第10話 寝言

 俺には二つの悩み事がある。

 しかもそれは年の離れた弟が関係している。

 一つは弟は学校で虐められているらしい。らしい、と言うのは確たる証拠が見つかっていないからだ。

 学生服を派手に汚して帰って来たり、親の財布からお金を盗ろうとしていた。

 俺が問いただしても、帰り道に転んで汚しただとか、欲しい物があってお金が無いから盗ろうとしたと話した。

 弟はそれらを打ち明ける際、本当に申し訳ないと体を小刻みに震わせて謝罪する。弟の謝罪を聞いて怒ることはせず、二度とやらないよう約束させてから、俺が汚れた制服のクリーニング代と欲しいだけのお金を弟に渡した。

 必ず返すと言う弟の頭を優しく撫でて、「出世払いを期待している」と冗談混じりに答えると弟は静かに頷いた。

 もう一つの悩みは弟の寝言だ。あまり裕福ではない俺の家は2人で同じ部屋で寝ている。

 その時に弟は苦しそうな声で寝言を言っているのだ。


「うん、今日も……された。大丈夫、そこまで酷いこと……ない、から」


 弟は誰かに話しているように寝言を言う。この寝言は、弟が虐められていると思い始めた時期から起こり始めた。

 最初は虐められている夢でも見ているのかと思い、弟を何度か起こした。

 しかし目を覚ました弟は寝言の事を覚えておらず、俺の言葉に首を傾げるだけだった。

 俺は弟を虐めから救えればと思い、弟が寝静まった頃ボイスレコーダーに電源を入れて眠り、弟より早く起きて寝言を確認することにした。

 寝言は所々聞き取りにくい箇所があるが、虐めの記録になっている。

 本当ならば、俺に助けを求めて欲しいのだけど、優しい弟は家族に迷惑を掛けまいと必死に笑顔を作り誤魔化している。

 着実と証拠を集めて、誰に虐められているか確信したある日、弟は顔に大きなアザを作って帰って来た。


「どうしたんだ、いったい‼︎」

「あ、これ? 僕、また転んでさ。その時に当たりどころが悪くてアザが出来ちゃった。本当、ドジだよね……」


 あはは、と乾いた笑いを浮かべる弟に、俺は激しい怒りを覚えた。

 弟がいったい何をしたっていうんだ? 弟は周りに気を遣い、自分の事よりも他人を優先させるような優しい子だ。そんな弟がこんな目に遭う程酷い事をしたというのか?

