第13話 訪問販売

 ある程度の家事を終え、一息ついていた時に家のインターホンが鳴った。

 私は備え付けのカメラで相手を確認すると見覚えのないスーツの男が立っていた。


「どちら様でしょうか?」

『こんにちは。本日は我が社の商品を見ていただきたく参りました』


 男はその場で軽く頭を下げる。どうやら訪問販売をしに家に来たようだ。


「申し訳ありませんが、うちは結構ですので」

『説明だけでも聞いていただけないでしょうか? 奥様にも悪い話ではないのですよ』


 男は食い下がり、困ったかのように眉根を下げる。

 私はカメラに映る男をジッと見る。男は20代後半から30代前半だろうか。容姿が整っていて、正直好みだ。


「……分かりました。少々お待ちください」


 私は仕方がないという風を装い、玄関へ向かい扉を開けた。


「奥様、こんにちは。私の為に時間を割いていただき感謝します」


 男は私を見ると恭しく頭を下げた。実物で見るとやはりカッコいい。


「それで、見せたいものってなにかしら?」

「実は既に奥様にお見せしているのですよ」

「え?」


 私は男の全身を隈なく観察した。もう見せているとはどういうことだろう?

 今パッと目に入るのは仕立ての良いスーツに品のあるネクタイ。スーツとネクタイのアクセントになるネクタイピンとカフスのことかしら? それとも、一瞬見えた高そうな腕時計? とてもじゃないけど、うちの安月給で買える代物ではない。


「えっと、どれのことかしら?」

「ああ、失礼しました。この私です」


 男はそう言って自分自身を指差した。


「は?」

「この私が奥様に紹介する商品となります」


 素っ頓狂な声を出す私に構わず男は笑みを浮かべる。自分が商品だなんて、何を言っているのかしら。


「どういうことなの? 意味が分からない」

「そうですよね。では、簡単に説明しましょう」


 男はそう言って鞄から一枚のパンフレットを差し出した。パンフレットには複数のスーツを着た美男美女がこちらに礼儀正しく笑顔を向けている。上に書いてある文字を声に出して読んでみた。


「『レンタル代行者』?」

「はい。弊社は安価なお値段で人材をレンタルすることが出来ます。次のページをめくってください」


 男に促されるまま私は次のページをめくると、レンタル代行者の概要とその様子であろう写真が数枚貼り付けられていた。


「レンタル代行者によって契約内容が異なりますが、どれも基本的な家事や育児が出来る者ばかりです」

「ふーん、家政婦みたいなものかしら」

「似たようなものですね。ただ、弊社はお客様の心を支えることをモットーとしておりますので、更に親密になるのですが……」


 私はザッと内容を確認して、最後のページを見た。そこには目の前にいる男の写真が貼られており、その下には男のプロフィールとレンタル代行者の契約内容が書かれていた。

 プロフィールは誕生日や趣味などありふれた書き込みだったが、契約内容を確認して私は目を見開いた。


「契約内容は『恋人代行、もしくは夫婦代行』ですって⁉︎」

「はい。私の契約内容はそうなります」


 驚く私に変わらない笑顔で男は言う。


「契約金の額に応じて恋人から夫婦代行をさせていただきます。奥様、いかがでしょうか?」


 男は人の良さそうな笑みを浮かべて私の手をそっと握り、尋ねてくる。男の態度に腹を立てた私は持っていたパンフレットをぐしゃぐしゃに握りつぶして、男の手を叩いてパンフレットを投げつけた。


「ふざけないで‼︎ ヒモになれる人でも探しているの⁉︎ 私には必要ないから、帰ってちょうだい‼︎」


 私は捲し立てると男は深々とお辞儀をした。


「奥様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。パンフレットだけ置いておきますので、ご検討の程宜しくお願いします」


 男はそれだけ告げると、玄関から出て行った。

 私は潰れたパンフレットを手に取り捨てようとしたが、何となく取って置くことにした。

 もちろん、夫にバレないように化粧机の引き出しに仕舞った。

 私は男がこれから何度もうちに訪問するのではないかと考えていたが、あの男がうちに来る事はなかった。

 顔は良いのに変な男だ。

 私はそう思い男のことを忘れかけていた数週間後、少し遠くの百貨店で男と再会した。

 買い物に出ていた私は、あの男とその横で腕を組んで歩いている近所の奥さんを見かけたのだ。

 確かあの奥さんには長期出張で働いている旦那さんがいたはず、なのに男と歩く奥さんの様子はまるで恋人のようだった。

 私は居ても立っても居られなくなり、近所の奥さんに声を掛けた。


「こんにちは、仲がよろしいのね」

「こ、こんにちは」


 私の顔を見ると奥さんは顔を青ざめるが、男が何か耳打ちするとホッと安心した。


「あら、アナタもレンタル代行者をご存知なのね」

「その男が営業に来ましたからね」

「その節はどうも奥様」

「それよりいいの? これは浮気よ」

「浮気じゃないわ。恋人代行のサービスよ。お金を払っているし問題ないわ」

「もっとタチが悪いじゃない」


 奥さんの言い方に私は溜め息を吐く。


「それじゃあ、アナタは私の旦那にこの事を言うの?」

「面倒ごとに巻き込まれたくないから、言わないわ」

「そう。それなら目をつぶってちょうだい。それにそろそろ恋人代行から夫婦代行へ変更する予定なの。だから何の問題もないわ」

「え? どういうこと?」

「言葉の意味よ。私はこの方と夫婦になるの」


 奥さんは男の腕にしがみついてピッタリ隙間がないように抱きついた。


「そんな。貴女には旦那さんがいるでしょう? 離婚でもするの?」

「ええ、近いうちに。もういいかしら。私、デートを満喫したいから」


 奥さんはそう言って私にすれ違う形で去って行った。


「また、機会があれば」と、男が小声で私に囁いたが、意味の分からないまま暫く立ち尽くしていた。


 それからさらに1ヶ月。近所の奥さんが旦那さんと離婚したことを知った。

 どういう手を使ったのか、旦那さんの不貞により離婚したらしい。

 旦那さんが家を出てからは奥さんの所へあの男が住むようになった。

 そのせいで私は何度か男と出会い、軽い世間話をする程度だった。

 しかし気さくで会話が弾み、次第に夫よりもあの男の方が魅力的に感じてしまった。

 それでも男は奥さんの旦那になるのだからと、この気持ちを胸に秘めて生活していた。

 しかし、数ヶ月後、あの男の姿をぱたりと見なくなった。それにつれて奥さんが日に日にやつれていき、今は実年齢より10は年上に見える程老けてしまった。


「何だか体調が悪そうに見えるけど、いったいどうしたの?」


 私がそれとなく奥さんに尋ねると、奥さんはその場で泣き崩れてしまった。

 涙ながらに語る内容は男が姿を消したと言う。

 なんでも専門主婦をしていた奥さんは夫の給料と離婚後は慰謝料で男をレンタルしていた。しかし、貯金が底を尽き払えないことを男に告げると、男は黙っていなくなってしまったと言う。


「何度電話を掛けても繋がらないの! 私、もう彼なしでは生きていけない……」


 私は往来の場で子供のように泣く奥さんを見て、自業自得だと思った。

 それと同時に男のサービスに乗っていたらと思うとゾッとした。

 その後奥さんは精神を病み、実家に帰られたという。

 私はそんな様子を目撃しても、化粧机にあるパンフレットを捨てずに持っている。


「また、機会があれば」


 あの男の甘い誘惑を断ち切れないまま、平凡な毎日を過ごしている。


終わり

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