第20話 幕間・凛々しき蒼海女帝

 ニアロード帝国には、世界に誇る三人の姫が居る。


 その内の一人にして、帝国第一王女のアルマもまた、人魔の大戦の頃に大きく名を馳せた英雄でもあった。

 明晰な頭脳を持ち、遠慮のないクールな言動と、冷静沈着な判断力で他者を扇動する。

 第一王女としての立場から、常に責任感を持った生真面目な性格をしており、敵には厳しく非情に徹して恐れられているものの、民や臣下たちからの信頼は厚い。

 ティアナと同じエメラルドの瞳。そして、空のように「蒼色」に染まった長い髪。

 英雄の力と、気品溢れる姫の美貌を兼ね備えたアルマは、世界より、『蒼海(そうかい)女帝』と呼ばれていた。

 だが、その女帝は今、船上の自室のベッドの上……


「うっ、ぐっ……ううっ……」


 絶望の夢の中に居た。

 大量の汗を噴き出し、苦しみの中で何度も悶えていた。

 眠りの中で何度も思い返すのは、数年前の、ある一人の男との初めての出会い。


―――お前がジオか。ティアナから話は聞いている。今回の海戦では、私の副官として尽力してくれることを期待する


 かつて、大物の海賊との一戦を前に、帝都より助っ人として一人の男が派遣された。

 アルマにとって、その男は幼い頃よりティアナとよく口論をしていたので、顔と名前はよく知っていたが、実際に対面して話すのはその時が初めてであった。


―――へへへ、尽力どころじゃないですよ! 俺はただ手伝いに来ただけじゃねぇ。この帝国の海を汚す奴らをぶちのめし、帝都に続いて今度はこの海に俺の名を広めて、俺を認めさせてみせる! そのためにも、敵船長の首は俺が獲る! ……獲ります……です。


 まともに敬語もうまくできない。学も足りない。荒っぽくて、育ちもあまりよくない。そして、流れる魔族と人間の交じり合ったハーフの血。

 アルマにとっても、他の海兵たちにとっても、あまり良くない印象での出会いだった。

 しかし、その男は常に生き急ぐかのように全力で戦い抜き、その燃えるような闘争本能と生命力は、共に戦う海兵たちの士気を大きく奮い立たせ、気付けば海上の将軍として、男は多くの兵たちを率いて戦った。

 そして、窮地に陥った仲間を、そしてアルマの命を何度も救った。



―――ここまでボロボロになってまで助けてくれたことに礼は言う。しかし、ジオ……私をあまりか弱い女扱いするな。兵たちの士気に関わる。私も姫とはいえ、戦場で戦う者として、最悪の覚悟は常にしている。私が死んでも、ティアナたちが居る。しかし、お前の持つ力、そして将としての代わりは居ない。お前ももっと自分を大切にしろ。


―――いいじゃないすか。それと、男の願望を言わせてもらうと、女なら弱い方がいいと思いますよ? 提督だろうと姫だろうと、その方がこっちもやる気が出るんすよ!


―――な、なんだと!? 貴様、無礼だぞ! そのような男尊女卑な思想は、私への侮辱だと知れ!



 姫であろうと、戦場で戦う自分を、アルマは特別扱いされたくなかった。

 宮殿の中では「姫」という肩書で誰もが自分を特別扱いし、敬い、すり寄ろうとしてきた。

 しかし、海に、そして戦場に出れば、自分もこの広大な世界においてはちっぽけな存在の一人に過ぎず、誰も特別扱いをしない。

 戦場であれば、「姫」ではなく、「アルマ」として誰もが自分を見てくれると思った。

 だからこそ、その男のような自分に対する特別扱いや、女を軽んじるような考えは許せなかった。

 しかし、その男は、アルマを独特な考えで特別扱いした。



―――俺みたいな腕っ節だけしか誇れねえ頭の悪いバカにとっちゃ、女が弱ければ弱いほど、それを守るために闘争本能が湧き上がり、その時こそ俺の存在意義を証明できんのさ。別に姫様のためじゃねえ。俺は俺のために、姫様にはか弱くあって欲しいんだよ。ティアナはあんなだし……


―――な……なんだ、その女に対する傲慢な考えは……


―――傲慢でもなんでも、それが俺なんだ……ですよ。だから、ドンと構えてくださいよ。ただ、約束します。この海の上に俺が居る以上、あらゆる全てのモノから、俺が姫様を守ってみせますから



 そして、慇懃無礼な態度が時折見えることもあったが、その生き様や言葉の一つ一つが、アルマの心を揺るがした。


―――まったく……よく分からない理屈をベラベラと……お前、女にモテないだろう?

―――うぐっ!?