 奥歯を噛み締めて言葉を飲み込み、俺は努めて優しく弟に話しかけた。


「お前、何も手当てをしていないじゃないか。そのままだと、カッコいい顔が台無しだぞ」

「ぷっ、何言っているの。兄さん」


 おどけたように俺が言うと弟は吹き出して、クスクスと笑った。しかし、口の中を切っているのかすぐに笑いは小さく痛みの言葉に変わった。


「ほら、手当てをするから救急箱を持ってこい」

「うん。ありがとう」


 弟が救急箱を取りに行っている間、俺はアザを冷やす為保冷剤を探しに行った。

 その日の夜、弟が寝たのを確認してボイスレコーダーの電源を付けて眠りについた。

 次の日、まだ眠る弟を横目に俺はトイレに行ってボイスレコーダーの再生ボタンを押した。


「……う、嫌だ。痛い思いもしたくない。何かを盗まれたり、お金をせびられるのも嫌だ」


 ボイスレコーダーから聞こえる弟の声は啜り泣きと共に聞こえていた。


「うん、うん。そうだよ、あの5人組。もう関わりたくない……。え? それどういうこと?」


 啜り泣いていた弟が突然泣くのを止めて、何かを問いかける。


「明日でいなくなる? あの5人組が? 本当に? ……信じていいの?」


 弟は念を押すように確認すると、縋るような声で誰かに言った。


「……分かった、信じるよ。明日、あいつらを殺してね」


 そう言って終わった弟の寝言に、俺はドッと冷や汗をかいた。

 これはいつもの弟の寝言だ。弟のスマホは昨日の怪我で壊れたから使えなかったと言っていた。

 じゃあ、最後の言葉はなんだ? いったい誰が弟を虐める奴らを殺すんだ。

 俺は必死に考えて一つの答えを出した。そして、それを阻止する為に行動に出ることにした。


「兄さん、おはよう」

「おう、おはよう。よく眠れたか?」

「うん。ぐっすり眠れたよ」


 そう言って微笑む弟はいつもの後ろめたい笑みではなく、心からのものだった。


「そうか。じゃあ、今日は心置きなく遊べるな」

「え?」

「学校に連絡して休みを取った。俺も溜まっていた有給を使ったから、今日は遊びに行こう」

「え? え?」

「スマホも壊れているから修理に出さないとな。それからは思いっきり遊ぼう。どこ行きたい?」

「兄さん。僕、学校に行かなきゃ」

「1日休んだくらい大丈夫だ。俺なんてズル休みなんて両手で数えられないくらいしたぞ? 最近塞ぎ込んでいたから、気晴らしにな」


 俺が強引に説得すると、弟は渋々頷いた。しかし、出掛ける準備をする頃には表情は明るく浮かれているようだった。

 それから俺は1日中、弟と遊んだ。スマホの修理と代替え品を貰った後、少し離れた街まで車を走らせて思う存分遊んだ。

 これで弟が虐める奴らに出会うことはない。

 俺が弟の寝言から導き出した答えは、弟はストレスによる二重人格になったのではないかと考えた。

 弟が寝言で話しかける相手は、弟が作り出したもう1人の人格で、それが虐めをした奴らを殺そうとしているのだと考えた。

 1日先延ばしになっただけかもしれないが、今日の夜に弟に聞いて手を汚さないように説得しなければ。

 俺は夕食を定食屋で食べてどう弟に切り出そうか考えている時だった。


『それでは次のニュースです。今日の17時頃、◯✖︎コンビニに居眠り運転の車が衝突し、買い物をしていた学生5人が巻き込まれて死亡しました』


 テレビから流れるニュースをぼんやり聞いていると、弟がガシャンと皿を落とした。目を見開いて驚いている弟に、俺はテレビに視線を向けると弟と同じ学校の生徒の名前が流れていた。


「嘘、どうして……?」

「知り合いか?」

「うん、クラスメイト……」


 弟は震える体を両手で抱きかかえて恐ろしいものを見るかのようにテレビに視線を移していた。

 弟の様子を見てピンときた。テレビに映っていた学生達が虐めていた奴らだったということに。

 呆気ない解決だったが、弟が手を汚さずに済んでホッとした。

 弟も地獄のような生活が終わったことに安堵したのか、家に帰ると泥のように眠ってしまった。

 静かに寝息をたてる弟にこれで寝言を言わなくなると思い、俺も寝ようとした時だった。


「うん、今日は本当にありがとう。もう、あいつらに怯えて暮らさなくていいんだね」


 弟の寝言が始まった。まるで計画が上手くいったかのように言う弟に、二重人格の線が徐々に薄まっていく。


「え? 今度は兄さんを殺すの? 僕たちの会話を盗み聞きしているから危険だって?」


 弟の言葉に心臓が嫌な音をたて始めた。弟はいったい誰と話しているんだ⁉︎


「兄さんはダメだよ。兄さんは僕が虐められていることに気付いて、色々と手助けしてくれたんだ。今日だって、僕のことを想って一緒に遊んでくれた。僕は兄さんが大好きなんだ」


 弟は優しい声で誰かを説得している。しばらく何度も相槌を打つ声だけが聞こえた。


「……分かった。兄さんが僕たちのことを探ったり、邪魔しようとした場合は仕方ないね……」


 弟はそう呟くと再び静かに寝息をたてた。

 弟が誰と関わっているのかは分からない。ただ俺にとっては関わっていけないものだと感じた俺は、ボイスレコーダーに取っていた弟の寝言を全て削除した。

 それから弟とは仲の良い兄弟として過ごしている。

 弟には寝言のことを一切聞かないように気をつけながら。


終わり

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