第5話 激安物件

 仕事の都合で田舎へ転勤することになった。

 独り身の俺は会社の意向に不満はなく、むしろ田舎暮らしに憧れていたから楽しみにしていた。

 俺は転勤先の不動産会社を調べて、休日に足を運ぶことにした。

 ネットで調べた不動産会社は個人が経営しているこじんまりとした建物だった。

 引き戸を開けて中に入ると、初老の男が笑顔でこちらに歩み寄って来た。


「いらっしゃいませ。予約されていた方ですね?」

「はい。来月、転勤でこちらに住みたいのですが……」

「そうですか。何かご希望することはございますか?」

「そうですね。予算はこれくらいで、通勤時間は━━」


 私は自分の要望を男に告げると、男は棚から分厚いファイルを取り出して目の前に置いた。


「それでしたら、こちらはどうでしょう?」


 ファイルをパラパラとめくり、一件の間取り図を見せた。

 それは平家の一軒家なのだが、広さの割には

破格の値段で貸し出されていた。


「だいぶ安いですね。……事故物件ですか?」

「いえいえ、貸し出している方が遠方に住んでおりまして、家を維持させたいので利益を二の次にされているのです」

「確かに家は人が住まないと、すぐに駄目になってしまいますからね」

「こちらの物件は今すぐご案内出来ますが、いかがでしょうか?」


 男の言葉に俺は少し考えるが、申し分無い条件だったので、俺は力強く頷いた。


「そうですね。実際確認してから検討したいです」

「分かりました。今からご案内しますので、こちらへどうぞ」


 俺は男の案内で車に乗り、物件まで連れて行ってもらった。

 大通りから細道に入り、山の麓に平屋に建っていた。

 車から降りて辺りを見回すと、平屋の他に立派な倉が一つ隣に建てられていた。


「随分立派な倉ですね」

「そうでしょう。ここにはこの地区の祭事に使用する道具が置いてあるのですよ」


 私が倉に近づくと扉には閂と古めかしく丈夫な鎖と南京錠で厳重に施錠されている。


「それでは平屋に案内します」


 男が持っていた鍵で平屋を開けて中へ入って行く。俺もその後を付いて回り、一通りの見学を済んだ頃には、この平屋を借りることを決めていた。

 見回った際にいくつか古い箇所はあったが、生活に支障はない。むしろここでの暮らしを想像して楽しみになっているくらいだ。


「どうでしょう? 気に入っていただけましたか?」

「ええ! ここに決めます」


 俺が返事をすると、男は俺以上に目を輝かせて鞄から契約書を取り出す。


「そうですか‼︎ それでしたら、契約書の内容を確認してサインをいただけますか?」


 男から契約書を受け取り、俺は軽く目を通してからサインをする。

 そして契約書を男に渡すと、男の体は小刻みに震えた。


「やった、やったぞ‼︎ これでアレのお守りから解放される‼︎」


どうしたのか声を掛けるより先に、男は契約書を持ったまま歓喜していた。両手を上げて万歳までする男の様子に、俺は不気味に感じた。


「あの、いったいどうしたんですか?」

「全く、あの婆さん。借主が出ない間はワシに全部世話を押し付けて、迷惑してたんだ。いくら幸運を呼ぶと言っても、アレの世話はどうにも好かん」


 男は俺の言葉を無視してブツブツと愚痴をこぼす。

 先程から男が言っているアレの世話とは、いったい何の事だ?


「すみません、先程から何を言っているんですか?」

「何って、契約書をちゃんと読んでいないのですか?」


 男が契約書の一文を指差したので、俺はもう一度確認する。


『契約者は倉に住むアレの世話を命ずる。詳細は裏面に記載。』

 俺が契約書を裏面にひっくり返すと箇条書きでアレの世話についてびっしりと書かれていた。


「何だよ、この『アレ』って……」

「それは今から逢わせます。こちらです」


 契約書を見て呆然とする俺の腕を引き、男は倉の方へと連れて行く。

 男はポケットから先程とは違う鍵を取り出して厳重な南京錠を解錠してから閂を抜き、ゆっくりと扉を開ける。

 ギイィッと鈍い音を立てて開いた扉の先には、その倉に似合わない最新の檻が真ん中に鎮座していた。

 そして、その中には何かがいた。

 黒い肌に覆われているソレには、頭以外に体毛はなく、檻の真ん中で顔を俯かせたまま、あぐらをかいて座っていた。

 人間を閉じ込めているのかと思ったが、手足には水掻きのようなものと猫のような長い尻尾がある。

 まるで人間に色々な動物を繋ぎ合わせたような見た目に戸惑っていると、ソレはいきなり顔を上げて俺を見た。

 いや、実際は見ていなかった。ソレの顔は人間と同じ作りをしていたが、両目は落ち窪み眼球がない。

 それにも関わらず俺がソレの顔を注視していると、ニィッとサメのようなギザギザの歯を見せながら笑ったのだ。


「おお、貴方のことを大変気に入ったようですよ。良かったですね」

「こ、こいつはいったい何なんだ⁉︎」


 ようやく出た情けない声と震える指でソレを差すと、男はにこやかに説明した。


「そいつの正体は私たちも存じません。ただ、そいつを大事に世話をすると、幸運が舞い込んでくるのです」

「大事に世話? 檻に閉じ込めていることのどこが大事なんだ?」

「それはそいつが逃げないようにです。檻はこちらが準備出来る精いっぱいの拘束です。以前は足枷を付けて平屋で世話をしていましたが、足枷が嫌だったのか、その時世話をしていた人間は随分酷い目に遭いましたよ」

「は? それってどういうことだ?」

「前の方は仕事先の工場で機械に巻き込まれて足を大怪我されましたね。その前の方は頭上に落下物が当たって、体に麻痺が残りました。その前は……」

「はぁ⁉︎ ふざけるな‼︎ 契約書を返せ‼︎」


 俺が男から契約書を奪おうとすると、誰かに服を掴まれた。

 それは檻に座っていたはずのアイツが檻の隙間から手を伸ばして俺の服を掴んでいる。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら。


「初対面でソレが人に触れるのは珍しい。貴方をだいぶ気に入ったようです。……今契約を反故すると、酷い目に遭いますねぇ」


 男は俺と檻の奴を交互に見て卑しい笑みを浮かべた。

 俺は男を睨みつけ、服を掴んでいる奴の手を右手で思い切り叩いた。

 それから数日後。俺は交通事故により、右手を骨折したものの、田舎で幸せな二人暮らしをしている。


終わり

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