第4話 目に染みる

 あの日の出来事は、思い出したくなくても、脳裏によみがえる。



―――ジオ! あなた、エルフの娘からお守りを貰ったそうね!


―――おお。


―――っ……へぇ、そう。この間も、私の妹やお姉さまとイチャイチャしていたそうじゃない。あなた、何様? 帝国の王になったつもりかしら?


―――い、や、そんなつもりじゃ……


―――ふん! いやらしい男ね。あなたへのお守りなんて……私の……だけで……これで十分なのよ!


―――ちょ、てぃ、ティアナ!? お、ま、誰かに見られたらどうすんだ! 何でいきなりパンツ脱いでんだよ!


―――ほ、ほら! あ、あなたには、こ、こういうのが貰ったら一番うれしいものでしょう! 私のお気に入りなのだから、タバコのにおいなんか染み込ませたりしたら、許さないわ!


―――いや、こんな脱ぎたて……貰ってどうすりゃ……


―――ふふふ、どう? もし戦場で死んで、こんなの持っていたのが後で発覚したらどう? 恥ずかしいでしょ? きっと、死後にあなたの名声はガタ落ちね!


―――お、おま、な、なんちゅうことを……


―――それが嫌なら、ちゃんと帰ってきなさい。そうすれば……こ、これで覆っていた中身を……ちゃんとあげるから……


―――へ、変態プリンセス……


―――うるさい! そ、それよりどうなの? それとも……褒美は……先渡しのほうがいいのかしら?


 

 戦場への出立前。しばらく帝国を留守にするかもしれない長期の遠征前に、ティアナと二人きりでそんな言い合いをし、気づけば互いに体を寄せ合い、心を重ねていた。

 しかし、そんなときに、運命を変える出来事が起きた。



―――我は『スタート』。魔界の神にして、大魔王である。裏切りの半端者……ジオ・シモン……貴様には、そして我らに害を成す光の姫には……地獄以上の苦痛を与えてくれる。



 かつて、ジオの前に現れた大魔王は、その言葉を残し、次の瞬間には帝国に居た全ての者たちからジオの記憶が消された。

 そして大魔王は、ジオを大魔王の腹心などという濡れ衣を着せて、ジオを地獄に陥れた。

 だが、その大魔王も死に、ティアナたちの記憶も戻り、今になって謝ってきた。

 ようやくこれまでの流れを思い出したジオは、帝国から遠く離れた辺境の港町で、その後の世界を見ていた。


「おい、滝の上の野生の黒竜を狩ったら、一匹で二十万キャシュと聞いてたんだが……どうなってやがる?」


 始末した竜の頭を引きずりながら、町の中で冒険者たちが立ち寄る換金所を兼ね備えた冒険者ギルドにて、ジオは受付の男に不服を申し立てていた。

 それは、数日は暮らせる金が手に入ることを想定して、ボロボロの体を引きずって数年ぶりのリハビリも兼ねた戦闘を行ったというのに、いざ換金に来てみれば、ジオに手渡された報奨金が、子供のおこずかい程度の金しか渡されなかったからだ。

 だが、受付の男は冷たくあしらうような態度で溜息を吐いた。


「はぁ? あんた、さては素人だな? な~んも知らねーんだな」

「あ゛?」

「ちゃんと冒険者協会に正式に登録してねぇ冒険者が……ましてや、冒険者ギルドすらも仲介しないで素人が無断で仕事をしても、報奨金は十分の一しか入らねえ」

「な、なに? ……そ、そんなに抜かれんのかよ……」

「そこから、俺の手数料諸々……そして、最近できた法律で、『魔族が任務を達成しても、報奨金の十分の一』って決まってんだよ。あんた……魔族だろ?」

「……は? 十分の一から更に十分の一?」

「ああ。大魔王が死んで戦争が終わり、和睦を結んだとはいえ、魔族が地上に来て人間の仕事を取らねえようにした配慮だ。それでもむしろ感謝して欲しいぐらいだぜ。テメエら薄汚い魔族は、皆殺しか、魔界から二度と出てこねーぐらいにして欲しいってのによ」


 ジオは男の話を聞きながら、「不愉快だから殺してやろうか」と思った。

 そもそも、自分は魔族の血は流れているが、魔界には一度も行ったことがない。

 むしろ、その大魔王たちとかつて戦っていた。

 だが、そのことを誰も知らない。町ですれ違う人間たちは誰もが怪訝な顔をして、ゴミでも見るかのように冷たくジオを見ていた。

 店で何かを買い物をしようとしても、入店拒否まではしないものの、誰も言葉を発せず不愛想な態度を取る。

 一度、宿にも泊まろうかとも思ったが、あまりにも不愉快な空気に耐え切れず、僅かな金で必要なモノだけ買い込んで、ジオは港町から離れた草原に身体を預けて、仰向けになって空を眺めた。


「……これが……俺を忘れて手に入れたテメエらの望む世界かよ……ティアナ……」


 かつて、魔族と人間のハーフという存在故、ジオは多くの者たちから冷たくされていた。

 しかしそれもまた、途方もない努力の果てに、ようやく多くの者から認められるまでになったというのに、気付けばそれは地獄に変わり、今では元に戻っていた。

 

「ちくしょう……俺の力は……帝国を……あいつらを……ティアナ……お前のために……そして世界のためにと高めたんだ! 小銭を稼ぐためじゃねぇっての! ……クソ……ガキの頃から十数年……なんだったんだ……俺の戦いは……人生は……全部……ほんと……無駄だった……」


 心が寂しくなったが、ジオは意地でも涙は流してやるものかと耐え、村で買ったパンを強引に口の中に詰め込んで乱暴に咬んだ。

 だが、少し飲み込んだだけで、すぐにむせてしまった。


「げほっ、うげ……はあ……三年も飲まず食わずだったからな……まだ胃も治らねえか……つか、俺もよく死ななかったな……そういうところは……ほんと、俺も魔族なんだな……」


 普通の人間だったら確実に死んでいたはずが、魔族であるがゆえに生き永らえてしまった。

 しかし、死んだ方がどれだけ楽だったかと苦笑しながら、ジオは食べかけのパンを投げ捨てて、代わりにこれまた数年ぶりに買ったタバコに火をつけて吸ってみた。

 だが、それもすぐにむせた。


「うげっ、げほっ! うげ、げ、ごほっ、つ、な……何つーマズさだ。タバコってこんなまずかったのか? 俺はこんなもんを吸ってたのか? ただでさえ体に悪いのにまずいって……くそ、煙が目に染みる……」


 久しぶりの食事もタバコも、まだ受け入れられないほどに壊れてしまった体。

 肉体が魔族に偏った姿に変異し、全身に魔力が満ちたことで、枯れ枝のように細かった肉体もかつてに近いものにまで戻ったが、中身まではそうもいかなかった。

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