻み、刻んだ傷口を刃先で三日三晩抉り続けてから殺す。それぐらい大胆な罰を与える法律を作れば、誰もが恐怖して法を破ろうとしなくなる。そうすれば、ジオは誰にも傷つけられず、ジオを愛するものしかいない楽園が築き上げられる。そうすれば、ジオもいつかもう一度私たちに笑ってくれるかもしれない。ジオがもう一度私たちに笑い、そして愛してくれる未来を得ることが出来るのならば、この世の全てを引き換えにしてもかまわない。それを妨げるものは全て敵。そのためなら、たとえ勇者が文句を言おうとジャマをさせない。私たちからジオを奪う恐れのあるものは、もはや魔王も勇者も神であろうと殺してみせる。ジオ、だから必ずもう一度会いに行く。そしてまずは謝罪をさせてほしい。そしてその後、この私を思う存分にいたぶって、ほんのわずかでも心を晴らして欲しい。ただ、一つだけ言わせてくれ。私は、この三年間この身体も心も他の男に許したりしていない。私は三年前のお前が知っている私のままだ」
自分でももう気付かぬほど堕ちて……
「ジオ。もう一度必ず会って……償いを……そのためには、どれほど苦しくとも、私まで心を壊すわけにはいかない」
……既に壊れてしまった女の、寒気のするような独白だった。
その独白をドアの外で聞いていた部下は、恐怖で震えて腰を抜かした。
「ジオ将軍……どうか……たす……けてください……ティアナ姫だけではなく……アルマ姫まで……もう……」
変わり果ててしまった敬愛する主君にして上官の姿と、そして自分たちも忘れていたかつての戦友でもあった男のことを想い、ただ涙するしかなかった。
そして、その時だった。
「大変です、アルマ姫は!? いま、街で……アルマ姫!?」
慌ただしい声が船内に響き渡る。
何があったのかと、丁度軍服に着替え終えたアルマが廊下へ出ると、兵の一人が片膝ついて肩で息を切らせながら……
「トラブルです! 何やら、冒険者ギルドで、学生たちが誰かとトラブルを起こしているようで……そこに、魔族も居るという報告も……」
「……何だと?」
その報告を受け、アルマは氷のように冷たい瞳で歩き出す。
「分かった。生徒たちに何かあっては責任問題になる。私が直々にそのトラブルを……処理する」
そう告げて、アルマは運命の瞬間を迎えることになる。
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