―――ふふふ……だが……お前のような男は、初めてだ。


 気付けば、その男に感化されて、アルマ自身も徐々に心にゆとりを持ち始め、その男の前であれば、か弱い乙女になるのも悪くないとすら思い始めた。


―――ジオ、いくぞ! 私の背中は、お前に託した!

―――了解っす! この背中、海賊王が相手だろうと守ってみせます!


 そして、いつしかその男が自分にとって、最も信頼し、部下として、仲間として……



―――ジオ……まったく……また、お前が敵船幹部を討ち取ったのだな? 少しは私の手柄も残しておいてほしいものだな。


―――へっへー! 海軍は海軍で勲章があるんだ~! 新しい勲章一つ目ェ! へへへ……


―――んもう、子供のように見せびらかして……ふふふ……こら、いつまでもニヤけるな。戦いはまだまだこれからだ。これからも、私と共に一緒に戦ってくれるな?


―――よっしゃ、もっともっと手柄を上げまくってやる! 任せてくれっすよ、アルマ姫!


―――ああ……頼りにしているぞ。



 ……そして男として側に居て欲しいと思うようになるまで、それほど時間はかからなかった。


―――分からない……お前の……所為だ! 寝ても覚めても、お前の事しか考えられない。時折、お前が私の夢の中に出て、私を抱きしめる。でも、夢の中で抱きしめてくれたはずのお前が、目を覚ますと幻だと分かり、とても切なく心が揺れ動いてしまう。私を……こんな女にしたのは、お前なのだから……ちゃんと責任を取って欲しいぞ。


 生まれて初めて自分も普通の女と変わりないのだと、アルマは気付かされた。

そして気付けば自分はどこまでも貪欲で強欲になってしまった。

 その男の前では、自分は誰よりも女でありたいと思った。


―――ちょっ、あ、アルマ姫ぇ、お、俺、ちょ、そういうつもりじゃ……ふ、服着ろって、か、着てくださいって!

―――そうか? 私も知識だけだけど……こういう状況で男が逃げる気か?


 淫らな女のように、迫ったこともあった。


―――ちょっと、アルマお姉さま! 様子を見に視察に来てみれば……人の駄犬に何をしているのかしら!?

―――ティアナ、お前は下がってろ。こ、こほん。いいか? ジオはな、お前のように傲慢で自己顕示欲の強い女より、しっかりとした少し年上ぐらいの女が丁度いいんだ。


 そのためなら、素直になれない妹の気持ちを知りながらも、体を使って奪おうとすらした。


―――姉妹とはいえ、譲れぬものはあるの。ならば、力づくで渡さない。どっちが、ジオの所有者か勝負よ!

―――いいぞ。ジオを悦ばせることができたほうが勝ち。それでいいな!


 三人で口に出すのも憚られるようなことも経験した。

 アルマにとっては恥ずかしく、しかし今思えば幸せだった日々かもしれない。

 だが、そんな愛欲に溺れた幸せだった日々は、自分が気付かぬうちに崩壊していた。


―――言え! 我ら帝都に潜入した細作が居れば、全部吐き出せ!

―――アルマ、ひ、め……お、俺は……

―――無礼者! この私の誇り高き名を、薄汚れた口で呼ぶんじゃない!


 血に染まり、ボロボロに痛んだ体で拘束された、帝都を襲撃した魔族。

 帝都に致命的なダメージを与え、多くの犠牲者を出した戦犯として、その男をアルマは監獄島へ連行。

 その際、自身の愛すべき国と国民を傷つけ、深い悲しみを作り出した元凶に対するアルマの怒りは常軌を逸した。


―――この戦乱の世、甘えも妥協も一切許されない。一瞬の情けが……またこのような悲劇を生み出すのなら……

―――ッ!? な、なにをっ!? っ、あ、るま、姫! 俺だ! なんで、なんで俺のことを分かってくれねーんだよ!?

―――そのためなら、私は鬼にだってなろう!


 拘束した魔族を尋問しながら、アルマはその魔族の指を斬り落とした。



「うっ、あ、あああああああああああああああああああああああっ!!!!」



 そして、悪夢はそこで覚める。


「はあっ、はあ、はあ……っ……はあ、……夢……っ……」


 しかし、目が覚めただけで、悪夢のような現実に何一つ変わりない。

 アルマは汗にまみれて震える体を自分で抱きしめながら、込み上げる吐き気と、自身に対する怒りと失望の涙が抑えきれなかった。


「ジオ……ジオ……ジオォ……」


 噛みしめる唇から、そして爪が食い込む皮膚から血が流れようとも、アルマは自分で自分を殺したくなるほどの想いを抱いていた。

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